喉笛の塔はダミ声で歌う

第34話 監視所の地下

 コルティスの案内で、監視所の内部を見てまわる。
 地上二層、地下二層。塔を囲うように、リング状に建設された近代施設。
 立ち入りに許可を必要としない場所はすべてまわったが、壁も、床も、天井も、霧の侵入を食いとめる窓も、所員の着ている服すらも、すべてがただただ白いばかりで、ほかに注視すべきものはなにもないようだった。

「〈喉笛の塔〉に通じる道はないんだね」

 オースターのつぶやきに、コルティスがうなずく。
「ぼくらが自由に出入りできる範囲内にはないよ。もしかしたら、立ち入り禁止区域にはあるかもしれないけど……」
 コルティスは霧に呑まれた窓の外を見つめ、物憂げにする。
「見たかぎり、塔の側にも出入口はなさそうなんだ」
「でも、博士や、一部の所員は、塔に出入りしているんでしょう?」
「もちろん。〈喉笛〉が魔法の産物だとしても、その魔法の力を電気エネルギーに変えているのは機械だからね、メンテナンスも必要なはずだ。だから、どこかしらに出入り口はあると思うんだけど……」
 オースターは、大きく弧を描く白い廊下を見つめ、口を開く。
「地下、かな」

 〈喉笛〉は、塔の地下深くにおさめられているという。
 つまり、〈喉笛の塔〉の「核」となる部分は、地面の下にあるということだ。
 だとしたら、塔への出入り口もまた地下にあるのかもしれない。もとより、〈喉笛〉を盗む算段をしているオースターが、是が非でも見るべきなのは、監視所の地下部分だろう。

「いま歩いたかぎり、地下に行けそうな階段はなかったね」
 見ることができたのは、地上の二層だけだ。二層あるという地下階にも行きたかったのだが、そもそも階段を見つけることができなかった。
「昇降機もなかったよ。上階行きの昇降機はあったけど、地下に行くのは見かけなかった。となると……」
「立ち入り禁止区域かあ」
 オースターはため息をつく。
「どうにかして地下に行けないかな、コルティス」
 コルティスはうなりながら、廊下の壁に背をあずけて天井をあおぐ。学者先生といえども、名案はなかなか浮かばなそうだ。
 オースターもまたコルティスの隣に立って黙考する。
 しばらくそうやって考えあぐねていると、廊下の奥のほうから複数人の声が近づいてくるのが聞こえた。コルティスが悔しげに顔をしかめ、耳打ちしてくる。
「そろそろ研究室に行かないとまずいかも。地下のことは、馴染みの所員にでも探りを入れるとして、地下道探しはまた次の機会にする?」
「――待って、そうだ」
 ふと思いついて、オースターは顔をあげた。
「死体処理」
 だしぬけに言うと、コルティスは「へ?」と首をかしげた。


「都市伝説発祥の地を見学してやろうなんて、いい度胸してるよ」
 監視所の裏手にある通用口から外に出て、ふたりは倉庫が並んだ裏庭を歩く。
 倉庫が並んだ、と言うが、霧が濃くて倉庫そのものは見えていない。コルティスがそう教えてくれただけだ。
 オースターが思いついたのは、以前、コルティスが教えてくれた〈喉笛の塔〉にまつわる「都市伝説」の現場だった。
 監視所の裏口から、たまに大きな袋が運びだされることがある――という噂話だ。

 目撃者によると、袋は死体が入っていてもおかしくない大きさだったという。血痕のようなものがあったことから、「死体袋」と呼ばれている。裏口から運びだされた「死体袋」は、地下の廃棄物置き場に通じた立坑に投げ入れられた……そういう話だ。
 他愛もない噂話だ。話を聞いた当初は、そう思った。
 だが、オースターの脳裏によみがえるのはトマの言葉だ。マシカと口論になったときに、トマはこう言っていた。

