小説(長編小説)王宮の自動人形|第三章 3



第三話「小さな手」

 総師選抜の決定は、皇族によって行われる。一切の私欲を排除した、完全実力勝負。それが、総師選が「公平」と言われる所以だ。
 だが、本当にそうだったのだろうか、とメラスは思う。
 魔総師は精霊術を操る、いわば「魔法軍」だ。魔総師軍に属するには精霊術を操れることが必須条件だが、精霊術を操る力は先天性のもの、絶対人数が少ないなかで、メラスが「炎術師」としての力を生まれ持ったことが有利に働いたというのは分かる。
 だが、出自は「下町の民」だ。
 そのこと自体は秘匿しているが、ガーサがかりそめに用意した「下級民」という地位は隠しようがなく知られてしまっている。その上、爆破犯という前科もあって、しかも海明遼国初の女総師である。
(これほど問題の種を抱えていながら、総師になれたのには、誰かの、なにかしらの思惑が絡んでいるとしか思えないが……)
 考えても仕方のないことではあるのだが、やはりどうしても「公平」であったとは思えない。
 ――情けない。六総師のひとりになれたというのに、己の実力に自信が持てないとは。
 だが、きっとほかの総師たちも、口には出さないがメラスに疑念を抱いていることだろう。
(私の身分について、誰もなにも言わなかったのがいい証拠だ)
 茶会が開かれた望月楼を後にし、宮廷の主要路である紅千柱大廊を歩きながら、メラスは眉根を寄せる。
 身分などどうでもいい、そう思っているわけではないはずだ。
 海明遼国は、苛烈な「身分制度」によって支配された国。一般の民草はもとより、宮廷に仕える人間が、総師の「身分」を意識しないわけがない。
 高級民にとって、下級民はちりあくた。いないものとして扱い、そうでないなら嬲り、痛めつけ、侮蔑し、排除する、奴隷よりもなお卑しき者。
 きっと総師たちは様子を伺っている。
 下級民から、総師にまでのし上がった女の動向を。
 ガーサの義娘となり、多くの推薦状――放浪皇子の推薦状までもぎ取り、どん底から這いあがってきた者の狙いを。
 今のこの静寂は、嵐が起きるまえの束の間の平穏にすぎない。
(見られているはずだ。今も)
 紅千柱大廊には、メラスのほかには誰もいない。
 だが、視線を感じる。
 大廊を取りまく庭の木陰から、官舎の窓辺から、メラスをじっと凝視する眼差しがある。
 幼いころからメラスを守ってくれていた者たちは、もうどこにもいない。
 死者の国へと去りゆき、無名の地へと流され、終の棲家へと退き、あるいは国家の礎となるべく茨の道にひとり立ち向かっている。
 ――仲間を探さなければ。
 下町のことを打ち明けられるほど信頼できる友を。
 同じ志を抱き、ともに光の射さぬ闇の道を歩んでくれる同胞を。
 それは、誰だ。
 メラスは大廊の角を曲がり、ふと、数十歩ばかり先をゆく小柄な人影に気づいた。
 林立する紅色の柱の間から、庭を抜けてきた初夏の風が吹きこむ。床に落ちた葉が舞いあがるのと一緒に、ジャスクの淡い金髪が涼やかに揺れた。
 メラスは、ためらう。
 やがて意を決し、青年までの距離を大股で詰める。
「ジャスク補佐」
 声をかけると、ジャスクは足を止め、顔だけでメラスを振りかえってきた。
 その、二歩も三歩も後じさりたくなる、冷ややかな顔つき。
 猫科の獣を思い起こさせる鋭い眼が、メラスの緑色の瞳を真っ直ぐに射抜く。
「いかがなさいました。メラス仲師」
 意外にも、ジャスクは声をかけてきたのが自分の主君と分かると、礼儀正しくメラスに向き直った。
 安堵しながらも、メラスは言葉に詰まる。さてどうしたものか。話しかけたはいいものの、別段、用事があるわけではないのだ。
「いや、茶会ではほとんど話もできなかっただろう? 姿を見かけたから、いい機会だし、話をしたくて声をかけた。急いでいるか?」
 ジャスクは表情ひとつ変えない。
「いえ。急ぎの用はありません」
「そうか、よかった。……式典だの儀式だのが続いて、まだ挨拶ができていなかったな。もう知っているだろうけど、私の名はリュマーラメラス。ジャスク補佐とは、これから魔仲師軍で共に戦う同志となる。よろしく頼む」
 右手を差しだしてから、メラスは「馴れ馴れしすぎたか」と内心でひやりとした。
 ――身分やら前科やらの前に、もうひとつ、メラスには越えねばならない壁がある。宮廷作法というやつである。
 幼いころから最低限の礼儀作法は学んできたし、総師選への参戦を決意してからは、マイサを教師がわりにいっそう熱心に習得に向けて励んできた。
 だが、やはり付け焼刃だ。
 所作のひとつをとっても、高級民がこなすそれとは歴然たる差がある。
 目の前の男もそうだ。ジャスクの動きはすべてにおいて滑らか。メラスを振りかえる仕草ひとつをとっても、風に舞う薄紙のように清廉で、美しい。
 だが、一度出した手を引っこめるのも不自然だ。
 凍りついていると、ジャスクは差しだされた手を一瞥してから、別段、気を悪くした様子もなく握りかえしてきた。
(小さな手だ)
 だが、か細くはない。
 人差し指と親指の関節に、固いたこがある。武具によるたこではない。これは筆によるものだろう。メラスの指にも過酷な勉学の痕跡があるが、ジャスクのものほどではない。
 ――天議長のリード=バイアー氏の孫だよ。鵬雛舎を飛び級で、しかも首席で卒業した神童様だって話だ。
 かつて通っていた中級民街の学舎で、同級生がジャスクについて噂していたことがあった。
 天議長リード=バイアーの孫であるならば、ジャスクが天議会が送りこんだ手駒である可能性は捨てきれない。
 だが以前、ガーサが言っていた。リード天議長は「中立」であり、「公平な人物」であると。
 ならば、その孫であるジャスクは果たして――。
「ジャスク=エミラです。よろしくお願いします、メラス仲師」
 手が離れ、メラスは物思いから解放される。
「ところで、ジャスク=エミラ補佐。あなたのことはなんと呼べばいい?」
 挨拶が返ってきたことに胸をなでおろしつつ、もう一歩、踏みこんでみる。
「お好きなように」
 そっけない答えだった。
 ジャスクはしばらくメラスが次の話題を振るのを待ち、なにもなさそうだと判断すると、「失礼」と言って踵を返した。
 補佐の姿がずいぶんと遠くに行ってしまってから、メラスは腰に手を当て、「ふう」と息をついた。
「同僚と挨拶するだけでこんなに疲れていてどうする」
 だが、それほど悪い手ごたえでもなかった気がする。
 メラスはジャスクの手の感触が残る右手を持ちあげ、首を傾げる。
「それにしても、小さい手だったな」
 改めて思う。自分がでかすぎるのだといえば、やはりそうなのだが。


