影の円舞曲

07

 静まりかえった食堂で、キャムとホーバーとは二人揃って黙りこむ。
 キャムはすんと鼻を鳴らして、ちらりとホーバーに視線をやる。ホーバーは無作法にもテーブルの上に座って、どこか途方に暮れた顔をしていた。
(なんで言っちゃったんだろう)
 キャムは椅子の上で膝を抱えてうずくまり、小さく息をつく。
 食堂に逃げてくるやいなや、言ってしまったのだ。ホーバーに。
 シャークが好きなのだ、と。
 極限まで頭が混乱していたとはいえ、とんでもない相手に、とんでもないことを明かしてしまったものである。
 でも、限界だったのだ。胸の内側で、悲しみや不安や苛立ちが行き場もないまま充満して、ついに、ぼん、と爆発してしまった。結果、たまたま目の前にいたホーバーに「シャークが好き。好きなの」と吐露を……。
(でも、ホーバー兄で良かったかもしれない)
 恥ずかしくて死にそうだったが、不思議と後悔はしていない。どちらかといえば、すっきりもしている。
 ホーバーは恋愛話を好んで話すタイプじゃないから、きっと聞きたくもない助言なんてしてこないだろうし、無神経に盛り上がったりもきっとしない。口も堅いから、シャークに「お前が好きだってよ」なんて暴露される心配もないはずだ。
 キャムは抱えた膝の内側に、また溜め息を落とした。
「別に、どうかしてほしいわけじゃないから」
 長い長い沈黙のあと、キャムはむすっとした口調で言った。怒っているわけではない。ホーバーと話すときは、ついこういう口調になってしまうのだ。
「……まあ、どうにもできないしな」
 ようやく口をきいたのでほっとしたのだろう、ホーバーは安堵の滲んだ声でそう答えた。
「笑えば。馬鹿みたいでしょ」
 キャムは自嘲気味に言う。勢いに任せて、ホーバーには舞踏会でシャークと踊りたかったことも、キャムが抱えるコンプレックスのことも、すべて話してしまってある。もっとも、しゃくりをあげながらだったし、混乱して支離滅裂になっていたから、ホーバーは訳が分からなかったと思うが。
 湿った髪を乾いた布で拭きながら、ホーバーは首を横に振った。
「いや、笑わないよ。馬鹿だとは思うけど」
「ほら、馬鹿だと思ってるんじゃない!」
 廊下に聞こえない程度の怒声をあげると、ホーバーは眉を持ちあげ、「そうだな」と笑った。
「酒でも飲むか? 確か、明日のお祭り騒ぎ用にリズがいい酒買ってたような……」
 立ちあがり、厨房の棚から酒瓶を取ってきたホーバーは、確かに上等そうなラベルのそれを惜しげもなく開栓した。一緒に持ってきた、高脚の硝子杯に注いで、キャムの前に差しだす。
「なに、この綺麗な硝子杯。こんな割れやすそうなもの、うちの船にあった?」
「舞踏会の晩餐といったら銀食器と硝子杯でしょうって言って、ダラ金がどっかからパクってきた。港町のマダムがどうのとか言ってたから、貴族の奥方様でもたぶらかして、頂戴してきたんだろ」
「……不潔」
 言いながらも、キャムは透明な硝子越しに揺れる赤い液体を、うっとりと見つめた。綺麗。口に運んで、こくりと飲むと、喉から落ちた液体が胸の奥でカッと熱くなるのを感じた。
