小説(長編小説)王宮の自動人形|第一章 4



第四話「奇妙な同居人」

 宮廷を守るように、そのぐるりを囲う「高級街」。
 官吏の中でも特に「高級民」と呼ばれる高官たちが暮らす高級街は、人工的に作られた森林の中にあり、各邸宅は緑の壁によって隔絶されている。
 半ば引きずられるようにして宮廷を後にしたメラスは、木々の向こうに没してゆく宮廷の裏門を振りかえって、歯噛みした。
(やっと宮廷の内部に入りこんだのに……)
 また、遠ざかる。
「予定が狂った……」
 ひそかに呟き、恨みがましく見上げた先には、ガーサの横顔。
 何が楽しいのか、先ほどから笑顔を絶やさぬままメラスの手を引き、歩きつづけている。
(しかも一緒に暮らす? よりにもよって総師と?)
 メラスが目を眇めていると、視線に気がついたのか、ガーサが振りかえってきた。
「ん?」
 能天気な笑顔が腹立たしくて、メラスは無言で視線を外す。
 やがて森を抜け、目の前に広大な庭を持つ豪邸が現れた。
 ガーサが足を止めたところを見ると、ここがガーサ邸宅のようだ。メラスは信じがたいほど巨大な邸宅と、質素ながらに手の込んだ庭園を唖然と眺め、がくりと肩を落とした。
「牢よりはずっとましな環境だと思うのだが、何故そんなにがっかりしてるんだい?」
 メラスは激しく憤って、苛々と地面を蹴飛ばした。
「こんな巨大な屋敷に監禁される上、見張り役は仲師様。逃げだすにしたって、まだ牢屋のほうが成功の可能性高いね」
 ガーサはきょとんとして、ぷっと吹き出した。
「逃げだす気でいたのかい? 豪気だなぁ。――別に見張るつもりはないよ。屋敷に監禁するつもりもない。さすがに帰すことはまだできないけどね、屋敷の中なら自由に歩き回っていい。ああ、見学したいなら、宮廷に行ってみたっていいよ」
 さらりと言われ、メラスは一瞬聞き逃しかけた。
「……なに?」
「監禁するつもりはないよ」
「そうじゃなくて……宮廷を見学していいって言った?」
 ガーサは平然とした顔で続ける。
「ああ、見学したいかい? いいよ」
 メラスは呆気にとられた。
「な、何言ってんの、おっさん。宮廷を自由にって、私が宮廷に何しにきたか分かってるのか?」
「何しに来たんだい?」
「何しにって、そりゃ――」
 そこでメラスはハッと口に両手を押し当てた。そんなメラスに気付いてか、気付かずか、ガーサは何事もなかったように続ける。
「もちろん、私が一緒ならというのが条件だがね。私が側にいれば、君が何をしでかしても十分に対処できる。なにせ魔仲師だからね!」
 えへんとばかりに胸を張るガーサに、メラスはまたしても呆気に取られる。
「言ったろう? 信頼してもらいたいんだよ、メラス。君に。だから君の願いはできる限り叶える」
 この男、本当に頭は大丈夫だろうか。信頼以前に、真剣に心配になってしまう。
 だが――これは、メラスにとっては好都合だった。
 宮廷を見学していい。これはメラスの計画にとって、非常に。
「それと、私のことはおっさんではなくてガーサと呼びなさい。さりげなく傷つくしねぇ……この屋敷は自由に使ってくれ。君の家として。よろしく、メラス」
「あ、ああ」
 メラスは屋敷を改めて見つめた。
「……よろしく」


