喉笛の塔はダミ声で歌う
第62話 戴冠の火
大公宮、その謁見の間に現れたオースター・アラングリモを目にした貴族たちが、ざわりと揺れた。
車椅子に乗り、従者にそれを押させている姿に、だれもが目を見開き、そばにいた者たちと囁き声をかわす。「ドファール家に大公の座を譲った理由がこれか」という納得の声が大半だったが、中には大公の座を逃したオースターを蔑む声も交じっていた。
「無礼者どもめ」
左隣を歩いていたジプシールが小声で毒づく。右隣にはオルグがいるが、表情は講堂での対話からずっと固いままだ。
当のオースターは陰口を叩く貴族たちににこやかに会釈をした。オースターが大公国中を混乱させたのは事実だし、彼らにかまってもいる時間もない。
いま、気にすべきことはただひとつ。
喉笛の塔から、トマを助けだすことだけだ。
ルピィは謁見の間の奥まったところにいた。銀髪によく似合う、白地に銀の刺繍がほどこされた礼装に、大公だけが身にまとうことを許されるマントを羽織っている。前大公は赤いマントだったが、ルピィは深い藍色だ。
ルピィは挨拶に来た者たちを遠ざけ、次々とやってく配下からの報せを聞き、指示を出しては送りだす……と忙しそうにしていた。
「ルピィ・ドファール閣下。新大公就任に心よりのお祝い申しあげます」
オースターはルピィのそばまで車椅子を進め、形式どおりの台詞を口にした。かたわらのジプシールとオルグがすみやかにかしずく。
オースターも車椅子をゆっくりと下りて、その場にひざまずいた。床に垂れたマントの裾を持ちあげ、忠誠の口づけを捧げる。
「我が友よ、どうか立ちあがってくれ。私と貴公の間には友情のほかにはなにもないのだから」
ルピィは大げさな口調で答え、オースターの両腕を掴んでて立たせた。
オースターは「感謝します、閣下」と答えながら、口元が引きつりそうになるのをどうにかこらえる。「演技がくさいよ」と小声で言うと、ルピィはにっこりと笑ったまま「貴様がな」と険悪に答えて、腕から手を離した。
「それで、ホロロ族はどこに?」
ルピィが問うてくる。すでにクラリーズ学園の講堂で話した内容は、ジプシールによってルピィの耳にも入っている。
「もう、ここの地下に着いているよ。僕もこれから彼らと合流し、〈喉笛の塔〉に向かう。そして、塔の外からトマへの呼びかけをおこなう。タイミングは、夕刻の戴冠式、君の演説のあとだ」
ルピィはうなずくかわりに、「五人よこせ」と言った。
「塔についてはおまえに任せるが、それとは別に、戴冠式にもホロロ族を招きたい。私とともに登壇させる」
オースターは目を見開く。ルピィは薄く微笑んだ。
「威厳のある者、見目麗しい者を五人選び、すぐに大公宮にのぼらせろ。衣装合わせをさせる。――せっかくだ、せいぜい派手にやってやろう。異民族丸出しの衣装で、ごてごてに飾りたて、あたかも世界の終焉を阻止しにきた救世主のように演出してやる」
オースターは急いでうなずいた。
「わかった、すぐに五人を選んでくるよ」
「――ホロロ族を、大公宮に入れるの?」
わずかに驚いた調子で、オルグが言った。オースターだけでなく、ルピィまでもがあっけなくホロロ族を受け入れたことに動揺したようだ。
オルグの拒絶の心を察したのだろう、ルピィは彼を一瞥し、口を開いた。
「共に生きねば生き抜けないというなら、相手が誰であれ、共生の道を選ぶまでだ」
簡潔な答えに、オルグが言葉を詰まらせる。
そのとき、ルピィの配下がやってきて、小声で告げた。
「閣下。北からの難民がそろそろ到着しますが、計画どおりでよろしいでしょうか」
「かまわない。病人、老人、女子供を優先的にシティハウスに迎え入れろ。そのほかは工場地帯へ。軍を配備し、決して暴動が起きぬよう目を光らせろ」
「支給品の準備がまだ整いきっていませんが……」
「いい。まずは『今日』を生きのびる」
貴族が有するシティハウスのなかには、使われていないものも多い。本邸もあるし、別宅を複数に持っている者もいるからだ。それらを、北から迫ってくる〈汚染〉から避難してきた者たちに提供する。工場地帯のほうは、そもそも停電で動いていない施設が山のようにある。環境は悪いが、数千人にもなるという難民を受けいれるには、いったんそこを使うほかない。さいわい冬ではない。この季節なら、電気のない工場でも寒さに凍えることはないだろう。
食料や毛布、生活用品など、配給できる品も限られるが、ともかく、まずは「今日」を乗りきるほかないのだ。
(今日が正念場なんだ。戴冠式はもちろん、トマへの呼びかけがうまくいかなかったら、ランファルド大公国は終わりだ)
まさに世界の終焉だ。
汚染はすぐそこまで迫っている。
