ホワイトディの妖精

02

 雑木林はまるで果てがないように思えた。
 どこまで歩いても代わり映えのしない木々が、無秩序に空へ向かって伸びている。その空からは赤い月光が降りそそぎ、あいかわらず安っぽいホラー映画のセットを演出している。
 そして月光に照らされて歩く主人公ふたりは、幽霊と人間の女だ。
「いよいよB級ホラー映画じみてきたわ……」
 早紀は腰をかがめて木の根元を覗きこみながら、乾いた表情でぼやいた。
 ちょっと特殊なのは、幽霊がやけに友好的、という点だろう。

『バッグって、何色なんですか?』

 白い光を放つ青年幽霊は、茂みの中をガサゴソと探りながら聞いてきた。
 ふたりでチョコレートを探しはじめて、すでに数十分。ほとんど強引に押し切って、幽霊は早紀のチョコ探しに付き合っていた。
(何考えてるんだろう。この幽霊……)
 早紀は木の裏側に回りこみながら、訝しげな視線を青年幽霊に向けた。
 青年幽霊は茂みから茂みへと移動して、早紀の大雑把な探しぶりとは比べものにならないほど丹念に中を探っている。
(私のチョコ探しを手伝ってメリットでもあるのかな。というか、なんで私の名前知ってるのよ。ていうか、幽霊のくせに手探りで物探さないでよ。せめて、飛べ)
『サキさん?』
 あれこれ悶々と考えこんでいた早紀は、唐突に間近で名を呼ばれて、驚いて顔を上げた。見るといつの間に移動したのか、早紀のすぐそばに青年幽霊がぼやーっと立っていた。
「あ、な、なに!?」
『バックは何色かって』
「い、色?」
『大丈夫ですか? 危ないですよ、ぼんやりしてたら。暗いし』
「……は、はあ」
 本来その危ない対象であるはずの幽霊に説教をくらった早紀は、妙な気分で頬をぽりぽりと掻いた。
「あ、あのさ。手伝ってくれるのは嬉しいんだけど、あなた」
『ケイスケ』
「……ケイスケ、には、ケイスケのやることがあるんでしょ。もう怒ってないから、自分のことやりなよ」
 律儀に訂正してくる幽霊に渋々従いながら、早紀はそのケイスケとやらに、そうおそるおそる告げてみた。
『僕はやりたいことやってますから、気にしないでください』
「……いや、あの」
 あっけらかんと言ってくる幽霊に、早紀は言葉を詰まらせる。
 ふと、ケイスケがどこか寂しげな表情を浮かべた。
『もしかして、迷惑ですか?』
「め、迷惑じゃないのよ! 別に!」
 早紀は必死に脳みそを掻きまわし、適当な言葉を探す。と、早紀の様子を見た幽霊が、顎に手を当てて「あ」と呟いた。

