小説(長編小説)王宮の自動人形|王宮の過労人形




【諸注意】
この物語は、第一章の数年後、第二章の少し前に起きた出来事を、極めてふざけたタッチで描く、コメディ自己パロディです。有り得ないことが起きる上に、登場人物たちもキャラ崩壊していますが、あくまでパロディですので、くれぐれもまじめに読みませんよう……。

「王宮の過労人形」

「ガーサさあ、最近薄くなったよな。脳天が」
 彼の一日は、最愛の娘のこんな一言から始まった。


「というわけなんだぁああー!」
「ああ、そう。ふーん」
 それは、心地よく晴れた日の早朝のことだった。
 美貌の魔終師イスティーノ=アシュラスは、朝霧を窓の外に見ながら、紅茶のカップをくいっと持ち上げた。
 彼の朝はいつも変わらない。
 一杯の紅茶と、この日の朝に相応しかろうと選びぬいた詩集。庭先から聞こえる鳥の囁きは実に可愛らしく、奥の部屋から聞こえてくる妻の声はそれにも勝って愛らしかった。
 そう、彼の朝はいつも変わらない。
 たとえ勝手口から誰かが侵入してこようと、そいつが土足厳禁の屋内を泥まみれの靴で走りまわろうと、花瓶を持った侍女とぶつかって床を水浸しにし、侍女相手に平謝りしようと、今現在、隣で「お前誰?」って感じに吼えていようと、勝手に朝食のトーストを一枚失敬していようと、それが学舎時代からの親友であるガーサ=シュティッバー(魔仲師三十云歳)であろうと、何も変わりはしない。
 実に、優雅な朝だ。
「聞いているのか、イスター!」
 丸卓に拳が叩きつけられ、皿の上でトーストが跳ねた。うん、お茶目な光景だ。
「聞いているさ、ガーサ。それで俺にどうしろと?」
 視線は詩集に落としたまま、微笑を浮かべて聞いてやる。
 と、ガーサが苛々した様子で、手から詩集をぶんどっていった。
「あ」
「あ、じゃない! こんな軟弱な本を読んでいるから、部下に“白鳥の君”なんて情けない名前で呼ばれるんだ!」
「俺は別に、そのことを不自由には思っていないけど? それに、軟弱というが、これは皇帝陛下も愛読されている詩集だよ、ガーサ」
 にこやかに言われ、ガーサはぐっと言葉を詰まらせた。
「で、俺にどうしてほしいんだい?」
 ガーサは挙動不審に辺りの様子を伺い、誰もいないことを確認すると、こほんと咳払いをした。
「実は今朝、メラスに髪が薄くなったと言われたんだ。しかもその時、とても嫌そうな顔をしていて。メラスはきっと、ハゲが嫌いなんだ……!」
「それはさっき聞いたよ。それで、どうしてほしいの?」
「ああ。……ずばり」
 ガーサは拳を胸元で握りしめ、切実に顔を引きしめた。
「脳天のハゲチェックをしてくれ!」
 バキャア……!!
 強烈な破壊音をたてて、ガーサの体が壁まで吹っ飛んだ。
「大丈夫。ハゲてないよ」
「ちょ……と、待てい!」
 壁にめりこんだガーサは、どうにか外に這いでながら叫んだ。
 イスティーノはトーストを手に取り、にこりと振りかえった。
「何だい?」
「何だいとはよく言えたもんだな。今、私を蹴っただろ。え!? 蹴っただろ!?」
「……ん、今日のトーストは少し硬いな」
「聞けぇ!」
 首根っこを掴まれ、上下左右に揺すられたイスティーノは、突如「ああ……っ」と悲痛な表情で、丸卓に突っ伏した。
「すまない。つい……本当に、思わずだったんだ。悪気はなかったんだよ、ガーサ。ただ、情けなくなっただけなんだ。俺の優雅で華麗な朝が、よりによって君の脳天ひとつでかくも無残に打ち砕かれるなんて! 情けないやら、悔しいやらで、ついつい長い足が出てしまったんだよ……!」
「……おい」
「悪気はない、悪気はないんだ! ああ、俺の大切な親友よ!」
「……おい、こら」
「何だい、ガーサ。――あれ!? どうしたんだ!? 頭から紅茶を飲むなんて、結構意地汚いんだね、君」
「……っお前がさっきから注いでるんだ、黒鳥の君がー!」
「それは言いがかりだよ。だって紅茶は頭にかけるものじゃない。飲むものだ、口でね?」
「誰に言ってるんだ、それは。ええ?」
 イスティーノは再び微笑むと、ガーサの手から詩集を奪いかえし、何事もなかったように読みはじめた。どうやら強行的に優雅な朝を演出しきるつもりらしい。
 紅茶を頭から垂れ流したガーサは、打ちひしがれ、何も言わずに立ち去ろうとする。
「ガーサ」
 寂しげなその背中に、イスティーノが声をかけた。
「そんなにハゲが気になるなら、ファイファンダ老に訊いてみたらどうだい?」
「……何を。ハゲてる人に、ハゲ防止法を聞くのか?」
 空ろに問いかえすと、イスティーノは笑顔で人差し指を立てた。
「逆さ。ハゲた理由を聞けば、ハゲないための方法も導けるっていうものだろう?」
「――な、なるほど!」
 ガーサは目を輝かせ、幾度もうなずいた。
「さすがはイスタ、私の親友! 早速、訊いてみるよ! それじゃ、ごきげんよう!」
「はい。ごきげんよう」
 どびゅーんっと台風みたいな音をたてて、ガーサが走り去った。
 後に残されたイスティーノはふっと笑って、乳白色の朝霧を、あくまで優雅に眺めるのだった。