「じゃあ、僕はもう行くよ。地下のホロロ族と話をしてくる。ジプシール、君は予定どおり、アラングリモ家の名代も兼ねて、この場に残ってくれ。戴冠式は任せたよ」
オースターは首肯するジプシールをその場に残し、ルピィに退席の挨拶をして、硬い表情のままのオルグをうながした。
謁見の間をあとにして向かったのは、大公宮の地下にある食料貯蔵庫だ。
たくさんの棚でひしめく貯蔵庫の奥、石床の一角に、よく見なければわからないほど小さな取っ手がある。
従者のラジェが取っ手を引きあげると、床に四角い穴が開いた。はしごつきの縦穴が闇へと伸びている。
アキが教えてくれた、大公宮と地下水道をつなぐマンホールのひとつだ。
「おーい! みんな、いる? オースターだ!」
縦穴をのぞきこみ、声をあげると、闇のなかで蓄電池式ランタンの光が応えるように左右に揺れた。
ホロロ族だ。下水道のあちこちで作業をしていた数百人のホロロ族が、オースターの呼びかけに応じ、大公宮の地下水道に集まってきていた。
「よし。……オルグ。ちょっと地下におりて、五人を選んでくるから、ここで待っていて。――今からオースターが下に行きます!」
オルグとラジェに声をかけてから、オースターはふたたび縦穴に向かって声をあげた。途端に、ラジェが「なりません!」と止めにかかってきた。
「そのお体で下水道におりるなど……!」
「時間がないんだ、ラジェ。大丈夫、そんなに長いはしごじゃなさそうだ。すぐ戻るから」
ラジェは渋面をつくるが、「時間がない」と言われてしまえば黙るほかない。
だが、いざ車椅子をおり、はしごに足をかけると「駄目かも」と思った。まったく足に力が入らない。腕の力だけでおりるのも無理そうだ。目を覚ましてからというもの、ともかく体の動きが鈍かった。
(それでも行かなくちゃ。動け、両足)
オースターが覚悟を決めて、萎える足を叱咤した――そのときだった。
「待って!」
オルグだ。今にも泣きだしそうな顔をして、縦穴に視線を落とす。
「……ぼくが、行くよ」
オースターは目を見張った。
「オルグが? 下水道に? ……でも」
「市民の目線で、頼りがいがあるって思えるようなホロロ族を、見つくろわなきゃいけないんだろう? だったら、ホロロ族びいきの君じゃ役者不足だ。だから……ぼくが行く」
体が熱くなる。オースターは返す言葉もないまま、すぐにその場をゆずった。
オルグは悲壮感たっぷりの顔で「汚れたら、衣装代、アラングリモ家に請求するからね」と言って、おそるおそるマンホールに入っていった。
姿が見えなくなっても、しばらく「ひっ」「わ」「ぐぅ」と奇声がしていたが、しばらくして「ランタンよこせよ」とホロロ族に居丈高に命じているのが聞こえたので、無事に下に到着したようだ。
やがて五人のホロロ族が地下貯蔵庫までのぼってきた。所在なげに身を小さくするが、オースターが「お疲れさま」と声をかけると、ほっとしたように口の端っこでほほえんだ。
「ありがとう、オルグ。そしたら、五人のことは任せていいかな。僕はこのまま〈喉笛の塔〉に向かうから」
五人のホロロ族につづいて上まで戻ってきたオルグにおそるおそる声をかける。
オルグは汚れた服を嫌そうに見下ろしながらも、「任せて」とはっきり口にした。
地下におりる前とは、別人のように力強い表情だった。
オースターは顔をほころばせ、大きくうなずいた。
そして、ふたたびマンホールに顔を近づける。
「マシカ、いるね? これから僕は塔に向かう。打ちあわせたとおり、途中で落ちあおう!」
地下から「はい」と枯れた声が返ってくる。オースターは背後に控えるラジェを振りかえった。
「さあ、急いで塔に行こう」
***
日が傾きはじめた。秋の澄んだ空は薄紅色の絵の具を溶かしたようだ。美しい空だった。
だが、人々は夜が近づきつつあることに、どうしようもないほどの恐れを抱いていた。
喉笛の塔が、歌わない。
それはつまり、電気が供給されないということだ。
これからランファルドには真の暗闇がやってくる。闇に包まれてしまえば、目をそむけていた不安からも、逃げられなくなるだろう。
不安にせきたてられるように、人々は大公宮の門前広場に向かう。「夕刻、門前広場で戴冠式が行われる」という通達があったからだ。この異常事態のさなか、ドファール公爵家の嫡子が、新大公として冠をいただくらしい。「なぜ今」という疑問も、「皇太子はアラングリモ家の嫡男だったのでは」という疑念もあったろうが、戴冠式に行けばすべてがわかるはずだ、と人々は足をはやめた。
広場に向かう理由はそれだけではない。たくさんの篝火が焚かれた広場は、遠目にもわかるほど明るかった。人々はあたたかい火と、そして明るい光を求めていた。