「お帰りなさいませ、ガーサ仲師」
 扉を開けると、広い玄関では侍従がずらりと待ちかまえていた。
 度肝を抜かすメラスの背を押し、ガーサは彼らに笑顔を向ける。
「聞いていると思うが、今日からこの子の面倒を私が見ることになった。よろしくたのむ。さ、メラス、侍女長に挨拶を」
 メラスは目を真ん丸くした。太い両手を腰に当て、ぎろりとメラスを見下ろしたのは、驚くほど恰幅のいい中年の女だった。
「あなたは口がきけないのですか?」
 蛇に睨まれた蛙のごとく凍りつくメラスに、侍女長はどすのきいた声で訊いてきた。
「いや、メラスはちゃんと口をきけ――」
「ガーサ、あなたには聞いていません。私はこの子に聞いているんです」
「は、はい」
 天下の仲師までがたじたじである。
「……よ、よろしく」
 気圧されて、メラスは素直に挨拶をした。だが侍女長は実に不満そうな顔をした。礼儀がなってないと言いたいのだろう。しかしそれを口にするかわりに彼女はメラスの首根っこをがっしりと掴んだ。
「私は侍女長のマイサです。この家に住まう限り、たとえ一時であろうと、礼儀というものを学んでいただきます。とりあえずこの汚らしい格好を何とかいたしますよ!」
 言うなり、侍女長は背後に控えていた侍従にメラスをぽいっと放り投げた。
「ちょ! な、なにを――」
「すぐにこの娘を風呂場に連れて行ってちょうだいな。垢を全部落とすまで、屋敷の床をつま先たりと踏ませてはなりません」
「……っえ、うわ! は、離せ、どこに連れてく気……離せってば!」
「静かになさい。女の子が大声を上げないこと」
「は、離せこの……っうわぁあああ!」
「…………」
 ガーサは、メラスの小さな体がバケツリレーで風呂場まで運ばれてゆくのを、影薄く見送る。騒々しい足音が遠ざかり、扉の閉じる音がし、盛大な水音と一緒に阿鼻叫喚が聞こえてくるのを玄関口で聞きながら、彼はやれやれと苦笑した。


 ガーサは書斎で山のような書類に目を通していた。
 開けっぱなしの大きな窓からは、涼しい風が吹きこんでくる。秋も終わりのこの季節は、こうやって窓を開けていると、庭の木々がたてる枯葉の音が聞こえてくる。
 不意に庭のほうから、枝を揺するような音が聞こえてきた。
「早速、噂を聞きつけたかな……?」
 ガーサは書類をめくっていた手を止め、苦笑して立ち上がった。
 その時、ちょうど扉を叩く音がした。彼は窓辺に向かいかけていた足を、扉のほうへと返した。
「入りなさい」
 扉が躊躇いがちに開かれ、ガーサは我知らず、息を飲んだ。
 一瞬、気高く燃える炎を見た気がした。
 目を瞬かせてもう一度目をやると、そこに立っていたのは見違えるほど垢抜けたメラスだった。
 日に焼け、積年の垢で黒ずんでいた肌は、短い時間にしてはそれなりの艶を取りもどしている。むすっと細められた渋緑色の瞳もひときわ輝いて見えた。
 だが印象深いのは、その髪。何と勇ましい紅蓮色か。
 着せられた着物は質素だが、それゆえに、その赤い髪により強く目を惹きつけられた。泥を払われた髪は、まるで燃え盛る炎だ。
 烈火。少女を称えるなら、そんな言葉こそがふさわしい。
「どこからか、素敵なお嬢さんが出てきたものだ」
 メラスはふんっと顔を反らす。いつのまにか背後に立っていた侍女長がすかさず脳天を掴んで、ぐりんっとガーサに向き直らせた。
「ガーサにお湯をいただいたお礼をなさい。メラス」
「頼んだ覚えはない。あんたらが勝手にやったことだ。芋を洗うみたいにな。馬鹿にしやがって」
「実際、芋のように汚かったですからね」
「なにぃ!?」
 メラスはじたばたと侍女長の手から逃れようともがく。しかし毎日家事全般を一手に背負っている侍女長の腕はびくともしない。ガーサはクツクツと笑った。

