小説(長編小説)王宮の自動人形|第一章 3



第三話「赤い髪の娘」

 ――ここまでは、予定通り。
 メラスは曲げた膝を、傷ついた腕で抱きしめた。
 心臓が高鳴っていた。興奮でだろうか、それとも……恐怖で。
 後者であることなど考えたくもない。臆病風に吹かれる自分など。
 いずれにしても、心の機微を誰にも気取られてはならない。
 今は、まだ。
 狙い定めた壇上に上がるまでは。
 見透かせない深い闇の中、少女は震える呼吸を整え、静かに目を閉じる。


「こちらです」
 地下牢へと続く階段に若い兵師の声がこだました。ゆらゆらと揺れる手持ち灯篭の仄かな明かり。闇を払うには役者不足であるが、足元を照らすには十分だ。
「怪我などさせていないだろうね」
 ガーサは低く問いかける。兵師の持つ灯篭の火が、動揺が伝わってか大きく揺らいだ。
「そ、その。少しばかり一部の兵師が手荒なこともしたようですが、大した怪我では。捕らえた際、ひどく抵抗されましたのでそれで……」
「強面の大人たちが大勢で迫ってきたら、抵抗のひとつもするだろう。聞けば、まだ幼い少女というじゃないか」
 今朝早く、宮廷の一角で新たに起こった爆破事件。
 報告を受けて駆けつけた魔仲師軍は、これまでの事件では見つけることのできなかった犯人につながる尻尾を、ついに捕らえた。
 彼らが捕まえたのは、一人の幼い少女だった。
 大門を初めとする建造物を爆破して回る、謎の組織との関連はまだ分からない。だが有力な手がかりになることは間違いなく、ガーサが地下牢に足を運んでいるのも、少女を詳しく尋問するためだった。
 ――だが、せっかく手がかりを捕まえたというのに、ガーサの心は沈んでいた。
 いや、沈んでいるなどという表現は生ぬるい。いっそ死んでしまいたいほどに、ガーサは悲嘆と絶望に暮れていた。
「……」
 兵師がガーサの顔色に気づいて、口を引きつらせるのにも気づかず、ガーサは物思いにふける。
 地下牢に捕らえられた少女。幼い、年端もいかない子供。
 心臓が高鳴って仕方がない。別に「どんなに可愛こちゃんだろう」などと歳甲斐もなくときめいているわけでは断じてない。
 緊張しているのだ。
「……ちゅ、仲師。差し出口をお許しください」
 心臓を押さえて、何やら苦痛に呻いていたガーサは、ぬぼうっとした顔を持ち上げた。
「うん?」
「い、いらぬこととは思いますが……どうか情はお捨てになってください。いくら子供とはいえ、その者は、よりにもよってこの恩恵深き宮廷に火をかけたのです」
 このガーサという男は、謀略の渦巻く宮廷では珍しいほどに情に厚い男だった。
 泣く子がいれば共に泣いてなぐさめ、手巾を落とした人を見れば、ちりとりごみとり、きちんと畳んで笑顔で返す。涙に脆く、情に厚い。それがガーサ=シュティッバーという男だ。
 彼の人情男ぶりは宮中ばかりか、城下町の庶民にまで知れ渡っている。「人情男ガーサ様」などという不名誉な通り名は、高級民に対する不敬罪に値したが、それでも民が懲りずにそう口にするのは、ガーサが名実ともに人情男であるからだ。口にしたところで、ガーサは咎めないと知っているのだ。
 部下である兵師にとって、民に愛されているガーサの人情ぶりは、誇りに思う点であると同時に、身分を越えてでも諌めるべき点であった。
 特に、今は。
「どうか仲師、”彼ら”に付け入る隙を与えませんことを。……我らには、貴方しかいないのです」
「ああ。分かっているよ。……分かっている」
 ガーサは”彼ら”が誰とは聞かなかった。爆破犯を指すにしては、丁重にすぎた呼称の意味を、ガーサは確かに十分すぎるほど承知していた。
 階段を下りきり、地下牢の並ぶ通路にたどりついた。窓ひとつない地下には湿った空気が漂っている。しかし牢に囚人の姿はない。ただ最奥の一つを除いては。
 ガーサは性懲りもなく青ざめてゆく顔を両手で叩いて、心配そうに見つめている兵師を微笑んで促し、無人の地下牢をどんどんと進んでいった。
 そして兵師は、最奥にある牢の前で足を止めた。
 冷たい格子の向こうはひどく暗かった。兵師が灯篭を掲げあげると、ぼんやりとした光の輪の中に、痛ましいほど細い裸足の足が現れた。
 ガーサは目を細め、少女の姿を求める。
 そして彼が見たものは、
「……っふあぁぁ……っ」
 大欠伸をする少女の姿であった。

