小説(長編小説)王宮の自動人形|第二章 9



第九話「歯車の崩壊」

 新暦九百八十九年。
 咲き誇った薄紅の桜が散り、節くれだった黒枝に、瑞々しい若葉が芽吹いたころ。
 在位三十一年、皇帝クロウズィール=エン・バンドラ、崩御。


 海明遼国中が喪に服し、鎮魂歌があちこちで歌われる悲しみの夜。ずっと姿を見せていなかったフォレスが、ガーサの屋敷を訪ねてきた。
 深夜に近い時刻だったが、マイサにフォレスの来訪を告げられたメラスとガーサは、玄関で待つ彼を並んで出迎えた。
「いよ!」
 喪服というわけでもなく、普段通りの黒い簡素な道着に身を包んだフォレスは、メラスとガーサの顔を見るなり、いつもの軽すぎる挨拶をした。
 顔には、変わらぬ快活な笑み。
 疲れた様子ではあるけれど、どこか晴れ晴れとして見える。
 ああ、父親に会いに行けたんだな。メラスは笑みからそれを悟り、微笑んだ。
 ガーサもまた、優しい眼差しでフォレスを見つめた。
「珍しく玄関からいらしたのですね、フォレス様」
 フォレスはにっと笑うと、左手に持っていた酒を顔の前に掲げて見せた。
「ヤケ酒大会しよーぜ!」
 一瞬目を丸くしてから、ガーサは笑ってうなずいた。


 イスティーノとファイファンダも招いて、喪に服さねばならぬはずの魔仲師ガーサの屋敷は、あっという間に賑やかになった。フォレスの持ってきた一級品の清酒と、イスティーノとファイファンダが差し入れに持ってきた上等の蒸留酒。一階の客間からは椅子も卓も除けられ、一同は一月前の花見会のときのように車座になって、互いに酒を注ぎあった。
「私に酒をすすめていいのか? 未成年だぞ」
 升に透明な液体がとぽとぽと注がれるのを、メラスは困り顔で見守った。ファイファンダは呵呵大笑し、さらに徳利を傾ける。
「法の番人たる皇族のフォレス様がいいと言うのだからいいのじゃ! 遠慮せず、飲め飲め! ほーれほれ、早くすすらんと零れてしまうぞー!」
「……じーさん。頼むから、飲む前から酔っぱらうなよ」
 フォレスがなみなみと清酒をたたえた升を片手に、立ちあがった。
「それでは! 若輩フォレス主催によるヤケ酒大会の開幕を祝して……!」
 フォレスが升を掲げる。皆もそれに倣う。
「乾杯!」
 高々と振りあげられた升から酒が零れ落ち、客間はあっという間に酒臭い宴の場と化した。
 それはなんと不謹慎な光景であったろう。皇帝が崩御したその日のうちに、乾杯を叫んで祝杯を交わしあうなど。だが、誰もなにも言わなかった。マイサですら、酒の肴を用意すると、見なかったふりをして自室に下がった。いったい誰が、フォレスを咎めることが出来ただろうか。
「……っぷはあ! 美味じゃ美味じゃ!」
 ファイファンダが酒臭い息を撒き散らしながら、升をどんっと床に置いた。
「――う」
 滅法酒に弱いガーサは、升を口にくわえたままの格好で硬直。
「あ、旨い、イスタが持ってきた蒸留酒! もう一杯もう一杯!」
 フォレスは上機嫌で、ふたたび升になみなみと酒を注ぎはじめる。
「……あぁ」
 イスティーノは満足げに目を瞑り、鼻に抜ける声で恍惚とうめいた。中性的な美貌なだけに、背景に花でも背負っていそうなほど、無駄に色っぽい。
 そしてメラスは、
「……まずい」
 初めての酒を経験して、げそっとする。甘ったるいような苦いような、まるで薬草のような複雑な味わいだ。渋い顔で升を床に置くと、すかさずイスティーノが酒を注いできた。
「わ、もういらないって! って、もしかしてイスティーノ……もう酔ってる!?」
 イスティーノはメラスの肩にしなだれかかると、男とは思えぬ色香のある上目遣いを向けてきた。
「うふふ、まあまあ、そんな遠慮しないでお客さん……」
「お、お客さん!?」
 思わず後ずさるメラスを、今度は背後からガシッと掴む手があった。ガーサである。
「私の娘になにするあるか!」
「ガ、ガーサ……なんで片言なんだ」
「私の、私の、私の……うっうっうっ」
「なんで泣く!?」
 戸惑うメラスの頭を、脇から撫でる手がある。おそるおそる振りかえると、そこにはつぶらな瞳をきらきら不気味に輝かせたファイファンダがいた。