「マイサ、ありがとう。仕事に戻ってくれ」
 侍女長はぱっと手を離すと、それ以上何も言わず一礼して退室した。
 メラスは背後で扉が閉じるのを確認するなり、仏頂面でどすっと床に胡坐をかいた。
「メラス、床じゃ硬いだろう。椅子に座りなさい」
「どうせ床より柔らかいものになんて座ったことないよ」
 ガーサは苦笑する。すっかり拗ねてしまったようだ。それこそ芋を洗うように徹底的に磨かれ、矜持を傷つけられたのだろう。
「傷に泥が入れば化膿すると思ったんだよ、メラス。馬鹿にしたつもりはなかった。……兵師が手荒な真似をしてすまなかった」
 メラスはむすっと口を一文字に引き結ぶ。
「あんたは変だ。おかしい。兵師が手荒な真似をするのは当たり前のことだ、私は犯罪者なんだから」
 そして腕に塗られた塗り薬や包帯を見つめ、不機嫌な顔つきのままつぶやいた。
「……ありがと」
 ガーサは聞き逃しかけたほど小さな礼に、やわらかく微笑んだ。
 言葉使いも仕草は乱暴だ。だが、礼儀をきちんとわきまえている。何より、彼女は誇り高かった。
 そしてその気高さは、今まで出会ったどの下級民にも見られないことだった。
 ガーサは口を引き結び、自分自身も椅子から床へと移動し、どっかとあぐらをかいた。
 予想していなかった行動に、メラスがたじろぐ。
「なんだよ。何も話さないって言っただろ」
「君の仲間の話はね。でも自分のことなら何でも話すと約束してくれた」
「……私のことを知りたいのか?」
 向かい合わせに座られ、居心地悪そうにしていたメラスは驚きに目を見開いた。
 だが、渋緑の瞳にはすぐに不信感が宿った。
「無駄だ。私のことを調べても、仲間の情報にはたどりつかない」
「いや、ただ単に君のことを知りたいだけだよ。たとえば……そう、君は花なら飛莉花、草なら砂鈴草が好きだと言っていたね。どうしてだい?」
 メラスはまだ疑わしげにしていたが、約束した手前か、観念した様子で口を開いた。
「飛莉花はマリアが好きな花だから。砂鈴草は食えるから。煎じれば薬にもなる」
「マリア? 友達の名前かい?」
「同じ孤児院で、一緒に育った」
「いい子なんだね」
 深い意味もなく言った途端、メラスの顔がぱっと輝いた。
「うん、すごくいい子なんだ!」
 裏表の何もない素直な心に、ガーサは微笑んだ。
「君もいい子だと思うよ、私は」
「――! べ、別に私は、私がいい子じゃないなんて言ってない。私もそれなりだ」
「なるほど」
 それなり、と言うメラスが可笑しくて、ガーサは肩を震わせる。馬鹿にされていると感じたのか、メラスは眉をしかめてまた黙りこんだ。
「下級民の生活は苦しいかい?」
 十二歳というわりには背も低く、哀れなほど痩せこけている。泥や垢を落としてそれなりの衣服を身に着けている今、それが余計に浮き彫りになった。だが気遣わしげに聞くと、メラスは意表をつかれたような顔をした。
「……さぁ」
 曖昧な返答にガーサは首をかしげる。それは予想とは異なる答えだった。
 だが、その先に続く言葉をしばらく待ってみたが、メラスは岩のように硬く口を閉ざしてしまった。
「私が犬なら、君は猫のようだね。真っ赤な毛をした猫だ。気まぐれで、笑っていたと思えばすぐにそっぽを向く」
 メラスは目尻のすっと通った瞳に、まさに猫と呼ぶにふさわしい微笑を宿した。
「猫は賢い。あいつらは身軽で、壁もらくらくと飛び越えてくる。時々、どっかから新鮮な野菜や魚をくわえてきて、私たちにくれるんだ。自分の子猫とでも思ってるのかな」
 機嫌を直したメラスに笑いながらも、ガーサはどこかで奇妙な齟齬感を覚えていた。
 何かが引っかかる。
 これまで幾度となく行われてきた下級民の尋問では感じられなかった何か。
 先ほどの尋問でも感じた、違和感。
 ――自分は、何か思い違いをしているのではないか。
 しかし、その正体はようとして掴めなかった。

