小説(長編小説)金貨と魔人の爪先|第五幕 3



 盗人が、黄金宮にある宝物庫に侵入したのは、今から十二日前の晩のことだという。
 領主は寝間着に着替え、寝具に入ろうとしていた。
 首には、宝物庫の鍵。
 疑り深い領主は、鍵を誰かに預けたりはせず、常に肌身離さず身に着けていた……。
「ところが翌朝、いつまでも寝室から出てこない領主を訝って、侍従が中に入ると、床で昏倒している領主を見つけたそうです」
 じゃらん、と琵琶をかき鳴らし、歌うように語ったのは詩人である。
「目覚めた領主が言うには、突然、誰かに背後から襲いかかられたのだと。領主の首にかかっているはずの鍵もなくなっている。慌てて宝物庫に向かうと、そこには開け放たれた扉が……」
 じゃらん、じゃらん。
「ところが、庫内には金銀財宝の山。なんだ、盗まれていないではないか。侍従たちは安堵しました。けれど、領主は用心深かった。財宝録を取りだし、記録された宝と、庫内の宝とをひとつひとつ照らし合わせ……気づいたのです。宝がひとつ足りない、と」
 浴場側の井戸端に腰かけ、詩人の話を聞いていたカッカトーランは、暑さにぼんやりしながらうなずいた。
「金銀財宝を前に、宝をひとつしか盗まなかったのか。どういう宝じゃったのかの」
「なんでも、水の入った藍色の硝子瓶だったとか。ですが、詳細は」
「おーい、風呂終わったぞー……って、うわ!」
 腰に布を巻いただけの半裸で浴場から出てきたダブゥが、詩人に気づいて目を丸くした。
「ど、どこから湧いてでた! 協力は惜しみませんよーとかぬかしやがったくせして、ちっとも姿を見ねえから、気が変わったもんだとばかり――」
「おや。ずっと側にいましたよ? あなた方が魔導師様を待つ五日の間も、さきほども」
「……いなかったじゃねぇか」
 訝しげにしながら、洗濯物干し用の紐に、洗った衣服とターバンとをかけるダブゥ。
 カッカトーランは、すっかりきれいになった衣服を眺めながら、大欠伸をした。
「詩人が〈昼の民〉に手を貸すのは、新しいお伽話を作るためじゃぞ。当然、そばにいるに決まっておる。気配を消すのがうまいから、姿を見かけることはほとんどないがな」
「ええ。風呂に入っていようが、用を足していようが、ご婦人と枕をともにしていようが、皆さまのすべてを覗かせていただきます」
「……やだなにそれ、すっごいこわいっ」
 あとから出てきたハージブにしがみつき、ダブゥは震えあがった。
「それで。領主の宝を盗んだ罪で、囚われの身となった族長殿を助けてほしい……という話であったな、ハージブ」
 ハージブはダブゥを無表情に蹴とばしてから、井戸端に腰を下ろしてうなずいた。
「ふむ……。で、盗んだのか?」
「まさか」
 鋭く答えて、ハージブは苦悶の表情を片手で覆った。
「一からご説明します。そもそも我々が、タジの村からスカルトーガまでやってきたのは、領主に相談したき儀があったからです」
 タジ族の村は、スカルトーガから駱駝の足でひと月ほどの、トル・ドイ砂漠にある。
 大きな〈水の甕〉のぐるりに築かれた村で、千人に満たぬタジ族が暮らしている。
「到着したのは、盗難事件が起きた二日後のことです。これだけでも、事件とは無関係と分かっていただけるでしょうが……」
 だが、領主に謁見を求め、謁見の間に通された族長、ハージブ、ダブゥの三人は、思いがけない仕打ちを受けることになる。
 領主が、タジ族を見るなり蒼白になって、こう叫んだのである。


 薄汚い残飯喰らいどもめ。私の財宝を盗んだのは貴様らか!


「そして、釈明の機会も与えられぬまま、我々は囚人となりました」
 カッカトーランは目をまん丸にした。
「それで?」
「それだけです」
「それだけ?」
「はい。それだけ」
 ハージブは囚人生活の名残だろうか、こけた頬に頬杖をあてがった。
「囚われの身となった我々は、厳しい尋問を受けました。宝はどこだ、どうやって黄金宮に侵入した……と、連日連夜」
「盗んでねぇって何べんも言ってんのに、奴ら、聞く耳持ちゃしねぇんだよ!」
 言葉を引き継いだダブゥが、不意に、瞳をうるませた。
「……尋問なんてもんじゃねえんだ、魔導師さんよ。いや、俺たちに対してはそうだったが、族長が受けたのは拷問まがいの尋問で――なのに、族長は悲鳴のひとつもあげずによ」
 族長、とダブゥはこらえていた悲しみを吐き出すように、涙声で呟く。
 暗い顔でうなだれるタジ族二人を見つめ、カッカトーランは顔をしかめる。
「よく分からんな。そもそも、なんでおぬしらは盗人と疑われたのじゃ? 謁見の最中に、疑われるような真似でもしたのか」
「いいえ。挨拶の言葉を述べる間すらなく、盗人扱いされたのです」
 カッカトーランは顎に手をあてがう。
「……ところで、二人がここにいるというのは、どういう事情じゃ? 釈放されたのか」
「決して、釈放されたわけでは……我々がここにいるのには理由があるのです」
 囚われの身となって数日後、牢獄に来訪者があったのだ、とハージブは語る。
 それが、領主付き〈夜の民〉のタージャ・ミラルカである。
「タージャはこう言いました。冤罪だ、冤罪だとうるさいから、我々二人だけを監視付きで釈放する。もしも自力で本物の盗人、もしくは盗まれた宝を見つけだせたなら、無罪放免、族長のことも釈放しよう、と」
「ほう、なかなか道義心にあふれた御仁のようじゃ」
「んなわけあるかよ。盗難事件からすでに半月近くが経とうってのに、盗まれた宝をいあだに見つけだせずにいる……おおかた領主に無能扱いされ、藁にも縋る思いで、俺たちを解放したってだけの話だろうよ」
 カッカトーランはうなずきながら、周囲の気配に神経を集中させる。
 監視付きでの釈放。
 タージャが邪霊使いであることを考えると、おそらくその監視は邪霊であるはずだ。
(なにかの気配は感じる。じゃが、はっきりとはわからない……)
 白布がいれば、邪霊の気配もより鮮明に感じられただろうが。
 カッカトーランはまたも白布の不在を思いだし、ずーんと重たい寂しさに打ちのめされた。
「これがすべてです。なにかご不明な点はありましたか?」
 カッカトーランは、あからさまにへこむ魔導師に不審げな目を向けるハージブとダブゥを見比べる。
「とりあえず、事件のあらましはわかった。ところで、さっきの追手はなんなのじゃ? おぬしらが釈放されてから五日が経っているわけじゃが……その間、いったいなにがあった」
 すると、タジ族二人は顔を見合わせ、ハージブは「ちっ」と舌打ちし、ダブゥは「けっ」と鼻頭に深い深い皺を刻んだ。