+++

「まず名前を聞こうか」
 地下牢に併設された尋問室へと少女を招き入れ、ガーサは案内役の兵師だけでなく、詰めていた監視まで外に追いやり、完全な人払いをした。
「リュマーラ=メラス」
 尋問室のもつ殺伐とした雰囲気に怖気づくことなく、少女はぶっきらぼうに答えた。
 戒めを手首に施されていないのをいいことに、用意された椅子に飛び乗り、怪我だらけの腕をぺろりと舐める。宮廷の人間ではまず考えられない乱暴なその仕草。基本的な教育すら受けていないことは一目瞭然だった。
 間違いなく下級民――ガーサは目を細める。
「リュマーラ=メラス、と。では、リュマーラという名前なんだね?」
 確認をとると、少女は大儀そうに溜め息をついた。
「違う。メラスが名前」
「それならメラス=リュマーラだろう?」
 ケナテラ大陸では伝統的に名前が前に、家名が後ろに来る。ガーサ=シュティッバーならばガーサが名前で、シュティッバーが家名だ。
「違うってば。リュマーラメラスが全部名前なの、本当は。ちゃんと名字もあったらしいけど、知らないから、リュマーラを名字がわりにしたんだよ」
 言いながら、脂気のまるでないごわごわした赤い髪を粗雑に掻きむしる。ボロ布のような衣服に、泥まみれの肌、おまけにその髪、野良猫よりもひどい格好だ。
「それならメラスを名字にしても良かったんじゃないかい? 姓名の並びとしてはそのほうが正しい」
「リュマーラって発音、気取ってて嫌いなんだよ。メラスって呼ばれた方がかっこいい」
「ふーん。そんなもんかい?」
 乙女の気持ちは三十過ぎのおっさんには理解しがたいものがある。だがまあ、リュマーラメラスという流麗な名が、この男勝りな少女に似合っていないのは確かだ。
「おっさんは?」
「私はガーサ=シュティッバー。総師軍の魔仲師だ。わかるかな?」
「……仲師!?」
 そこでメラスははじめて驚きをみせた。
 仲師という肩書きを知らない者など海明遼には存在しない。たとえ下級民であってもそれは同じことだ。
 総師。それは海明遼が有する、軍隊の総称である。
 総師は、三つの軍隊「初支軍しょしぐん」、「仲師軍ちゅうしぐん」、「終師軍しゅうしぐん」で構成される。
 ガーサの肩書きである仲師とはつまり、総師の中の「仲師軍」を意味している。
 そして、初、仲、終の三軍はさらに、「支」と「魔」とに分かたれる。
 すなわち、剣や槍などの武器を駆使し、人力を操る支軍――支初師軍、支仲師軍、支終師軍。
 万物に宿る精霊を力を駆使し、人外の魔術「精霊術」を操る魔軍――魔初師軍、魔仲師軍、魔終師軍である。
 通常は所属する軍隊名の下にさらに階級名がつき、仲師軍第四部隊指揮官だの仲師軍統一指令本部情報戦略部長補佐だの、新人泣かせの長たらしい肩書きになったりするが、ガーサはそのどれでもなく、ただの魔仲師だ。
 ガーサ魔仲師。その簡略な名はつまり、このガーサという男が、総師を統べる六人の軍師のうちの一人、魔仲師軍最高司令官その人であることを意味していた。
「うそだ」
 正直な感想に、ガーサは思わず破顔した。
「友人にもよく言われるよ。魔終師がね、古くからの友人なんだが、私の顔を見ては溜め息をつくんだ。お前が天下の仲師だなんて冗談もいいとこだってね。そんな彼も、私に言わせれば相当な冗談っぷりなんだが……」
 肩書きの重さなど微塵も感じさせぬ気安い笑顔、いっそ能天気なそれを、メラスは胡散くさげに眺めた。
「……確かにおっさん、軍人っぽくないな」
「ははは。否定できないのが辛いところだ。だが、終師のほうがよっぽど軍人らしくないよ。何せあの男ときたら、自分の部下に“白鳥の君”などと情けないあだ名をつけられ」
 ガーサはそこまで言ってから顔面を凍りつかせた。
(和んでどうする!)
 彼はぶるぶると首を振る。仕事中だ、仕事中。一体なにを和んでいるのだ。厳格でなくてはならないのだ、この間抜けな人情男め。
「……なぁ」
 一人愉快な百面相をするガーサに、メラスがふと口を開いた。
「私は、やっぱり死刑になるのか?」
 ガーサはようやく我に返り、メラスの真っ直ぐな眼差しをのぞきこんだ。
「君は、自分がした罪の重さを、きちんと理解しているかい?」
 メラスは視線を足元に落とし、人形のような無表情さで答えた。
「“恩恵深き宮廷の面を汚した”。さぞ重い罪なんだろうな、それは」
 ガーサはその答えに不自然さを覚え、眉を寄せた。
 メラスの表情は、およそ子供らしさとはかけ離れていた。だがそれだけが原因ではない。
 これまでガーサは、数多くの下級民を尋問してきた。
 盗みを働き、捕らえられた下級民と、幾度となく接してきた。