『もしかして、僕がなにを考えているのか分からなくて、不安……とか?』

 鋭く指摘されて、早紀は思わずギクッとした。
 幽霊が言ったとおりだった。
 幽霊は自分を遠くからじっと見ていて、そして追いかけてきた。追いかけてきたのには理由があるはずなのに、それを明かさずにチョコを探してくれる、という。それはなんだか不可解で気味が悪かったのだ。
 こんな害のない顔をしていながら、本当は自分に取り憑く隙をうかがっているのではないかと、そんな想像だってつい膨らんでしまう。
 それに、お詫びの気持ちで、本人以上の意気ごみでチョコを探すなんて、そんなお人よしな人間はこの世には存在しないと早紀は思っていた。
 人間はそんなに他人に優しい生き物じゃない。
 まして未練の塊であるはずの幽霊が、他人をそんな真摯に助けるだなんて……はっきり言ってしまえば、信用ができなかったのだ。
「……まぁ……うん。そういうことね」
 幽霊は少しばかり悩んだ様子で目を伏せて、やがてこくりと首をうなずかせた。
『分かりました。本当のことを、話します』
「本当のこと?」
『僕も探しものをしているんです』
「……え?」
 早紀は周囲の雑木林をあおぎ見る幽霊を、疑わしげに見上げた。
『探しものをしてるんです。でもどこにあるかは、僕のほうも分からなくて。だから、チョコを探してるうちに、僕の探しものも見つかればいいなと思ったんです』
 一瞬、嘘で言ってるのだと早紀は疑った。
『ひとりだと心細くて』
 だが、青年幽霊の表情は疑うのが馬鹿らしいほどに真剣だった。
(本当、なんだ……)
 早紀はすがめていた目をそっと開き、ためらったすえに口を開いた。
「なに、探してるの?」
 青年幽霊は表情にはかない影をつくって、黙りこんでしまった。
 聞かれたくないことだったのかもしれない。
 彼がさまよっている理由となにか関係があるのかも。
 早紀は空気に消え入ってしまいそうな様子に、急いで両手を振った。
「言いたくないならいいの! ただ私も見つけたら、報告できると思ったから」
『すみません……』
 やはり言いたくないということなのか、それとも本心を黙っていたことを謝っているのか。青年はそのままうなだれて、ごつごつした地面を無言で見つめた。
 早紀は、釈然とせずにもやもやしていた気分がすっと晴れていくのを感じて、安堵のあまりに思わず笑い声を零した。
「いいんだって。気にしないで! ……あーでも、やだなぁそういうことなら早く言ってよー! びくびくして損した」
 近所の奥さんみたいに手をひらひらとさせる早紀を、幽霊が振りかえる。
『びくびくしてたんですか?』
「そりゃするわよ。私を追いかけてきたくせに、追いかけてきた理由も言わないで、チョコ探し手伝うなんて、怪しいもいいところだわ……はじめからそう言ってくれれば良かったのに」
 恨めしげな早紀の言葉に、青年幽霊はふんわりとした笑顔を浮かべた。
『そのつもりで追いかけたのは確かですけど、サキさんがバックを探していると知ったあとは、僕の探し物は"ついで"になったんで……だから言わなかったんです』
「ついでって。いいのよそんな、自分のほう、優先しなよ」
『お詫びもそうだけど、サキさん優しい人だったから、困っているなら助けてあげたいなって、そう思ったんです』
 優しい……二度目に呟かれたその率直な単語に、早紀は顔を真っ赤にして手をがむしゃらに振りまわした。
 その反応に青年幽霊は首をかしげながら、ふと表情を改めた。
『でも、僕が怖いようなら、やめます』
 幽霊は申しわけなさそうに頭を下げて、そのまま早紀の返事も聞かずに背を向けてしまった。早紀は思わず手を伸ばした。だが「待って」と制止をする前に、幽霊がふっとこちらを振りかえってきた。
『……でも、もし心細かったら、いつでも呼んでください』
 青年幽霊はそれだけ言うと、また背中を向けて歩きだした。
 そういう幽霊の背中のほうが、むしろ心細げだった。
 それが可笑しくて、中途半端に持ち上げた手を戻すと、早紀は思わず笑いだした。
「こ、心細げなのはあんたじゃないの……!」
 青年幽霊が足を止め、心外そうにこちらに顔を向ける。
 それがまたおかしくて、早紀は腹を抱えた。
「お、おかし……! あはははは! 幽霊でも心細くなるのねー!」
 さっき笑ってくれた仕返しだとばかりに、早紀は大声でケタケタと笑った。
 そして呆気にとられているのか、困っているのか、怒っているのか、タイミングを失ったのか、ぼんやりとその場に立ち尽くしている幽霊を早紀は見上げて、浮かんだ涙を拭いながら首を振った。
「ケイスケは怖くないよ、ぜんっぜん。ただ、チョコ探しを手伝ってくれる理由がわからなくて、何となく薄気味悪かっただけ」
 そして笑いをどうにか収め、ひとつ息を吐くと、早紀は幾度かうなずいた。
「でも、そういうことなら、一緒に行動してもいい」
 幽霊が驚いた顔をしていた。
『いいんですか? でも』
「正直に言うと私もひとりでいるほうが怖いんだ。……幽霊よりもこの雑木林のほうが怖い。同じ目的の人と一緒にいるほうが、ずっと安心する」
 馬鹿な話かもしれない。幽霊と一緒に行動をしようだなんて。けれど早紀には、とてもじゃないが今さらひとりになんてなれなかった。
 こんな気味の悪い雑木林で、ひとりきりではもうさまよい歩きたくない。
 たとえ幽霊であっても、同行者はもうなくしたくなかった。
 幽霊はしばらくためらっていたようだったが、やがてほっとした様子で笑った。
『……良かった』
 その笑顔がなんだか幼く見えて、早紀も安心したのと可笑しいのとで笑った。
「よし、じゃあ一緒に探そう! ……あ、バックだっけ。バックは水色よ。淡い水色」
『水色? 赤じゃないんですね』
「……悪かったわね」
「皮肉じゃないですよ」
 お互いに共通の目的ができたからか、この薄気味悪い雑木林を恐れているという仲間意識ができたせいか、早紀は幽霊と少しだけ打ち解けた気がして、冗談半分に幽霊を睨みつけた。
 幽霊も同じように感じていたのだろう、表情を和らげて笑った。

