喉笛の塔はダミ声で歌う

第4話 白い花

 練習用の模擬剣が、競技場の天窓から差しこむ日差しを受けて、鋭い光を放つ。
 模擬剣は刃先を潰してあるため、当たっても出血沙汰になることはない。それでも重さは真剣と同じだけあるので、当たれば骨に響くほど痛い。
「ま、まいった!」
 オースターの剣が、相手の剣を横なぎに弾きとばしたところで降参の声があがった。観戦していた同級生から拍手が起きて、オースターは模擬剣を腰の鞘に納める。
 一礼して白線の外に退出すると、親しい同級生のひとりが駆けよってきた。
「素晴らしいよ、オースター。剣技なんてからっきしのぼくから見ても、無駄な動きがまるでない」
 モーテン男爵家の嫡男コルティスだ。目玉が小さく見えるぐらい分厚いレンズの眼鏡をかけているせいで「学者先生」と呼ばれている。
「体力じゃ、みんなに劣るから。仕方なしの省エネ戦法だよ」
「オースターは小柄だからねえ。かわりに機動力がある。素早さを武器に戦えば、そんじゃそこらの相手はかなわないよ」
 コルティスは眼鏡の端っこをくいくいと指で押しあげながら、玄人さながらな分析をする。
 少し離れたところで笑い声が弾けた。
 声の調子ですぐにわかる。ルピィの取り巻きたちの嘲笑だ。
「おいおい、あの学者メガネの馬鹿げた追従を聞いたか?」
「小柄とは聞こえよく言ったものだな。見てみろ、あの細腕を。あれではまるでデビュー前の少女だ」
 コルティスは顔をしかめ、「気にするなよ、オースター」と肩を叩いてくれる。
 もちろんオースターも慣れきったもので、気になどしない。のだが、
(少女だなんて余計なこと言うな、ばか腰ぎんちゃくども)
 こっちは朝から昨晩の大失態が脳裏をちらついて、ぴりぴりしているのだ。火に油を注ぐような真似はよしてほしい。
 オースターは、ちらり、とルピィに目をやる。
 ルピィは取り巻きのからかいに応えるでもなく、じっとこちらを見つめていた。
(あ、あれ?)
 オースターはどぎまぎして、そろりと目をそらす。そしてもう一度、今度は気づかれぬように横目をやると、
(やっぱり見ている!)
 さーっと血の気が引く。
(まさか昨晩のこと、怪しんでいるわけじゃないよね!?)
 オースターは動揺のあまりに右往左往し、コルティスが「それ整理運動?」と首をかしげた。
「そういえばルピィ、君、機甲師団の森林調査隊リーダーに選ばれたんだって?」
 ふたたび取り巻きの声がした。
 オースターは動きを止めて聞き耳をたてた。
「さすがだ。大公殿下も皇太子に君を選んだことを誇りに思われることだろう」
 オースターにこれみよがしな視線を送りながらの大げさな賞賛だ。
 振りかえると、もうルピィはこちらを見ていなかった。鷹揚に肩をすくめている。
 ほっと胸をなでおろすと同時に、複雑な思いがこみあげてきた。
(機甲師団の森林調査隊かあ……)
 右足を痛め、杖をついてはいるが、機甲師団は蒸気駆動車に乗っての仕事が多い。〈汚染〉による変異体の化け物に遭遇しても、使う武器はといえば車上安置型の大型銃火器だ。ルピィは頭がよくて機転もきくから、きっと立派に責務をこなすだろう。
(それに比べて僕のほうは……)
 またあの下水道に向かうのかと思うと気が重かった。鼻孔に悪臭がよみがえってきて、うっとなる。
 なにより、あのトマに会いたくなかった。

 一昨日の、顔合わせを兼ねた職場体験学習初日。ラクトじいじとの話を終えたあと、オースターは教育係となったトマに教わって、簡単な仕事をすることになった。先端がふたまたになった棒を操り、下水道の底に沈んだごみをさらって集める仕事だ。
「違う」
 棒の中ほどを両手で握った瞬間、トマの叱責が飛んできた。
「違う」
 汚水にふたまたを突っこんだ途端、またダミ声が耳をつんざく。
「違う!」
 それでもなんとか壊れた蔓製の籠を見つけだし、ふたまたで持ちあげようとした。ところが水を含んだそれは思いのほか重たかった。持ちあげきれずにもたついていたら、トマが容赦なく言い放った。

