小説(長編小説)金貨と魔人の爪先|第五幕 4



「釈放されてからの五日間、ただ漫然と、あんたを待っていたってわけじゃねえ。あんたが本当に来てくれるとも限らねえし……そりゃ、色々あったよ、色々と」
 ダブゥは、「今すぐこの出っ歯を絞め殺したい」といった顔で自分を睨むハージブから顔をそむけながら、重たげに口を開いた。
「最初にやったのは、兵舎への侵入」
 さらりと大胆なことを言われ、カッカトーランは「ほう!」と身を乗りだした。
「大したことじゃねえよ」
 そう言いながら、ダブゥは鼻高々ににやにやとする。
「スカルトーガ兵団ってのは、烏合の衆でな。領主が金に物を言わせて雇った、腕っぷしの良さだけが取り柄の馬鹿の集まり。兵舎に鍵もかけず、平気で遊びに出かけちまう」
 そう言って、ダブゥは身振り手振りで当時の様子を語りだす。


 釈放された日の午後、ダブゥとハージブはスカルトーガの東門の詰め所を訪れた。
 目的は、兵士たちの動向を探ることだ。
 二人は詰め所近くの物陰に身をひそめ、額から汗を流しながら、じっと辛抱強く、兵士たちの動きを観察した。
 すると、しばらくもせず、兵士たちが「暑くてたまらない」とぼやきながら、複数人が連れだって兵舎から出てきた。
「暑くてたまらねえ日は、女を抱くに限る。おすすめの店があるんだ、どうだ?」
「元気だなあ、お前。俺は涼しい木陰で寝てたいよ」
「馬鹿が。どうせ汗かくなら、いい汗かきてえだろう? なあ?」
 大都市の兵団とは思えぬ野卑な笑い声をたて、都の雑踏へと消えていく兵士たち。タジ族は顔を見合わせ、さらに慎重に兵舎を観察するが――まるきり人の気配が途絶えている。
 ためしにそうっと近づいてみるが、見咎められる気配がない。
 ハージブは、「逆にこええ!」とたじろぐダブゥをその場に残し、表門から堂々と詰め所に侵入した。しばらくもせず、二階の窓から顔を覗かせると、「早く」とダブゥを手招きした。
 中は、完全な無人。
 まずは、収監される際に奪われた武器のかわりに、兵士たちの偃月刀を二振り失敬した。
 腰帯に鞘をおさめながら、散らかった兵舎内を探る。
「きったね! 床にゲロした痕があるんだけど、ハージブ! ぎゃ、うんこ!」
「……日誌がありましたよ、ダブゥ。一応、それなりの記載があるようです」
 上官に提出するのだろうか、兵舎を空にする無責任さはさいわいにも日誌上には見られない。
 だが、日誌から読みとれたのは、スカルトーガ兵団が今回の盗難事件にたいそう手を焼いているという現状だけだった。
 兵士は、まるきり成果をあげることができていない。大規模な検問を実施してはいるものの、盗人の見当は一切ついておらず、ただ、無為に時を重ねているだけのようだ。
「兵士たちは相当な鬱憤をためこんでいるようですね……」
 ただでさえ、スカルトーガは治安が悪化している。
 だというのに、領主が私的に蒐集している財宝がひとつばかり盗まれたことで、民の不平不満を抑えると同時に、盗人探しまでしなければならない――。
 結局、兵舎への侵入はほとんど無益に終わった。
 だが、成果がないわけではなかった。
 兵士たちは、ひとつの情報を得ていた。これからその情報を精査し、対応に乗りだすことが書かれていたのである。


「盗賊団〈カララックの牙〉が、今回の盗難事件についてなにかを知っているようだ……そんなことが書かれていました」
 ハージブの言葉に、カッカトーランは顎に手をあてがって思案する。
 盗賊団〈カララックの牙〉。
 南部砂漠では知らぬ者のない、泣く子も黙る勢いの大盗賊団だ。
 ここ南部砂漠において、〈カララックの牙〉の許しを得ずに盗賊活動を行うことは、すなわち「死」を意味する。かつてスカルトーガの周辺で、五十体もの黒焦げの死体が、顔だけを砂から出した状態で発見されたことがあった。彼らはみな、〈カララックの牙〉の許しを得ずに隊商をおそった盗人たち。つまり彼らは、盗賊団によって、制裁が加えられたというわけである。
 それ以来、南部砂漠で盗賊活動を行う者は、まず〈カララックの牙〉にお伺いをたてるのが暗黙の了解となった。要するに、南部砂漠にいるすべての盗賊――盗賊団であろうと、スリひとりであろうと、大小問わずみな、〈カララックの牙〉の支団というわけである。
「スカルトーガで盗難事件が起きれば、まず疑うべきは〈カララックの牙〉、ということじゃな」
「はい。兵士たちは最初から、盗賊団〈カララックの牙〉を疑っていたようです。なにしろ、黄金宮に侵入し、領主から鍵を奪い、宝物庫から宝を盗み、誰にも見咎められずに脱出を果たした盗人だなんて……素人のはずがありませんから」
 言いながら、ハージブは顔をしかめる。
 彼の表情の意味を、カッカトーランは理解する。
 その通りだ。スカルトーガで盗難事件が起きれば、誰もがまず〈カララックの牙〉を疑う。だというのに、領主が真っ先に疑ったのが、〈渇きの百家〉最弱といわれるタジ族、というのは、あまりに妙だった。
 考えていたよりも、厄介な事件かもしれない――カッカトーランは眉を寄せる。
「兵舎を後にした我々は、すぐに盗賊団〈カララックの牙〉について調べはじめました」
 ハージブはそこで重々しく溜め息をついた。
「〈カララックの牙〉は南部砂漠の各所に根城を持っています。どこに行けば、盗賊団の主要人物に会えるかは時どきで違う。ですが……ふと、思いだしたのです。盗賊団〈カララックの牙〉は、古の魔導師カッカトーラン様には及ばぬものの、多くのお伽話を持っている。もっとも有名なお伽話の中に、こんな一節があることを」
 するとハージブは、全員でずっこけそうになるぐらい調子外れに、お伽話を口ずさみはじめた。聞きかねた詩人がじゃらりと琴をつま弾き、苦笑とともに続きを引きとる。


