喉笛の塔はダミ声で歌う

第57話 墓所の花

 今後の方針がさだまり、四人は物見台から下へとおりることになった。
 ラジェが車椅子をまわして〈喉笛の塔〉に背を向けさせる。オースターは首だけを巡らせて、塔の様子をもう一度、目に焼きつけた。
(トマ、待っていて)
 想いが伝わるように、オースターは手首に巻いた飾り紐に語りかけた。
(かならずそこから助けだすから)
 そして視線をそらし、階段のうえで待つルピィとコルティスのもとに向かった。

「じゃ、また背負うから掴まって、オースター。ラジェさんは車椅子をお願いします」
 のぼりと同じように、コルティスが車椅子の前にしゃがみ、負ぶさるよううながす。
 オースターが腕を伸ばしたところで、ルピィが舌打ちした。
「おまえが車椅子を運べ。従者がいるのに、同級生が背負うなど、不自然だろうが」
「……っあーもーなんだよ! ああやれ、こうやれって!」
 オースターは苦笑した。
「僕とコルティスのふたりだけで話ができるよう、機会をつくってくれたんだよ、ルピィは」
「そうかなあ。いやがらせとしか思えないけどっ」
 コルティスは鼻頭に皺を刻み、「かしこまりました、大公殿下」と皮肉いっぱいの口調で言って立ちあがった。
「ルピィ。君ともすこし話がしたい」
 おずおずと言うと、ルピィは不機嫌丸出しの顔でオースターをにらみおろした。
「この私に、おまえを背負えと?」
「それはラジェに。話しやすいよう隣を歩いてくれるだけでいいから」
 ルピィはしばらく無言でオースターを見つめ、やがてラジェとコルティスに冷ややかな目線を送った。
「車椅子をコルティスに。コルティス、おまえは先に行って、下で待っていろ」 

 カツン、カツンとルピィの杖が、石づくりの螺旋階段を打つ。
 願いどおりに、ラジェに背負われたオースターの隣で、ルピィが階段をおりる。
 オースターの心情を慮ってか、ラジェはいつも以上に自らの気配を消し、ここにはいないものとしてふるまってくれた。
「ひとつだけ、聞きたいことがあるんだ」
「なんだ」
 ルピィが性急に先をうながしてくる。
 それでもオースターは躊躇した。夕刻には戴冠式を迎え、大公となるルピィとこうして腹を割って話をする機会は、きっともう滅多に来ない。これが最後の機会だと思うのだが、ものすごく聞きにくいし、たまらなく緊張する。
「僕の……ううん、姉の葬儀のときだけど」
「おまえの姉君の葬儀がなんだ」
「いちいち急かさないでよ。……なんで、姉の墓に花を添えてくれたのかなって聞きたくて」
 ルピィは一瞬なんの話かと眉を寄せるが、泳ぐ視線の向こうに古い記憶を見出したのか、気まずそうにうめいた。
「……見ていたのか」
「ごめん。見ちゃった」
 覗き見していた気まずさをごまかすために、オースターは軽い口調で謝る。
「深い意味はない」
 だが、きっぱりと言われると、オースターは赤面した。
「そ、そっか。わかった。うん。ごめんね、それだけなんだ」
 恥ずかしい。長年の嘘がばれ、心が軽くなったついでに口も軽くして聞いてしまおうと思ったのだが、聞かなければよかった。
「いずれ添うはずだった相手が亡くなったんだ。墓所に花を添えるぐらい、自然なことだろう」
「そっかあ……」
 オースターは虚空を見つめ、首をかしげ、勢いよくルピィを振りかえった。
「……えっ!?」
「おまえは本当になにも聞かされていないな」
 ため息まじりに責められて、オースターはおたおたとラジェの後頭部を見下ろした。気配を察してか、ラジェがあわてた様子で「なにも存じません」とばかりに首を横に振った。
「でも、僕らの家はずっと仲が悪かったのに……」
「私たちが子供の頃、一度だけ歩み寄ろうとした時期があったのだ。大公殿下の在位が長く、大公家の力が増しすぎていた。元老院がないがしろにされることも多く、公爵家など名ばかりの状態がつづいていたらしい。どちらが言い出したかは知らんが、ふたつの公爵家が歩み寄ることで、大公家をけん制するつもりでいたようだ」
 脳裏に浮かぶのは、ライエニーの墓所を前に立ちつくす、幼いルピィの姿。
 列席者がみな去ったあともひとり残り、近くに咲いていた白い花を摘みとって、墓所の扉の前にそなえてくれた。
 ルピィだけがひとり、少女の死を悼んでくれた。
「まさか、本人が見ていたとはな」
 恨めしげにぼやくルピィ。思ってもみなかった事実に言葉をなくすと、ルピィはすこし迷った様子を見せてから、重たげに口を開いた。
「会ったことはなかったが、アラングリモ家から贈られてきた姿絵を部屋に飾っていた」
「え!?」
「いちいち驚くな」
「えっ、だ、だって、ぼ、僕の姿絵を、君が?」
「おまえの姉君の、だ」
 低い声で訂正され、オースターは「姉上の!」と急いで言いなおす。 
「姿絵だけでは、どんな娘なのかわからなかった。だから会える日を幼いながらに心待ちにしていた。……あんな形で初対面を迎えるとは想像もしていなかった。だから花を添えた。いっときでも婚約者だったひとへの、せめてもの手向けになればと思ったのだ」
 二度と戻らない遠い日々に思いを馳せるような、静かな追憶の眼差しだった。