「はじめまちて、メラスちゃん! おじいちゃんでちゅよーっ」
「何故あやす!?」
 酒宴開始わずか二十分で、完全に酔っ払ってしまった総師たちである。
 しょうもない大人たちの輪から、どうにかこうにか抜け出したメラスは、ひとり真面目な顔で酒をちびちびやっているフォレスを見つけてほっとした。水辺を見つけた砂漠の放浪者のように、よろよろと四つん這いで彼の隣に行く。
「フォ、フォレス、助けて」
「……今、思い出した」
 フォレスが鬼気迫った、真剣な顔で呟く。メラスはごくりと息を飲んだ。
「な、なにを?」
「こいつら……恐ろしいほど、酒癖が悪いんだった」
「もっと早く、思い出しとけ!」
 あっという間のどんちゃん騒ぎになった三人は放置して、メラスはフォレスの横に腰を下ろした。どうやらフォレスは酒に強いようなので安心である。
 と、おもむろにフォレスが頭を下げてきた。
「ありがとな、メラス。お前のおかげで、俺、親父に会いに行けた」
 メラスはきょとんとし、一瞬後、慌てて両手を振った。
「私はなにもしてない」
「重荷、一緒に背負ってくれただろ。肩にのしかかってた重たいのが減ったら、自然と、会いに行こうって思えた。……行ってよかった。なんていうか、俺はちゃんと愛されてたみたい」
 本当あんがと、と照れくさそうに自分の前髪を弄りながら、フォレスがもごもごと言った。
 ――決して、傷が癒えたわけではないだろう。それでもフォレスの横顔が凛として見えたので、メラスは安堵と嬉しさから微笑んだ。
「そっか。……よかったな、フォレス」
「おう」
 フォレスは満足げに息をつき、照れを誤魔化すように「お前は?」と話を振ってきた。
「政治に参加したいって目標は、少しは見通しがついたのか?」
「う。……い、いや、それが」
 メラスは口籠る。
(多分、ガーサは私に師武官庁に入ってほしいと思っている……)
 先日、同級生からメラスのやっている課題が特殊なものだと聞かされたとき、閃きのようにそう悟った。
 いや、師武官庁に入ってほしいと思っているというより、ガーサはただメラスの選択肢を広げてくれたのだと思う。
 政に関わりたいと思っていた。想定していたのは、天議会議員だ。なりたいというよりも、それしか選択肢がなかった。議員は、「誉世挙」と呼ばれる試験の成績順で選抜される。人の一千倍、勉学に励めば、複雑な立場にいるメラスでも選抜される可能性はある。――とはいえ、天議会では家柄や経歴の清さが成績以上に物を言うのも確かで、それも望み薄としか思えなかったのだが。
 一方の総師は、完全実力重視の武術試験によって決められる。だが、総師はあくまで軍人だ。政権を握っているとはいえ、主体となる仕事は、武器を手にして国家の安全を守ることである。だからメラスは、総師を最初から念頭に入れていなかったのだ。
 けれどガーサは、メラスを軍舎での訓練に参加させ、支総師の頂点に立つファイファンダ支初師手ずからの武術訓練を受けさせ、メラスが気づかぬうちに総師に必要な知識や技を身につけさせていた。メラスはずっとそれらを、ただの課外活動やファイファンダの気まぐれ程度に考えていたのだが、今にして思えば、それらはすべてガーサからのひそかな贈り物だったのだ。
 メラスに黙っているのは、強制する気がないからだろう。メラスが、あくまで天議会に入りたいというなら、そのために全力を尽くしてくれるはずだ。だが、どの道を選ぶのか、最初から選択肢がひとつしかないよりは、いくつかあった方が未来が広がる。
 ガーサは、選べる道をひとつ、増やそうとしてくれている。ひそかに。なにも言わず。
 心強かった。
 ひとりで、闇に閉ざされた未来を見つめている気がしていた。
 けれどふと傍らを見れば、ガーサがこれまでと同じように寄り添ってくれている。
 ひとりじゃない。同じ目的を持った仲間が、いる。
 メラスにとっての最大の目的は、下町からあの壁を取り除くこと。ガーサにとっての最大の目的は、下町の民も下級民も、すべてが等しく穏やかな暮らしができること。
(共に歩む道を、ガーサが見つけてくれたのなら、私は師武官庁に入りたい)
