小説(長編小説)金貨と魔人の爪先|第五幕 1


第五幕「盗まれた財宝」

 カッカトーランとタジ族の若者を乗せた駱駝は、スカルトーガのぐるりを囲う砂漠を走り、激しく波打つ砂丘の迷路に迷いこんだところで足を止めた。
 高く盛り上がった砂丘と砂丘の谷間、三本ばかり生えた椰子の木陰で、タジ族は駱駝から転げるように下りた。そのまま疲れ切った様子で椰子に背を預け、肩で息をしながらへたりこむ。
 カッカトーランは駱駝から飛び降り、汗でぐっしょりと濡れた駱駝の腹を叩いて、若者を見下ろした。
「なんだか知らないが、逃げ切れたようじゃの。しかし、駱駝をああも見事に疾駆させるとは大した腕じゃ」
「あ……ああ」
 若者は疲弊した顔をゆらりと持ち上げ、「あっ」と勢いよく立ち上がった。
 無精ひげのせいで老けて見えるが、良く見れば、少し突き出た前歯が愛嬌のある、十代後半と思しき若者だった。彼は白目の目立つ目に恐れと好奇心を宿し、頭ひとつ分は背の低いカッカトーランの顔をまじまじと見つめた。
 見つめた。見つめた。見つめた。
 四つん這いになって、絶望を全身で表現した。
「あんまりだ、偽者にもほどがある……っ」
 カッカトーランは男の背を、べしっと叩いた。
「なにすんだよ、いてえな!」
「別にいいのじゃぞー、わしは。タジ族が困ってたって、「本物」のカッカトーラン様みたいに体を張って助けてやるほどの博愛を発揮する気なんて毛頭ないし。そうかそうか、わしは必要なかったか。では、帰る。じゃあの」
「あ、いや、ちょ、待っ!」
 若者は慌てて立ち上がる。
「俺、いえ、私はダブゥ・シール。オルトゥ・シールの息子、タジ族の一であります。足を運んでいただき、恐悦至極、感謝感激の至りであります、魔導師様!」
 カッカトーランは「ふむ」と彼の頭に巻かれたターバンを見上げた。
「タジ族のダブゥ・シールか。たしかに、汚れてもなお色鮮やかなその青は、まさしくおぬしがタジ族たる証。その青ばかりは、そこらの娘には出したくとも出せない色じゃ」
 ダブゥは目を見開き、ほろりと涙を浮かべた。
「おいおい、魔導師様! 村を出てから、んな嬉しいこと言われたのははじめてだよ。この青を見るたび、どいつもこいつも「なんだ、残飯喰らいか」って馬鹿にしやがるんだ!」
 タジ族。それは〈渇きの百家〉の中でも最弱にして最貧と言われる部族だ。総人口は千人にも満たず、その大半はスカルトーガより駱駝の足でひと月の砂漠に暮らしている。
 村の中心には、〈水の甕〉。百年の長きに渡って水を守りつづけた部族で、旅の民に安定した水を供給しつづけていることから、〈水の守り手〉とも呼ばれているが、どちらかといえば〈残飯喰らい〉と呼ばれる方が多かった。滅多なことでは村を離れず、ごくまれに町や都にやって来たと思えば、ひとの家の軒先に眠り、飯はといえば、食堂の裏口を叩き、残飯をもらってしのぐことからついた蔑称である。
 そんなタジの男が、部族の誇りとして巻く青いターバンは、村の〈水の甕〉を表現したもの。成人を迎える男たちのため、部族の娘が三日三晩をかけて染め、幾度も色を重ねて生みだす青は目が醒めるほどに鮮やかで、タジ族の象徴とされている。
「カッカトーラン様は、昔っからタジ族の女神だった。だれもが〈残飯喰らい〉と蔑む俺たちに、いつだって手を差し伸べ、助けてくれた。ガキの頃からカッカトーラン様のお伽話を耳にするたび、どれだけ憧れを持ってきたことか……!」
 匂いたつほど汚い服の袖で涙をぬぐうダブゥ。カッカトーランは渋い顔で「その先になにを言う気かは見当がつくぞ」とぼやく。
「いやいや、どう見当がついたのかは知らねえが、俺ぁ、ほっとしたね! まあ、確かにカッカトーラン様のような美女ではなかったけどよー、正直、〈夜の民〉なんて乳が六つもあるような化け物だと思ってたからな、普通そうな奴でよかった。というより、一個もねぇしな、乳!」
 からからと調子よく笑われ、カッカトーランはむかあっと地団駄を踏む。
「馬鹿にしよって……っわしだって、ぬ、脱げばすごいのじゃぞ! けっこう!」
「よせよ、ちびっこ。そんなつまんねぇもん、金もらったって見たくねぇ――ぁあ!」
 青いターバンが、本体と一緒に、きれいな放物線を描いて飛んで行き、カッカトーランは振ったばかりの黄金槍を「ふん」と背の鞘に収めた。