『手術を受けに行ったきり帰ってこなかった仲間もいる。下水のなかに、喉を裂かれた死体が浮かんでたって話、マシカも知ってるだろう?』

 もし「死体袋」の噂が本当なら、袋の中身はホロロ族の亡骸だったのではないか。
 〈喉笛〉の摘出手術を受けるために、〈喉笛の塔〉にやってきたその人は、手術が失敗してか亡くなり、ぞんざいに「死体袋」に詰められ、廃棄物置き場に投げ捨てられた。
 廃棄物置き場の構造はわからないが、袋はそのまま下水道へと流れていき、保守点検作業をしていたホロロ族の目に留まった。開いてみたら、喉を裂かれた仲間の亡骸だった……そういう話なのではないか。

(だとしたら、その立坑から地下に入れるかもしれない)

 地下の廃棄物置き場が〈喉笛の塔〉に通じている可能性は低いかもしれない。
 だが、せめて「死体袋」の真相ぐらいは、確かめられるのではないか。
「あれだ。オースター、あれが例の立坑だよ」
 コルティスが足を止め、霧の向こうを指さす。
 風が強まってきていた。音もなく吹き流される霧のなかに、なにかの影が見える。
 より近づくと、ふいに霧がとぎれ、三方を高い防壁に護られた立坑がぬっと現れた。
「ここから死体を捨ててたってことだけど、なにしろ誰が言いだしたともわからない噂だからなあ。なにか見えるかい?」
 オースターは立坑を覗きこむ。下からぬるい風が吹きあがってくる。少し臭うから、たしかに地下には廃棄物置き場があるようだ。だが、暗くてよく見えない。
 視線が、立坑の壁に設置された、錆びた鉄梯子に吸い寄せられた。
 制服の袖をまくると、コルティスがぎょっとなった。
「冗談だろう? オースター」
「案内してくれてありがとう。ここから先は僕ひとりでいいから、コルティスは研究室に行って。僕のことを聞かれたら、腹の具合を悪くして、トイレに籠ってるとでも言っておいて」

「ちょ――ちょっと待ってよ!」

 腕をつかまれ、ほとんど鉄梯子をおりかけていたオースターは顔をあげた。
 コルティスの顔は、さきほどまでの陽気さを失っていた。
「どうしたの? コルティス」
「さっきは……教室では聞くのをやめたけど、でも……」
 コルティスは何度も言葉をつっかえながら、腕を掴む指に力をこめた。
 きっと顔をあげ、口を開く。
「本当はなにがあったの? オースター」
 オースターは困惑して、眉を寄せた。
「下水道であったことなら、もう全部話したよ?」
「ちがうよ、そうじゃない。ホロロ族のことじゃなくて、君のことだよ! だって……変だろう? どうして……こんなに痩せて――」
 コルティスは掴んだままのオースターの腕に視線を落とす。
 制服ごしでもはっきりとわかるほど痩せ衰えた腕。オースターは動揺した。
「言っただろう? 痩せたのは、怪我のせいだよ。感染症にかかって、熱が出て」
「ぼくが本気でそれを信じると思ってるなら、侮辱だよ!」
 思いがけない怒声に、オースターはびくりと体を震わせた。
 コルティスはすがるような瞳でオースターを見つめた。
「ねえ、気づいてないの? 痩せたこともそうだけど、顔色だってまるで土気色だ。それに今朝、学園に戻ってからずっと様子がおかしい。なんだか別人になっちゃったみたいだ」
「そんなこと」
「怖い話、嫌いだったろう? 前に死体処理の噂を聞かせたときなんか、図書室にいるっていうのに悲鳴をあげる寸前までいったじゃないか。それなのに今は、なんにも感じてないみたいな顔して、暗闇のなかにおりようとしてる。怖いことなんて、なんにもないみたいに」
「……怖がってるよ」
「ぼくにはまるで、君が自暴自棄になってるように見えるんだよ」
 自暴自棄。
 命の危険も顧みずに、錐一本を武器に、ぬめり竜に向かっていったトマのように?
 言葉を失うオースターに、コルティスが勇気を振りしぼるように言った。
「もしかして……難しい病気なのかい?」
 ああ――オースターは目を見開き、そのまま視線をそらす。
 コルティスは勘違いをしているのだ。オースターがなにか厄介な病気になったのだと思って、それを隠しているのだと誤解している。
「職場体験学習が始まる前にも、長いこと休学してただろう? いまの君の様子は、あのときとまるきり同じだ。ううん、もっとひどくなってる。なにかの病気なんじゃないのかい? 大変な病気なの? 命に関わるの? だからこんなに無茶をするの?」
「ちがうよ……病気じゃない」
「そんなにぼくって頼りがいがない?」
 分厚いめがねの奥で、コルティスの小さな瞳が泣きそうに揺らいだ。
「病気じゃないって言うなら、なにを苦しんでるのか教えてよ。できることはなにもないかもしれないけど、やつれてく君を黙って見てるなんて嫌だよ。”知らないうちにみんなを傷つけてた”って……いったいなにがあったんだよ!」

