喉笛の塔はダミ声で歌う

第55話 君を許さない

 ラジェの助けを借りて、車椅子に座る。そのままラジェが車椅子を押そうとするが、ルピィがそれを手で制した。
「コルティス。おまえが押せ」
「……えっ?」
「お待ちください、ルピィ様。不慣れな方に、オースター様をお任せするわけには」
 ぎょっとするコルティスに、すかさず口を挟むラジェ。それらをルピィが冷ややかに睥睨する。
「誰がおまえに意見を求めた、罪人。私の許しなく口を開くな」
 ぐっ。ラジェは顔をしかめて、渋々ながらに車椅子の後ろをコルティスに譲った。
 コルティスは途方にくれた様子で立ちつくすが、やがてむっつり顔でオースターの背後にまわると、無言で車椅子の手すりを掴んだ。
「あ……ありがとう、コルティス」
 おずおずと礼を言うオースターに、コルティスが無愛想に「ん」と返事をする。
 ルピィの先導のもと、廊下に出る。昼の光に白んだ廊下には、人の気配が皆無だった。
「どこに行くの?」
「屋上だ」
 ルピィが端的に答える。行けばわかるという口ぶりに、オースターもそれ以上なにも聞けなくなる。
 廊下をしばらく進み、右に折れ、左に曲がったところで螺旋階段が現れる。普段使うことはないが、西棟、東棟それぞれにある屋上へとつづく内階段である。
 ルピィがさっさと階段をのぼりはじめる。コルティスがあわててルピィに声をかけた。
「車椅子、どうするのさ?」
「そんなこと自分で考えろ。なんのために体に頭をつけている、学者気取りが。私は先に行くぞ」
 ルピィの姿が螺旋の上に消え、杖の音もいっしょに上方へと遠ざかっていく。
「……なんだよ、偉そうに」
 恨めしげにつぶやいてから、コルティスは道々ずっと不満顔だったラジェに目をやった。
「あのー、ぼくが車椅子を上まで運びますから、あなたが――」
「おまえがご令嬢を背負え! 車椅子は罪人に運ばせろ」
 階上から命令口調の指示が飛んでくる。
 コルティスは「地獄耳っ」と毒づいてから、がくりと肩を落とした。
「……車椅子をお願いします、ラジェさん」
 本来、アラングリモ家の従者が他家の人間に従う義務はないのだが、ルピィに「罪人」と呼ばれてしまっては、ラジェも逆らいようがない。悄然として「……はい」とうなずく。
 コルティスが車椅子の前にまわりこんだ。オースターに背を向けてしゃがみ、両腕を後ろにまわして「どうぞ」とうながしてくる。
 オースターは戸惑いながらも腕を伸ばして、コルティスの肩に手をかけた。おずおずとその背に体を預けると、しっかと両足を掴まれ、おもいのほか強い力で背負われる。
(背丈はそんなに変わらないのにな)
 男を演じる必要はもうなくなったのに、腕力の差を目の当たりにして、なぜか胸が痛んだ。
 コルティスが、はらはらと両手を上下させて見守るラジェに顔を向けた。
「先に屋上に行って、待っていてください。ルピィを待たせたら、あとが面倒くさいので」
 ラジェは観念したようにうなずくと、軽々と車椅子を抱えあげ、螺旋階段をのぼっていった。
「じゃあ、ぼくらも行くよ」
「う、うん」
 コルティスはゆっくりと、慎重に、オースターの体を気づかうようにして階段をのぼりはじめた。
「具合は大丈夫なの?」
 コルティスがぽそりと言う。
「あ、うん。大丈夫」
「嘘つき。ちっとも大丈夫じゃないじゃないか。人に背負われてさ」
 むすっとした口調だ。オースターはうなずく。
「そうだね」
「嘘ばかりだ、君は」
「……うん」
 なにも言えずに、オースターはもう一度うなずく。
 一段、一段とのぼりながら、コルティスは淡々と訊ねてくる。
「嘘は、苦しかった?」
 オースターはためらいながらもうなずく。
「こんなに弱っちゃうぐらいに?」
 もう一度、うなずく。
「ぼくはすごく怒ってる」
 コルティスが言った。
「癪だけど、ルピィの言うとおりだ。学者気取り。まさにそうだった。ぼくは学者を気取ってるだけで、本当はなんにも見えてなかったんだ。〈喉笛の塔〉のことも、君のことだってそうだ。……君の嘘に気づきもしなかったなんて。親友のつもりでいたのに、なんにも見えてなかったなんて。最悪だよ」
 後ろ頭を向けたコルティスの表情はわからない。
 けれど、眼鏡のフレームを載せた耳のふちは、真っ赤に染まっていた。
「コルティス……」
「ぼくは、君に対しても怒ってるんだよ! ものすごく!」
 声が反響し、物見塔の内階段にわんと響きわたった。
「親友が女の子だったからって、ぼくが友達やめるとでも思った? ひとを馬鹿にするのもいい加減にしてよ。言っとくけどね、そんなことぐらいで、ぼくは君の親友をやめるつもりはないから!」
 コルティスは片腕をオースターから離し、腹を立てた様子で眼鏡をとった。目もとをぐいっと制服の袖でぬぐい、もう一度かけなおす。そして、ふたたび両腕でオースターを背負いなおし、階段をのぼりはじめた。
 目頭が熱くなる。涙が堰を切って溢れそうになり、オースターはぎゅっと固く目を閉じた。
「ごめん、コルティス」
「許さないよ!」
「ごめんなさい」
「許さないったら!」
 オースターは唇を噛みしめ、コルティスの後頭部に額を押しつけた。
「話してくれたらよかったんだよ。ううん、いつかぜんぶ話すって約束したくせに、なんだよ、嘘つき。こんなに痩せて、紙みたいに軽くなっちゃって、ばかみたいだよ、君!」
「……うん。本当に、ばかだ」
「そうだよ、ばか! まぬけ! 男装の変態野郎!」
「うん」
 勢いまかせのコルティスの罵倒に、オースターはうなずく。
 そして、すこし考えてから、半泣きの半笑いになって顔をあげた。
「……待って。男装の変態野郎はなくない?」
「ぼくに反論する気!? いいんだよ、君なんか男装の変態野郎で! あ、野郎じゃないから……変態令嬢か」
 今度こそ、オースターは涙を零しながら噴きだした。
「ひどいや」
 コルティスも堪えきれなかったのか「ぶふっ」と噴きだしてから、真面目な口調をつくろって言った。
「オースターほどじゃない」


