小説(長編小説)王宮の自動人形|第二章 6



第六話「辻占い」

 散歩と言って、フォレスがメラスを連れ出したのは、夜の城下町だった。
 平素ならば静まりかえる夜も、今は花見の季節、まして祝日最終日だ。月か、あるいは提灯雪洞に照らしだされた夜桜を楽しむ人々で、通りは華やかな賑わいを見せている。
 箪笥の奥深くに眠らせておいた一張羅を着て、大人たちが酒や串団子、綿菓子、桜もちなどを手に手に、川辺を練り歩くさまは、夜桜を見る以上に面白いものがあった。
 そして、そんな庶民の賑わいに、いともあっさりと溶けこんでいるフォレスがまったくもっておかしい。これで、天下を統べる皇族だというのだから、ふざけているとしか言いようがない。
「ほい。どーぞ」
 ちょっとそこで待ってて、と言い残し、人ごみに消えたフォレスが、串団子を片手に戻ってきた。メラスはますます呆れながら、団子を受けとった。
「本当にお前はつくづく一般人だなあ」
「おほめに預かり光栄であります」
 メラスは、串の先で喉を突かぬように気をつけながら――何しろ押し合いへし合いの人ごみである――、三つあるうち、てっぺんの赤い団子を食んだ。いかにもにわか商人が作る露店物らしく、柔らかすぎてまるでこしのない餅だが、雰囲気と相まって、旨い。
「で。これとお前の先行きと、何の関係があるんだ?」
 散歩に連れ出されたのは、メラスが自分自身の将来を語り、そしてフォレスはどうするのかと聞いた折のことだった。何か意味があるのかとも思ったが、団子を食うことと、フォレスの行く末とがどう関係するのか分からず、メラスは戸惑いながら訊く。
「ん? うーん」
 フォレスはくるくると手の中で串をもてあそび、
「まったくもって関係ありません」
 すぱっと胸を張って答えた。
「……ああん!?」
 メラスはフォレスの胸ぐらを掴んで、串団子の先っちょを目ん玉の前に押しつけた。
「ちょ、危ない、メラスさん、マジで危ない! ここ人ごみ人ごみ人いっぱい!?」
「お、ま、え、なあ……っ、私は課題で忙しいんだぞこの野郎……!」
「俺、皇子様! この国の行く末、ちょっとだけ握ってます!」
「都合のいいときだけ皇子ぶりやがってこの……!」
「いいぞやれやれー! 目ん玉ぶっ刺してやれー!」
 痴話喧嘩とでも思ったのか、桜の下でへべれけになっている男たちがやんやの喝采を送ってくる。メラスははっとなって、渋々と串を引き、最後の黄色い団子を苛々と齧って喰らった。
「まったく……ちょっと心配してたのに」
 フォレスはぜぇぜぇと襟元を正しながら首を傾げた。
「昨日、元気がなく見えたから」
 メラスの気まずげな言葉に、フォレスは手を止めた。
 まじまじと見つめられて、メラスは顔をしかめつつも、きちんと彼に向きなおって口を開いた。
「大丈夫か? お前。何か悩みがあるなら言えよな。私じゃガーサほど頼りにはならないだろうけど……ほら、悩みをためこむとはげるし、胃に穴も開くって言うし」
「な、なんか聞き覚えのある台詞なんですけどっ」
 大昔の自分の発言を再現され、フォレスは慌てふためき――そしてふと頭上の桜を見あげた。
 半分に欠けた月が、桜の薄い花弁に淡い灯を燈している。儚くも美しい、幻想的な光景だ。満開から少し進んで、花びらが泣くように降り散ってゆく。フォレスはそれをどこか遠い目で見つめた。
「ガーサと最初に会ったのも、桜がやたらきれいな日だったな」
 メラスは突然の昔話に、目を瞬かせた。
「そうなのか?」
「そ。そのころ、俺はもう放浪皇子って呼ばれてて、宮殿から飛びだして、好き勝手に城下町をほっつき歩いてた。でもその日は、普段は行かない高級街の桜を見たくなって、高級街をふらふら歩いてたんだよ。そしたら……」


