第九話「生き抜く意思」
聞いていたのだろうか。今の話を全て聞かれてしまったのだろうか。
「盗み聞きなんてして、ひ、卑怯だ……っ」
めまぐるしく回転する思考に耐えかねて、メラスは顔を真っ赤にして叫んだ。
だが、すぐに血の気が引く。ガーサが額を押さえて、眩暈をこらえる様子を見せたのだ。
足がぴくりと動くが、どうしても近寄ることが出来ずに、メラスはその場でうなだれた。
「いいから寝てろ。逃げたりしないから、だから……」
「おや、私には何も話してくれないのかい?」
脂汗のにじんだ額を押さえたまま、ガーサが意地の悪い微笑を浮かべた。
「……あとで、ちゃんと話す。だから今は、休んでほしい。――み、水。そう、水、持ってくる!」
「メラス。私の横においで」
逃げるように身を翻したメラスだったが、数歩も行かぬうちに呼び止められる。
とても優しい声だった。今までと変わらず優しくて、メラスにはそれが辛かった。
「聞いてた、のか?」
「ああ。すまない。聞くつもりはなかったんだが、目が覚めてしまってね」
「じゃあ……話すことはもうない。あれが全部だ。私がここに来た目的も、手段も、あれが全てで、それ以上のことは何もない。私は下町のために、皇帝をぶん殴りに来たんだ、ガーサ」
「うん。メラス、顔を上げなさい」
床を見つめたまま、か細く呟くメラスに、ガーサが言った。
言われるままに顔を上げると、穏やかな瞳とぶつかった。びくりとして、思わず顔をそむける。
「メラス。私をちゃんと見て、話を聞いてほしい」
「……聞く」
メラスは躊躇いながら、一歩ずつ寝台に近づき、やっとガーサを真正面から見た。
ガーサが満足げにうなずく。
「よし。じゃあまず、……そうだな、ひとつ間違い直しをしようか」
間違い直し。唐突な言葉に、メラスはついてゆけずに眉をひそめる。
「メラスは、宮廷がどれぐらい巨大かは知ってるかい?」
「それは……案内してもらったから、多少は」
ガーサに案内された部分は、宮廷の一部に過ぎないだろうことは分かっている。案内された箇所を把握するだけでも数日かかったから、隅から隅まで歩こうと思ったら、一ヶ月ぐらいはかかるだろう。それぐらいには巨大だと思っている。
そう説明すると、ガーサはうなずいた。
「そう、君に案内したのは、宮廷の隅っこに過ぎない。宮廷を案内すると約束したが、すまない、君を騙した」
「それぐらい分かって――」
「実際には、メラスが頭に描いている宮廷より、千倍は巨大だろう」
予想外の数字に、メラスは度肝を抜かれる。
「そ、そこまで小さくは思ってないよ!」
「土地自体が想像の千倍と言っているのではないよ。だが宮廷は奥に進めば進むほど、迷路のようになっている。宮廷をくまなく歩こうと思えば、大人でも一年はかかるだろうね」
メラスは目を見開き、絶句した。確かにそれは、想像外の巨大さだ。
「特に、皇帝陛下のいらっしゃる内廷までは大変な道のりだ。迷宮を抜け、さらに厳重な警備を抜けてもなお、たどり着けない。まるで雲の上にあるかのような場所なんだ。……実は、私も行ったことがなくてね」
「まさか! 総師なのに」
「許可されていないというのもあるけどね。押し通ろうと思っても、物理的に不可能だろう。私では力が及ばない。内廷は特別な力によって守られているんだ」
ガーサでも力が及ばない特別な力とは一体何だろうか。ただでさえ物を知らないメラスには想像もできず、それだけに、自分の計画の無謀さがはっきりと自覚できた。
つまり――皇帝陛下には会えないのだ。
「脱獄し、宮廷の中心へと走っていけば、陛下に会える。君はそう考えたようだが、それは不可能だ。同じことを私がやったとしても、無理だろう」
「……そうなのか」
「それから――」
ガーサはそこで言葉を区切った。