 カッカトーランとダブゥは真昼の陽光から逃れるため、椰子の木陰であぐらをかき、顔を突き合わせる。
「ともかく、だ。まずは都入りをしようぜ。さっき別れた相棒のハージブとは、ダマテラ区の隊商宿で落ち合えるはずなんだ。詳しい話はその後で。……俺より、ハージブが説明した方が、あんたも状況が分かりやすいだろうから」
「そんなに複雑な話なのか?」
 カッカトーランは先ほどの検問での大騒動を思い起こす。
「しかし、都に入る、か。そう簡単にいくものかのう。――そうじゃ。スカルトーガにはわしのほかにも〈夜の民〉がいるようじゃが、なにか知っているか? ココリカタリヌ王朝が滅びてこっち、わしもめったなことでは同胞と出会わなくなった。何者じゃ」
 ダブゥは心底嫌そうに下唇を突き出した。
「けっ。スカルトーガにいる〈夜の民〉っていやあ、タージャ・ミラルカだけだろうよ」
「誰じゃ?」
「スカルトーガ領主バンドール・ドバルが雇った〈夜の民〉だ」
 カッカトーランはますます件の邪霊使いに関心を持つ。
「ほう、領主付の〈夜の民〉とは珍しい! バレンハク新王朝は、国から〈夜の民〉を排除しようと躍起になっている。政の場に〈夜の民〉がいるとは最近ではたいそう珍しいことじゃよ」
「関心するほど、大した奴とは思えないね。あの魔人人間……ふざけやがって」
 魔人人間。その言葉に、カッカトーランは目を丸くした。
「タージャ・ミラルカは、異国の血を引いているのか?」
 魔人人間とは、白い肌をした異国の民を指す隠語だ。
 異国と交流がなかった時代、白い肌は奇異の目で見られた。魔性の類か、病気持ちかと誤解されたのだ。
 バレンハク王朝になってからは異国交易も盛んになったから、白い肌の民も珍しくはなくなったが、今でもスカルトーガのような地方都市では、差別意識が根強く残っている。
 だが、カッカトーランは目を輝かせる。
「さっきは顔を拝めなかったが、そうか、白い肌か、素敵じゃのう!」
「どこがだよ。気持ち悪ぃ……」
「む。気持ち悪くなんてないぞ。白布も白い肌をしているが、それはそれは美しくてな、滑らかな陶器か、早朝の砂漠のようで、触れたいような、触れては穢してしまうようで恐ろしいような……っうわあああ!」
 意気揚々と語っていたカッカトーランは、唐突に奇声を発し、砂漠に突っ伏した。
「ど、どうしたよ」
「……さっきの騒動で、わしときたら、魔人とはぐれてしまったのじゃ」
 心細く呟き、カッカトーランはしくしくと泣き伏す。
 魔人は、夜の力によって形を成す魔性だ。昼の間は靄のように実体をなくした状態で深い眠りにつき、壺や箱といった器に入っていなければ、ふわふわと空を飛んでいってしまう。そうして夜になって目覚めたとき、魔人は自分がどこにいるかも分からなっていて――平たく言えば、迷子である。
 一夜のうちに戻ってこられればいいが、あまりに遠くまで運ばれていたら、戻らぬうちに朝を迎え、また眠りについてしまう。そのとき器に入っていなければ、またどこかへと運ばれてしまうわけだが、不毛の砂漠地帯にそう都合よく器が落ちているはずもなく、いったい白布がいつになったらスカルトーガに戻ってこられるか、現時点ではまったく見当がつかないのだった。
 ダブゥはぽかんとしてから「魔人様?」と繰りかえした。
「ま、魔人って、魔人様!? あのお伽話に出てくる!?」
 興奮しきったダブゥと対照的に、カッカトーランはどんよりと「そうじゃ」と答える。
「す、すげえ……あんた、魔人様を連れてるのかよ!」
「連れてない。はぐれたのじゃ」
「なんてこった、魔導師様ってのは本当に魔人様を連れ歩いているもんなんだな! うおお、俺は今、お伽話の世界にいる……!」
「聞いてるか? 聞いてるかのう? はぐれたと言ったのじゃがのう?」
 カッカトーランはうっうっと泣きながら、自分たちのぐるりを囲う砂丘を見つめる。
「ともかく、今は都入りを果たすとしよう。連れが心配じゃ」
「連れ? ああ、そういえば子供を連れてたな」
 ダブゥの言葉にうなずき、カッカトーランは顔を曇らせた。
「様子が、少し、おかしかったのでな……」
 ざわりと不穏な風が吹き、黄金色の砂粒が虚空を舞う。カッカトーランは砂粒を目で追い、スカルトーガの城壁を隠すようにそびえる砂丘の群れを見上げた。