喉笛の塔はダミ声で歌う

第33話 白い虚飾

「オースターはこのまま医務室に行って。ぼくは教室に戻って、ジプシールやオルグともうすこし話してみるよ」
「わかった。じゃあ、また午後に」

 コルティスと別れ、オースターは石の廊下をひとり歩く。
 すでに次の授業開始の鐘は鳴り、廊下は怖いぐらいにしんと静まっていた。
 窓から外を見る。
 庭は霧に包まれ、木々の影がかろうじて見えるぐらいだ。
 前触れもなく、全身に鳥肌がたった。
〈喉笛の塔〉が歌うのだ――そう思っても、塔からの歌は、あの悲鳴は、聞こえてこなかった。
(いやな感じだ……)
 なにかが霧のなかを、ひたひたと音もなく迫ってきている。
 そんな気がして、オースターはぶるりと身震いをした。



 午後になって学舎を出ると、町全体が乳白色の霧に溶けこんでいた。
「霧が深くなってきたね。遠くのほうで雷も鳴っているみたいだ。降るかな?」
「降っても問題ないさ。帰りも送ってもらえるんだろう? さすがの高待遇だねえ。ぼくなんか、電車が止まってからずっと、辻馬車を使ってたっていうのにさ」
 オースターとコルティスは、最新型の電気自動車の座席に座っていた。
〈喉笛の塔〉からの迎えの車である。
「僕は、辻馬車でよかったんだけど……」
 くつろいだ様子で背もたれに体を預けるコルティスを羨ましく見て、オースターはぼやいた。
 多くの貴族は、馬車から電気自動車に鞍替えしたが、アラングリモ家はいまだに昔ながらの馬車を使用している。おかげで、どうにも尻がなじまない。馬がいるべきところに馬がいない馬車、といった感じで、違和感がひどいのだ。
 黒塗りで、屋根があり、箱型の車体の前部外側に運転席がついていて、前照灯があり、四輪――というところまでは馬車と同じなのだが。
 ちなみにコルティスは、運転手に「馬車でも拾うように」と邪険されたのだが、オースターが「なら、僕も馬車で行きます」と言ったら、渋々ドアを開けてくれた経緯がある。
 車は急坂をなかなかの快調さでのぼって、官庁街の壮麗な建物群のなかを走る。
 途中、バリケードの張られた場所に出くわし、三度ばかり迂回するはめになった。
 崩落事故の現場だ。
 はじめて目にする現場はやはり霧に飲まれ、バリケードと、復旧工事をする作業員の姿が白くかすかに見えるばかりだ。
 やがて渓谷にかかった陸橋を渡り、大公宮のある断崖に築かれた道をのぼりはじめる。
 霧はますます濃く、大公宮に隣接しているはずの〈喉笛の塔〉の姿すら見えない。車もかなりの低速だ。
 ようやく坂をのぼりおえたところで、無数の人の声のようなものが聞こえてきた。
 オースターは窓に顔を寄せる。
 霧の向こうに、人影がぼんやりと立っているのが見えた。
「〈喉笛の塔〉に不信感を持ったひとたちが、塔の稼働停止を求めて集まってるんだ。ほら、プラカードを持ってる」
 コルティスが顔を寄せ、耳打ちしてくる。
「この霧じゃ、誰も読んでくれないだろうけどね」
「……こんな大公殿下のお膝元で」
 以前、ジプシールが言っていたことを思いだす。大公殿下の治世に不満を持つ人たちが、街頭に立ち、不届きな演説を繰りかえしている、と。
 あのときは信じられなかった。これほど平穏な世界を用意されて、それに不満を抱くだなんて、と理解に苦しんだ。
(僕よりもずっと世界の正しい姿が見えていたんだ)
 オースターの世界はずっと霧のなかにあったのだろう。今は霧のなかであがく人たちの姿がよく見える。
 車が抗議の人たちを蹴散らすようにして、煉瓦の壁沿いを走る。
 隧道に入った。
 暗闇のなか、前照灯だけを頼りに走るうちに、やがて霧が薄れ、信号灯を揺らす係員の姿が見えた。
 停車し、下車したオースターは、係員に笑顔で出迎えられる。
「〈喉笛の塔〉環状監視所へようこそ。オースター・アラングリモ皇太子殿下」



 係員が重たげな鉄扉を開けた。
 その瞬間、隙間から漏れた白い電灯の光が目を焼いた。
 細めた目に飛びこんできたのは、「白」だった。
 白い壁に、白い廊下が、ゆるやかな弧を描きながら左奥に向かって伸びている。

(この明るくて清らかな建物が、〈喉笛の塔〉監視所……)

