眠る前のあの歌を…

02

「静かだなぁ」
 浜辺に波が打ち付ける音を聞きながら、バザークは船縁に体を預けて一人呟いた。
 静かだ。普段の賑やかさが嘘のように、船全体が静けさに満ちている。先ほどまでは、あんなに騒がしかったというのに。
 船員たちがいなくなった船は、タネキア大陸の周辺を取り囲む群島の中の一つ、無人の小島の入り江に停泊していた。
 この辺りは地形が入り組んでいる上に天然の洞窟も多く、海軍から船を隠すには絶好の場所……バクスクラッシャーが町下りをする際には、船を隠すためによく利用する場所だった。
 無人島には当然人などいない。いるのは鳥や魚など小さな生き物と、そして──。
「静かだなぁ、じゃない。昼食当番はお前だろうが」
 唐突に後ろから声をかけられて、バザークは慌てて背後を振り返った。
 振り返った先には、無人島にいるたった三人の人間の内の一人であるホーバーが、腕組して立っていた。
「いつになったら作り出すわけ?」
 よほど腹が減ったのか、怒り気味のホーバーに、バザークは「いやーなんかなにかと忙しくて」とごまかし笑う。
「へぇー、なにかと忙しそうにはちっともまったく見えなかったけど」
「ああ、いやだなホーバー! 鳥さんや風さんと語り合う僕の姿が、見えてなかったのかい……?」
「……見えないし、見たくもありません」
 普段は女性の耳元で囁きかけるような言葉をかましてくるバザークに、ホーバーは怖気のあまりに身震いする。
「照れるな照れるな……って、催促するほど腹減ってんの? 俺、朝飯遅かったから、まだあんま減ってないんだけど……お前、朝飯は?」
「寝過ごして、食いっぱぐれた」
「わたくしごとか!」
 惰眠大好き男の頭にチョップを喰らわせつつ、そういえば昨夜はかなり遅くまで船長会議が開かれていたことを思い出す。
 そうならそうと言えばいいのに。実際、昼飯の時間をかなり過ぎていることは棚に上げておいて、バザークは微苦笑すると、大仰な動作で自分の胸に手を当てた。
「よし、そういうことならしょうがない! 哀れな飯抜き男のために、忙しい中俺が飯を作ってやることにするか!」
「……元から昼食当番だろっての」
「そういえばクロルは?」
 適切な突っ込みを笑顔で無視して、バザークは帆船のあちらこちらを見回した。ホーバーもつられて周囲を見回しながら首を傾げる。
「さあ、泳いでるんじゃない? 暑いったらないよ! とか、吠えてたから」
「なるほど」
 手を大げさに広げて、「暑いったらないよ!」と吠えるクロルの姿は、容易に想像がつく。
 バザークは柔らかな微笑みを浮かべた。
 そして、ホーバーも静かに笑みを浮かべていた。
 ──互いにクロルのことを想って。
「ホーバー」
 バザークはふと真顔になってそう呼びかけた。
「ん?」
 親友の突然の真剣な顔に、ホーバーは首を傾げた。
「この一週間で、俺はクロルを落とすよ」
 そして言われた一言に、ホーバーは目を大きく見開いた。
 人気のない甲板に風が涼しい駆け抜けてゆく。風に乗って波がさざめく音が聞こえ、それに混じってクロルの声が聞こえてくる気がした。
 風を頬に受けていたホーバーは、随分経ってから吹き出した。
「やめとけ、バザーク! 顔面に鉄拳喰らって、二度と見れない顔にされるのがオチだぞ!」
 しかしバザークは、そんなホーバーの様子を無言で見つめるばかりだった。
 ホーバーの顔から笑みが引いた。
「……本気か?」
「ああ」
 はっきりと頷くと、ホーバーは言葉を失った。
 遠くから聞こえてくる波の音が五回繰り返されて、彼はようやっと口を開く。
「……知らなかった。そっか、お前がクロルを」
 そんなそぶりを見せたことなど、なかったのに。
 いや、あったといえばあったのだが、バクスクラッシャーの船員全員(もちろん女に限る)をしっかり平等に口説いていたから気づかなかった。
 ホーバーは口元に手を当てて、しばらく沈黙した末に、どこか面白げに笑ってバザークの肩を叩いた。
「ま、がんばれ。応援ぐらいならしてやるよ」
「応援なんていらない。お前は自分の応援してろ」
 一言だけ言って船室に引き下がろうと背を向けるホーバーに、バザークは静かだがきっぱりとした口調で言った。
 ホーバーが驚いた様子で振り返ってくる。
「……どういう意味だ?」
「さあ。どういう意味でしょう」
「…………」
 バザークはまるで挑むような目つきで、言葉を無くすホーバーをじっと見据えた。
「なーんてね」
 真顔になったとき同様の唐突さで、バザークはガラリと表情を明るいものに変えた。
「さて、飯でも作りますか!」
 今までの真剣さが嘘であったように、バザークは快活な表情で大きく伸びをした。
 そして、立ち尽くすホーバーの脇を通り過ぎ、バザークは厨房のある船内へと歩き去っていった。

 ──後に残されたホーバーは、小さく溜め息を落とした。

+++

「お嬢様、お食事の時間でございます」
 恭しく頭を下げるバザークに、クロルはけらけらと笑う。
「やーっと食事かい? 遅いねぇ」
 ホーバーの予想通り、クロルは無人島の白い波打ち際で、足を海水に浸したりしながら遊んでいた。クロルだけではなく、この白い浜辺は船員たちのお気に入りの場所だった。
 長く色鮮やかな巻きスカートと、袖なしの上着という軽装のクロルは、強い風に黒髪を押さえながら、口端をニッと持ち上げた。
「さて、今日のメニューは何かな、のんびり屋のコックさん」
 可愛いというより、綺麗というより、姐御! という笑い方をするクロルに、バザークは同じ笑みを返して、何故か手に持っているお玉をフリフリと振り回した。
「聞いて驚くな。今日はななななんとぉ! クロルの大好物、ロ~ルッ……キャベツだー!」
 大袈裟なアクセントをつけ、ついでに「ロ~ル」の辺りに巻き舌技を付けて、今日のメニューを紹介するバザーク。
 するとクロルは、
「本当かい! ? 嬉しいねぇ!」
 と、その顔を満面の微笑みで彩らせた。
 ──ドキ──ンッ! ! 
「どうかしたかい? バザーク」
 突如顔を赤くしてうつむき、ついでに心臓のあたりを押さえててもがいているバザークに、クロルはきょとんと首をかしげた。
 バザークはしばらく息を整えた後、前髪をフワッと払いながら顔を持ち上げ、クロルの黒い瞳を、斜め三十度の角度から真摯に見下ろし、囁いた。
「君の笑顔に目がくらんだのさ……」

 次に気づいた時には、バザークのお玉は彼の頭に突き刺さっていた。

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