眠る前のあの歌を…

01

 風のつよい夜は きみにひとつ歌をあげよう
 そよ風のように穏やかで しずかな音色を奏でよう
 今宵 きみを包む風は 揺れるゆりかごのよう
 揺れうごく籠は
 きみをのせて歌う あの歌を……

 真っ青に晴れた空。水面を撫でる穏やかな風。
 全てを包み込むような大空と大海の間に、ゆったりと浮かぶ一艘の帆船、バックロー号。
 五十人の海賊を乗せたその船の甲板は、今、穏やかな沈黙に包まれていた。
 耳に残る余韻を楽しむように船員たちは目を閉じる。余韻が消え、それが波の音に変わった瞬間、甲板は口笛と歓声とで大きく湧き上がった。
 大歓声を受け、その美声を披露した青年は、その場で優雅に会釈をした。
「ありがとう。風の強い夜はこの歌を、そして俺のことを思い出し……」

「その無垢な心を温めてほしいな。寂しがり屋の小猫さんたち」

 そして青年──バクスクラッシャーきってのキザ舵手バザークは、赤い顔やら青い顔でくらりと倒れ伏す船員たちを尻目に、甘い甘い微笑みを浮かべるのだった。




眠る前のあの歌を…




「ひょおおおおお──!」
 五十人の乗組員たちで賑わう甲板に、突如不気味な奇声が上がった。確認するまでもなく、こういう奇声を上げるバカといえば、シャークである。
『秘儀・鶴の舞!』
 とでも言いたげに、シャークは折った片足を高々と持ち上げ、手を鳥のくちばしのようにすぼめさせる。間抜けなそのポーズが甲板中の爆笑を集めていることなど気にも止めずに、シャークは「あちょー!」と雄叫んで、即席くちばしをシュシュッ!と前に突き出した。
「っわ!」
 逃げ腰気味で彼の前に立っていたフェルカは、高速で飛んできた鶴のくちばしにビクッ!っと肩を震わせた。とっさに握りしめたのは、筒型をした缶。シャークはその中に勢いよく右手を突っ込むと、中から一本の棒を掴み出し、再び「あちょー!」と去ってゆく。
 そして、しばしの沈黙。
「──っ」
 シャークはふるふる震える手で、棒を眼前に持ち上げた。
 棒の先端には、何か色が塗られていた。
 塗られたその色は、青。
「……っひょぉぉ──」
「やかましいわっ!」
 ゲシッ!
「──ぉぉぉおう!?」
 再び雄叫び始めたシャークの背に、背後から強烈な蹴りが入った。
「ざまあないわ」
 盛大にすっ転びながら後ろを振り返ると、そこにはシャークとは犬猿の仲にある少女キャムが、蹴り足を持ち上げたままの体勢で立っていた。
 そのキャムの手の中には、やはり棒。シャークは文句を言うのも忘れ、ガビンッと顔を青くした。
「ま、まさかキャムも、青っスか!?」
「青っスよ! 文句ある!?」
 顎を反らして鼻で笑うキャムに、シャークは「ひぃっ!」とその場に崩れ落ちる。ピクッと青筋を立てて、キャムは再びその背に容赦ない蹴りを入れた。
「……あはは」
 そんな二人に乾いた笑いを浮かべながら、フェルカは他の船員たちを振り返った。
「まだ、くじ引いていない人いますかぁ?」

 バクスクラッシャー全船員たちによる、くじ引き大会。
 それは二ヶ月に一度は繰り広げられる、バクスクラッシャーでは御馴染みの光景だ。
 彼らの生活形態は、他の海賊に比べると少しばかり変わっている。
 海賊行為によって稼いだ金品、あるいは物品がある程度貯まると、彼らは最寄りの町に上陸する。そして盗品を生活費にして、一週間から二週間の間、海賊であることを隠しながら、地上で普通の生活をするのだ。
 今朝の船長会議で、水夫長リザルトから生活費が貯まったことが発表され、一週間の町下りが決定した。帆船はすでに最寄りの町の沖合いに辿り着いている。あとは小船でこっそりと上陸するだけだ。
 このくじ引きは、町で生活をする際に、行動をともにするグループを決めるために行われるものだった。

