小説(長編小説)王宮の自動人形|第二章 4



第四話「花の宴」

 刷毛で伸ばしたような薄青の空に揺れる桜の大樹。柔らかな薫風に散らされて、薄紅の花びらが白雪のように舞っている。青々とした野原の中央にすっくと立った黒い桜樹の下で、メラスは屋敷から持ってきた敷き布を広げた。マイサが用意してくれた、やたらと豪華な漆の重箱を並べ、堪えきれずににんまりとする。
「完璧だな」
「ううん、完璧だね」
 ガーサは早々に敷き布の上に寝転がり、心地よさそうに息を吐き出した。すぐにでも眠ってしまいそうな様子に笑って、メラスは窮屈な靴を脱ぎ捨て、野原に飛び出した。
 裸足で踏んでもまだ固さを感じない若草の上には桜色の絨毯が敷かれ、若緑と薄紅とのまだら模様が目に鮮やかだ。下町には桜の樹木はないから、この淡い景色が、誰もがうなずく「春の象徴」だなんて知ったのも、ほんの数年前のことである。
 下町の春は、咲き乱れる野花だ。踏むと青い匂いのする若草だ。暖かさに誘われて匂い立つ湿った土、空を往く鳥の羽ばたき、薄く霞む白雲。そして――壁の向こうから聞こえる、春の訪れを喜ぶ見知らぬ人々の声。
 外の世界に憧れていた。
 外から来る高級民を憎みながら、壁の向こうの世界に焦がれていた。
 そして今、自分は「壁のあちら」に立っている。


 五年前のあの日、ガーサはいくつもの嘘をついた。
 ガーサには下町の立ち入り許可など下りていなかった。皇帝の寵愛をもってしても、皇族であるフォレスの力を使っても、下町の扉は頑として開かなかったのだ。
 そんな状態で、どうして下町の娘を養子に迎えることができるだろう。
 ひと冬かけてガーサたちがしたのは、「メラスが下町の民である」という事実を抹消し、「メラスが下級民である」という事実を捏造することだった。
 前者は造作もなかった。メラスの正体を知る天議長や議員たちは、たとえ墓の下に入ったとて、下町のしの字すら口にすることはないだろう。彼らが下町に立ち入ったことが明らかになれば、下されるのは間違いなく極刑なのだから。
 問題は後者だった。下町の民でないならば、メラスは一体何者なのか。
 メラスには爆破犯という消しようのない前科がある。そして爆破事件を惹き起こしていた反乱組織の構成員の大半は、大金を握らされた下級民たちであったという。
 あの事件の背後には、天議会側についた支終師がいた。だが宮廷は民に対し「下級民の反乱組織による仕業」と半分だけの事実を公表した。総師と天議会の権威を失墜させるわけにはいかなかったのだ。
 単独の爆破犯であるメラスもまた、反乱組織の一員ということにされた。いや、ガーサがそういうことにした。そしてメラスは自動的に下級民という地位を得ることになった。
 フォレスが尽力したのは、前科持ちの下級民であるメラスと、総師ガーサの養子縁組についてだ。総師が下級民を養子に迎えるなど、前例がない。だが現皇帝は下級民に対して同情的だ。本来ならば極刑となるべき爆破の一件も、無知な娘が、悪知恵を持った総師や天議会にいいように使われた、と哀れんでいる。フォレスはそれを利用し、ありとあらゆる手段を使って娘に恩赦を下し、その哀れな娘の更生を皇帝の信頼厚いガーサに一任した――という形式を強引に整えた。
 宮廷の各省庁は、大いに難色を示した。しかし皮肉なことに天議会が味方となった。「前科のある下級民を養子に。真に結構」と雁首を揃えて賛同してくださった。どう考えてもメラスはガーサの経歴に傷をつける存在であり、今後、様々な道具として使える存在だったためだ。
 そうしてメラスは下級民になり、ガーサの養子として高級民の一員となった。


 メラスは指の先に痛みを覚えて、手を持ち上げた。爪と肉の間に紫色の血がこびりついている。メラスが下町に「侵入する」ため、壁をよじ登ったときにつけたものだ。
 故郷に帰るたび、メラスは秘密裏に壁を越え、下町に不法侵入している。五年前、ガーサがしたと同じように。
 見つかれば、死罪だ。ガーサもただではすまない。