 ――どうしたのですか?
 声をかけてきた男を振りかえり、今よりもずっと幼かったフォレスはぶっきらぼうに答えた。
 ――花見。
 人情男ガーサの噂は聞いたことがあった。目の前にいる男がそのガーサであることも、おぼろげに気づいていた。その頃にはフォレスは「放浪皇子」の名をほしいままにしていて、軍師や天議会議員の家々を、好き勝手に眺めてまわっていたからだ。
 憮然とした答えに、ガーサは微笑んだ。
 ――おひとりで寂しくはありませんか。
 フォレスはむっとした。名乗りもしないうちから、寂しくないか、などとは、ずいぶん無遠慮で踏みこんだ物言いだ。
 だが不愉快に思ったのもつかの間、身分の差も恐れずに話しかけてくる者の存在が新鮮で、フォレスはひねくれながらも答えを返した。
 ――さびしかったら、どうするんだ?
 ガーサは破顔した。
 ――よろしければ私が、花見をご一緒しましょう。
 その答えに、フォレスは今度こそ驚いた。
 なにか裏があるのだろうかと思った。皇族と接点を作っておくことは、総師にとって決して無益なことではない。たとえそれが、父皇に疎まれ、親族からも宮廷の人間たちからも「放浪皇子」と揶揄される、価値なしの皇子であっても。
 けれど、この能天気な笑顔はなんだろうか。フォレスはこれまで、何百、何千人もの笑顔の下に、嘲笑と愚弄と策略とが隠れひそんでいるのを見てきた。だが、目が肥えているはずのフォレスにも、ガーサの笑顔はまるきり正体不明に見えた。
 つまり、何もなかったのだ。馬鹿みたいな笑顔がそこにある以外には。
 人情男。ああ、そういうことか。フォレスは妙に納得した。
 それと同時に気がついた。
 じゃあ自分は、その人情でもって、同情されているのか。
 それほどまでに、ひとりで花見をする自分の姿は、哀れに見えたのか。
 唐突に、胸が苦しくなるほどの孤独を自覚した。自覚した途端、フォレスの目から涙が零れた。
 人目もはばからずに泣くフォレスを、ガーサは笑わなかった。慰めることもしなかった。
 ただ黙って側にいてくれた。花見を一緒にという言葉通りに、舞い散る薄紅を優しく眺めながら。