 総師の試験を通過して、師武官庁の役人になれるなら、ガーサとともに戦える。夢のような話だが、魔仲師ガーサ=シュティッバーの部下になれたとしたら、それはどんなにか素晴らしいだろう。
 ずっとガーサの重荷になっていると感じてきた。
 だが、違った。ガーサはもっと未来を見ていた。メラスを重荷とは考えず、いずれ手を取り合う仲間として考えていてくれたのだ。
「なんとなく、道が見えた気はしてる」
 ようやくの思いでメラスは呟いた。
 なにかを感じ取ったのか、フォレスはガーサに目をやった。そして微笑むと、ふたたびメラスを振りかえって「そっか」とうなずいた。
「……ってか、そんなことを考えてたなら、早く言ってくれればよかったのになあ。そしたら、そっちの道を選ぶに決まってるのに」
 メラスはぼそぼそと言って溜め息をつく。
 同級生から話を聞いた日、メラスはガーサに直接話を聞くつもりでいた。だが、ガーサの自室で、カイ補佐となにやら密談していたのを見て、聞く機会を逸してしまったのである。
 なんとなく、変な雰囲気があったのだ。
「あ、あのさ、……カイ補佐って好きなひと、いるのかな?」
 思わぬ質問に、フォレスはきょとんとしてから、ぎょっとした。
「メ、メラスが恋愛話をしている……! やめて、空から槍が降ってくるから!!」
「いや、恋愛話じゃなくて! ほら、ガーサって結婚してないだろ。もう三十何歳だ? 休日ともなると、家でごろごろ。無精ひげを生やして、寝間着姿のままでうろうろ。だらしないったらない。しかも私が寝室入っただけで、悲鳴をあげるんだぞ、ガーサ。童貞かっつーんだ」
 フォレスの頭上で稲光が走った。
「ちょ、寝室入るなら、俺の寝室にいらっしゃいよー!?」
 メラスは乾いた笑いを零した。
「行ってやってもいいけど、お前の寝室どこだよ。……だからさ、カイ補佐はどうなのかなーって。カイ補佐も独身だろ」
 フォレスは目をぱちくりさせ、腕組みして天井を見あげた。
「カイねえ。そういやカイも浮いた話ひとつ聞かないな。でも確かにお似合いかも」
「だろ? カイ補佐はしっかりしてるし。って、仕事上の関係に、こんな話を持ちこむなんて、カイ補佐に失礼だけど……でも気づいてるか? たまにガーサ、カイ補佐のことじっと見つめてるんだ」
「……え! そうなの!?」
 フォレスがおかしげに顔を輝かせる。後でからかってやろうといった顔だ。言わなきゃよかった。
 メラスは膝を抱えて嘆息した。
「ちょっと責任感じてるんだ。ガーサが結婚しないのって、私のせいじゃないかって。同い年のイスティーノは奥さんいるし、他の総師もみんな既婚者だ。私みたいな得体の知れない義娘がいたら、そりゃ貰い手あるわけないよな」
 貰い手という言葉に、フォレスはクツクツ笑う。
「まあな。確かに、未婚で子持ち、しかもその子どもってのが「下級民」ってんじゃな」
「だよなー」
 遠回しではない言葉に、メラスはうんうんとうなずく。
「中級街のあの学舎でだって、同級生が私を受け入れてくれるまで長い時間がかかったんだ。無視されるわ、石投げられるわ、靴の中に蛙の死骸を入れられるわ……」
「ああ、あったあった! で、返り討ちにして、相手側の親から学舎に苦情が来たりしてな」
「そう。そしたら大変な騒ぎになって――」
 学舎長が互いの親を学舎に呼び出し、話し合いの場が設けられた。だが、老師も、相手側の親も、ガーサが学舎に来るとは思っていなかった。なにしろ多忙な総師だ、不心得の義娘のために、わざわざ時間を割いて中級街まで下りてくるとは思っていなかったのだ。
 だが、ガーサは来た。ガーサが教室に入ってくるのを見たとき、メラスは顔を真っ赤にし、うつむいたまま顔を上げることができなかった。自分は悪くない、悪いのは向こうだ、そう思ってはいたが、大変な苦労の末に自分を学舎に入れてくれたガーサの顔を見たら、ただただ自分が情けなくて、ひたすらガーサに対して申し訳がなかった。
 けれどガーサは、メラスが振るった暴力を相手側の親と子どもに詫びると、子どもたちの前に片膝をつき、顔を覗きこんで言ったのだ。
 ――君たちはどうして、この子に石を投げたのかな?