「重罪人の裁判や処刑の場に、陛下が立ち会うことは、確かにある。今回の爆破事件には陛下も関心を持っておられるから、あるいは立ち会われるかもしれないが……」
その言葉に、メラスはほっと息を吐いた。
では、自分の計画は、まだ無駄にはなっていないのだ。
「そっか。よかった。じゃあ、まだ機会はあるんだ……」
メラスは、ガーサが自分を見つめていることに気づき、慌てた。
「止めるなよ!? 止めたって絶対にやるんだ。私はそのために宮廷まで来たんだから。あ、でもガーサには迷惑かからないようにするから。陛下を殴ったりもしない。話すだけだ。だから――」
「下町を救いたい。それが君の願いかい?」
感情を押し殺したような低い声に、メラスは言葉を途切らせた。
「……え?」
「天議長たちが下町で悪事を働かないようにしてほしい。そのために宮廷に来たんだね?」
真剣な、どこか切実なものすら感じる眼差しに、メラスは戸惑いながらもうなずく。
「そうだよ。そのために来た。陛下に助けてほしくて」
「天議長のことは、私でも何とかできるだろう。下町に侵入したことだけでも、明らかに法に触れる。司法の場に訴え出れば、厳格なこの国の法律が彼らを裁くだろう。おそらくは国外追放か、場合によっては極刑が下される」
メラスはあっさりと言われた言葉に、口を開いたままぽかんとした。
「本当に……?」
「ああ。爆破事件の片がついたら、すぐに手配をする。だから、それは安心してほしい」
穴でも穿つようにガーサの顔を見つめるが、そこに嘘の色は見られなかった。
――では、問題は解決したのだ。
メラスは呆然とする。実感がまるで湧かず、礼を口にすることも出来ない。
立ち尽くすメラスを見つめ、ガーサは静かに口を開いた。
「だが、下町の問題はそれだけでは解決しない。天議長のことがないにしても、君たちは受けてしかるべき教育や、医療や衣食住の保障すら受けられていない」
メラスは目を泳がせる。
「でも、孤児院で勉強は教えてもらってるよ。薬草もあるし、家もある。服は……あんたらのに比べたら、そりゃぼろぼろだけど」
「そういう意味ではないよ、メラス。君たちは海明遼にいながら、国の民として認められていない。そればかりか、よりにもよって国の中枢にいる人間が、君を”下町の畜生”と呼ぶような有様だ。……下町のことは私も良く分からない。奴隷が住んでいるとか、病人が隔離されているとか、あるいは天議長が言うように……人とも呼べない家畜がいるとも言われていた。噂ばかりが広がっていて、誰も実態を知らないんだ。私はそれを大きな問題だと思っている」
「…………」
「君の願いは、本当に天議長を追い出すことだけかい? 天議長がいなくなれば、もうそれだけでいいと?」
思わぬ指摘に、メラスは胸に秘めていた思いが、熱く燃え上がるのを感じた。
天議長たちが来なくなれば、下町は元通りになる。
高い壁によって、外の世界から隔離された、楽園。
気色の悪い身分制度などとは無縁の、閉ざされた世界。
――あいつらが来なければ、きっと疑問にも思わなかった。
外の世界に憧れながらも、抜け出そうとは思わずに、ただ壁の内で生き続けただろう。
だが、もう疑問に思ってしまった。
何故だ、と。何故、こんな壁があるのか。
出してくれ。
ここから、出して――。
「メラス。私は、君の力になりたい」
いつかの言葉を繰りかえされ、メラスは目を見開いた。
「君が皇帝陛下を頼ろうとしたことは間違いではない。だが、本来この国を動かすのは、天議会の役目だ。国の制度を変えたいのなら、天議会で審議にかける必要がある」
ガーサの言おうとしていることを理解しようと、メラスは懸命に耳を傾ける。
「そして総師にも、天議会に参席できる政権を与えられている。つまり、私も議員の一人ということだ」