「おーう、俺まだ引いてない」
「あ、はい」
 フェルカの呼びかけの声に、甲板の隅にいたバザークがひょいと手を挙げた。
「よっ色男! まだ黄金の休暇、出てないぜー!」
「引け引けー!」
 途端、甲板中の男たちから、引け引けコールが巻き起こる。
 バザークは飛んでくる野次を、背後に薔薇でも飛んでいそうな微笑みで一蹴し、ふと恍惚と目を伏せた。
「……ああ、タネキアの乙女が俺を呼んでいる」
 くさい台詞を真顔で吐いて、バザークは差し出された缶の中から、運命の棒を一本引き抜いた。
 そして、短い沈黙の後……。
「バクス! 黄金の休暇ー!」
 一斉に、爆笑が起こった。
「どうやらタネキアの乙女は、あんたがお好みではなかったようだねぇ」
 順番待ちですぐ側に立っていたクロルが、ケタケタと笑ってバザークをからかってくる。
(……サイアク)
 バザークは忌々しげに棒を握りしめて、がっくりと肩を落とした。
 棒の先は、金色だった。
 その棒は別名を、『バクス黄金の休暇』という。
 いわゆる"居残り組"である。
 散々船の上で過ごした後の町下りは、船員たちにとって大きな憩いの一刻だ。
 荒波で船が揺れに揺れる中、壁に頭を打ちながら眠る必要もなし、汚れに汚れた甲板を涙が出るほど筋肉痛になるまで掃除する必要もなし、そして何より船員以外の人間と触れ合うことができる。
 それに対し居残り組にできることといえば、揺れる船で頭をぶつけることと、いなくなった船員たちの分まで筋肉痛になることと、居残りメンバーで「たまにはこういうのもいいねぇ……」と寂しくカードゲームをすることぐらいで。
 これから訪れる約一週間の暗い生活に思いを馳せ、バザークは心底がっくり肩を落とした。
 が。
「ありゃ?」
 バザークの後にくじを引いたクロルが、嫌そうに眉をしかめた。
 え、と横目で見上げると、クロルの手にした棒の先端が、太陽の光を浴びて輝いているのが見えた。
 その先端に塗られた色は──金。
(……っサイコー!)
 笑い転げる甲板を背に、バザークは頭を抱えたままひそかにをガッツポーズをとった。
 クロルといえば、船員たちの姐御的存在だ。気が強くて大酒呑みで、そんじゃそこらの男よりも強いけれど、明るくて優しくて、そして心の奥に弱さを秘めた女性。
 ──きっと誰も知らない。バザークが彼女のことを、好きだということを。
 色々な女性と遊んできた。女の子と出会えば、まず微笑んで「お嬢さん」と声をかける。それが日常であり、生まれ持った性格であるバザークだったが、クロルへの思いだけは飾らずに本物だった。
 最悪の居残りが、突然最高のものに代わったことに、バザークは喜びを隠せず口端を笑いで彩らせた。
「随分嬉しそうだねぇ、バザーク……?」
 それを馬鹿にされたと勘違いしたクロルが、恐ろしい微笑を浮かべて見下ろした。
 と、その時である。
「……あ。俺も金だ……」
 クロルの次にくじを引いたホーバー副船長のぼやき声が、夢見ごこちのバザークを無理やり現実に戻した。
「おや、こりゃ愉快だねぇ!」
「……愉快だね」
(……愉快すぎ)
 手を叩いて爆笑するクロルと、乾いた笑いを浮かべるホーバーの声を頭上に聞きながら、バザークはあんまりなその運命の悪戯にヨロッとふらめいた。
 いや、別にホーバーが嫌なのではない。むしろ彼は大切な親友だ。
 海賊バクスクラッシャーの副船長という地位を、威張った様子もなく自然にこなすホーバー。何かと問題の多発する船内を「少しはおとなしくしてろ!」と苛々顔で闊歩するホーバーだが、その実誰よりも仲間たちを想い、穏やかな眼差しで見守っている、優しい青年だ。
 そんなホーバーを、バザークは誇りに思っているし、単純に側にいると楽しく好きだ。
 だがクロルに関しては別だ。本人は何も言わないし、クロルも多分気付いていない。だがホーバーがクロルを好きだということは、バザークを含めた一部の船員たちにとって口にするまでもない事実だった。
 つまり、彼はライバルなのだ。
「じゃあクロル、ホーバー、バザーク、船をお願いします!」
 わずか十歳にしてこの船の船長を勤めるラギルニットが、楽しげな笑顔でぺこりと頭を下げた。
「おう、まかせとけー! ……船長は誰と?」
 金色の頭をぐりぐり撫でてくるバザークに、ラギルはにぱっと子供らしい笑みを浮かべた。
「実はまだ引いてないんだ。あまり物には福があるってねっ」
「福? ってことは……ははぁ、ラギルも誰かお目当ての女の子が?」
 ラギルの目線に合わせてしゃがみこみ、バザークはこそこそと声をひそめる。
「今回はねっ」
「ん?」
「あのね、港町にね、"虹の翼"っていうサーカス団が来るんだって! ほら、もしセインといっしょになったりなんかしたら、そんなガキくさいとこ行くもんかばーかって言って、絶対連れてってくれないもん」
「なるほどね」
 バザークはふっと笑み、ラギルの鼻頭をペシッと指ではじいた。
「そうだよなー、船長に恋はまだ早いよな」
 するとラギルはフフンッと笑って、バザークの耳元に顔を寄せ、内緒話の要領で小声で囁いた。
「がんばってね、バザーク!」
「!」
 驚くバザークからパッと顔を離すと、ラギルは笑いながらその場を駆け出して舵台へと登った。
 そして甲板に集まった五十人の船員たちに向かって、大きく口を開いた。
「それじゃ、みんな! 怪我のないようにね──!」

 おおお──う!

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