+++

 ガーサの邸宅で過ごすそれからの三日間は、あっという間に過ぎていった。
 自分の世界とはあまりに異なる高級民の生活。慣れることに必死で――というより侍女長のマイサと戦うことに精一杯で、メラスがようやく余裕らしい余裕を取り戻したのは、三日目の昼のことだった。
 宮廷に参内しなくていいのか、別に用などないのか、ガーサはこの三日のほとんどをメラスの傍らで過ごした。時折、部下と思しき人物がたずねてきては席を外すが、それ以外は毒にも薬にもならない話ばかりをしている。
「監視のつもりか?」
 書斎の椅子に腰かけ、手持ち無沙汰に届かない足を揺らしていたメラスは、思い切ってそう訊ねてみた。
 窓辺の机に張りついて、書類の束をめくっていたガーサは「ん?」と首をかしげる。意識を集中させているのか、上の空な返事だった。
「見張るつもりはないと言わなかったかな……?」
「……言ったけど、じゃあ、仕事しろよ」
「メラス。君の目には今まさに数字の羅列と戦っている私の姿が見えていないのかな!?」
 一生懸命お仕事してるのにとばかりに、山のような書類にしがみついてしくしく泣くガーサに呆れた溜息をつきつつ、メラスは苛々と頭を掻きむしった。
「そうじゃなくて、宮廷で仕事しなくていいのかってことだよ」
「軍師は戦のないときは、結構、暇でね」
「爆発犯はどうしたんだよ!?」
「君が何も喋らない限り、私も動けない」
「じゃあ、もっと努力すれば? 私を拷問にかけるとかさ」
 色々と矛盾を感じ、思わず実行されたら困る提案をするメラスである。
 そしてその言葉を、ガーサはものすごく真剣に受け取った。
「メラス、なんてことを! 誰が君を拷問になんてかけるというんだ!?」
 机から椅子まで飛んできたガーサの強張った顔に、メラスは驚いた。
「いや、だから、あんたが」
「私が!? 私は君を拷問にかける真似なんて、絶対にしない!」
「いやそうだろうけど……したほうがいいんじゃないのって」
「なんだそれは!」
「な、なんだろうな……」
 ガーサはしばらく目を白黒させていたが、ただの軽口だということに遅まきながら気付いたのか、気の抜けた様子でふらふらと膝から崩れた。
「……いじめる。メラスが私をいじめるよ、ブツブツ」
「誰に言ってるんだ……」
 メラスは条件反射で突っ込みを入れてから、顔をしかめた。
 この三日間で、気付けばガーサとのやり取りが自然なものになっている。ガーサの気安い性格がそうさせるのだろうが――これでは気を緩めすぎだ。
 メラスは唇を噛みしめる。
「……宮廷にはいつ連れていってくれるんだ」
 低い呟きを敏感に拾って、ぐずぐずとうなだれていたガーサはメラスを見上げた。
「え?」
「宮廷を見学していいって言った。あんたが何もしないから、私は暇だ。見張るつもりもないなら……宮廷に行ってみたい」
 緊張で少し言葉尻が上ずった気がする。
 だがガーサは何食わぬ顔で笑うと、あっさりと「いいよ」とうなずいた。
「じゃあこれから少し、宮廷を回ってみるかい?」
 あまりに簡単に言われたので、メラスはあわてて顔を上げた。
「い、いいの、か?」
「もちろん。約束したじゃないか」
 言うなり仲師は立ち上がって、椅子の背にかけていた外套に袖を通した。
「さあ、メラスも準備をなさい」