ガーサはそして、続きを口にした。
「だから、メラス。皇帝陛下に言うはずだった言葉を、私に言ってくれないか?」
「え……?」
「君が、陛下に訴えようとしたことを、私に言ってほしいんだ」
ガーサが言おうとしていることをようやく理解して、メラスは息を呑んだ。
ガーサは、皇帝陛下に代わって、自分が下町を救うと言ってくれているのだ。
体がかっと熱くなり、耳まで真っ赤になる。息苦しいほど心臓が高鳴った。
だが同時に、ガーサの青ざめ、やつれた顔が目に飛びこんでくる。
下級民を救うために奔走し、天議会の腐敗を正すために矢面に立つ、偉大な魔仲師。――どうしてこれ以上、彼に重荷を背負わせられるだろう。
メラスは叫びたいほどの嬉しさを押し殺し、ぶんぶんと首を横に振った。
「それは……駄目だよ。ガーサは、下級民のことを救うんだろ? 下級民を救うには、途方もない時間がかかるって言ってたじゃないか。生涯を懸けるつもりだって言ってたじゃないか。ガーサは、下級民のことに集中してほしい」
ガーサが痛ましげに瞳を曇らせた。
「……君は、人を思いやれる子だね。自分たちも苦しんでいるのに、下級民を思いやることができる」
「違う、思いやるとかじゃない。だって……だって、ガーサは知ってるだろ? 下級民は本当に悲惨だった。みんなひどいんだ。石を投げつけて、平気な顔してる。あんなの、ひどすぎる。早く助けてやってほしい。ガーサにはそれが出来るんだ」
「私が助けたいのは、下級民ではない。この国で、不当に苦しむ人々を救いたいんだ。下級民の苦しみも、下町の民の苦しみも、私には同じように辛い」
「下町は、あいつらさえいなれば平和だ。飢えて死ぬこともない。盗みを働いて殺されることもない。もっと問題は簡単なんだ。――下町のことは、私が何とかする。だから、さっさと処刑場に引きずり出してくれ。皇帝に会えるなら、私が自分で気持ちを伝える」
「君は、それが何を意味するか本当に分かっているのか?」
それが一体、何を意味するのか。
そんなこと――。
「分かってる……っ」
メラスは衝動的な苛立ちに、拳を脚の脇で固めた。
「処刑されるんだ、死ぬってことだろ? でも、恐くなんかない。この計画を思いついたときに、覚悟は決めた。下町のみんなを救えるなら、私は死んだっていい。……大切なんだよ、ガーサ。守りたいんだ、みんなのことを! だから……頼むから、さっさと私を処刑場に連れて行ってくれ!」
ぐっと肩を強くつかまれ、メラスははっとする。
「そんなこと、二度と言わないでくれ。メラス」
強く、区切るように吐かれた言葉には、一瞬前の笑顔など微塵もなかった。
ただ激しい痛みが、必死の思いが、篭められていた。
「君の命は、重い。誰もと等しく、同じ重さを持っているんだ。軽々しく死ぬなどと口にしてはいけない。そんな哀しいこと、二度と言わないでくれ」
「でも……!」
「君の気高さを、尊く思う。だが、下町を守るために自分を犠牲にすることは、ただの自己満足にすぎない。真の意味で下町を救いたいと願うなら、君は泥の中を這ってでも生きるんだ!」
言葉を失うメラスに、ガーサはなお言い募った。
「下町の問題を解決するには、気の遠くなるような年月がかかるだろう。君が思うほど簡単ではないんだ。だというのに、君は、君の願いを陛下に押しつけ、さっさと逃げようというのか?」
「違う、私は……!」
「下町を救いたいなら、君は生きなければならない。陛下が、この国が下町を救う決断をしたなら、君は傍らでそれを助けなければならない。君は、生きなければならない!」
それは、身も震えるほどの強い言葉だった。
生きろと、これほどまでに強く言われたことなどない。