「非力」

 オースターは耳に残るダミ声にげっそりしながら、ため息をついた。
(サボろうかなあ……)
 なかば本気で思いながら、模擬剣を鞘ごと指定の置き場に戻す。
「次の授業が終わったら、午後から体験学習だね。楽しみだなあ。今日はなにを教えてくれるんだろう?」
 コルティスが伸びをしながら嬉しそうに言う。
「いいなあ、そう思えて。コルティスはどこの職場だっけ?」
「〈喉笛の塔〉監視所の研究室さ」
「ああ、そういえばそう言っていたね。監視ってなにするの?」
「まだよくわからないけど、発電安定率のチェックとか、都への送電が滞りなく行われているかとか、かな? 塔への侵入者を監視する業務もあるらしいけど、ぼくがいるのは研究室だから、そっちの業務は別部署がやっているらしい」
「へえ」
「近代的な設備が整っているんだ。塔のぐるりを囲う円形の建物なんだけど、二階建てでさ、最新型の昇降機まであるんだ! 内部がなんとガラス張り。予算すごいんだろうなあ」
「へ、へえ」
 下水道にはざりざりに錆びた鉄梯子があるよ。心のなかでつぶやいて、オースターはとほほとうなだれた。


 発車ベルが鳴り、地下に向かうケーブルカーが動きだす。工場地帯のあたりまで下ったところで車中はがら空きになり、オースターは椅子に腰かけ、布製の袋と箱型の鞄とを膝のうえにのせた。中には新品の作業着と、従者特製の焼き菓子が入っている。「掃除夫など餌づけでもして飼い馴らしたらよいのです」とは、ラジェの弁である。
 ほかにも、衛生局が常備しているという医薬品が一式。やはりラジェがどこからか入手してきたものだった。
 こういうものは本来、衛生局が準備するものだと思うのだが、要するに衛生局はオースターを好意的に迎え入れる気はないのだろう。
(それはつまり、ルピィがそうしろって指示したということだ)
 車窓が暗転し、車内の天井に小さな電灯がともる。
 明るい地上にいると、楽天的でいられる。けれど、暗い地下に入ってしまうと、自然、気持ちも沈んだ。
 嫌がらせには慣れた。それでも、だれかに嫌われるのはやっぱり悲しい。理由がわからなければなおさらだ。
 いっそ、自分もルピィを嫌いになれたら楽だったのだろうか。
(でも、それはできそうにない――)
 オースターの胸のなかには、今でも大切にしている思い出がある。
 もう十年も昔。
 弟「オースター」が「私」として葬られた葬儀でのこと。

 花を、くれたのだ。
 白い、名もわからぬ野の花を。


 ――「私」の葬儀は、質素なものだった。
 大戦さなかのこと、いくら公爵家といえど、社交界デビュー前の女児の葬儀に対して、列席者はまばらだった。
 本気で少女の死を悲しむ者はいなかった。母は人形のように無表情で、乳母の顔も蝋のように白く、ふたりとも”秘密”の重さに押しつぶされているようだった。
 自分はといえば、ただ混乱して立ち尽くしていた。目の前で「私」の葬儀が行われているという状況が、うまく受け止めきれなかったのだ。
(前夜に乳母の手でばっさり切られた金髪の、涼しい襟足ばかりが気になってたっけ)
 葬儀が終わると、小さな棺は先祖代々の墓所に納められた。列席者は義務を終えたとばかりに早々と去り、母も乳母に付き添われて屋敷に戻っていった。
 自分はどうしていいかわからず、ただ近くの木立に立ちつくしたまま墓所を見つめていた。
 そこに、ルピィがやってきた。
 戦争に出ている当主の代理として葬儀にやってきたルピィは、五歳とは思えぬ大人びた表情で墓所の前に立った。
 しばらく墓所の扉を見つめていたかと思うと、ふと身をかがめ、近くに咲いていた白い花をちぎりとって、扉の前に置いてくれた。
 悲しげに見えるまなざしで花びらを撫ぜるルピィ。
 ひとつ年下の少年は、礼儀正しく一礼すると、きびすを返して去っていった。
 ――あのとき胸にうずまいた感情を、なんと表現すればいいだろう。
 冷たかった体がじんと溶けた。誰も悲しまない「私」の死を嘆いてくれるひとがいると知って、どうしようもないほど嬉しく、そして悲しかった。
 あのとき、はじめて「私」は死んだのだということを理解したのだ――。


 がたん、と車両が揺れて、停車する。
 はっと我にかえり、オースターは薄暗い駅舎に下車した。

〈地下第一区七番駅〉である。

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