 もしかしたら、あり得ていた未来。
 そして、もう二度と手に入らない未来。
 オースターがこれから進むべき道は、ルピィの道と決して重なることはない。
 けれど――。

「ありがとう、ルピィ」
 万感の思いをこめて、感謝を伝える。
「嬉しかった。すごく。すごく嬉しかったんだよ。だから、ありがとう。……それだけを、ずっと伝えたかった」
 大公殿下を亡くしたいま、大公家の一族が権力を保持するには、新大公家となるドファール家と誼を結ぶほかない。
 ルピィはおそらく即位式と同時に、元婚約者であり、大公家筋の令嬢シュレイ・アラーティスとの婚姻を発表するだろう。それでなければ、大公家もまた不穏分子として懐に抱えこむことになるのだから。
 そして、オースターはその未来を「男」として見守りつづけるのだ。
 悲しみがないわけではない。もしも時を巻き戻せたらと思わないわけでもない。けれど、もうすでに長い年月を男として生きてきた。オースターにとって、ルピィとどうこうなる未来は、やはり現実的ではなかった。
 螺旋階段が終わりにちかづく。ルピィもそれに気づいてか、詰めていた息をふっと吐きだした。
「あんな名もわからん花ごときに、十年も喜んでいられるとは安上がりな女だな。私に嫁いでいれば、毎日、屋敷を花で埋めつくしてやったものを……おまえの姉君は、死んで損をしたぞ」
「なんだよそれ」
 オースターは呆れ、にやりと笑った。
「花を一輪あげたら喜んだからって、『じゃあ屋敷を花で埋めつくしてやろう』って発想、すっごく安易で、笑っちゃうなー」
「なんだと?」
「気をつけなよ、ルピィ。手紙のやりとりから察するに、僕の元婚約者でもあらせられるアラーティス嬢は、花なんかじゃぜったいに満足しない方だ。洋服、宝石、屋敷、土地、最新の電気自動車……ドファール家はお金がないのに大丈夫かな?」
「ふん。大公の妻になる女を甘やかす気はない」
 不敵に笑うルピィがおかしい。オースターはくっくっと笑う。
「あ。もうひとつ、ついでに聞いていい?」
 面倒そうにルピィが顔をしかめる。
「僕の職場体験学習先、下水道掃除夫って勝手に書いて提出したの、ルピィ?」
 ルピィは「なにを今さら」という顔をした。
「私以外に誰がいる。おまえの馬鹿さ加減に腹が立っていたんで、書きかえてやったんだ。まさかそれを父上に利用されようとは、さすがに予想はしていなかったがな」
「やっぱりね。おかげさまで、最高の職場体験学習になったよ」
 にらみつけて言ってやると、ルピィは性格悪く笑った。
「いい勉強になっただろう? オースター」

 先に行くと言いのこして、ルピィが階下へとおりていく。
 それを見送るために足を止めていたラジェは、杖の音が十分に遠ざかるまで待ってから囁きかけてきた。
「もう、ラジェめしかおりません。泣きたければ、泣いてもかまわないのですよ?」
 オースターは目をまたたかせた。
 意味を理解し、苦笑してラジェの首に抱きつく。
「なんで泣かないといけないのさ。それに、もう泣きつかれちゃったよ」
「失恋しましたのに……ぐぇ、苦しうございます、ご主人さま」
 真顔でラジェの首を絞めていたオースターは、手をゆるめて笑った。
「寛大にも死罪を免れ、アラングリモ家の存続まで許された。いずれ公爵位を継ぐことまで約束された。これ以上ないぐらいに幸運なことだよ、これは。……それに、僕は嬉しいんだ。本当に」
「なにがでしょうか」
「ずっと、ルピィに言いたかったんだ。お花をありがとうって」
「……さようでございますか」
「そう。だから、僕はこれ以上ないぐらい幸せ者だ。これは嘘じゃないよ、ラジェ」
「はい」
 オースターは深く息を吸いこみ、「よし!」と大きくうなずいた。
「ホロロ族を迎える準備をしよう。まずは髪を切ってもらわないとね。いくらなんでもひどい頭だ」
「頬ももうすこし冷やしましょう。奥様に平手打ちされたところが腫れております」
 ああ、そういえば。アキにも叩かれて、そこをさらに母に引っ叩かれたのだった。
「継承権を放棄した理由が、ドファール家に暗殺されかかったからだ、なんて思われたら大変だもんね。しっかり見栄えをよくしないと。見栄えよく……それでいて、病人っぽく。よろしく頼むよ、ラジェ」
「心得ております」

 なんて嘘だらけの人生だろう。
 けれど、これまでとはすこし違う。この嘘は、アラングリモ家のためでも母の名誉のためでもない、ランファルド大公国の平穏な未来のためなのだ。
 そう思えば、いままでよりもずっと胸を張って嘘を貫きとおせる。

「アラングリモ家の嫡子たる者、祖先の名に恥じぬよう、誇りたかくあれ」

 父の残した家訓を口にし、オースターは笑った。 
「さ、行くよ。ラジェ」
「はい。オースター様」
 ラジェはオースターをしっかりと背負いなおして、螺旋階段をふたたびおりはじめた。

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