 トマの話を聞いて以来、〈喉笛の塔〉や監視所に対しては、暗く、重苦しい印象を抱いていた。
 だが、いざ来てみれば、近代的で、明るい印象の建物だ。
(けれど……)
 図書室で読んだ資料によると、塔に使われている石材は、石灰岩。
 かつてランファルドの地下では、石膏や石灰岩の採掘が盛んに行われていた。近場で手に入り、運搬も楽ということもあって、戦後、急ぎ建てられた塔の建材としても選ばれたのだろう。
 百年以上にわたって、石膏や石灰岩が採掘されてきたランファルドの地下には無数の空洞がある。それらの空洞や、蟻の巣のように張りめぐらされた坑道は、下水道を建造するのに有利に働いた。フォルボス衛生局局長が「我が国の下水道は、科学大国フラジアにすら勝る」と豪語していたが、下水道として再利用するのに適した地下道が無数に開いていたことこそが、下水道発展につながったのだ。
 そして、下水道と、採掘場の囚人労働者収容所の存在は、ホロロ族を市民の目から隠すのに一役買った……。
 その事実を思えば、目の前の白い世界をもう、明るくて清らかな世界だと思うことはできなかった。
 これみよがしに「白」を強調した〈喉笛の塔〉は、繁栄の象徴として人々からあがめられているが、こんなもの、ただの虚飾にすぎないのだ。
「まずは主立った研究施設をご案内しましょう。コルティス君、君は自分の持ち場に向かいなさい」
「お気になさらず。今日は、職場の先輩としてオースター君に付き添いますので」
 勝手に決めるコルティスに、係員は顔をしかめる。オースターが「体調が優れないので、コルティス君が一緒だと安心です」と言うと、係員は取りつくろうように笑顔をつくった。
「では、どうぞこちらへ」


 歩きはじめた廊下の左右には、等間隔に大きな窓が設けられていた。
 左側――塔の内周側にある窓は真っ白だ。霧である。
 時どき、霧が薄まると緑の芝が見えることから、中庭かなにかだとわかる。
 右側――弧の外周側の窓を覗くと、白衣姿の研究員や、恐ろしげな鉄面をかぶった者たちが、なにかの装置を操り、作業をする室内の様子が見えた。
「ご覧のとおり、当監視所はリング状の建物となっています。地下二層、地上二層の円形の建物で、円の中心となる中庭に〈喉笛の塔〉が建っています」
 オースターは驚いて、左側の窓を振りかえった。
 先ほどよりも濃くなった霧によって、塔は完全に隠されてしまっている。
「霧が晴れたらきっと驚くよ。びっくりするぐらい間近にある」
 コルティスが耳打ちし、オースターはまじまじと霧を見つめる。
「残念ながら、今日は塔の姿をご覧いただけませんが、かわりにこちらの写真で塔の歴史をご紹介しましょう」
 少し進んだ先の壁面に、パネルが展示されていた。職場体験学習などでやってくる生徒や、あるいは投資家などへの紹介用だろう。
 誇らしげに塔の歴史を語る係員に、適当な相づちを打ちながら、パネルを一枚一枚じっくりと観察する。
「これは……?」
 多くは、塔の外観を写したものだったが、二枚だけ屋内とおぼしき写真があった。

「こちらは〈喉笛の塔〉の内部を映した貴重な写真です」

 オースターは目を見張って、写真を凝視した。
 一枚目の写真は、広角でとられたものだ。
 暗闇のなかに、真鍮製の巨大な機械装置が据えられている。
 装置の側面からは、無数のガラス管が真横に伸びていて、塔の内壁にぶつかったところで壁面を這いのぼっていた。
 もう一枚の写真は、接写だ。どうやらガラス管を近くで写したもののようだが、管のなかに小さな物体が浮かんでいるのが見えた。
 オースターは吸い寄せられるように写真に顔を近づける。
 暗いところで撮影したためか、どうにも不鮮明な写真だ。
 だが、その物体は、「石」のように見えた。

「これは……〈喉笛〉ですか?」

 係員は驚いたようにうなずいた。
「よくご存じですね。そのとおり、これこそが〈喉笛の塔〉の燃料です。我々はバクレイユ博士にならい、この石を〈喉笛〉と呼んでいます」

(これがトマたちの喉のなかに……?)

 知っていたつもりだったのに、いざ〈喉笛〉を目の当たりにすると、混乱する。
 まぎれもなく、それは「石」だった。
 体内組織の一部ではなく、石にほかならない。
 磨かれた宝石ではなく、掘りだしたばかりの原石に見える。
 こんなものが喉のなかにあったら、邪魔じゃないだろうか。痛くないだろうか。
 なんて非科学的なのだろう。しかもこれが、「魔法」という不可思議な現象を生みだすだなんて。
 トマの話はすべて信じている。だが、信じている自分が疑わしく思えてくる――そう思った直後、オースターは写真の中にあるものを見つけ、背筋を震わせた。

〈喉笛〉が納められたガラス管に、鉄製の輪が嵌められていた。
 正面には「1」という数字が刻印されている。

(これは、ラクトじいじの〈喉笛〉だ)