立ちはだかる壁の内側で、誰にも存在すら知られず、生きてきた。天議長たちからは家畜と罵られ、何年も人間以下の生活を強いられた。自分はとっくに死んだように思えていた。
確かに軽く見ていたのかもしれない。
自分の命も、下町のみんなの命すら。
気づけば、涙が頬を伝っていた。
「……下町のみんなを、救いたい」
悔しいのか、悲しいのか、自分でも分からない。
ただ、これまで必死に堪えてきたものが、堰を切って溢れだした。
「でも――どうすればいいか、分からない……っ」
分からないまま、ただ怒りだけを武器に宮廷に侵入した。
自分たちを家畜と罵った高級民が許せなかった。救いの手を差し伸べてもくれない皇帝が憎らしかった。何よりも、下町を救う手立ても浮かばず、ただ無策に壁を越えることしか出来ない自分が腹立たしかった。
「あの壁を壊したい、ガーサ。でも、どうしたらいいのか分からないんだよ……っ」
嗚咽の混じる必死の訴え。
ようやく吐き出した想いに、ガーサが微笑んだ。
「私が、側にいる。私も、君と同じ願いを持つよ」
「けど、ガーサがまた倒れたりするのも、イヤだ……っ」
ガーサが声を上げて笑った。
「大丈夫だよ。今回は、武人としてちょっと不甲斐なかったね」
そして、温かく大きな手が、泣きじゃくる少女を抱きしめた。
「一緒に、下町を救う方法を考えよう。メラス」
もう大丈夫だ、と皇帝陛下に言ってほしかった。
苦しむ必要などない、私が救ってあげよう、そう言ってほしかった。
ガーサがくれた言葉は、メラスが望んだものではなかった。
けれど、「一緒に」というその言葉に、胸の奥が熱くなる。
メラスは声を殺して泣きながら、答えるかわりに幾度もうなずいた。
ガーサの笑顔は、やっぱり能天気で、たまらなく心強かった。
それからの数日は、怒涛のように過ぎていった。
メラスに隠す必要がなくなったためか、屋敷には魔仲師軍の秘書官や、事務官、ガーサの精鋭とも言える部下が集まった。
「さあて、きびきびいきましょう! ガーサが仲師の座から叩き落とされるまで、時間がないわよ!」
艶やかな微笑みを浮かべ、さくさくと軽口を叩いたのは、魔仲師補佐と呼ばれるガーサの副官を務める女性だった。カイ=コワルチューンという名の魔仲師補佐は、メラスが「女性の軍人だ」と驚く間もなく、見惚れるほどの手際良さで部下をまとめていった。
ガーサは、すでに床を払っていた。医者に止められたのに、倒れた翌日にはもう仕事を再開していた。最初こそ「休んでいてください」と部下に叱られていたガーサだが、さすがに数日が経過して、彼らも諦めたらしい。すっかり放置されている。
部下の、メラスを見る目は様々だった。だが、ガーサの屈託ない態度が影響してか、誰もメラスにあからさまな敵意を向けることはなかった。茶を渡せば、一言、二言礼を言われるので、むしろメラスが恐縮してしまう。
この数日で色々なことがあった。たとえば、メラスが天議長に火傷を負わせた件についてだが、予想外なことに、ガーサ、メラス共にお咎めなしとなった。
様子を伺いに来たイスティーノに理由を問うと、彼は侮蔑の口調でこう言い放った。
「当然だ」
どうやら彼が裏で手を回したらしいが、何やら激しく怒っていて、ろくに話が聞けなかった。
「天議長たちが下町の民にしたことを知って、怒り狂っているのよ」
詳しく説明をしてくれたのは、カイ補佐だった。
「皇帝陛下の許可なく、下町に立ち入ることが禁じられているのは、もう知ってるわね? 尊位外禁法と言って、二代皇帝が下した絶対の勅令よ」
「そんい、がいきん、ほう」
たどたどしく繰りかえすメラスに、カイ補佐は笑う。