 メラスはそれを聞いて、答えは決まっていると思った。メラスが下級民の出だからだ。だから彼らが目をそらして、ごにょごにょと言葉を濁すのを見て、一度冷えた頭がかっと熱くなった。
 はっきり言えばいいのに。大人が相手だから言えないんだ。卑怯者。
 だがガーサは、にっこりと笑った。
 ――答えられないということは、君たちはその答えがとても恥ずかしい答えだと分かっているからだね。賢い子だ。家に帰ったら、なぜ私に胸を張って答えられなかったのか、よく考えてごらん。そしてもう二度と、自分に胸を張れないようなことをしてはいけないよ。
 総師の穏やかな言葉を聞くと、同級生たちは耳まで真っ赤になって、唇を噛んでうつむいた。
 ガーサは彼らの前で、メラスのことも叱った。「暴力はだめだ。言いたいことがあるなら、口で言いなさい。聞いてもらえないなら、耳を傾けたくなるほどの説得力を身につけなさい。相手を論破できるだけの知識と知恵を得るため、もっと真摯に老師の言葉を聞きなさい」と。
 それ以来、同級生たちはメラスに手出しをしなくなった。互いに挨拶ができるほど打ち解けられるようになるまで半年を必要としたが、一年も経つころには、同級生の一部とは冗談を言い交せる程度には仲良くなることができた。
 けれど全員ではない。身分制度の話題になれば、仲良くなれた同級生とだって必ず論戦になるし、それに彼らの目の奥にはいまだメラスを蔑む色がある。表面には出さないだけだ。そして多分、メラスの中にも彼らを馬鹿にする気持ちが根強く残っている。
「立派な人間になりたい。せめて横に立っていても、ガーサのかっこよさを曇らせない程度には」
 そしたらもっと女性が群がってくると思うんだよな、とぼやくメラスをじっと見つめ、フォレスはむっつりとした。
「メラぷっぷは、ガーサ好きだよなー」
 メラスは頬を赤くして、それでも正直にうなずいた。
「うん、好きだ。尊敬してる。ガーサは世界で一番かっこいい」
「……恋敵が強敵すぎるんですけど!」
 床に突っ伏すフォレスを、メラスは「恋敵ぃ?」と白けた顔で見下ろし、ふっと笑った。
「でも、かっこいいのはガーサだけじゃないよ。言ったことなかったけど、私はお前が皇族で嬉しい。いつも私の話を、関心を持って聞いてくれるお前が……下町のことや、下級民のことに無関心でないひとが、この国のてっぺんにいるんだって思うと心強い。希望を持っていられる。いつかきっと、みんなが笑える未来が来るって」
 フォレスは目を丸くし、苦笑した。
「てっぺんどころか、政権すら放棄してるけどな」
「うん。けど、それでも」
 誇らしげに言うと、フォレスはしばらく黙ってメラスを見つめ、物思いに耽るような真剣な目でガーサたちのどんちゃん騒ぎに視線を転じた。
「……そっか」
 呟き、酒の升に唇をつける。けれど飲まずにそのまま床を見つめた。
「フォレス?」
「――メラスと俺と、ガーサ、イスタ、ファイファンダと……なにが違うんだろうな」
 升を満たした蒸留酒に、フォレスの物憂げな表情が映りこむ。
「下級民、皇族、総師。俺には違いが分からない。この身分制度はなんなんだろう。なぜひとは下級民に石を投げつけるんだろう」
「うん……」
「けど、下町の問題は少し質が違うような気がする」
 メラスは、フォレスを振り仰ぐ。
 それはいったい、どういう意味だろうか。
「うおー! メラスー!」
 そのときだった、突然、総師同士で大騒ぎをしていたガーサがメラスに飛びかかってきた。