 少し、元気が出る。
「……今からでも、謝った方が良い、よね?」
 お酒の力を借りて、キャムは思い切って問う。
 気持ちが弱っているからか、自分には珍しく素直だと思う。ホーバーに自分から助言を求めるなんて、変な感じだ。
 ホーバーは「うーん」と眉を寄せた。
「シャークもキャムがなにを怒ってたかは知らないわけだし、謝って、話をしてみてもいいかもな。キャムもすっきりするだろうし」
「なんで怒ったか、理由聞かれたら、どうしたらいい?」
 ホーバーは濡れたままの前髪を、困った顔でいじくる。
「本当のこと言ってみれば?」
「――こ、こここ、告白なんか無理だから!」
「い、いや、そうじゃなくて。俺に話したみたいに、ただ、シャークといると自分の背の低さが際立って嫌だ、気にしてるんだから、とか言う話だよ」
 キャムはしかめ面になる。
「そんなの嫌。子どもっぽいって思われる」
「思わないだろ。自分の外見を気にするのは、子どもっぽいより、女性らしいことだろ? シャークは二十九のおっさんだから、お前をいつまでも子どもだと思ってるんだろうけど、逆にそんな悩みを持ってるって聞けば、大人になったなって思うんじゃないか?」
「……そんなこと気にしてるんスか、お子ちゃまっスね~、て言うに決まってるじゃないの。目に見えるわ」
 ホーバーは「う」と呻いた。
「確かにそっちかも」
 頼りにならない。やはり話す相手を間違えたようだ。キャムはぐぬぬと呻く。
「じゃ、理由は言えないけどともかくごめん、って謝ることだな。それに俺は、どっちかというとシャークの方こそキャムに謝るべきとは思うし」
「どうして?」
「キャムのこと、突き飛ばしたんだろ?」
 突き飛ばした? キャムはきょとんとし、次いで顔を真っ赤にした。
 そういえば「シャークが好き」と打ち明けたとき、混乱に任せて「突き飛ばされた」と口走ってしまった気がする。「なんでもないのに、なんでもなかったのに、いきなり「もういいっス」って突き飛ばしてきた」とかなんとか。無意識にしていた自己弁護に気づいて、キャムは猛烈に恥ずかしくなって、両手をぶんぶんと振った。
「ち、違うの。突き飛ばされたんじゃなくて、掴んでた手を離されて……急に離されたから、転んじゃっただけで、その!」
「でも、転んだキャム見ても、手を貸さなかったんだろ?」
「え。う、それは……そうだけど。だってシャークも怒ってて……それは当然っていうか」
「怒ってるからって、転んだ相手を助けもしないなんて、それこそ子どもっぽいと思うけどな」
 そんなことないと思うが、それでも徹底的に擁護されて、キャムは少し嬉しい気持ちになる。
 ホーバーはぽりぽりと頭を掻いた。
「あいつ、意外に短気だからなあ」
 キャムは目を見開き、無意識に口許を緩めた。
「……うん。だよね。前もあんな風に怒られた」
 不思議そうにするホーバーに、キャムは少し微笑む。
「前もあんな風に突き放されたの。――私がシャークを好きになった理由」