 ガーサはそこまでして自分を養子に迎えてくれた。足手まといになりたくなかったから下町に逃げ帰ったはずだったのに、結局メラスはガーサを窮地に追いこむ存在と成り果てた。
 だから、焦る。少しも力になれない自分に。
 メラスは爪ごと拳を固めて、小さく息をついた。
「おーい、メラスー!」
 遠くから声がした。顔を見るよりも先に「こっち!」と叫び返し、野道を歩いてくる三人連れに大きく手を振る。
 先頭を歩くのは、伝令役を買って出たフォレスだ。彼の背後にのんびり従うのは、メラスにとってこの高級街では数少ない知り合いである。
「おかえり、メラス。今日帰ってきたのか?」
 桜の雨をくぐるように歩いてきた長身の男は、イスティーノ=アシュラス。柔和な顔立ちが惚れ惚れするほど美しい、ガーサの無二の親友であり、海明遼国が誇る魔終師である。
「さっき。イスティーノも元気そうでよかった」
「毎日ガーサの奴をいびって楽しんでいるからね。悦楽を忘れえぬ限り、老ける心配はない。……おっと、失礼、ご老体」
「ご老体とは何だ、この無礼者めが。わしとて毎日楽しんでおるわ!」
 イスティーノの軽口に落雷を落としたのは、六十を越えてもなお最強との呼び声高い、支初師ファイファンダ=ファイフォンドだ。つるりと禿げ上がった頭に、真っ白な髭を生やした好々爺で、ガーサとイスティーノとは目的を同じにしている同志である。
 ファイファンダはメラスの顔を見るなり破顔した。
「おお、メラス、元気にしておったか? また少し背が伸びたようじゃが」
「たかが二ヶ月だぞ。そんなひょいひょい伸びるものか」
「成長過程の若者は、二ヶ月で見違えるように変わるものじゃ」
「頼むから、俺より伸びるなよ」
 横から口を出してくるフォレスを反論しようとしたところで、ファイファンダがいきなり奇声を発した。
「なんと、メラス! こんな人目のあるところで裸足になるとははしたない! 若い娘っ子が、少しは恥じらいと言うものを……っ」
 メラスは大仰に溜め息をつき、すっぽかした靴を渋々と履いた。
「分かったよ。うっさいなあ、じーさんは」
「ええい、口の悪い! 名前で呼びなされ、といつも言っておろうに」
「じーさんの名前は無駄に長いんだよ。ファイファンダ=ファイフォンドだぁ? 早口言葉か」
「文句なら、わしの親に言いなされ」
「へぇ、言ったら名前が変わるんだ?」
 年齢差を感じさせない程度の低い口論に、ガーサは、ずずず、とお茶をすすった。
「のどかだねぇ」
 完全に見物人と化しているガーサの脇に腰を下ろし、イスティーノは首を傾けた。
「のどかか?」
「はあ、疲れた。高級街って阿呆みたいに広いよな。ご近所さん遠すぎだって……」
 その横にごろりと大の字になって寝転がるフォレスに、イスティーノとガーサは微笑む。
「おやおや。運動不足なのではないですか? 放浪皇子」
「どうやら名に違い、放浪の度合いが足りないご様子ですね、放浪皇子」
「どんな嫌味それ!? 人に使いっぱさせといてー!」
「ご自分から伝令役になると宣言されたのでしょう?」
「いやいや、久々の親子の再会に水差すまいとした俺の心遣いを酌みなさーい?」
「え、そうだったのか? そんな気、使わなくていいのに」
 会話を漏れ聞いて、メラスはまごつく。ただの軽口のつもりだったのだろう、メラスの反応にフォレスがきょとんとした。
『父親みたいに思ってるんだ。どうしようもなく、ちゃらんぽらんな親父』
 五年前、ガーサのことをそう評して笑ったのはフォレスだった。
 ――フォレスが皇族としての責務を放ったらかしにして、宮廷から抜け出しふらついているのには事情がある。幼い頃に起きた出来事がきっかけで、実父である現皇帝から憎まれ、一族から、そして宮廷中からつまはじきにされているのだ。そんなフォレスにとって、ガーサは最大の理解者であり、父親のような存在だった。
 メラスもフォレスも、寄る辺なく漂う舟のようなものだ。ガーサが二人をしっかりと掴んで、この世界に居場所をくれている。そういう意味で、奇妙な表現だが、メラスとフォレスは共通の父を持った同志のような関係だ。