 直感でそう悟る。
 ラクトじいじの首輪に刻まれた「1」の文字と、書体がまるきり同じだった。

「この鉱物にはおもしろい特性がありまして。力を加えることによって、『歌う』のです。歌声は、塔の壁面に幾度となくぶつかっては反響を繰りかえし、わずか三秒にして莫大な振動エネルギーを生みだします。それらはバクレイユ博士の開発した機械装置によって電気エネルギーに変換され、都市のあちこちへと送電されます。簡単に言うと、ですが」
「石に力を加える、というのは……?」
「そうですね、さまざまな手段がありますが……もっとも安価なのは、ガラス管の内部を真空状態にしてやることです。奇妙な言い方だと思われるでしょうが、管から空気を抜き、〈喉笛〉を”窒息”させるのです。しばらくして空気を送ってやると、〈喉笛〉は死にものぐるいで『歌い』だす……」
 そこで、係員がわずかに苦笑した。
「不思議と、『痛めつける』と、よく『歌う』のです」
 これはただの石の話だ。
 オースターは自分に言い聞かせる。
「〈喉笛〉から力を引きだす手段が確立していなかった時代には、火で炙ったり、足で踏みつけたりもしたんですよ。今となっては笑ってしまいますが……」
 係員の口調に嗜虐的ななにかを感じたとしても気のせいだ。
 自分が〈喉笛〉と、ホロロ族の境遇とを重ねあわせ、そう感じているにすぎない。
(冷静でいなくちゃだめだ)
 こんなことで怒りで目がくらむようではいけない。
 申し訳なさと、恥ずかしさとで、足が震えているようではいけない。
「〈喉笛〉はどこで入手したものなのですか」
「まだ〈汚染〉など存在しないころの話ですが、バクレイユ博士が個人的な研究目的のため、フラジアより取り寄せたものだそうです。まさか戦後、このような形でランファルドの繁栄に役立つとは、博士も思ってはいらっしゃらなかったでしょう」
「フラジア」より「取り寄せた」。なるほど、たしかにホロロ族は、「フラジアの捕虜収容所」より「招き寄せた」に違いない。
 オースターは拳を握りしめ、口を開く。
「フラジアの、どちらの鉱山で入手したのでしょうか」
 固い口調に、係員がいぶかしむような目をした。
「あいにく、採掘場の場所は秘匿されております。貴重な資源ですから、盗掘を恐れての処置です。もっとも〈汚染地帯〉を突破せねば、フラジアには行けませんし、行けたとしても今まだ、あの大国が存在するのかどうか」
「バクレイユ所長にお会いできますか? もう少し詳しいお話を聞きたいのですが」
「……申し訳ないのですが、今日は重大な会議があって――」
 そのとき、ごうっと大きな風が吹く音がした。
 顔をあげた直後、左側の窓ガラスがびりびりと音をたてて揺れはじめる。
 先ほどまで白一色だった窓だが、今の突風によって霧が流され、中庭が姿を現していた。

 環状監視所に囲まれた庭。
 放射線状に広がる送電ケーブルの中心に、白亜の塔がそびえたっていた。

 オースターは立ちすくんだ。
 見られている、と強烈に感じた。

 息を殺してじっと身をかため、こちらの出方をうかがっている。
 恐怖に見開いた眼で、こちらを凝視している。
 そんな生物めいた息遣いを感じる――。

「〈喉笛の塔〉の内部を見学させていただくことはできませんか」

 口をついて出た言葉に、係員はあいまいに笑ってみせる。
「大変申し訳ないのですが、塔の内部には精密機器が設置されているため、限られた者しか立ち入ることができないのです」
「バクレイユ博士にお願いしても無理でしょうか。”皇太子として”」
 係員は、期待したような追従は見せず、皇太子のわがままと受けとったようだった。一瞬、目の奥にわずらわしさを浮かべてから、社交的に微笑する。
「所長ならばあるいは。――少しお待ちを」
 廊下の少し先にいた白衣姿の研究員に呼ばれ、係員が足早に向かう。
「……オースターってば、そんなにピリピリしてたら、怪しまれちゃうよ?」
 コルティスに声をかけられ、ようやくオースターは息を吐きだした。
「そうだけど」
「そう、あわてなさんな。職場体験学習は今日だけじゃないんだからさ」
「わかってるんだけど」
 どうしてだかわからないが、鳥肌がずっとおさまらないのだ。
 それといっしょに、焦りや怒りや不安がこみあげてきて、どうにも感情のコントロールができない。
「まあ、わかるけどね。いやな感じがするんだろう? 何日か前から、ずっとこの調子なんだよ。ほら、見て」
 そう言って、コルティスが袖をまくる。
 その細い腕にも、やはりびっしりと鳥肌がたっている。
 係員が小走りに戻ってくるのが見えた。コルティスが袖を戻し、オースターも深呼吸をして、どうにか気持ちを落ち着かせる。
「失礼しました。緊急で発注していた備品が到着したようなのですが、品質検査ができる者が私しかいないため、少し外します。コルティス君。殿下のお相手を頼む。君が担当している研究施設を案内してくれたまえ」
 あわただしく去っていく係員。
 その姿が弧を描く廊下の先に消えるまで待ってから、コルティスが肘でオースターを突いてきた。
「ついてるね、オースター。ちょうど霧も濃い、これなら誰にも見咎められずに、あちこち見られるよ」
 そうだろうか。
 オースターはなぜか底の知れぬ不安を感じた。
 窓を振りかえると、塔はふたたび霧のなかへと姿を消していた。

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