小説(長編小説)金貨と魔人の爪先|第一幕 4



 釈放の手続きを終えて、外に出ると、二頭の駱駝がカッカトーランを待っていた。一頭目と縄でつながれた二頭目の駱駝の背には、すでに先ほどの麻袋が積まれていた。
 本部の窓辺を振りかえると、どこか沈んだ面持ちの団長と団員とがこちらを見つめていた。カッカトーランの視線に気づくや逃げるように顔をそらす。
 カッカトーランは首をかしげつつ、口を左右に咀嚼させている駱駝の首を掻いた。
「さて、しばしの相棒殿。眠たかろうが、家までよろしく頼むぞ」

 イスカルダは、先ほどの騒動が嘘のように静まりかえっていた。
 時折、窓辺に人影がちらつくが、もう顔を覗かせることはない。元の通り、暗く優しい平穏な夜だ。
 と、門をくぐりかけたところで、路地から人が飛びだしてきた。
 目が落ち窪むほど憔悴した商人風の男は、駱駝の足元に身を投げだす。
 カッカトーランの懐にしまわれた魔人入りの箱が怒った様子で暴れだした。カッカトーランはそれを手で押さえ、男を見下ろした。
「逃げだした魔人を捕まえてほしい。それがおぬしの頼みじゃったな。仕事は確かに終えた。まだほかになにかあるのか?」
 男は哀れっぽく顔を上げ、カッカトーランの胸元を血走った目で探った。
「魔導師様、ご冗談を! それを返していただくのがまだです。それは私のものだ。私の魔人だ。おお、偉大なる魔導師様。逃げだした魔人を私のために捕まえてくださった!」
『おのれ、醜い人間が。私の魔人だと!? 何様のつもりだッ』
 カッカトーランは懐からわめく箱を取りだし、男の眼前に差しだした。
「ふむ。これが欲しいというわけじゃな?」
『ま、魔導師、やはり貴様……ッ』
「欲しい。私が買った。闇商から買ったのだ。願いがなんでも叶う魔道具だと。有り金をはたいた。私のものだ。私の魔人様! 私の願いをなんでも叶えてくださる!」
「じゃが、おぬしはすでに魔人に二回願いを叶えてもらったはずじゃ。違うか?」
「もっとだ、ちっとも足りない。私はもっともっとたくさんの金が欲しい……!」
 カッカトーランは首を傾げた。
「おぬしの屋敷、ずいぶんと豪華であったの。あれは誰が造ってくれた? 誰がおぬしにその成金趣味な服を揃えてくれた。……もう十分であろう。あれで足りぬというならば、屋敷を売って、それを元手に商売をいたせ。そして昼の世界で、真っ当に生きることじゃ」
「今さら商売だと!? 魔人に願えば、一夜にして金持ちになれるというのに!」
「もうなったではないか」
 男はまじまじとカッカトーランを見上げ、は、と嘲り笑いを発した。
「分からないのか、金は使えば消えるんだよ。なくなるんだ。なんにもなくなる! おいおいなぜ分からない。私は、今ある金がなくなった後の話をしているんだ!」
 答えずに黙すカッカトーランを、男は信じがたい馬鹿でも見たように見上げる。
 ふいにその形相が、元の形が分からぬほど醜く歪んだ。
「そうか、忌々しい〈夜の民〉め。魔人を独占する気なんだな。下賤の〈昼の民〉になど、魔人をくれてやる気にはならないというわけか。そうだよなあ、そんな便利なモノ、手放す気にはならないよなあ……っ」
「便利なモノ?」
 魔導師は顔を曇らせた。
「のう。箱の蓋を開けたとき、中から現れた魔人はどんな表情をしていた? 金が欲しいと願ったとき、どんな瞳をしていた。おぬしが「モノ」と断じた魔人には心があるのじゃぞ。おぬしの言葉に傷つき、怒り、涙する心が」
「なにを言ってるんだ? 魔人に心? あんな連中、ただの便利な道具だろ――ぐぇえっ」
 背から引き抜いた黄金槍の石突きを、カッカトーランは無言で男の腹に叩きこんだ。
 男は腹を押さえて地面をごろごろと転がりながら、魔導師の突然の暴挙に狼狽える。
「お前になぞ、魔人は絶対に渡さん。どうしてもと言うなら、力づくで奪ってみよ!」
 涙に濡れた目で見据えられた男は硬直する。
 どうしたわけか、魔導師の翡翠の目が恐い。目の前にいる小娘が、得体の知れぬ化け物に見え、唇がわななく。
 男は鼻先に突きつけられた黄金槍の穂先をより目で凝視し、ふいに悲鳴をあげて、砂の上を這って逃げだした。
