小説(長編小説)金貨と魔人の爪先|第三幕 1


第三幕「赤い怪鳥の来訪」

 強欲領主の宝物庫にゃ、きらきら光る宝がぎっしり。
 金と名がつきゃ、それでいい。銀と名がつきゃ、それでいい。
 領主は筋金入りの財宝好きさァ。
 けれど足りない、ひとつだけ。
 盗賊に狙われたるは、ああ、哀れなるバンドール。


 天井近くにある採光用の窓から、かすかな歌声が聞こえてくる。ここ数日、水道橋都市スカルトーガで流行っている風刺歌〈素晴らしき盗人〉だ。
 八日前の晩、スカルトーガの領主館〈黄金宮〉の宝物庫に盗人が侵入した。
 宝物庫の鍵は、領主バンドール・ドバルが後生大事に首からぶら下げていたが、寝所で床につこうとしたところを襲われ、気を失っている間に鍵を奪われてしまった。そして翌朝、目覚めると、宝物庫からは宝が盗まれていたのだという。
 たった、一点だけ。
 己の過失だというのに、たった一点で済んだというのに、領主は激怒した。
 政を放りだし、兵士をスカルトーガの全戸に送りこむと、棚という棚を暴き、壺という壺を壊し、盗まれた宝を探してまわった。
 だが、盗人は見つからなかった。
 あれから、すでに八日。真っ先に民を疑ったこと、八日も政を放棄していることで、民は領主に対して憤怒し、また呆れかえった。
 そんな時分に流行りだしたのが、詩人がつくった風刺歌〈素晴らしき盗人〉だ。
 あっという間に広まった風刺歌を、今ではスカルトーガ中の民が、路地裏で、厨房で、軒先で、市場で唄っては、憂さを晴らしている……。
(滑稽な歌だ)
 バサドは痛みに強ばる口端を持ちあげ、力なく笑った。
「バサド族長! 目を覚ましたんですか!」
 途端、かすかな笑い声を聞きつけてか、壁の向こうからダブゥの声が聞こえてきた。
「族長? 俺の声が聞こえていたら返事してください、族長! 族長ぉ!」
「……うるさい人ですね。族長の体力を無駄に消耗させないでください、ダブゥ」
 次いで別の声がそれを諌め、ダブゥが「けどよ、ハージブ!」と口答えする。
 バサドは苦笑し、答えるかわりに己の両手首を石壁に繋ぎ止めている鎖を揺すった。力ない金属音が響いて、隣の牢にいる二人が、同時に「族長!」と明るい声を上げた。
 ――領主の宝を盗んだ咎で、三人が囚われの身となってから、すでに五日。
 死なない程度の食事、死なない程度の拷問。
 まったくタジ族はどうして昔から不運なのか。バサドは呆れる。
(タジ族の不運の始まりは、お伽話〈魔人の爪先と千夜の接吻〉……)
 千三百年前、砂漠を支配していた狂王アンムラヒによって、〈渇きの百家〉に下された「各々、ひと月のうちに、部族でもっとも見栄えのする処女を献上せよ」という命。だが、辺境に暮らすタジ族には、ひと月で王都にたどりつく術がなかった。
 そんなタジ族の窮地を救ったのが、魔導師カッカトーランだった。
 それ以降のお伽話で、タジ族はいったい何度、不運な目に遭い、カッカトーランによって救われてきたことか――無数にあるその手のお伽話のうち、いったい実話がいくつあるのかは謎だが、タジ族といえば「不運」で「情けない」部族というのが、砂漠の民共通の認識だろう。
(今回もそのひとつというわけだ)
 そう考えれば、多少も気は安らぐが。バサドは自嘲気味に思って、目を伏せ――、
「おい、起きろ、バサド・アルハキカ! タージャ様のお越しだ!」
 いっとき意識を失っていたようだ、突然、ぬるまった水を頭から浴びせられ、目を開ける。重たい頭をあげると、格子の向こうに、桶を手にした牢番と、「タージャ様」の姿があった。
「……よう、タージャ。今日も別嬪だな」
 軽口を叩いた途端、牢番が杖を格子に叩きつけた。
 響きわたる凶暴な金属音に、隣の牢のダブゥが「ひっ」と悲鳴をあげる。
「生意気な口を叩くな。残った左目も潰してやろうか、残飯喰らいのタジ族め!」
「だ、だから財宝のことなんて知らねぇっつってんだろ! これ以上、族長に手ぇ出しをしたら、このダブゥ様が許さね……ぶへぇ!」
 牢番が隣の牢に杖を突きこむ。ダブゥが苦しげに呻く声が聞こえてきた。
 不意に、タージャが、ぱん、と手を叩いた。
「もう十分よ。戻ってちょうだいな」