 ファイファンダ=ファイフォンドは、海明遼国最強との呼び声高い、支初師である。
 御齢六十歳のファイファンダは、今朝も自宅の庭先で太極拳なぞをやっていた。特有のゆったりとした動作ゆえに、雀が二、三羽、肩に止まっているが、彼らとはもう長い付き合いだ。髭を抜いて、どこかに巣をこさえているらしい黒色の雀が、チュン三郎。服に穴をこじ開けて、嘴を入れたり出したりして遊ぶのが好きな茶色の雀が、チュン次郎。もう一羽、特にこれといって言うべきこともない特徴のないのが、チュン零だ。
 そんなこと別にどうでもいいのだが、ともかく彼も彼なりに優雅な朝を迎えていた。
「ファインファンダ殿ー!」
「ん?」
 と、庭に転がる勢いで入ってきた男がいた。同僚のガーサである。
「おお、ガーサか。どうしたね?」
 太極拳の手を休めると、ガーサはせいぜいと息を切らしてから、こちらに接近してきた。
「実は、お聞きしたいことがあるのです」
 接吻されるのか!? と年甲斐もなく思ってしまうほど間近で――年甲斐の問題か? ――、ガーサはぴたりと足を止めた。その思いつめた表情に、ファイファンダは目を瞬かせる。
「うむ。遠慮なく、なんでも聞くがよいぞ」
「はい。実は、メラスが……」
「メ、メラスがどうした!?」
 ガーサの養女メラスは、老年のファイファンダにとって孫娘のように大切な存在だ。緊急事態かと息を詰めると、ガーサはくわっと目を見開いて言った。
「ハゲが、嫌いなようなんです……!」
「……――」
「ハゲが、ハゲが、ハゲが……!」
 ファイファンダは綺麗に剥げた頭を不穏に光らせると、壁に立てかけておいた巨大な瘤付きの杖を取りあげた。
「もしやおぬし、わしに喧嘩を売りに来たのかね?」
 ガーサはぴたりと泣くのをやめて、真剣に首を横に振った。
「まさか。私がファイファンダ老に喧嘩を? 有り得ない」
「どの口が言うのかのう、どの口が」
「それで実は、お聞きしたいことがあって……」
 身を乗り出したガーサにつられて、ファイファンダも怒りを忘れて耳を寄せる。
 そしてガーサは、周囲を警戒しながら小声で言った。
「どうして、ハゲたんですか?」
「秘技! 雀の鉄拳――!!」
 バコーンッ!!
 ぴゅーん……!!
 ガーサが空を飛ぶ。飛んで飛んで、お空の星になる。
 ファイファンダは瘤に血痕がついた杖を地面にどんっと突き刺し、ふぅと溜め息をついた。
「……世に稀なる、夜明けの流星かな」
 短く謡って、最強軍師は、可愛い雀たちと太極拳を再開するのだった。