 話してしまおうか。

 駆けめぐる激情のなかで、オースターは思う。
 僕は本当は女なんだ。家の存続のために嘘をついてきた。大公の座を欲する母に従って、みんなを欺いてきたんだ。具合が悪いのは、男になるための薬を飲んでいるせいで、病気でもなんでもない、ただの自業自得なんだ。
 そう話してしまえば、どんなに楽になれるだろう。
 この真っ白な霧のなかでなら、誰にも見咎められずに、親友にだけ秘密を打ちあけられる。
 背負ってきた重荷の半分を、コルティスに引き受けてもらえる。
 コルティスなら、オースターの「嘘」を聞いても、きっと許してくれる。
「君に黙っていることがある、コルティス」
 コルティスがはっと息をのんだ。
 オースターは腕を掴むコルティスの手首をそっと掴みかえした。
「でも、話せない」
 打ちあけてしまいたい。それはあらがいがたいほどの誘惑だった。だが、この「嘘」をコルティスに背負わせるわけにはいかない。それだけはぜったいに、自分に許すわけにはいかない。たとえ黙っていることで、コルティスを深く傷つけてしまったとしても。
(懺悔したって、ただ僕の気が晴れるだけだ)
 かわりに、コルティスが背負わされた嘘の重みに苦しむだけだ。
「いつか必ず、ぜんぶ話す。約束する。でも……今はまだ言えない」
 オースターは、顔をこわばらせるコルティスの手を離し、鉄格子にふたたび足をかけた。コルティスが青ざめたまま、身を乗りだした。
「ぼくも行く」
「コルティスは戻って。適当にごまかして、時間を稼いでおいて」
 コルティスは顔をゆがめ、「じゃあ、ここで待ってる」とつぶやいた。
 オースターは「頑固」と返して、鉄格子をおりはじめた。「君ほどじゃないよ」と恨めしげな声が降ってきて、オースターは力なくほほえんだ。