 そして―― 一週間。


 メラスは憂鬱の極みにあった。
 自分は魔総師の座についたはずだ。記憶が正しければそのはずである。
 だが、総師に任じられて以来、メラスは一度たりと軍舎に足を運べていない。有事に備えて訓練をするかわりに、メラスが日々こなしていることといえば、式典、儀式、また式典、儀式、儀式、儀式、そして儀式だ。
 広大な内廷のあちらこちらに引きずりだされては、形式以上の意義があるとは思えぬ儀式に参列させられる。もちろんメラスばかりではなく、ロウヴァーラやオロバル、ジャスク、ほかの総師たちも同様にだ。ロウヴァーラなどは会うたびに疲弊の色を濃くし、「もうやだ。儀式のたんびにヒゲ剃りなおされて、今にお肌つるっつるの美女になっちゃう」と愚痴をこぼしている。
 だが、それでもメラスよりはましなのではと思う。
(海明遼国初の女総師――民は「女総師なんて」と顔をしかめるのではと思ったけれど)
 存外、受けているらしい。
 絶大な人気を博していたガーサの養女とあって、民がメラスに向ける期待は想像以上に大きかった。しかも、「初の女総師」だ。大衆というのは「初」という言葉に弱いようで、噂によると城下町ではメラスの絵姿が売れに売れまくっているという。
(おかげで、これだ)
 儀式のたびに専用の衣装に着替えるが、メラスのそれは明らかに男たちのものより派手だ。顔には化粧が施され、特に人気だとかいう紅蓮の髪はぎちぎちに結いあげられ、凶器としか思えぬ鋭利な簪を幾本もぶっ刺される。
「私は軍人だぞ。こんなに着飾っていたら、有事の際にろくに動けない」
 魔仲師専任の女官たちは「まあ」と憤慨した。
「宮廷ではこれが普通です。正装をまとったぐらいで「動けない」などと情けのないこと、おっしゃらないでくださいませ。メラス魔仲師」
「ぐぅ……」
 メラスはうなる。自分が宮廷という尺度の中では「異常」であることは、十分すぎるほど承知していた。
「今日はやっと自分の軍と対面できるんだ。極楽鳥みたいに着飾って、脳みそがお花畑の軍師が来たと侮られたくない!」
 女官は、メラスの日に焼けて荒れた腕に香油を塗りたくりながら、また「まあ」と言った。
「まあ、はもういい! ともかく化粧はなしだ。ひらひらもなし!」
「まあ、まあ、まあ! なにをおっしゃいます。配下に威厳を示すために、衣装ほど重要なものはございません。特に魔仲師様におかれましては、立ち振る舞いにいささか障りがございますゆえ」
 他愛もない軽口だが、ほんの一瞬、女官たちの眼には隠しきれない蔑みが宿ったことに、メラスは気づく。
 慣れた眼差しだ。今さら、気に留めるほど面の皮は薄くない。
 だが、女官たちは分かりやすいからいい。これからメラスが立ち向かう相手は、きっと心の内なんて容易に伺わせない人間ばかりだろう。
(ちょっと緊張しているか)
 持ちあげた手が小刻みに震えている。武者震いだと思いたいが、そうではないことを知っている。
 今日、メラスは己の軍隊とはじめて対面する。
 それは、これまでのどんな儀式や式典よりも恐ろしかった。三百名にも及ぶ魔仲師軍を前に、メラスは自分こそが彼らの旗印――六人の軍師のうちのひとりであることを示さねばならないのだ。
 メラスにはあまりに足りないものが多い。
 己の不足を衣装で補えるならば、いくらでも羽織ろう。
 だが、一歩間違えば「虎の威を借る狐」と侮られる。
(これから命運を共にする軍人たち。借り物の衣装によって己の強さを過信する愚か者に、いったい誰が命を預けられる?)
 メラスはふと溜め息をつく。
(とか言って、実のところ、この馬鹿みたいに長い裾に足をつっかけ、すっ転びそうな気がしてたまらないだけなんだけどな)
 対面式ですっ転ぶ軍師。ガーサについたあだ名が「人情男」なら、メラスにつくのは「ひらひらスッ転び馬鹿」といったところだろうか。
「せめて、かんざしはもっと簡素なものにしてくれ。でなけりゃ、今、この場でかんざしを首に刺して自害する」
「まあ。どうぞご随意に」
 女官は嫌がらせのように大ぶりな花冠付き簪を、結いあげた赤い団子にぶっ刺した。


