雪の子供
04
『へえ、あんたの街、でっけえなぁ!』
トナトナが街の上空を走りながら、感心した声をあげた。
「そうだろう。なんせ同じ街に住んでいる息子夫婦が、三年に一度しか会いに来ないくらい広いんだ」
『なんだそりゃ。ひでえ息子だな』
お、はじめて意見が合ったな。まったく、ひどいものだろう。
『あら、それって、少し違うんじゃない?』
え? 私とトナトナの視線がカイカイに向く。
『来ないなら行けばいいじゃない。望んでばかりはずるいわ』
『おいおい、ご老体にわざわざ会いに出かけろってか』
『それなら手紙を書いたらいいわ。会いに来てって』
私はしばらく声を出せなかった。困惑した。
「手……紙を出そうとしたことは、ある」
辛うじて反論したが、すぐにカイカイがそれを否定する。
『”出そうとした”。でも結局、出さなかったのね。なぜ?』
「そ、それは。私の手紙など、もらっても嬉しくはなかろうと」
『じゃあ、息子さんたちもそう思ったのかもね。会いに行っても喜んではくれないだろうって』
「……まさか」
『ならあなた、息子さんを歓迎したことあった?』
「なに?」
『あなたはサンタだわ。もしプレゼントを渡しても喜ばれなかったら? 嫌な顔されて突き返されたら? また来年も、あなたは喜んでそのひとに会いに行く? プレゼントをあげたいって心から思える?』
「……」
『それと同じよ。あなたは息子さんを歓迎しなかったんじゃないの? だから会いに来ない』
私はなにも言えず、黙りこくった。
妻が死んでから、私は人との関わりをみずから絶った。友人を遠ざけ、近所の人間を邪険にし、息子家族まで突き放した。
”今日ほど楽しいと思えた日が今まであったろうか”。さっき私はそう思った。いいや、あるわけがない。くだらない日々だと思っていた。あたりまえだ。自分で心を揺さぶるすべてのものを遠ざけてしまったのだから。近所の子供からは「頑固じじい」と呼ばれ、息子にも愛想を尽かされた、クリスマス・キャロルのスクルージのような心のいやしい老人。それが、私。そしてその私をつくりだしたのは、ほかでもない私自身。息子の不義理を「ひどい」と言う権利など、私にはない。
『お、おい。カイカイのせいだぞ。じいさん、惚けちまったじゃねえかよ』
『え。わたしのせいになっちゃうの?』
『なんかジョーク言って、笑わせろ!』
『ええっ、たとえば?』
『サンタクロース苦労する。とかよお!』
『……さよなら』
サンタクロース、苦労する。
──ぶ!
『お?』
「くっくっくっくっ」
『おおお、うけたぜ! うけたうけた!』
「ぐぁあっはははははははぁ!」
『……えらい激しい笑いだなあ、じいさんよぉ』
私は涙を浮かべて笑った。
死んでから気づくなんて、なんて愚かなのか。それも自分で気づいたのではなく、トナカイごときに気づかされたとは。
私は自分でなにもかもを捨て、そして自分でその状況を虚しく思っていたのだ。すべて自作自演の劇。私はそこに出てくる哀れな主人公。
今日は楽しかった。今までこんなに幸せだと思ったことはない。そんな努力をしてきた覚えがない。
幸せが来るのを待っていた。みずから掴もうとはしなかった。もし私のそばをサンタクロースが通っても、きっと私はエミリーのようにそのズボンを掴まなかったろう。
とても楽しかった。この生意気なトナカイたちや、天使のようなスーを愛しく思う。それを……もう素直に認められる。そしてそれは、この地上でも得ることができるはずのものだった。どうして、それを忘れていたのだろう。
「……?」
不意にスーが私に寄りかかってきた。見ると、スーは静かに寝息をたてていた。
私の目が綺麗だ、と笑った子供。私に手を差しのべてくれた子供。
その安らかな寝顔が、嬉しかった。
その後も、私たちは街の上空を飛びつづけた。スーが元気よく鈴を鳴らす。トナトナは相変わらずなにかにつけて私に文句をつける。カイカイは穏やかに怖いことを言う。私はそれを鼻で笑い飛ばす。
しかし、それももう終わりに近づいてきていた。
「次はどこだね?」
私はすっかり慣れた手つきで書類をめくった。
そして、どきりとした。
「息子一家だ」
なんてことだ。無意識のうちに最後に残していたようだ。
私はスーたちを振りかえり、笑った。
「最後だよ、これで」
橇はゆるやかに下降する。白い壁、青い屋根、高い煙突。はじめて来た。
「ふむ。いい家だ」
『おい、じいさん。家に人の気配がないぞ』
煙突のそばに橇を停めたトナトナの発言に、私は慌てた。
「どうしてわかる?」
『お前の鼻は~ 役にたつのさ~ってな。人の匂いがしねえんだよ』
トナトナは赤い鼻を冗談っぽくふがふがさせた。
まいったな。まさか出かけているなんて。
『追跡する?』
カイカイが同じく鼻をひくひくさせて言った。
「できるのか?」
『ええ。鼻は、夜道を照らすランプなのよ』
う。もしや二頭とも、先ほどの私の歌を根に持っているのか? 根性の悪いトナカイどもめ! だ、だが、たしかに役にたつ。お願いしようか。
と、今まで黙りこくっていたスーが、私の袖を引いた。
「どうした? スー」
この質問に答えはなかった。そのかわりスーはいきなりの私の腕をぐいっと引っぱると、なんと、私ごと屋根から飛び下りた!