+++

『まだ、まっすぐ歩いていいんですか?』
「うん。今までも、ひたすらまっすぐに歩きつづけてきたのよ」

 幽霊の質問に、早紀は足を止めて背後の雑木林を振りかえって、今まで歩いてきた道なき道を指さした。
「いくら広いったって、終わりはあるはずでしょ。右行ったり左に行ったりしないで、ただまっすぐ歩けば必ず出口につくはずよ。出口が見えれば、バックをなくした場所のヒントも少しは掴めるだろうし、バックを探しながら出口も探すつもりでこのまままっすぐ行きましょう」
 自分の頭脳明晰ぶりを誇らしげにして言うと、幽霊は大して感心した様子もなく目をまたたかせた。
『そうですね。反対にひたすら林の中心に向かってる可能性もあるけど』
「……嫌なこと、言うな」
 そんな早紀の信念に従って歩き、数十分。
 まるで変わらない風景を見渡して、青年幽霊がぽつんと呟いた。
『本当にまっすぐでいいんですか?』
「……いいの」
 だんだん自信がなくなってきた早紀は、それでも根拠もなく頷いた。
 それからさらに数十分。
『で、まだまっすぐですね』
「まっすぐよ、まっすぐ!」
 もはや完全に意地になって「まっすぐ」歩きつづける早紀は、幽霊のからかうような言葉にいい加減な答えを返した。
 幽霊はふーんとやはりいい加減にうなずいた。
「……文句があるなら、早めに言ってよね」
 早紀がムッとして言うと、幽霊はバックを探してあちこち視線をやりながら、「いや」と首を振った。
『ただ人って、まっすぐ歩いてるつもりでも、いつのまにか右だか左だかにそれて歩いてるって聞いたことがあったんで』
「それを早く言えー!」
 早紀はきーっと頭をかきむしって、茂みを覗きこんでいる幽霊の背中をゲシッと蹴りつけた。もちろん足は彼を擦り抜けて、むなしく茂みを蹴ってしまっただけだったが。

 一緒に行動しようと決め、歩きはじめてからすでに一時間近く。
 出口とバックを探しつづける内に、二人はだいぶ打ち解けるようになっていた。
 ひとりきりで歩いていたときに比べると、だいぶ心が楽だった。それに足も体もはるかに軽い。
 幽霊は基本的には無口な奴だったが、早紀が話しかけると丁寧に受け答えをした。たまに早紀のやらかす百面相に、腹を抱えて笑うこともあったし、さりげなく皮肉を言って早紀をからかうこともあった。
 楽しかったし、ひとりでないということに、想像以上の心強さを感じた。
 ときおり交わす会話が、心に染みるほどじんと温かかった。

