「タージャに会いに行くって……正気か!?」
「もちろん正気じゃ」
カッカトーランはどっかと寝台に腰を下ろし、高々と足を組む。
「おぬしらの話をじーっくり吟味したのじゃが」
「話聞いて、速攻で寝てただろ」
「じーっくり、それはもう全身全霊でもって吟味したのじゃが……やはりおぬしらの一件、あまりに不可解じゃ」
「だからそう最初から言って――」
反論しかけるダブゥを手で留める。
「タジ族よ。スカルトーガに来たのは、領主に相談したいことがあるからだと言っていたのう。それはなんじゃ」
ハージブは表情に乏しい顔に困惑を浮かべた。
「なにか関係があるとお思いですか?」
答えずにいると、ハージブは小さく息をついた。
「タジ族の村に〈水の甕〉があるのはご存じですね? 実はひと月前、その〈水の甕〉が涸れてしまったのです」
カッカトーランは「へえ」と言いかけ、直後、ぎょっとした。
「涸れた? タジ族の、あの巨大甕がか!?」
「はい。……やはり〈夜の民〉である魔導師様にとっても異常な事態なのでしょうか」
ひと月前の明け方、ハージブは村人の悲鳴で目を覚ましたという。
駆けつけると、村の中心にあった〈水の甕〉がほとんど干上がってしまっていた。
周囲では、誰もが呆然と立ち尽くしていた。当然だ、砂漠で水を失うことは死を意味する。それも刃物で心臓を一突きされるような優しい死ではない。生きながらに体中の水分を奪われ、苦しみもがきながら迎える渇死だ。
だが、昨日は確かに満々と水をたたえていたはず。
それがいったいなぜ。
「原因は今をもってしても分かりませんが……タジの甕を頼って旅をする隊商は多い。甕が涸れたとなれば、我々タジ族だけでなく、隊商や旅人の命をも脅かされます。一刻の猶予もなく、スカルトーガ領主から近隣全域に、交易路を変えるよう勧告を出してもらう必要があったのです。それでスカルトーガへ」
それは一大事だ。小さな井戸がひとつ涸れるだけでも、多くの旅人が死に至るのだ。タジ族の甕が涸れたとなれば、その被害は計り知れない。
「ほとんど干上がったということは、多少の水は残っているのじゃな。もってどれぐらいじゃ?」
「もって、半年ほどかと」
カッカトーランは思案げに顎に手をやった。
「タジ族の〈水の甕〉がいきなり涸れた。相談にきたら領主に捕まった。そして、スカルトーガで課せられている重い水税……」
ハージブが眉を寄せる。
「関係あると?」
「わからん。じゃが、すべて水関連であることが気にかかる。ふむ……こうなると、余計にタージャから直接、話を聞きたいのう」
「ですが、我々からタージャに連絡を取る術はありません」
「おぬしらは監視されているのじゃろう? 邪霊使いの監視といえば、〈鎖付き〉の邪霊じゃ。姿は見えないが、それらしき気配はずっと感じている」
タジ族はぎょっとして、窓の外に目をやる。
カッカトーランは「ふむ」とうなずき、金貨に向きなおった。
「金貨、ちと、窓辺に立ってくれんか?」
金貨は不思議そうにする。
言われるままに窓辺に立つと、部屋の隅にいた邪霊たちがぞろぞろと金貨を追って動きだし、ダブゥが「ひっ」と悲鳴をあげた。
「そのままじっとしているのじゃ」
茜色の残る濃紺色の空には、一番星。
隊商宿の窓からは、ちょうど向かいの建物の屋根が見える。
『ウゥウ……』
うめき声が外から聞こえた。
かと思うと、屋根の上からひょこっと顔面の腐り落ちた犬の邪霊が姿を現した。
首からは鎖がたれさがり、じゃらじゃらと音をたてている。
金貨と目が合うと、一瞬、酩酊したように表情をとろけさせる。しかし、すぐに首をぶるんと振うと、屋根の向こうに身を隠してしまった。
「ふふふ。〈鎖付き〉とはいえ、金貨の誘惑はかなりのものなようじゃの。じゃ、行ってくる」
カッカトーランは窓枠に飛び乗り、向かいの屋根に向かって大きく跳躍をした。
「え」
取り残されたダブゥとハージブ、金貨がぽかんと窓辺に立ち尽くしていると、冴え冴えとした夜空に『バウワウッ』だの「待てこのおおっ」だの、得体の知れない奇声があがった。
しばらくして、顔中をひっかき傷だらけで戻って来たカッカトーランは、呆けるタジ族に拳を掲げてみせた。
「〈鎖付き〉に、話があるから夕飯に招待してくれ、ってタージャへの伝言を頼んできた!」
「…………」
+++
轟々と地響きのような音が近づいてくる。カララック山から落ちる瀑布が近いのだろう。
四段の階段状になったカララック山の二段目には、砂漠の都とは思えないほど緑豊かな庭園が広がっている。椰子の間から覗くのは、幾棟もの屋敷――官僚居住区だ。
「まさかほんとうに夕餉に招かれるとは思ってもみませんでした」
裾野の街から〈黄金宮〉へと向かう、ほぼ直線の大通りを歩きながらハージブが言う。