「……!」
といっても、スーは飛べるのだった。ははは。一瞬、恐怖で凍りついてしまったわい。だいたい私、すでに死んでるし。
スーに連れられ、地面に降り立つ。わけのわからないままついていくと、そこに私はひとつの終わりを見つけた。
「死んでいるのかい?」
老人がひとり、雪に埋もれて倒れていた。
「うん」
スーはそれだけ答えると、ほかにはなにも言わずうつむいた。
私はゆっくりと老人に近づく。
老人に、自分の姿が重なった。そこに倒れているのが、自分のような気がした。
「もしも生まれ変わったら」
私は呟く。
「私はきっと、今日のような毎日をすごせるよう努力する」
そっと老人に手を伸ばす。その青ざめた顔を両手で包みこむ。
「よい夢を」
──しゃん……しゃん……しゃん……しゃん……。
静かだった。鈴の音までが暗いほどに。
「ど、どうしたんだ、お前たち。暗いぞ」
不気味である。橇にまるで死に神か、悪霊でものしかかったかのように重々しい空気が流れていた。
「腹でも減ったのか。疲れたか、ん?」
しーん。
「お、おい! どうしたんだ、いったい!」
しーん。
なんなんだ!? よ、よし、こ、こうなったら!
「サンタクロース、苦労する」
しーん。
す、少しは義理でも反応せんか!
『サンタさんよぉ……』
突然、トナトナがぼそりと呟いた。お、くるぞくるぞ! 憎まれ口!
『俺、あんたが好きだぜ』
な、なに?
『あんたがサンタでよかったよ、ホント』
熱でもあるんだろうか!? 例の流行中のインフルエンザか!?
『わたしもサンタさんが好きよ。トナトナとスーちゃんと同じくらい』
カイカイ!? どうした! ぐあぁ、鳥肌が!
私は助けを求めてスーを見る。そしていっそう度肝を抜かれた。いつも愛らしい微笑みを浮かべていたスーが、大粒の涙を零して泣いていたのだ。
「スー! ど、どうしたんだ!?」
おろおろとその顔を覗きこむと、スーはますます泣きじゃくって、私のサンタの衣装に顔を埋めてきた。
「僕、おじいさんと、お別れしたくないよぉ……!」
「……スー」
ああ、そうか。これが終われば、もうお別れなのだ。サンタクロースの代行を終えた私は、今度こそ永遠の眠りにつくのだ。
口の悪いトナトナ。怖いカイカイ。
愛しい、スノー・チャイルド。
私は必死にしがみついてくるスーを、そっと抱きしめた。
「私も、みんなとお別れしたくないよ」
「サンタさんなんて、やってもらうんじゃなかった……! こんなに、お別れがつらいな ら、サンタさん、やってもらわなきゃよかったよ……!」
『……』
『……』
私は今までにないくらい優しい気持ちで、スーの頭をなでた。
「おや? それじゃあ、スーは私に会えないほうがよかった?」
スーはかぶり振って否定する。
「だろう? 私はみんなに会えてすごく幸せだよ。サンタも大変だったが、やれてよかった」
「うーっ……」
「ありがとう、スー」
私はトナトナとカイカイのことも振りかえる。
「トナトナもカイカイも、ありがとう」
心が暖かかった。
「みんなが大好きだ」
雪が、橇の横を優しくかすめる。
知らなかったな。雪は冷たいとばかり思っていた。
その雪は、あたたかかった。
「ところで、スーちゃん」
「うう」
「鼻水がね、服についたりしてるぞ」
しーん。
「う、うわぁ! ごめんなさい!」
スーは慌てて顔を上げて、どこから取り出したのかティッシュで鼻をかんだ。その可愛らしい姿を見て、私、トナトナ、カイカイが同時に吹きだした。
『け! くそ! 柄にもなく、しんみりしちまった! おい、じじい、お前のせいだぞ!』
「な、なぜ、そうなるんだ!」
『しかも、さっき、妙なギャグとばしてたよなあ』
『壮絶にくだらなかったわよ。サンタさん』
「なっ、あれは、トナトナが!」
『人のせいにしちゃいけないわ』
「なんだと!? スー、なにか言ってやってくれ!」
スーはにっこり笑って、言った。
「トナカイさんと仲居さん」
う、うわあ……。
♪真っ赤なお鼻の~ トナカイさんは~ いつもみんなの笑い者~
♪ジングルベル ジングルベル 鈴が鳴る
♪きよし この夜 星は 光り
たくさんの歌が、愉快な鈴の音とともに、雪の舞う夜空に響きわたる。
夜空に星屑が軌跡を描けば、それは橇の残した希望の光。
誰もが夢見る奇跡の夜、クリスマス。
『あ、サンタさん、息子さん発見したわ!』
「お! ほんとかね?」
『な、自慢の鼻っつっただろう?』
私は橇から身を乗り出す。ううん、ここからじゃよく見えないぞ。
「Merry Xmas & Present for You!」
え? その出し抜けの台詞に、私は不審げに振りかえる。
そして、目を丸くした。
スーの小さな手のひらが、私を押す。二頭のトナカイが私を足蹴にする。
体が宙に放り出された。
スー、トナトナ、カイカイの姿が、見る間に小さくなり……、
うわああぁぁぁぁぁぁ……!!
私は、真っ逆さまに落ちていった。