 そして、ふたりで歩きはじめてから数時間が経ったろうというころ。
 とうとう早紀が音を上げた。
「……ない!」
 早紀は声を張りあげてその場に倒れこんだ。
「ないないない……!」
 駄々っ子のように手を振りまわす早紀に、幽霊もさすがに疲れたのか苦笑を浮かべた。
『しりとりももう飽きたしね』
「ルが来ても、もー語彙尽きて答えらんない」
 しまいにはしりとりまで始めていたふたりは、そろってため息を落とす。
「暗いせいで、よく見えないし。出口はあいかわらず見つからないし」
『今さらだけど、どの辺にどういう形で落としたんですか』
 うんざりと文句を吐くと、幽霊が早紀のそばに腰を下ろして首を傾げた。
 早紀はうっと言葉を詰まらせて、気まずい気分でもごもごと呟いた。
『え?』
 当然ながら聞こえなかったらしい青年幽霊は、悪気もなく聞きかえしてくる。
 早紀はそれを八つ当たりで睨みかえして、ぼそぼそと言いなおした。
「だから……雑木林の外から、彼氏にバックを投げ捨てられたの」
 幽霊はそれを聞いて、ひどく驚いた顔をした。
『ひどいね……』
 心底、あ然とした声で呟かれたので、早紀は嬉しくなって顔を輝かせた。
「でしょ! ひどいでしょ!? 買ったばかりのバックだったのに、思いっきりよ思いっきり! あんたにくれてやるチョコが入ってるってのに、それも知らないで思いっきり雑木林に投げ捨てやがったのよ!」
 興奮して畳みかける早紀に、幽霊は眉根をひそめて首を振った。
『……信じられない』
「よね!? ……そりゃ私が先にひっぱたいたのが悪かったけど、なにも捨てなくなって……だいたい、あいつが悪いのよ。遅刻してきて「ごめん」もなしなんだもん。せっかく私がチョコを徹夜で形にしたってのにさー」
『彼氏でしょう?』
 投げやりに説明される早紀の顛末を聞いて、幽霊はどこか不機嫌そうに聞いてきた。
「……一応ね。高校のときからの付き合いの」
『仲、悪いんですか』
「最悪。ここ何ヶ月かは喧嘩ばかりだったし。私はこのとおり、うるさい女で、でも向こうは無口で……根本的に気が合わなかったのよ。しかもあいつ、無口なくせに乱暴でさー! 私も口より先に手な人間だから、喧嘩が始まったら、それはつまりゴングが鳴る瞬間なのよね。最悪な奴だったわ」
『なんでずっと付き合ってたんですか』
「そんな呆気にとられた声で、率直な質問しないでよ……」
 早紀は長いこと考えて、自信がなさそうに首を傾げた。
「それはやっぱり……意地、かな。これだけ長く付き合ってきて、今さら別れるのも癪でさ。まわりはどんどん結婚してってるのに、私だけ一からやり直しなんて情けなくて……別れ話切り出すのもめんどいし」
 青年幽霊はふーんと言いながら、しかし不可解そうに首を傾けた。
『そんな中身のない関係なら、こんなになってまでチョコ探さなくてもいいのに』
「へ?」
 なんだか思いもよらないことを青年が呟いた気がして、早紀はすっとんきょうに聞きかえした。
 しかし、青年幽霊は真剣な顔で、同じ言葉を繰りかえしてきた。
『なんで探してるんですか? チョコ』
「なんでって……それは後悔したからよ。喧嘩ばっかの毎日にうんざりして、チョコあげて仲直りしようって思ってたの。バレンタインデーに。でも、結局喧嘩しちゃって、それで喧嘩しちゃったことを後悔して、チョコを探しに……」
 途中まで言いかけた早紀は、自分で自分の言動にぽかんとした。
 すごい矛盾だった。
 意地で付き合っていたのだ。別れるのが癪で。つまり中身のない関係だったのだ。
 そう言っておきながら、バレンタインデーをきっかけに、関係を修復しようとしていると言う。喧嘩ばかりの日々がいやで、仲直りしたかったのだと言う。
 そして結局、喧嘩してしまったことを後悔して、チョコを探している、と。
 中身のまるでない関係のはずなのに。
 何故、自分はバレンタインデーに関係を修復しようとして、そして今こうしてチョコを探しているのだろう。
 幽霊は、沈黙の理由を勘違いしたのか、あ、と慌てたように頭を振った。
『すみません、話したくないことならいいんです』
 青年幽霊は頭を掻きながら、ふたたびチョコを探そうと立ち上がった。
 そんな青年幽霊に、早紀はとっさに腕を伸ばす。
「あ、いや……あの」
 不思議そうに振りかえってくる青年の白いぼんやりとした顔を見上げながら、早紀は腕を胸元に戻して、小さくうつむいた。
「……違うの。ごめん」
 呟いて、早紀はため息を落とす。
「よく、わからないの。あっちはもうとっくに私を見放してたと思う。私だって喧嘩ばっかりでうんざりしてた。最悪な奴だとずっと思ってた。……なのに、なんでそれでも付き合ってたのか、よく分からないの」


 向こうはとっくに早紀に見切りをつけていた。
 けれど別れを自分から切り出すような奴じゃなかったから、ここまでダラダラと続いてきた。
 チョコを雑木林に投げ捨てられたとき、早紀はもう終わりだと悟った。
 早紀が別れを言えば、彼はあっさりうなずいただろう。
 なんの気兼ねもなく別れることができたはずだ。
 けれど、どうしても、早紀には別れ話ができなかったのだ。
 なぜか分からない。もしかしたらこの無駄に高いプライドのせいかもしれない。長い間、付き合ってきた――その意地があったのもたしかだろう。

 でも、それだけだろうか。

「……あー、あはっ」
 早紀は不自然に明るく笑った。これ以上考えると、あまり嬉しくない答えが見つかってしまいそうだった。
 だが青年幽霊は笑わずに、ただじっと早紀を見ていた。
 なにもかもを見通すような視線に、早紀は一瞬、理由の分からない恐怖心に駆られる。だが次の瞬間、幽霊がその眼差しのまんまに呟いた台詞に、一気に腰くだけになった。
『その人、見る目なかったんですね』
「…………」
『どうかしました?』
 やっぱり生きてたころはナンパ師だ。しかも天然の。
 そう結論づけて、早紀は三度目の馬鹿で赤くなる頬を両手で覆い、「なんでもないわよ……免疫ないのよ……ほっといてよ……」とぶつぶつ呟いた。


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