 屋上に出ると、気持ちのいい風がざんばらになった金髪を揺らした。
 澄んだ秋の空が頭上いっぱいに広がる。雨上がりの日差しが思いのほか強く照りつけてはくるが、さすがにもう肌寒かった。
 先に上がって待っていたラジェが、じろりとコルティスをにらみつけた。「ばか」だの「変態」だののやり取りが聞こえていたのかもしれない。
「コルティス様、あとはお任せを。オースター様、車椅子へ。膝掛けをどうぞ」
 むっつりと言って、強引にコルティスの背からオースターを奪いかえすラジェ。如才ない手つきで車椅子におろすと、手品みたいに膝掛けとケープを取りだし、オースターの暖を確保してくれる。恥ずかしくなるぐらいの過保護さだが、すこし寒かったからありがたい。
 かたわらに立つコルティスの目もとは、分厚い眼鏡でも隠しきれないほど赤らんでいた。オースターもきっと同じようなありさまだったのだろう、コルティスが気まずげに苦笑した。オースターも同じほほえみを返す。
 ――謝って、謝りきれるものではない。けれど、「許さない」と言いながらも、オースターが身勝手な涙を流すことを許してくれたコルティスの存在が、途方もなくありがたかった。
 ルピィは屋上のいちばん奥、胸の高さほどの胸壁に身を預けて立っていた。銀色の髪を風に揺らしながら、物憂げな眼差しで北の方角を見つめている。
 オースターがラジェにうなずきかけると、ラジェは車椅子を押して、ルピィのいるほうへと歩きだした。
「見えるか、オースター」
 車椅子に座っていると、胸壁は目線の高さぎりぎりだった。
 それでもルピィの言う「見せたいもの」とやらは、はっきりと見えた。
「なに、あれ」
 オースターはつぶやいたきり、言葉をなくした。
 平素なら、ここからは断崖絶壁に建つ大公宮と、その背後に建つ白亜の塔とを同時に拝むことができる――はずだった。
 いま、視界に飛びこんできた〈喉笛の塔〉は、異様な姿をしていた。
 黒いのだ。
 いいや、ただ黒いのではない。まるで、黒い蔦が縦横無尽に巻きついているかのような姿をしていた。そのせいで、塔の形が膨れあがって見えるほどに。
「覗いてごらん。すごいよ」
 コルティスから手渡された双眼鏡を目にあてがい、ふたたび〈喉笛の塔〉を見る。
「……動いてる」
 オースターはぞっとして、うめいた。
 手前の大公宮が邪魔ではっきりとは見えないが、黒い蔦に見えたものは、塔の底で目にしたあの黒い手――〈汚染〉だった。
 手の群れは塔の根本から生えているようで、それぞれがざわざわと蠢きながら、互いに長い腕を絡ませあって、白亜の塔に取りついていた。それもただ巻きついているのではない、五本の指を鉤爪の形にして、塔の外壁に爪を立てているのだ。

「まるで、塔に襲いかかっているみたいだ……」

 あまりにおぞましい光景に、オースターは体を震わせた。

第56話へ

close
横書き 縦書き