 カッカトーランは長いこと沈黙してから、がっくりと肩を落とした。
「……ああ、やってしまった。目に魔力を乗せてしもうた。これじゃ、まるきり強奪じゃ。どうしてわしはこう、説得ってものが苦手なのか――んん?」
 足元に人影が伸びてきたのでどんより顔を上げると、いつの間にか赤いターバンの詩人が側に立っていた。
 詩人はひげを撫でながら、社交的に微笑した。
「今宵はありがとうございました。おかげさまで、楽しいお伽話が作れそうですよ」
 カッカトーランは黄金の槍を背に収め、苦笑した。
「こちらこそ、さっきの一曲はなかなかよかったぞ。次はどこへ行くのじゃ?」
「東回りで、水道橋都市スカルトーガへ。なんでも、かの有名な強欲領主バンドールの宝物庫に盗人が入ったとかで……おっと、いけない。それはまたお伽話に仕立てたのち、歌をもってお聞かせするとしましょう。――それではまたの夜に、偽物カッカ様」
 詩人が夜闇に姿を消した。
 カッカトーランはすっかり大人しくなった懐を見下ろして、駱駝の腹をとんと蹴った。


 開かれた門を抜けると、一面の砂漠が目の前に広がった。
 駱駝は主と荷を振り落とさぬよう、砂丘の尾根をゆったりと歩きはじめる。
 風紋の描かれた砂地に足跡が刻まれ、風にさらわれては薄れていった。
『おい、ちんくしゃ魔導師。さっきのあれが、お前の言っていた客だろう』
 ずいぶん長いこと黙りこくっていた魔人サラードハザが、ようやく声を発した。
「うむ、おぬしが鼻くそでも放るみたいに、指で弾いていた屋敷の主じゃ。あの男におぬしを捕まえてほしいと頼まれた。返してくれとは言われなかったがな」
『……貴様の目的はなんだ。貴様は……いったい、なんなんだ』
 カッカトーランは箱を取りだし、三日月の模様が施された蓋をあっさりと開けた。
 躊躇いなく開けられた蓋の奥から、網に包まれた魔人を取りだし、指で弾いて網をぱちんと壊す。自由の身となったサラードハザは、小人の大きさのまま駱駝の頭に胡坐をかいた。重みを感じてか、駱駝が鬱陶しそうに耳を震わせる。
 突然、解放されたことに戸惑うサラードハザの顔を、カッカトーランは覗きこんだ。
「白布に頼まれた。おぬしを連れてくるようにとな」
『白布? 白布とはなんだ。魔人か?』
「白布はわしの魔人じゃ」
『わしの魔人、だと?』
 魔人は苛立たしげに鼻を鳴らした。
『白布なんて名は聞いたことがない。どこの三流魔人だ』
「確かに〈豪腕の魔人サラードハザ〉みたいに有名ではないのう。おぬしの物語は、お伽話にも数多く残されている」
『ふん。人間の美姫をかどわかして魔導師に仕置きをされるだの、岩山と間違えられて人間に背中を登られ怒り狂って食っただの、人間が好き勝手にこしらえたお伽話だろう』
「あれはまったく嘘っぱちのお伽話なのか?」
『そういうこともあったかもしれんが、悪者のように語られるのは腹が立つッ』
 憤って、魔人は気まずげにひげを撫でた。
『白布とやらはなぜ我に会いたがる。貴様は我を知っているようだな。我の……』
 サラードハザは夜風に転がされる砂粒よりも微かな声で、ぽつんと呟いた。
『人間どもへの怒りを』
「それは白布に直接訊いてくれ。どのみちおぬしは魔導師の言葉など信じないであろう?」
 その言葉にサラードハザは顔を曇らせ、どうでもよさそうに駱駝の頭に寝転がった。
『なにもかもお見通しか。いい。好きにしろ。我は疲れた。もうどうでもよい』
 サラードハザは頭上でまたたく星々を見つめた。
『まったく、すべてがどうでもよいことだ……』
 二人は駱駝の背と頭に揺られる。
 ゆったりとした時間が流れ、月がどこまでもつづく砂の水平線に接する。
 月光は淡くなり、夜はいよいよ暗さを増した。
 振動が心地良く、気づけばカッカトーランは駱駝の背で居眠りをしている。
 サラードハザは目を閉じて揺れを楽しんでいたが、ふいにぱちりと目を開けた。
『おい、ちんくしゃ魔導師。起きろ』
 カッカトーランはよだれを拭いながら、寝ぼけ眼で首を巡らせる。
 辺りは一面の砂の海から、巨大な岩山が無数にそびえる岩石砂漠へと変化していた。
「む。もう着いたのか?」