「皇族ってだけでも一歩引きそうなもんなのに、ガーサは全然気にしないんだよな。それが気に入って、居心地が良くて、気づいたらちょくちょくガーサのところに遊びに行くようになっていた」
 フォレスはそこで、にっと笑った。
「で、それから数年して、お前がやって来た。……ガーサがメラスを養女に迎えることに成功したって聞いたときは嬉しかったよ」
 メラスは初めて会ったときから変わらない、少年のような笑顔を眩しげに見あげる。
「この間も言ってたけど……どうしてそんな喜んでくれるんだ?」
「だってメラス、ガーサそっくりなんだもん」
 思わぬ答えに、メラスは目を丸くした。
「似てる? 私が、ガーサと?」
「というか、輪をかけて馬鹿」
「はあ!?」
「そりゃお前、俺が何者かなんて気にせずに、散歩にも付き合ってくれるし、団子も一緒に食ってくれるし。そんなの馬鹿としか言いようがないでしょ」
「……それを言ったら、私はどうなるんだよ」
 下町の民。海明遼国の身分制度の埒外にある、不浄の者。
 フォレスはそれこそ一切の屈託なく、メラスと接してくれる。メラスが、フォレスを皇族だからと区別する理由など、どこにもなかった。
 そうだ、思えばとんでもない組み合わせなのだ。
 第二皇位継承者であるフォレスと、元下町の民で元国家反逆犯であるメラスと。
 それが二人、一緒に団子を食っている。
 二人は顔を見合わせ、ふいにこみあげる可笑しさに、どちらからともなくクツクツと笑いだした。
「ガーサが親父だったらよかったのに、って何度も思ってきた。でもそれは叶わぬ相談だから、だからメラスがガーサの養女になってくれて、すっげえ嬉しかった。変な話だけど……俺の叶わぬ夢を、メラスが叶えてくれたみたいな、そんな気がした」
 メラスは、降りしきる桜雨のなかで目を伏せるフォレスを見つめる。
 叶わぬ夢。それは悲しい言葉に聞こえた。
 フォレスには、血の繋がった本当の父親がいるのに。
 その父親は、民からも、ガーサたち総師からも、一身に尊敬を集める偉大な賢王だというのに。
 それでもフォレスにとって、皇帝は父親と呼べる相手ではないのだ。
「……あの、さ」
 フォレスが重たく口を開く。
 メラスは何かを迷う様子のフォレスを、うなずいて促す。
「うん」
 躊躇いに口籠って、フォレスは視線をさまよわせる。
 と、フォレスの目が賑わう人々の先、薄暗い路地裏に向けられた。
 つられて視線を追ったメラスは、路地裏に薄汚い身なりをした、背中の丸い老人が座りこんでいるのを見つけた。錫杖を腕に抱えて、膝を抱いて座る男の前には、脚の短い卓と、その上に転がされた賽子――辻占い師だ。
「……へえ。あれ、前に会った辻占い師だ。あのころももうずいぶんな老齢に見えたけど、まだ現役で占い師やってるとはな」
 フォレスの呟きに、メラスは首を傾けた。
「なんだ?」
「いや、昔、城下町をほっつき歩きはじめたころ、あの辻占い師に会ってさ。面白いことを言う占い師なんだ。皇帝も、総師も、天議会も、国というカラクリを動かすための歯車にすぎない、とかなんとか」
「歯車?」
「大胆なこと言うだろ? 皇帝を、総師や天議会と同じ歯車にすぎないなんて、誰が聞いてるかも分からない往来で堂々と言うんだからな。面白くなって、じゃあ海明遼がこんな状態なのはどっかの歯車が好き勝手やってるからか、て聞いたんだ。そしたら、歯車は互いに干渉し合っているから、どれかひとつが好き勝手に動いたって、この国がめちゃくちゃになることはないって。この国がめちゃくちゃになるとしたらそれは、天議会、総師、皇帝、どれかひとつが暴走したときじゃなく……」
 言葉尻が喧噪に溶けこみ、フォレスの表情がぼんやりと透明になってゆく。
 辻占い師はこちらを振りかえることもなく、卓に転がされた賽を見るともなしに見つめていた。
 ふいに、メラスはぞくりとした。
 脇を素通りする人々の賑わいが、露天商の口寄せが、頭上の桜のざわめきが、すべての音が遠ざかり、正体の分からぬ恐怖が心の奥深くにぼうっと灯る。
 フォレスは続きを口にしない。自分が口走ろうとした言葉の意味に気づき、おののきに呆然としているように見えた。
「……フォレス?」
 理由の判然としない恐ろしさに耐えきれなくなって、メラスは震えた声をフォレスにかける。
 フォレスははっと我にかえり、目を瞬かせた。
 それによってメラスの耳にも音が蘇り、知らず強張らせていた肩からほっと力を抜いた。
 だから安堵した心に、フォレスのその言葉は、あまりにも簡単に届いた。
「皇帝が崩御する」
 感情の一切籠らぬその声を、メラスは危うく聞き逃しかけた。一度耳から離れた言葉が、ふたたび耳朶に戻ってきて、メラスはまじまじとフォレスを見つめた。
「……え?」
「不治の病に冒され、多分、ひと月ももたない」
 メラスは絶句した。
「な、なに……そんな――けどガーサは何も」
「まだ一握りの人間しか知らない。幾重にも情報規制をかけているから、総師も天議長も誰も知らない。けど、昨日の新しい天議長たちの就任の儀にも、兄のオールアーザが代理で参列していたから、いよいよやばいんだろうな」
 淡々とした告白に、メラスは何も言うことができなかった。
 これが、原因だったのか。フォレスが元気がないように見えたのは、こんなにも重たいものをひとりで抱えていたからだったのか。
 情報規制が敷かれているのなら、総師であるガーサに打ち明けることはできない。本当なら、メラスにも話してはならないことなのだろう。だから迷っていたのだ。用もないのに散歩と嘯いて、城下町にメラスを連れ出し、団子を食べて、関係のない話をして。
 フォレスは自嘲するように笑った。
「情けないよな。急すぎて、なんか混乱してて。皇帝が――父がもうすぐ死ぬのかと思うと……本当は国政のこととか、俺自身の先行きとか、真剣に考えなきゃならないんだろうけど、頭が回らなくて」
 メラスの脚の脇に垂らした右手の指先が、ひやりと冷たくなる。
 見下ろすと、フォレスが頼りなげにメラスの手を握っていた。
「もう間もなく正式に発表される。……それまででいい」
 フォレスは片手で顔を覆う。メラスはじっと次の言葉を待った。
「この重い話、半分でいいから預かってくれ」
「フォレス……」
「分からないんだ。父皇の側についているべきなのか、ついていていいのか……ついていたいのか」
 フォレスの冷たい手が小刻みに震えていて、メラスの胸はずきりと痛んだ。
「俺は、悲しいんだろうか」
 ぽつん、と迷子の子どものように、心細げにフォレスは呟く。
 メラスは何の言葉も思い浮かばず、ただ頼りなく絡められたフォレスの指を、そっと握りかえした。


 かつて宮廷には「二剣三華」という言葉があった。
 二人の皇子を剣に、三人の姫を華にたとえ、その聡明さを、武芸達者ぶりを、見目麗しさをたたえることで、海明遼の未来が安泰であることを表した言葉だ。
 だが人々が、皇家五兄弟を二剣三華と呼ばなくなって、久しい。
 理由のひとつに挙げられるのは、三華の頂きに座していた静浄伯娘ファスラウィア=サルク・アーサの婚姻だ。隣国に嫁いだファスラ姫を、「三華」のひと華に数えるのは、やはりどうにも据わりが悪い。
 しかし一番の理由はやはり、二剣の一角を担っていた蒼煌仲子フォレシルアス=ラグト・イズトリーの愚行ぶりにあると言えよう。
 フォレス皇子は、いったい何が気に食わないのか、たびたび宮廷を出奔しては城下町をうろつきまわり、よりにもよって平民と酒を喰らっては、町の狼藉者たちと殴り合いの喧嘩をし、あげく牢獄にまで放りこまれる始末。
 二剣の一という名のかわりに、彼に与えられたのは、放浪皇子という侮蔑を極めた名。
 そして、もうひとつ。
 口さがない女官たちが、ひそかに彼を呼ぶ名。
 弟殺しのフォレス様。