 実を言えば、フォレスは今日、少し元気がないように見える。成人を迎えている男性に言う言葉ではないが、ガーサに甘えたいならば、自分のことなど気にせずそうしてほしかった。
「お前だって、そんな年がら年中ほっつき歩けるわけじゃないんだし、つまり……」
 複雑な感情を上手く言えずにいると、フォレスの顔がみるみる綻び、花でも開いたみたいな笑顔になった。どうやら意図が伝わったようだ。その笑顔があんまりに嬉しそうなので、メラスはどぎまぎする。
「ガーサ、聞いた!? おたくの娘はほんっといい子!」
 フォレスは少年のように笑って、メラスの肩をがしっと抱き、嬉しさを堪えきれない様子でクツクツと笑った。
「ああ、すっごい幸せ! ガーサにこんな娘が出来たことが最高に幸せ! ほんっと幸せ!」
「……な、ならいいんだけど」
「にひひひひ!」
 フォレスは気色悪く笑って、上機嫌に鼻歌を歌う。何やら嬉しいことを言われたメラスは、気恥ずかしさを誤魔化すために話題を変えることにした。
「え、と、……今日、カイ補佐が来られないのが残念だな。仕方ないけど」
 魔仲師補佐カイ=コワルチューンは、ガーサが休みのかわりに今日も参内している。いくら天議会が、任命式への来賓としての出席を拒絶したからといって、式の警護をしないわけにはいかない。
「メラスはカイが好きだよなー」
「そりゃ……まあ。海明遼国初の女総師だ。補佐だけど。かっこいい」
「んじゃ、メラスは初の女総師でも狙ったら?」
 直後、暢気に茶を啜っていたガーサが噴き出した。イスティーノまでが一瞬不自然に顔を凍らせ、フォレスはぎょっとして二人に目をやる。メラスも眉を持ち上げた。
「では、カイ殿に憧れているとのメラスや。“あちら”に行っていた間に腕がなまっていないか見て進ぜよう!」
 奇妙な空気を打ち破って、ファイファンダが腰に両手をあてがい、偉そうにふんぞり返った。
「さあ、弓を取ってまいれ!」
 空気が震えるほど覇気の篭もった命令に、メラスは自動的に背を伸ばし、野原を一直線に駆けてゆく。その先には瓦屋根に朱塗りの建物と、その横から等間隔に並ぶ的があった。
 この野原は、武官たちが個人的な鍛錬にいそしむための武錬場だ。しばらくして朱塗りの建物から担いで出てきたのは、身の丈ほどもある大弓と、矢の束が入った矢筒。ファイファンダがメラスを追って、的から適度に離れた位置に並んで立つ。
「花見はどこに行ったのやら」
 軽食に手を伸ばしながら、ガーサは苦笑した。そのガーサとイスティーノを横目に眺めて、フォレスは物問いたげに口を開くが、結局、声を出す前に噤んだ。それに気づいてか、ガーサはどこか複雑そうに微笑んだ。
「腰が曲がっておるわ!」
 ファイファンダの罵声が飛んでくる。
「いちいちうるさい、集中が切れる!」
「集中と言う言葉の意味を知らんようだから教えてやるが、ひとまず的から目を逸らすでない! 敵を見据えよ、敵の双眸より溢れる殺気に打ち勝てずして武人の誇りのなんたるやー!」
「何を言ってるかさっぱり分からないぞ。……まったく」
 メラスは巨大な弓を左手で握り、どこか投げやりな動作で弦を人差し指で弾いた。ぼやきながらわずかにうつむき、ふと無駄な動作を一切やめ、弓に矢を番える。力強く弦を引き絞り、真っ直ぐ的に狙いを定めて──矢を放つ。
 矢は空気を裂き、的の中央よりわずかに逸れた位置に突き刺さった。普通ならば及第点だが、ファイファンダはメラスに再び弓を構えさせた。肩の角度を少し直し、矢の位置をわずかに下に向ける。メラスが次に矢を射ると、今度は的の中央を重たげに射抜いた。
「ふん、まあまあじゃな」
「ど真ん中だろうが」
「武人の弓は競技ではない。綺麗に的に当たればいいというものではない。重要なのは敵を射抜こうという覇気。弓を構えた瞬間、敵が当たってもいない矢に怯え、逃げ去るほどの覇気じゃ」
 メラスは身を乗り出した。