 魔仲師補佐カイ=コワルチューンは、宮廷の紅千柱大廊を書類片手に歩いていた。
 出勤途中である。普段通り、特に変哲もない早朝だ。
 ぴゅーーーーん……!!
 ドカーン!!
「…………」
 カイは空から降ってきた、しかも目の前の床に突き刺さったモノの正体を図りかねて、硬直した。そのモノは、こちらがぽかんとしている間にも、ジタバタと体をばたつかせている。どうやら人間らしい、床にめり込んだ頭を必死に引き抜こうとしているのだ。
 すぽんっ。
 頭が抜けた。
「……あら。ガーサ仲師じゃないですか」
 パニックを起こした脳みそが、何故か冷静を装おうことをカイに命じた。異常なこの状況に不似合いな台詞に、ガーサが泥まみれの顔を不審げに持ち上げる。
「あれ、カイじゃないか。もう出勤かい?」
「はい、もう六時の朝議が始まりますので」
「六時!? ……なんてことだ。では私は、三十分も空を飛んでいたのか」
「……その、ようですね」
 一見まともな会話をしつつ、気まずい気分で目線を泳がせるカイ。
「ええと……」
 あまり知りたくなかったが、間が持たないので、カイは思い切って訊ねることにした。
「何してらっしゃるんです?」
 ……。
「何してるんだろうね……」


「まあ、メラスちゃんがそんなことを?」
「そうなんだよ」
 二人はどうにか普通の状況を取り戻し、師武官庁へと歩いていた。
 カイは人差し指を唇に押し当てて、ガーサの頭頂部を見つめて首を傾げた。
「特に、薄くはなっていらっしゃらないと思いますが」
「……嘘はいいよ、カイ。本当のことを言ってくれれば」
 じっとりと見られ、カイはたじろぎつつ、どうにか微笑みを返した。
「嘘など言ってはおりませんが、そんなに気になるのでしたら、ご自分でご覧になったら?」
 ぴくり。ガーサの眉が跳ね上がった。
「分かっていないな、カイ。鏡で自分の脳天を見るなんて不可能だよ。せめて残像が見えないかと、さっさっと素早く鏡を見たって、脳天なんか見れっこない。試すのも愚かさ」
「試したんですね……。――そうではなくて、大面の鏡に自分の脳天を映して、手鏡に鏡に映った脳天を映せば、簡単に見れますよ」
「…………」
 気まずさ絶好調な沈黙が下りる。
 ガーサは乾いた笑い声を上げ、目の前に見えてきた建物を指さした。
「あ、師武官庁だ! 早いなあ」
「わあ、本当ですね! 早−い!」
「…………」
「…………」
 二人はとりあえず歩くことに専念した。



「だからさ、ガーサっていつも人に気を遣ったり、考えすぎたりするだろ? 相変わらず仕事量も多いし、心配なんだよ。それで、ハゲてきたなって言ってやったわけ」
 メラスは昼休み、学舎の食堂で、何故かいるフォレスに向かって、得意げに箸を向けた。
「そしたらハゲるの気にして、仕事しすぎたり、考えすぎたりするのを少しは自粛するだろうって寸法だ。どうだ!」
「ふーん……」
 くどいが、何故かいるフォレスは、学食一番人気のトロピカルジュースのストローをかじかじと齧りながら、ぼけーっと思った。
(ガーサの場合、それってかなり逆効果な気が……)
「な、私って親孝行だろう!?」
「…………」
 のんびりとした昼下がり、メラスの無邪気な笑顔を見ながら、フォレスは「ま、いっか」なんて思ったりするのだった。




おわり