 盗賊たちの頭領は 情婦にだけは秘密をかたる
 快楽の床で 眠りの底で 一夜かぎりの秘密をかたる


「娼婦じゃな」
 臆面もなく口にするカッカトーランに、ダブゥが「若い娘が平然と口にするなよ」と情けなそうに顔を赤らめた。
「はい。情報を集めるのに手間取り、二日も無駄にしてしまいましたが……盗賊団〈カララックの牙〉の頭領は、スカルトーガに滞在中は、グランハム地区の娼館〈赤薔薇の秘所〉を根城にしていることを突き止めました」
「つまりそのう……頭領が仲良くしてる娼婦から話を聞けたら、なにかしらの情報を得られるんじゃないかと思ってよ?」
 言いわけがましく言って、ダブゥとハージブは顔を見合わせた。
「簡単に言いますと、娼館に侵入することにしたのです」
 カッカトーランは思わず「ぶっ」と噴きだした。
「豪胆じゃのう、タジ族! 兵舎のみならず、娼館にまで侵入しようとは!」
「し、仕方ねえだろ。侵入するしかなかったんだよ。客を装うにも、誰が〈残飯喰らいのタジ族〉なんかを館に入れる? 第一、金ねえし」
 そりゃ俺だって、客として娼館に行きたかったよ、とぶつぶつ文句を言うダブゥ。ハージブに「この童貞が」と毒づかれ、「ど、どど童貞じゃねえし!」と小声で反論する。
 カッカトーランは二人のやつれた顔に宿る精悍さに目を留め、微笑む。
 二人は大したことがないように語るが、盗賊団〈カララックの牙〉が根城としている娼館に潜入するなど、豪胆どころではない胆力だ。タジ族は〈渇きの百家〉最弱と言われているが、族長への忠心だけは随一に違いない。


 娼館〈赤薔薇の秘所〉への侵入は、深夜に決行された。
 夜半、スカルトーガの庶民は寝静まる。だが、歓楽街だけは窓辺に煌々と灯りをともし、夜を追い払って商いをする。
 灯りをともせばともすほど、遠ざけられた闇は濃くなる。
 タジ族は、濃厚な闇に飲まれた、用心棒の監視の目も届かぬ裏口近くの壁に向かった。
 体重の軽いダブゥが、縄を背負って壁をのぼることになった。日干し煉瓦のわずかな隙間に手を入れ、爪先を入れ、脆い煉瓦を崩さぬよう、物音をたてぬよう、恐るべき忍耐力をもって足場のない壁面をのぼっていく。一時間をかけて三階の窓辺に到達したダブゥは、すぐさま縄を下ろしてハージブを呼んだ。
 二人が侵入を果たしたのは、薄暗い廊下。
 廊下には誰もいないが、人の気配だけは感じた。ひそやかな笑い声、嬌声と息遣い、衣擦れの音、遠くからは音楽の音も聞こえるが、おそらくは一階の大広間だろう。
 まずは、ありとあらゆる話し声を拾い、次の行動の礎を築く。
 二人は慎重に館内を移動する。廊下には幾重にも薄布が垂れさがり、かきわけるたびに心臓が縮んだ。幾度も曲がっては、階段を下りたりを繰りかえし、廊下はやがて最奥に到達する。そこには絢爛豪華な扉があるばかりで、近くには窓ひとつなかった。
 行き止まりだ。身を隠して、盗み聞きができるような場所もない。
 二人は落胆して視線を落とし、そのときふと、天井から垂れた布の死角になった場所に粗末な扉があることに気づいた。
 客を入れる部屋のものにしては装飾的でなく、身を屈まねば入れぬほど小さな扉だ。
 ちょっとした物をしまう倉庫のようなものだろうか。そう推測した二人は、不意に廊下の奥から足音が聞こえてくるのに気づき、慌てて扉を開けて中に入りこんだ。
 倉庫の内部は、真っ暗だった。
 天井が迫り、床に腰を下ろさねばならないほど窮屈だ。
 だが、床に尻をつけようとした瞬間、ふかっとしたようなクッションのようなものが当たった。眉をひそめながら腰を落ちつけると、ちょうど真正面の壁、視線の高さに小さな穴が開いていることに気づく。
 穴からは、かすかに光が差しこんできている。
 覗いてみると、あの絢爛豪華な扉の内部らしき光景が目に飛びこんできた。
 なんのための穴だ――そう思うが、穴から見えるのは、美しい釣鐘の形をした格子窓と、その下に置かれた広々とした寝台のみである。
 ダブゥは「都会こわい! 都会こわい!」と興奮のあまりに小声ではしゃぎ、ハージブは「なんて下種な」と覗き部屋の悪趣味さ加減に舌打ちする。
 と、先ほどの足音が扉を開けて、室内に入ってくる気配がした。
「来てくださって嬉しいわ。わたくしの旦那様、勇ましきカララックの牙の頭領様」
 姿は見えないが、女が軽やかに歓待の声をあげた。
 カララックの牙の頭領様。
 その言葉に、ダブゥとハージブは危うく声を上げそうになった。