「そう。勅令に背くことは、死罪よりもなお重き罪。おそらく、天議長たちはそれを知らずに軽々しく侵入したんでしょうけど、今ごろは青ざめているはずよ。……メラスちゃん。下町の民が望むなら、不法侵入の罪だけでなく、殺人罪、強姦罪、虐待罪、あなたたちが受けてきた不当な仕打ちの数々を、司法の場で訴えることもできるわ。あなたたちは海明遼国の民ではないから、簡単ではないけれど……」
海明遼国の民ではない。その言葉が、心の奥深くに沈んでゆく。
『下町の畜生だ……っ』
言葉の汚さは違っていても、天議長が吐いた台詞とカイ補佐の言葉は、同じ意味だ。
ガーサの言う通りだ。下町の本当の問題は、天議長の悪行にあるのではない。
――人に優劣をつける、この国の有り方そのもの。
メラスは目を伏せ、うなずいた。
「うん。ありがとう」
「でも、裁くのは難しくても、これを脅しの種に使って、天議長を手のひらで転がすことができるわ。ようやく反撃の材料が手に入ったわね。これも、メラスちゃんが宮廷に来てくれたおかげよ!」
カイ補佐は生き生きと言って、メラスに片目を瞑ってみせた。
では、少しは役に立てたということだろうか。メラスはまごついて自分の爪先を見つめる。
ガーサは、一緒に下町を救おうと言ってくれた。
けれど、自分にいったい何ができるだろう。
ここ数日で分かったことは、自分が相変わらず、ガーサの負担になっているということだけだ。
天議会は今もメラスの身を狙っているらしい。下町に不法侵入した一件を闇に葬り去ろうという意図も絡んで、これまで以上に、メラスの命は危うくなった。
そうして気づいてみれば、ガーサが部下を屋敷に呼んで仕事をさせるのは、メラスの周囲を人で固めるために他ならなかった。早々に床を払ったのも、きっとメラスを守るためなのだろう。
夜も相変わらず、仕事をしている。隠しているが、体調は悪くなる一方だ。
侍女長のマイサを手伝って、急須の茶葉を不器用に変えながら、メラスは部下に囲まれるガーサの横顔に目をやった。
「恐らく今回の爆破犯、組織の背後にいるのは支終師だ。”鼠捕り”に警備兵がいなかったことが良い証拠だろう」
「そもそも、宮廷の警護は支終師軍の管轄ですからな。爆破事件が魔仲師の担当となった不自然さを考えれば……しかし、まさか内部から裏切り者が出るとは」
「ガーサ仲師、支終師軍の支出の流れに、妙な空白があります。もしや組織の資金は国庫から流れているのでは……」
確実に証拠を積み上げてゆくガーサと仲師軍を見つめ、メラスは立ち尽くす。
「カイ補佐」
ふと横を通りすぎようとしたカイ補佐に気づいて、メラスはとっさに声をかけた。
首を傾げるカイに、メラスは躊躇いながら口を開いた。
「あのさ、聞きたいことが……」
メラスは二階の、自分にあてがわれた部屋に戻った。
そのまま真っ直ぐ文机に向かい、筆と硯を用意する。そして文字を書くのが勿体無いぐらい真っ白な紙に字を連ね、筆を置いた。
「こんなもんか」
孤児院で習った文字だ。多分、壁の外の人間も読める文字のはずだ。
メラスは満足げにうなずき、部屋を振りかえった。
最初にこの屋敷に来たとき、広々とした清潔な部屋に、途方もない違和感を覚えた。今は少しだけ慣れて、窓から射しこむ冬の日差しが、温かいと思えるぐらいには馴染んだ。
身ひとつで来たメラスに、荷物なんてものはない。
だから、準備はいらない。
階下の騒動を遠くに聞きながら、メラスは、数日前フォレスが侵入してきた窓に近づいた。
外を覗くと、枝が窓辺まで伸びている。これなら自分も飛び移れるだろう。
メラスはもう一度、部屋を振りかえる。
「じゃあな、ガーサ」
ここに来てから初めての、満面の笑顔を残して、メラスは窓から飛び出した。
元気で、ガーサ。
ありがとう。
その日、反乱組織に関する決定的な情報を手に、メラスの部屋の扉を叩いたガーサを出迎えたのは、ただその一言が書かれた紙きれだけだった。