小説(長編小説)金貨と魔人の爪先|序章


 生きてる。生きて、いる。
 ぼんやりと目を開ける。
 身を起こそうと体に力を篭めると、肩かどこかに鋭い痛みが走った。
 笑みが零れた。意識が回復するにつれてよみがえってきた全身の痛みが、少年に生の実感と、奇妙な高揚感をもたらした。――まだ、生きている。
 歯を食いしばって身を起こし、やっとのことで砂地に膝をつく。吐きだした息が真っ白に凍てつき、突き刺すような寒さに体が震えた。
 眼前に、巨大な影が立ちはだかっていた。砂漠にそびえる砂の山、砂丘だ。
 砂丘の上空には、目を細めたような三日月が浮かび――そこに、奇妙な人影が立っている。
 ぞくりと体が震える。金貨は恐ろしさに身を竦め、我知らず後ずさりした。
 裾が鉤裂きになった赤い袈裟。首や手足からぶら下がる長い鎖。ひどく痩せたその姿は、まるで衣をまとった骸骨のようだ。
 あれは、魔人。
 魔導師たちが夜の帳の向こうにある異界より召喚する夜の生き物。
 その超大な魔力でもって、人々の貪欲な願いを叶える異形のモノ。
 なんて醜いのだろう。
『願いを叶えたいか』
 少年の脳裏に、あの魔導師の声がよぎった。
『ならば、ある宝を盗んでこい。
 さすればこの私が魔人を召喚してやろう。
 その醜悪な願望に相応しい、醜く爛れた魔人を、な……』


 どこからか歓声が聞こえて、少年ははっと椰子の陰に身を隠した。
「やった、盗んでやったぞ! これでどんな願いも叶え放題だ!」
 五人の男たちが、少年には気づかず、砂漠を踊るように走ってくる。
「ああ、魔人様!」
 彼らは砂丘の頂きに立つ魔人に気づくと、歓喜に声を震わせた。
 少年は椰子の陰から出て、男たちが砂の斜面を転げながら登っていくのを見守った。
「魔人様、見てくだせえ! 財宝です、盗んできた、言われた通りに!」
「願いを叶えてくれ。俺は黄金の宮殿を築き、女たちを侍らせ、毎夜宴を開きたい!」
 次々と願いを口にする男たち。
 だが、不思議と魔人は、男たちを見ていなかった。
 少年を見ている。
 食い入るように、促すように、じっと。
 ――お前の願いはなんだ、と。
 少年は唇を引き結び、太ももの脇で拳を固めた。


 男たちはついに砂丘の頂きに達した。
 魔人は紅蓮に輝く眼でそれを見つめ、枯れた右腕を、す、と水平に持ち上げた。
 手首から垂れた鎖がじゃらりと音をたてる。
 男たちが魔人に縋らんと手を伸ばす。
 なんの音もなかった。
 なんの音もなく、男たちの首が宙を舞った。
 砂に落ちた首は血を撒き散らしながら、斜面を転がりはじめる。
 勢いのついた首の群れは砂丘の影を飛びだし、やがて少年の爪先にぶつかって止まった。
 ごろりと反転した首は、まだ意識を残しているのか、少年を見上げて、「あれ」と間抜けな顔をした。
 ぱくぱくと口の動きだけで並べた言葉は、「金貨」という不可解な単語。
 少年は、虚ろな瞳で盗賊たちの首を見下ろし、呟いた。


「ざまあみろ……」