 梯子をおりながら、オースターは安堵の息をついた。
 もっと体がなまっていると思っていた。梯子をおりれるぐらいには、体力もちゃんと回復していたようだ。
(下水道で働きはじめて、前よりも体が丈夫になったんだろうな)
 腕の傷の痛みも、多少ひきつれた感じがするだけで、気になるほどではない。
 見上げると、立坑の口はもうずいぶん上のほうにあった。コルティスがのぞきこんでいるのが、影となって見える。
 さらに梯子をおりる。
 腐臭とも、薬品の匂いともつかぬ悪臭が、徐々に増してくる。
 ふっと足に空気の流れを感じた。さらにおりていくと、とつぜん視界が広がった。
 梯子に掴まったまま、周囲に視線をやる。
 そこは広々とした空洞になっていた。暗がりに目が慣れてくると、かなりの広さを持った空間であることがわかる。石灰岩を積みあげた壁には作業灯がともっていて、人がいる可能性をまったく考えていなかったオースターはぎくりとするが、さいわいそんな気配はなかった。
 作業灯の弱々しい光をたよりに梯子をおりきる。たどりついたのは、廃棄物置き場を見下ろすように設置された通路の上だ。鉄柵に掴まって下をのぞきこむと、立坑の真下を頂点として、大量のゴミが山をつくって積みあげられているのが見えた。
(ここも、昔の採掘場跡なのかな)
 ランファルドの地下はどこもかしこも掘りかえされ、空洞だらけだ。大公宮や、市民の住宅地でも、こうした古い採掘場跡にゴミを落とし、満杯になったら閉鎖し、また別の採掘場跡をゴミ捨て場にする……といったことが行われていると聞く。
(もし採掘場跡を利用したものなら、ここからさらに別の場所に伸びる坑道があるはず)
 オースターは壁に沿って、通路を奥へと歩いていく。
 さほども行かずに、石造りのアーチにぶつかった。アーチの向こうを覗いてみる。ひどく暗いが、まだ空間が続いていた。
 オースターは鞄の中から蓄電池式ランタンを取りだし、灯した。下水道掃除の初日、ランタンを下水に落としたばかりに闇のなかに取りのこされ、尋常ならざる恐怖を味わったので、あれ以来、鞄には常に蓄電池式ランタンを備えている。
 アーチの先は狭い通路になっていた。直線的に、奥へ、奥へと伸びている。

(方角的には、監視所のあるほうだ)

 胸が高鳴る。もしかしたらこの地下通路は、倉庫のあった裏庭を突っ切って、〈喉笛の塔〉監視所の地下まで伸びていやしないか。
 早々に当たりを引きあてたかもしれない。
 期待と不安に鼓動をはやめながら、オースターは通路を歩きはじめる。
 予想どおり、通路は古い坑道を再利用したもののようだった。両脇に石灰岩の壁が迫り、その狭さに息苦しさを覚える。静かだ。自分の足音しか聞こえない。心臓の音がやかましいほどだ。
 ふいに、ランタンの光の中に鉄の扉が現れた。地下道の終わりだ。さすがにここまでかと思いながらノブを回すと、扉は軋んだ音をたてつつも奥へと開いた。
 目を見開く。
 息を詰め、扉の向こうに顔だけを出してみる。
 広々とした廊下が、大きく弧を描きながら左右に向かって伸びている。
 リング状の廊下――たぶん、ここは監視所の地下だ。
 オースターは通路に入り、そうっと鉄の扉を閉めた。蓄電池式ランタンも消して、鞄のなかにしまう。
 何度か深呼吸をし、歩きだす。
 行けるところまで、行くつもりだった。誰かに会ったら、馬鹿な皇太子を演じよう、と心づもりをする。
 そして、数歩歩いたときだった。
 視線が、壁に嵌めこまれたプレートに吸い寄せられた。
 地下道の名を記した銘板のようで、流麗な飾り文字でこう書かれている。

 ――アニアシ大回廊。

(アニアシ……)
 どこかで聞いた気がする。
 そう思って、すぐにその答えを、違和感とともに思いだす。
(そうだ、アニアシ、思いだした。……あれ? でも、おかしいな。アニアシの葉脈ってたしか……)
 心臓が飛びはねる。オースターは壁に背をくっつけて息を殺した。
 今、足音がした。
 誰かが来るのだ。けれど、ここは身を隠す場所がない。
(馬鹿な皇太子のふりをするんだろう?)
 こんなに震えあがっていて、馬鹿のふりなんてできるわけないじゃないか、馬鹿。
 オースターは呼吸を整える。ゆっくりと壁から体を離し、足音が聞こえてくる方角に視線を向ける。
 人影が見えた。
 向こうもこちらに気づいたようで、その歩みを止める。

「これはこれは。誰かと思えば、オースター・アラングリモ皇太子殿下ではありませんか!」

 狂った九官鳥のごとき甲高い声が、石の廊下に響きわたる。
 バクレイユ・アルバス博士は、はずむような足取りで電灯の下まで進み出ると、喜色満面に両腕を広げた。

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