 各総師軍の軍舎は内廷の四隅に配され、馬場や訓練場、武器庫などの附属施設が併設されている。目も覚めるような蒼穹の下、魔総師軍を表す「赤」色の三角旗がひるがえり、金の縁どりが強い陽光を浴びてひときわ強く輝いた。
 メラスは、広々とした訓練場の砂地に立ち、それらを黙って見つめた。
 対面式の時刻はとうに過ぎている。
 だが、訓練場に集まっているはずの三百名の魔仲師軍は、どこにもいない。
 申し訳程度に立ち呆けているのは、新兵とおぼしき幼い少年が数人。狼狽えた様子で辺りを見渡し、顔を真っ青にしている。
「どういうことだ」
 メラスは低く問うた。
「なぜ、誰もいない」
 新兵たちは顔を見合わせ、苦々しい顔でうなだれた。
「も、申し訳ありません、せ、先輩方はその……城下町に酒を飲みに――も、ももちろん止めたのですが」
 弱々しく言い募る少年の頬は、赤く腫れあがっている。「先輩方」とやらを止めたばかりに、殴られたのだろうか。
(なるほど、そう来たか)
 予測はしていたが、やはり無人の砂地を前にすると虚しさが込みあげる。
 問題なのは、彼らが来なかった理由がどれであるかだ。
 メラスが下級民の出自だからか、ガーサの足を引っ張った前科者だからか、あるいは……。
 思案しながら、メラスは傍らの補佐を振りかえった。
 ジャスクはいつもと変わらぬ冷ややかな眼差しを、ほぼ無人の訓練場に向けている。
 なにを考えているか分からない横顔だ。
 ジャスクも――三百人の軍人たちと同様、メラスになんらかの不満を抱いているのだろうか。
「申し訳ない、ジャスク補佐。彼らが拒絶したのは私の方だ。あなたは気にしないでほしい」
 ジャスクは答えない。
 琥珀色の瞳を細め、訓練場に逆巻く風を目で追う。
「けど、こうなることは予想していた。なんとかするから、しばらく時間をくれ」
 メラスは努めて軽い口調で言った。これしきのことで気に病む小心者と思われたくなかったのだ。
「……なんとか?」
 不意に、ジャスクが低く呟いた。
 彼はゆっくりとメラスを振りかえる。そして観察する。軍師が羽織った華美な正装を、爪先から頭のてっぺんまで、まるで値踏みするように――まるで非難するように。
 羞恥が脳裏をかすめた。これは違う、そう言い訳しそうになるのを、メラスは奥歯を食いしばってこらえる。だが、きっと伝わったろう。ジャスクは静かに視線をそらした。
「では、早く「なんとか」なさることです。……そんなことが可能だと思っておいでなら」
 淡々と言い捨てて、小さな補佐は歩きだす。
 突風が、無人の訓練場で渦を巻く。メラスは目を眇めるが、細かな砂塵は目のなかに入りこみ、じくりと鈍く痛みを放った。