 牢番は鼻を鳴らし、もう一度、格子を叩いてからその場を去って行った。
「気分はどう? バサド」
 バサドは力なく笑った。
「……よくはないな。情けない話だが」
 タージャは悩ましげに溜め息をついて、格子にしなだれかかった。
「許してちょうだい、あたしだって心苦しいのよ。あなたみたいな素敵な殿方を痛めつけなければならないなんて」
「へ、へむぇにはめうぁあっえんあ!」
 ダブゥが鼻をつぶされたような声でわめいた。タージャはたいそう楽しげに笑う。
「なあに? 聞こえなあい」
「――冤罪だ、と言ったのです。これまで幾度も申し上げている通り」
 ハージブが勝手な通訳をし、タージャは「冤罪、ね」と薄く微笑んだ。
「その冤罪で捕えられた皆さんに朗報よ。八日後の晩、バサドの処刑が決まったわ」
 さらりとした処刑宣告に二人が無言になる。
 ずいぶん経ってから、ダブゥが上擦った声を上げた。
「な、なに言って……は? 処刑?」
「領主のバンドールちゃんが、目障りだからさっさと首を斬ってしまえ、ですって」
「馬鹿な! 少数部族といえど、仮にも一部族の長をろくな審判にもかけずに処刑するなど、スカルトーガ領主は気でも違えたのですか!」
「そうね。確かにあんまりね。だから、朗報。あなたたちに助かる機会をあげる」
 タージャは微笑をたたえたまま、無言を貫くバサドをじっと見据えた。
「これから、ダブゥとハージブちゃんを監視付きで釈放するわ。もし二人が、処刑日までに本物の盗人、もしくは盗まれた宝を見つけだせたなら、無罪放免、バサドのことも釈放してあげる。どう?」
「……狙いはなんです、タージャ・ミラルカ」
 ハージブのたじろいだ様子の問いに、タージャは細い顎に手を宛がう。
「あら、ただの善意よ。冤罪だ、冤罪だ、ってうるさいから。そこまで言うなら、自ら冤罪を晴らす機会をあげようかなーって思っただけ」
「もし――期日までに見つけられなければ」
「予定通り、バサドの首を刎ねる。もちろん、あなたたちにも戻ってもらうわ。そうね、遅かれ早かれ、あなたたちも処刑されることでしょう」
 タージャは己の細い体を抱きしめて、身もだえた。
「安心してちょうだい。バサドの首はあたしが責任とってもらってあげるから!」
「っふざけんな、この変た――」
「慈悲深い提案だ。二人を出してやってくれ、タージャ」
 ダブゥのわめきを遮り、バサドは擦れた声で言う。
 タージャは溜め息をつき、「いい男ね、ほんと。もったいなーい」と呟いた。
 ハージブとダブゥを閉じこめた牢獄が開錠される。二人の囚人は勢いよく飛び出し、バサドのいる牢屋の格子に飛びついた。
「族長! 無事ですかい、ああ……くそ、右目が――なんてひでぇことを!」
 ダブゥが突き出た歯を剥き、汚れた面を涙で濡らすその横で、表情に乏しいのっぺりとした顔立ちのハージブが、短い眉をしかめる。
「族長、納得がいきません。やってもいない盗みの咎で囚われた我々に、いったいなにを見つけられるというのです。こんな、陸の虫を、水に沈めて遊ぶような真似――」
「さあな。少なくとも、三人揃って牢獄入っているよりは、助かる可能性も上がるだろうよ」
 バサドは答え、涙でぐしゃぐしゃの顔をしたダブゥを苦笑った。
「タジ族の男がめそめそするな。いいか、俺たちがなにを負ってスカルトーガに来たのか忘れるな。ここで三人揃って死に絶えれば、タジの民はどうなる」
「ぞ、ぞくぢょお……っ」
 バサドはハージブに目線を送る。二人の間で取り決めた、声を使わぬ暗号を用いて、みずからの片腕に伝える。「いざとなれば、二人だけでも逃げのびろ」と。
 ハージブは険しい顔をし、床を睨み据えたまま、小さくうなずいた。
 それを見て、バサドは久方ぶりに晴れやかな気持ちで、背後の壁に頭を預けた。
 ふと、外から聞こえる歌声に耳を澄ませる。
 先ほどとは違う歌だ。
「聞こえるか。朝から時おり、このお伽話が聞こえてくる。まったく、不遇のタジ族にはぴったりの歌だと思わないか」
「……それは風刺歌〈素晴らしき盗人〉のことですか?」
 バサドは、訝しげにする二人の肩越しにタージャを見据えて、目を伏せた。
「さあ、行け。青き水の加護が、タジの民に幸いをもたらさんことを」