「覇気? それはどういうものだ。どうしたらいい?」
「覇気を口で伝えるのは難しい。強いて言うならば、強い想いといったところか……」
 ファイファンダはちらりと見物人たちを見やった。そして唐突に的へと駆けると、その中央をぺしっと指で弾いて、にんまりと笑った。
「良いか。ここは、好き好き大好きフォレス様の、きゅーとな、は、あ、と!」
 メラスは絶句する。
「その弓矢は、心と心を繋ぐ愛の矢!」
 メラスは口元をぴくぴくと震わせる。
「嗚呼、おぬしの心を射止めたい! だっておぬしが好きなんじゃもん! ……さあ、メラス、こんな感じの強い想いでもって矢を放てい!」
「……ほほう!?」
「なんじゃ、照れる必要はないぞ。みんな知っておるわい。近ごろ、フォレス様が来るとメラスがちょびっと可愛らしくなるのを!」
「っなんだとぉおお──!?」
 メラスは真っ赤な顔に殺気を漲らせると、
「やってられるか、こんなものー!」
 太い大弓を膝でぶち折った。
「な、なんてことをメラス! せっかくの愛の弓矢を……っ」
「いい歳こいてなにが愛だ。なにが好き好き大好きだぁ!? 馬鹿が、もうろく爺!」
「口が悪いというに! それでも女子おなごですかのー!?」
「女子だよ! 男にこんな鬱陶しい胸がついてるか!?」
「は! それっぽっち……!」
 奇声が上がり、折れた大弓や矢束、引っこ抜いた的のぶつけ合いが始まり、野原は賑やかな声で沸く。
「のどかだねぇ」
「のどかか?」
「いいから、どっちか止めてやれよ」
 遠くて二人の会話がほとんど聞こえない見物人たちはのんびり茶を啜る。


「こんな桜の日は思い出すな……」
 ようやく宴らしき宴が始まり、五人が思い思いに寛いだ頃、霞む空を見上げてイスティーノがしみじみと呟いた。全員の視線を一斉に浴びて彼は苦笑する。
「そんな大した話じゃないよ」
「イッスティーノ! イッスティーノ!」
 酒も入っていないのに、全員調子を合わせて手を叩くと、イスティーノは咳払いを一つ、改まった口調で話しはじめた。
「もう五年前になるな。メラスがガーサの養女になり、やっと生活が落ち着いてきた頃だ」
 イスティーノはふっと憂いを帯びた表情で微笑んだ。すかさずフォレスが、「今の終師に薔薇でもくわえさせたらちょっと耽美」と茶々を入れ、メラスの蹴りも綺麗に入った。
「イスティーノ。どうぞ、続けて」
「ありがとう、メラス。なにやら呻いておられるようですが、フォレス様、身罷るなら宮廷の自室でお願いしますね。……メラスは覚えているだろうか。ここで偶然会っただろう」
 メラスは眉を持ち上げ、少し考えてからうなずく。
「覚えてる……て、なに、あの話なのか!?」
「そう、あの日も桜の降る日だった……」
「ええ、あの話!? あの話!?」
 慌てふためくメラスなど気にも留めず、イスティーノは恍惚と胸に手を当てた。
「ここで偶然君と会った俺は、君が何か物言いたげなのに気づいた。しかしこちらからは聞かずに、ただ桜を眺めていると、メラスがこう聞いてきたんだ」
「わー! やめろー!」
「うるさいぞ、メラス」
「少しはにかみながら、上目がちな瞳で……」
「ぎゃー!」
「うるさいっちゅーんじゃ!」
「私なんかがガーサの娘になっていいのだろうか、とね」
「おや! そんな可愛らしいことを、私の娘は言ったのかい!?」
「乙女じゃ! 女子じゃ!」
「うるさい、糞爺!」
「やかましい、小便娘!」
 暴走する外野には一切気取られることなく、イスティーノは悩ましげに溜め息をついた。
「あの時俺は、ああ、メラスに嫌われているんだな、と思ったよ」
 ファイファンダと取っ組み合いの喧嘩をしていたメラスは、予想外の言葉に弾かれたように顔を上げた。
「な、なんで。嫌ってなんていない。まさか今までずっと、嫌われてるなんて思ってたのか!?」
「だってそう聞いてきたとき、君は明らかに怯えていたし……」
「違う、私の方がイスティーノに嫌われてると思っていたんだ。私はガーサにとって……総師にとって邪魔な存在になる。なのに、のこのこ高級街に戻ってきたことをイスティーノはきっと怒ってるだろうと……」