 だがメラスの答えは、過去に出会った下級民の誰のものとも違っていた。
 下級民は恐怖に震えるか、諦めた眼差しで頭を垂れているか、どちらかだ。彼女のように明らかな皮肉を口に上らせた下級民は、過去に、ひとりとていない。彼らが束になっても叶わぬほどの大罪を犯した少女だというのに。
「メラス。悪いのは君ではなく、君に爆薬を持たせた者たちだ。教えてくれないか? 君に宮廷を爆破するよう指示したのは誰なのか」
 メラスはかぶりを振った。
「教えない。約束なんだ。あいつら悪い奴らだけど、金くれるし」
 回答自体は拒否されたものの、ガーサはやはりと目を眇めた。今のはただの引っかけだ。少女の素性は分かっておらず、そもそも反乱組織と関わりがあるのかすら不明だった。だが少女は「あいつら」と答えた。
 少女は紛れもなく、一連の爆破事件を解決に導く、鍵だ。
「お金に困っているのかい?」
「困ってなかったら、こんなことしない」
「親は……」
「知らないんなもん。赤ん坊のときからずっと孤児院にいる」
 あっけらかんとメラスは答える。
 ガーサは絶句し、思わずうるっとした。性懲りもなく人情男が顔を出したのだ。唐突に目元を袖でぬぐう軍師殿に、メラスは目を丸くした。
「べ、別に変なことじゃないだろ。私の周りで親がいる奴なんて一人もいないし……いやそりゃ、孤児院にいるんだから、そんなの当たり前だけど」
 戸惑いにまごまごと言い募り、メラスは地面につかない脚をぶらぶらさせる。
「とっとと死んじまうんだ、大人は。普通のことだ。腹減ってんのに食うものもなくて、働いてばっかりで……死ぬんだ、さっさと。泣くようなことじゃない」
「それは普通のことではないよ、メラス。それはとても悲しむべきことだ」
 言葉通り、平然とした顔のメラスが痛ましくてガーサは思わずそう諭していた。
 同情か、偽善に聞こえたのだろう、メラスはゆっくりと顔を上げると、はっとするほど大人びた嘲笑を浮かべた。
「あんた、仲師ってことは偉いんだろ? 高級民なんだ? 高級民にとってはそうかもな。でも私には普通だ。食いもんがない、働くしかない、働いてもろくに食えもしない。そんなの死んで普通だろ。泣いたって何も変わらない」
「……そうか」
 ガーサは淡々としたメラスの表情を見つめ、恥じ入るように口を閉ざした。
「そうか……」
 メラスはしばらく頭の後ろで腕を組んだり、椅子の前足を浮かしたりしていたが、それきり黙りこんでしまった仲師に気まずくなったのか、伺うように上目遣いでガーサを見上げた。そしてガーサが本当に傷ついた様子なのに気づき、呆気にとられた顔をした。
「……変なおっさん」
 ガーサは顔を持ちあげる。その涙ぐんだ顔は、天下の仲師と思えないほど情けなかった。
 メラスはふと笑う。
「おっさん、孤児院の近くをうろちょろしてる犬に似てる。いつも泥まみれだけど、雨が降った後はきれいな茶色のふかふかな毛になるんだ。あんたの髭みたいだ。しょっちゅう悪さするから院女が怒るんだけど、そうするとしゅんって耳垂れて……ほら、そっくり!」
 言っているうちに想像が膨らんできたのか、メラスはしまいに笑いだしてしまった。先程までの殺伐とした表情は跡形もなく消えうせ、今はただ子供らしい無邪気さだけが輝いている。ガーサは知らず知らずに微笑みを浮かべていた。
「……いや、すまなかったね。忘れてくれ。それで、えー……年齢は?」
 どうにか体裁を繕って尋問を進めるガーサに、メラスはさっと笑顔を消して、淡々と口を開いた。
「さぁ。多分、十二ぐらい」
「孤児院に住んでいる。そうだね?」
「そう」
「どの地区にある孤児院か──」
「学校には行ってない」
「え?」と顔を上げるガーサにかまわず、メラスは強引に続けた。
「孤児院で生まれ、孤児院で育った。生きてくのに必要なもんは全部そこで習ってる。畑を耕すうまいやり方も、井戸水を手っ取り早く引き上げるやり方も。腐った野菜をうまいことごまかして調理する方法も」
「……メラス?」
「身長は見た通りチビだけど、足がでかいからきっとでかくなる。体重は私の部屋の隅に置いてある小棚ぐらい。生まれは八月八日だったって院女が言ってた」
「……ええと」
「花なら飛莉花、草なら砂鈴草が好きだ。得意なのは走ること、自慢なのは口が堅いこと。――自分のことはいくらでも話す、けど仲間のことは絶対に話したりしない! 絶対にだ!」
 メラスはガーサを睨みつけた。
 あまりに強い少女の意思に、ガーサは言葉を失う。
 それは長年軍師を務めてきたガーサすら怯ませるほどの、無垢な気高さに満ち溢れていた。
 不意に、先ほど仲師師武官庁の一室で込みあげた思いが、鮮烈な閃きとなって蘇る。
 