だが、いざ広場にたどりついた人々は背筋を震わせた。
ちょうど新大公が立つだろう壇の向こうに、〈喉笛の塔〉がそびえたっているのが見えるのだ。
赤々と染まった空に、無数の黒い手をまとわせた塔の様子は、昼間に見たよりもなお禍々しく見えた。
人々の恐怖と不安、熱狂が、高まっていく。
そのとき、ついに戴冠式開会のラッパが高らかに吹きならされた。
人々は藍色のマントを翻し、颯爽と登壇する新大公の姿に見惚れる。
ルピィ・ドファールは壇の中央まで足を進め、立ちどまった。人々の歓声を沈めるために手をあげる。ゆとりすら感じさせるほどに鷹揚に。
声が静まり、赤子すら泣くのをやめたころ、ルピィはようやく口を開いた。
「偉大なる前大公より譲位を受け、ルピィ・ドファールがここにあらたな大公としてたつ。だが、見てのとおり、事態は急を要する」
前大公が逝去したことは告げず、ルピィは簡潔にそう伝える。そして、わずかに身をずらし、人々の意識が広場の背後の断崖の上にそびえる喉笛の塔に向くよう仕向ける。
落ちゆく夕日によって煮えたぎる赤い空。塔はいまや影となり、その周囲には無数の黒い手がゆらゆらと蠢いている。
ルピィがなにかを説明する必要はなかった。
そこには、明確な「悪」があった。
「恐れるな、我が民よ」
ルピィの澄んだ声に、人々ははっと身をただす。
「ランファルドの民はこれまで幾度となく苦境を乗りこえてきた。世界の名だたるふたつの大国は、この〈汚染〉によって滅びた。だが、小国と侮られてきた我らの国はどうだ。まだここにある。今なおこの地にある」
ルピィが腰に帯びた剣を抜きはなち、天高く振りあげた。
「誇りたかきランファルドの民よ。今よりともに、ふたたび戦おう!」
背後の「悪」を滅ぼさんとするように剣を掲げる新大公の姿に、人々は熱狂の歓声をあげた。そして、その声が静まらないうちに、ルピィのそばに五人の不思議な姿をした者たちが現れた。
浅黒い肌をした者たちだ。美しい極彩色の羽の冠を頭にのせ、極彩色の衣装を身にまとっている。伏し目がちな黒い瞳は、炎を受けて赤々と輝き、頬にある不可思議な模様が、衣装によく映えている。
それらは普段、人々が「ドブネズミ」と呼び、蔑んでいる者たちだったが、きらびやかな衣装をまとった姿を見て、それがあのネズミたちだと気づく者はいなかった。いや、連想した者は少なからずいたが、彼らが戴冠式の場にいるはずはないという思いが、その考えを打ち消す。
壇上に現れたホロロ族は威厳があり、そして途方もなく神秘的だった。
***
「すごい……。歓声がここまで聞こえる」
戴冠式の様子を、〈喉笛の塔〉監視所のそばから望遠鏡で眺めていたオースターは感嘆の息をついた。
広場には途方もない数の人々が集まっている。入りきらなかった人々が、できるだけ高層の建物の屋上に集まっているのも見てとれた。それぞれが手燭を持ったり、蓄電池式ランタンを掲げたりして、まるで都中にいっぱいの星明かりを集めたようだった。
望遠鏡をおろし、首を巡らせると、すぐそばにはたくさんのホロロ族が集結している。〈喉笛の塔〉からもっとも近いマンホールから、地上にあがってきた者たちだ。
下水道に侵入した〈汚染〉の対処のために、全体の半数近くがまだ地下水道にとどまっている。だが、地上にもこうして百人近くが集まってくれた。
けれど、人数の多さがオースターに心強さをもたらすことはない。
ホロロ族の大半は、胸が痛むほどに憔悴し、青ざめ、恐怖に震えていた。
(うまくいくのかな)
一抹の不安がよぎるが、すぐにふりはらう。
うまくいかなければ、あとがない。なんとかするほかないのだ。
それに……。
オースターはすぐ隣に立つマシカを見あげた。やはり青ざめてはいるが、瞳は活力をとりもどしていた。喉笛の塔を前にして、覚悟が決まったのだろうか。
マシカだけではなく、アキもいる。信用する気にはなれないが、それでもアキには「ロフの〈喉笛〉を取りかえす」という絶対の目的がある。なら、少なくとも今だけは、目的を同じにした仲間と思っていいだろう。
そして、小さなルゥ。車椅子の横に立ち、オースターの手をぎゅっと握りしめた少女の笑顔は、いつもオースターの心をふるいたたせてくれる。
「オースター、もう監視所に入れるよ」
一足はやく〈喉笛の塔〉監視所に入り、バクレイユ博士や職員たちと交渉を進めていたコルティスが、外に出てくる。
「ありがとう。バクレイユ博士は?」
「中にいるよ。怖いぐらいに協力的。ホロロ族が塔のそばからトマに呼びかけたらなにが起きるのか、関心があるみたいだ」
「そうか。わかった」
オースターはこくりと喉を鳴らし、マシカ、ルゥ、アキ、そして大勢のホロロ族たちを振りかえった。
「行こう。喉笛の塔へ」