 メラスは口篭もる。
「いや、それも違う。イスティーノにどう思われるかじゃなくて、不安だったんだ。私は勢いのままガーサの養子縁組みの話を受け入れた。ただ、嬉しくて」
 メラスは黙って話に耳を傾けるイスティーノを見つめた。
「でも、後で考えて自分の身勝手が怖くなった。相談したかったんだ。イスティーノは言いづらいことも言ってくれるから。……私はイスティーノが好きだよ。自分にも他人にも嘘をつけないところも。なにより、イスタの笑顔が好きだ。五年前のあの日も、私の問いにイスティーノは笑ってくれた。その笑顔を見て、私はやっとここにいてもいいんだって思えた。それがまさか、そんな誤解をしてたなんて!」
 メラスは手の平で顔を覆って唸った。イスティーノはどこか悪戯っぽい微笑みを浮かべた。
「冗談だよ。信頼してくれていることは分かっていたし、もちろん今も分かっている。久々の休暇だからね、可愛い娘に愛の言葉のひとつも囁いてほしかっただけだよ。そんな見事に引っかからないでくれ」
「な、なんだよ……びっくりした」
 イスティーノは面映さを頬杖の内側にこっそりと隠し、冗談めかして笑った。
 それをじっとりと、ガーサが睨みつける。
「……言っとくがイスタ。メラスは私の娘だぞ」
 イスティーノは舌を出して「親馬鹿め」と貶した。
「わしは? わしは?」
 羨ましくなったのか、ファイファンダが身を乗り出す。メラスは偉大なる支初師の威厳皆無な不安顔をちらりと見やった。
「じいさんはなあ、うっさいからな」
 ファイファンダは身を縮こませて、軍人の誇りなど捨て腐ってすすり泣いた。
「メラスが、わしの可愛い子が、お爺ちゃんにおいたをするよ……」
「嘘だよ! ……そうだなぁ、じいさんは私の本物のじいさまみたいだ。ガーサが父親なら、じーさんは私の理想の祖父像だな」
「うおお、メラスー!」
「あ」
 飛びかかってくるファイファンダを押しのけて、メラスは閃きの手を打った。
「そうか、前にフォレスが言ってたけど、今なら納得がいく。それでいくと、イスティーノは理想の母親像なんだ。しっかり者で、馬鹿な娘を叱り飛ばす役」
 一瞬の沈黙後、四人は腹を抱えて笑い転げた。
「家族の出来上がりじゃな!」
「気色悪いからよしてくれ……」
「いやあ、楽しいかもね。ガーサみたいな野郎の妻だなんて死んでもお断りだけどね」
「んじゃ、俺は?」
 調子に乗って、フォレスが自分を指差す。メラスはぐっと言葉を詰らせた。
「な、なに、俺、家族対象外? 寂……っ」
 メラスは大慌てで首を振った。
「いや、違う! フォレスも大事な家族の一人だ。でもどこに……年齢的には兄かな、でもそれも何か違うような」
「兄として頼りなくてどうもすみませんね、るーるー」
「いや、だからそういう意味じゃ……」
 眉間に皺を寄せるメラスの横で、元気を取り戻したファイファンダがまたにやりと笑った。
「惑うのも無理なきこと。しかし答えはひとつじゃ。フォレス様はメラスの夫……っ」
 軍師の鳩尾に美しく拳が決まった。
 ひとときの休暇を楽しむ五人を包むように、花が優しく降り注いでいた。

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 男は皺枯れた手を虚空に伸ばした。
 荒い呼吸を繰りかえす男の、何かを求めるようなその手を、傍らにいた青年が握りしめる。
「父皇、お目覚めになりましたか」
 男――海明遼国の皇帝は、己が長子である黄煉伯子おうれんはくしオールアーザ=ファスカ・トリシュを見上げて、色の失せた唇を押し開いた。
「あれは、どうした……」
 オールアーザは顔を悲しみに曇らせ、静かにうなだれる。
「フォレスは来ておりません。父皇」
 皇帝は体を震わせ、やがて強張らせていた指からすっと力を抜いた。
「そうか……」
 薄暗い天井を見つめる眼差しからも光が失せた。
「来ぬのか……」