 四百年に渡って泥の中を這い続けた彼らが、まだ人間の尊厳を失わずにいてくれるなら。
 まだ、諦めずにいてくれているのなら、自分は――。


 長い沈黙の末、ガーサは詰めていた息をそのまま声にした。
「……分かった。けど一つだけ教えてくれないか?」
 メラスは答えない。だが真っ直ぐに見つめてくる瞳の中に、ガーサは子供らしい素直さを見出した気がした。
「君が名乗った“朱燬媛士”という名。君の組織が名乗っている名かい?」
 メラスはわずかに躊躇いをみせるが、やがて一度だけうなずいた。
「そうか。──控えているか!」
 ガーサは声を張り上げた。
 すぐさま兵師が入ってきて、扉の脇で敬礼をした。
「牢へ返しますか」
 半ば少女を連れて行こうという体勢の兵師に、ガーサはきっぱりと言った。
「いや、この子は私の家に連れてゆく」
「は。……は!?」
「侍女長に伝達をしてきてくれ。急いで部屋を整えるようにね」
「な……な、何を考えてらっしゃるんですか、仲師! 危険です!」
「さぁ上官命令だ! 急げ、君の減俸がかかっているぞ! 駆け足──はじめ!」
「……っ」
 ふざけた上官の合図を聞くなり、兵師は軍人の悲しき性かな、大慌てで部屋を飛び出て行った。
 あとに残されたメラスは唖然とその背を見送り、呆気とガーサを見上げた。
 ガーサは茶目っけたっぷりに、そしてある意味で底意地の悪い笑顔を浮かべた。
「メラス。私は確かに情けない人情男だ。しかしそれでも軍師でいられるのは、それなりの実績と、職務に対する忠実さを持っているからだよ。私はどうあってもこの仕事をこなさなければならない。君には組織のことを何としてでも話してもらわなくてはならない。そういうわけだから、しばらく私と一緒に暮らしてもらう。……やあ、賑やかになるなぁ!」
「!? な、な、何が、そういうわけなんだ!?」
 訳が分からないメラスを完全に無視して、ガーサは一人、晴れやかに両手を広げた。
「一緒に時を過ごせば信頼関係も生まれ、もっと打ちとけあうことができるよ。そうしたら君はきっと私に秘密を打ちあけてくれるに違いない。あー、素晴らしきかな素晴らしきかな!」
「す、すばらしくない! 何考えて……わ、私は話さないぞ!」


「ぜったい話さないからな――――!」