『行き先を知らんので答えようがない』
 サラードハザがつっけんどんに答えた、そのときだった。
 後方にいた駱駝が突如として寄声を発し、四肢をめちゃくちゃに暴れさせた。カッカトーランを乗せた駱駝も、もう一頭の狂乱を感じて錯乱する。
 カッカトーランは棹立ちになった駱駝から転がり落ち、砂の上に倒れた。素早く身を起こし、暴れる駱駝の足元から逃れる。
 そして麻袋の乗った駱駝の方に目を向け――そこに不気味な光景を見た。
 駱駝の背に奇妙なものが群がっていた。
 しっかり固定された麻袋に圧しかかり、肉がどろどろに腐り落ちた人間が、外れた顎をさらに開きながら呻き声をあげているのだ。
 無念にも砂漠に死した生き物の躯から生まれた死の精霊――邪霊である。
「邪霊!? いつからあんな……」
『さっき、起きろと言ったときだ』
 いつ開いたのか、麻袋の口からなにかが覗いていた。その正体に気づいて唖然とするカッカトーランの肩に舞い降り、魔人が皮肉げに笑った。
『ほう。箱やら瓶やら袋やらに封じられるのは、魔人の専売特許かと思っていたぞ』
 袋の口から飛びだしていたのは、枯れ枝のように細った、子どものものらしき腕だった。
 カッカトーランは槍を振るって邪霊を払い、子どもの腕に手を伸ばした。
『ドケ……、ドケ……』
『コレ、我ノモノ……、我ノモノ……』
 片言の言葉を喋りながら、邪霊はカッカトーランをも巻きこみ、麻袋に群がった。
『おおい、魔導師。どんどん来るぞ』
 カッカトーランは髪を引っ張り、顔を引っ掻いてくる邪霊を押しのけ、視線を巡らせた。
 岩山の影から次々と邪霊が溢れだし、砂を這うように近づいてきていた。
 ままよと子どもの腕を力任せに引っ張る。
 そして、呆気にとられた。
「なんじゃ、死体か! てっきり生きた子どもかと……」
 袋から出てきたのは、子どもの木乃伊だった。黒褐色の癖っ毛はぱさつき、褐色の皮膚は骨に張りつき、干からびている。頬は落ち窪み、閉ざされた目は小刻みに痙攣し――、
 生きている。
 砂漠に置き去りにされて、黒焦げになった死体のようなありさまなのに、息をしている。
 カッカトーランは驚きに目を見開き、
「――〈金貨〉」
 黒焦げた頬にある「紋様」を見つけ、さらなる衝撃を受けた。
『ホシイ、ホシイ……。ソレ、ホシイ……』
 一斉に合唱を始める邪霊。カッカトーランははっとし、子どもを担いで駆けだした。
『……我に手伝えと命じないのか、魔導師よ』
「おお、手伝ってくれるのか!?」
 黒い瞳を輝かせる魔導師に呆れた顔をし、サラードハザは小さく溜め息をついた。
『まったく、妙な魔導師よ……』
 空を仰ぐように胸をぐっと反らす。その姿は見る間に巨大化し、イスカルダで暴れていたときの半分ほどに膨れ上がった。
 豪腕を伸ばし、追いすがる邪霊たちを手で払いのけると、カッカトーランと子どもとを、巨大な手のひらで掴んだ。
『あいにくと疲れている。邪霊を追い払うケチな力を振るう気はないぞ。さあ、行き先を告げよ、魔導師』
「このまま真っ直ぐ走ってくれ!」
 サラードハザは答えるよりも先に駆けだした。
 岩山の間を吹き抜ける風が、不気味な悲鳴をあげる。風に流された砂粒が、魔人を先導するように地表を走りだした。
 そして砂の流れこむ先にそれはあった。
 砂と岩とで覆われた大地を、真一文字に切り裂く巨大な渓谷。
 底は闇に呑まれて見えず、轟々と吹く風が激流のごとく流れている。夜風が吹くたび絶壁を砂粒が流れ落ち、まるで砂の滝のようだった。
「そのまま谷に落ちてくれ!」
 サラードハザは驚愕した。大股で走る十歩先は、もう垂直に落ちこむ断崖絶壁だ。
『なにか考えがあるのだな、魔導師?』
「ないが、ある!」
 恐ろしい返答だったが、サラードハザはそれ以上時間を無駄にはしなかった。しっかりとカッカトーランと少年を掴む手に力を篭めると、地面を力いっぱい蹴り上げる。
『しかと掴まっていろ、人間よ』
 断崖絶壁に身を躍らせた魔人の重たい体躯は、闇を突き破るように、一直線に落ちていく。
 邪霊たちは、獲物を見つけた鳥の群れのように、後を追って谷へと飛びこんだ。