 ごみでも捨てるように、監獄〈虜囚の塔〉から投げ出されたハージブとダブゥは、高々とそびえる外壁と、その先に見える塔の頭を見あげた。
「盗人か宝を見つけろって……たった八日で、なにをどうすりゃいいってんだよ」
 ダブゥは悄然として、にじむ涙を服の袖で拭う。
 ハージブは答えず、頭に巻いたターバンを解くと、目も醒めるようなその青を見つめた。
「……行きますよ、ダブゥ」
 長い壁に沿って伸びる小道を抜け、入り組んだ迷宮のような路地をとぼとぼと歩く。
 疲労に霞む耳に、びぃんと琵琶を弾く音が聞こえ、ハージブは顔を上げる。
 しばらく歩くと、五つの路地が交わったところにある、狭い水場に出た。
 夕餉に使う野菜を洗う女たちがいる。
 その横で、赤いターバンの吟遊詩人が、優雅に胡坐を組んで琵琶をかき鳴らしていた。


 イスカルダにやってきたは、魔人サラードハザ。
 自慢の豪腕をふるい、イスカルダの夜に雷音を響かせり。
 イスカルダに待ち受けるは、魔導師カッカトーラン。
 かの美女とは似ても似つかぬ小娘ひとり。


 歌を聞くなり、女たちがぷっと噴きだし、ふくよかな顔を苦笑させた。
「いいねえ、偽者カッカ様のお伽話。このお伽話を聞くとなんだか元気になるんだよ!」
「偽者カッカ様が、あの馬鹿領主ごと、黄金宮をぶっ壊してくれたら、せいせいするのに」
 ハージブは足を止めた。うつむいて歩いていた背後のダブゥが背にぶつかり、文句をわめきたてるが、ハージブはそれを無視して、真っ直ぐに詩人に足を近づけた。
「失礼。その偽者カッカのお伽話、詳しく聞かせてはいただけませんか」
 詩人が手を止める。
 女たちも訝しげに二人を振りかえり、二人が頭に巻いたターバンの色が青いことと、漂ってくる悪臭とに気づくと、あからさまに身を引いた。
「なんだい、残飯喰らいのタジ族さん。水場で、いやあな匂いを漂わせないでくれ」
「偽者カッカ様の話を聞きたいって、まさかまたカッカ様にご迷惑をかけようってんじゃないだろうねえ?」
「ええ、その通りです」
 女たちの揶揄など意にも返さず、ハージブは詩人を見つめる。
「古より恩義ある魔導師カッカトーラン様に、いまひとたび相見えることが叶うならば、まさしく此度もお知恵を授けていただきたいのです。――領主によって、盗人の嫌疑をかけられ、虜囚の塔に囚われている我が族長を、救っていただきたく」
 詩人は目を見開き、ふっと面白げに微笑んだ。
 ハージブの背後では、ダブゥが「へ?」と二足ほど遅く、呆けた。