すでにとっぷりと日は落ち、椰子の並木道に吊されたランプが、水路の揺れる水面を輝かせている。
人気はない。大通りの入り口は門扉で固く閉ざされ、許可がなければ侵入できないのだ。
「うむ。わしもちょっとびっくりじゃ。どうやらタージャは冗談が通じるタイプのようじゃの」
「じょ、冗談……」
「それより、ダブゥをわたくしごとに借りてしまって悪かったのう」
当然、ダブゥはふたりについていきたがったが、金貨をひとりにするわけにはいかず、ふたりで宿に待機していてもらうことにしたのである。
「いえ、あんな人間でもお役に立てるならば、どうぞいかようにも酷使してやってください」
カッカトーランは「宿に残って、金貨のそばにいてやってくれ」と頼んだときのダブゥの悲壮感たっぷりな顔を思いだして、くつくつと笑った。
「今ごろ、部屋の隅で震え上がっていることじゃろうな」
ハージブは隊商宿を振りかえるように、歩いてきたばかりの方角を見つめた。
「カッカトーラン。もしもの話ですが……」
「む?」
「万が一、三日後までに族長を救えぬとなれば、そのときは、ダブゥをタジ族の集落まで連れ帰ってはくれませんか」
カッカトーランは小首をかたむける。
「三日後、なんの手がかりも見つけられねば、おぬしとダブゥはそろって再投獄され、処刑されるのであったな?」
ハージブは神妙にうなずく。
「私はその宿命を族長とともに受け入れましょう。ですが、あれはまだ若い。それに、族長を失ったタジ族の村を守る者が必要になります。どんな手だてを使っても、ダブゥだけはお救いいいただきたいのです」
カッカトーランは顔をしかめた。
「そんなことをしたら、ダブゥは死ぬまでわしを恨むじゃろうのう。よって、おことわりじゃ」
「魔導師様」
「遺言を残すのは早い。ま、見ておれ」
見上げた先には、煌々と明かりをともした一棟の屋敷が建っていた。
「我が主は支度中ですので、こちらでしばらくお待ちください」
タージャの屋敷に到着し、二人は噴水のある庭を望む豪奢な客間に通された。
召使が去るのを見送ってから、客間から庭に出て、外から屋敷を見上げる。
「二階の露台から湯気が立っている。風呂かの?」
「ああ……支度中と言っていましたから、そうかもしれませんね。民は重い水税に苦しめられているというのに、脳天気なものです」
「ダブゥといい、おぬしといい、あんまりタージャが好きではなさそうじゃの?」
「そういうわけでは。ただ……変わった人物なので」
「肌が白いことか?」
「いえ。――会えばわかります」
カッカトーランは首をかしげ、露台を支える柱に手を触れた。
「ここは相手陣地じゃ。身支度を整え、心まで衣服の内に隠されては隙を見つけにくい。ちと先手を打って、奇襲を仕掛けるとしよう。おぬしはここにいてくれ」
「え――」
カッカトーランは子猿のような身軽さで露台の柱をよじ登りはじめる。
ハージブは「またですか」と呆れつつ、周囲に警戒の視線を配った。
柱をのぼりきって、露台に侵入する。
多弁型アーチが並んでおり、そのひとつから湯気が吐きだされていた。
壁に背を預け、湯煙の向こうを伺う。
大理石の浴槽、鉢植えの緑に床を這う爬虫類――誰かが湯に浸かっている。
そこへ、カッカトーランとハージブを屋敷に案内した召使が姿を見せた。
「タージャ様、お客様がお見えになりました。例の〈夜の民〉と、連れのタジ族がひとり」
カッカトーランは眉間にしわを寄せた。
(例の〈夜の民〉と、連れのタジ族? タジ族と、連れの〈夜の民〉ではないのか)
タジ族を監視する邪霊に、伝言を頼んだのだ。「連れ」と呼ばれるのは、カッカトーランの方のはずだが。
違和感を覚えているうちに、タージャらしき声が答えた。
「タジ族? ああ……そういうこと。わかったわ。服を持ってきてちょうだい」
そのとき突然、誰かに首根っこを掴まれ、カッカトーランは「わっ」と悲鳴をあげた。
「誰だ!」
浴槽のそばに控えていた召使たちが、扇と薔薇油を素早く半月刀に持ち変えた。
猫の仔よろしく浴槽の前まで連れていかれたところで、首根を離される。
「あいたた……」
濡れた床に尻もちをつく。振りかえると、背後に首と手足から鎖を垂らした〈鎖付き〉が立っていた。
「あちゃあ。見つかったか」
湯煙が左右に割れ、湯に浸かったタージャの姿が露わになった。
「せっかちなお客様もいたものねえ。それとも覗きの趣味でもおありかしら?」
カッカトーランは感嘆のあまりに目を輝かせた。
なんて美しい白い肌だ。目尻の垂れた紫の眼はうっとりするほど色っぽく、濡れた金髪から水の滴るさまは、息を飲むほど艶めかしい。
カッカトーランは状況も忘れて、湯船のふちに頬杖をつくタージャへと身を乗りだした。
「なんて美しい男なのじゃ、おぬし……っ」
タージャは金の睫毛をしばたかせ、濡れた喉仏に指を這わせた。
「あら、素直な子」