「──お、おお! 何だ!?」
 ぎょっとして、メラスは慌てて返事をする。
「ひどいんだあ! イスタも糞じじいも、みんな私を親馬鹿と言うんだよー!」
「は、はあ」
「親馬鹿でなにが悪い! 娘が可愛くてなにが悪い!? 余所にやりたくないと思って、なあにが悪いのだー!?」
 どうやら性懲りもなくまたメラスの結婚話で盛り上がっていたらしい。ガーサは涙をぼろぼろと流しながら、床板をバシバシと叩いた。
「メラスー! 頼むから、ひどい男には嫁がないでおくれよー!」
「お、おう」
「お前は大切な娘だからね! 絶対に幸せになってくれないと困るんだから!」
「う、うん」
「貴方もです、フォレス様ー!」
 ガーサは並んで座っていたフォレスとメラスをいっしょくたに両腕に抱きしめると、勢い余って二人ごと床に倒れこんだ。
「いて……ちょ。ガーサ、飲みすぎ――」
「よく頑張りましたね、フォレス様!」
 ガーサはもがいて逃れようとするメラスを右腕でよりいっそう強く抱きしめた。それは、もう片方の腕でフォレスを抱きしめた相互作用によるものだと気づいて、メラスはフォレスに顔を向けた。
「よく頑張った!」
 でかい犬にのしかかられたみたいに床に押しつぶされたフォレスは、ぽかんとして抱きしめられるままになっている。だが、「えらいえらい! えらい! えらい!!」と舌足らずに連発しながら、おいおいと男泣きするガーサを見つめるフォレスの顔が、不意にくしゃっと歪んだ。
 メラスの視線に気づくと、フォレスは目許を腕で覆い隠して、短く笑った。
「ほんっとガーサって……」
 最後まで言えずに、フォレスは唇を噛みしめる。堪えても溢れ出る涙と嗚咽を誤魔化すように、フォレスはガーサの大きな肩に顔をうずめた。
「マジ……、勘弁して……」
 フォレスのくぐもった声は、父を失った悲しみと、父のように慕う男に力いっぱい労われた嬉しさとが綯い交ぜになっていて、メラスも思わずつられて泣き笑った。
「っなんじゃあ!? 子どもが二匹も泣いておるぞー! どーしたどーした! じーちゃんに話してみぃ……!」
「あららん? ほんとだわー。どうしたのお?」
「イ、イスティーノ、なんでお姉言葉に……」
「ようし、泣いてる子どもらを笑わせくれよう! イスタ、くすぐるんじゃ! こちょこちょこちょー!」
「ああん、いいわねえ、コチョコチョ……とぉ」
「っぅきゃ──……っや、やめ……!」
「ちょ、どこ触ってんだ、イスタ!」
「ぎゃあああああ……!」


 近所迷惑な夜だった。近所など、声の届く範囲にはなかったが。
 そして幸せな夜だった。
 このまま永遠に、この幸せな時間が続くのではないかと、


 そう、錯覚したほどに。

+++

 闇の中に、一本きりの蝋燭の灯がともる。
 あまりにか細い火が、闇に蠢く無数の人影を、大きく、また小さくした。
「皇帝が死んだ。まるで天は我らに味方しているようではないか……」
 愉悦まじりに呟かれた言葉に、他の人影がクツクツと笑って「そうだ」と同意する。
「天意は我らにある。新たに玉座につく皇太子を操る糸は、すでに我らの手に」
「あとはあの男さえ消えてしまえば……」
 ざ、と砂を踏む音がして、人影は一斉に振りかえった。
 そこに現われた影を見つめ、人びとはみな、彼にひれ伏す。
「さあ、始めよう。ひとつめの歯車はすでに落ちた。支えをなくした歯車は、次々と落ち、あとにはただ礎だけが残るだろう……」
 蝋燭の灯がふっと吹き消され、闇には静寂が落ちた。