 どうして、シャークなんか好きなんだろう。
 ふざけていて、冗談ばっかりで、顔だってお世辞にもかっこいいとは言えない。変ちくりんな丸眼鏡を鼻に乗せて、いい歳して「アチョーッ」だとか「海賊キーック!」だとか子どもみたいにふざけて。
 自分の理想はもっと大人の落ち着いた男性だったはずなのに。
(それでも、好き)
 嫌いになれるなら、とっくにそうしているのだから。

 まだ海賊になる前、キャムはバクス帝国の領海内にある名もない小島で、母とふたり暮らしをしていた。父は早くに亡くなり、親戚もいなかったため、家族は母と自分のふたりきりだった。だが島には、女手にも仕事はたくさんあり、生活に困るということはなかった。島民も優しく、「何不自由ない」と言えば嘘にはなるが、それでも穏やかで満ち足りたと胸を張れるだけの日々を送っていた。
 その日々が、突然崩れ去ったのは、キャムが十一歳になったある日のことだった。母の姿が、島を避暑地にしていた帝国貴族の目に留まり、彼が本土に帰るのと一緒に、母も島を離れることになったのである。
 母はとびきり美人というわけではなかったが、帝国の都心部に生まれたなまっちょろい白肌の男には、母の日に焼けた肌はたいそう魅力的に映ったらしい。
 花ではなく宝石で、清らかな汗ではなく人工の香水で身を飾った母は、娘のキャムが唖然とするほど浮かれた足取りで、船に乗って島から去って行った。キャムを置いて。
 傷ついた。薄情者と思った。悲しくて哀しくて、そして悔しかった。
 キャムは村長一家に引き取られた。一家はとても優しかったが、キャムの心の奥には重たい怒りが横たわりつづけ、どうしようもなく荒れるキャムを、村長一家は優しく遠巻きにした。
 そうして島民たちに空気のように扱われるようになったキャムは、いつしか「母が船に乗って自分の運命を変えたのなら、自分も船に乗って新天地を目指してやるんだ」と、半ば復讐のような気持ちで決意したのだった。
 時を置かず、まるでそれが本当に運命であったかのように、島に海賊がやってきた。村の酒場で寛いでいた彼らの袖を、キャムは「ねえ」と引っ張った。
 親に捨てられたの。行く場所がないわ。連れて行って。私を海賊にして。
 なんだこいつ、と逃げ惑う海賊たちを、誰彼構わず追いかけ回した。ごねてごねてごねて、海賊たちがついに根負けするほどにごねて、キャムは海賊船バクスクラッシャーの一員となった。
 だが海賊船に乗っても、キャムの怒りが晴れることはなかった。みすぼらしい恰好で、みすぼらしい海賊船に、頼んで頼んで乗りこんだ自分を思うと、どうしても脳裏に、きらびやかな衣装で貴族と去って行った母の姿が浮かぶのだ。――なにが新天地。なにが運命。汗臭くてじめじめした汚い海賊たちと、着飾った貴族たちでは、あまりに違う。なにより腹が立つのは、とげとげしたキャムの様子を見て、海賊たちも島民と同じように、自分を遠巻きにしはじめたことだ。
 そんな風に、怒りが頂点に達したとき、船長室でハンモックに揺られてすやすや眠る、小さなラギルニットを見て、糸が切れた。
 皆から、ないものとして扱われるキャムとは正反対に、同じ捨て子であるはずのラギルニットは、たっぷり愛情を受けて育っている。
 なんで。どうして。ラギルニットは幸せで、母も幸せで、どうして自分だけがこんなにも――気づけば、キャムはラギルニットの背中をどんっと押していた。
 ハンモックから落としてやろうと思ったわけではない。安らかに寝ているのを、叩き起こしてやろうと思っただけだった。だが運悪く、押したのと同時に、船が大きく揺れた。ラギルニットの小さな体は、面白いぐらい簡単にハンモックから落ちた。ごん、と頭を床にぶつけて目を覚ましたラギルニットは、訳も分からないままわんわん大泣きを始めた。
 そしてもっと間が悪いことに、ちょうど船長室に入ってきたシャークに、キャムが押すところをしっかり目撃されてしまったのである。
 シャークはひどく怖い顔をして、呆然としていたキャムを思い切りひっぱたいた。
 ――謝るっス、キャム!
 ものすごく、びっくりした。
 正直、キャムはそのとき、それが誰なのかよく分かっていなかった。海賊たちがキャムの名前をろくすっぽ覚えていなかったように、キャムもまた、海賊たちの名前を覚えていなかったのだ。
 だから「キャム」と呼ばれ、本当に、本当に、本当に、驚いた。
 空気みたいな自分の名前を知っていて、しかも真正面から怒ってくれる人が、いたのかと。
 ――う、わぁあああ……!
 ショックと混乱とで、キャムはラギルニットと一緒になって泣きじゃくった。ごめんなさい、ごめんなさい、そう何度も謝りながら。
 そのときから、キャムの中で燻りつづけていた怒りが、すっと消えてなくなった。

 もちろん、それですぐにシャークを好きになったというわけではない。当時は、「なんだこの丸眼鏡のひょろひょろ野郎」と思っていた。けれど何度も喧嘩して、仲直りして、また喧嘩して、仲直りをしてを繰りかえすうちに、シャークとのやり合いを楽しく感じている自分に気づいた。そして、怒った後に見せてくれる彼の満面の笑顔に、どうしたわけかどきどきするようになって。
 気づけばシャークを目で追うようになっていた。

「ああ、覚えてる。キャムのラギルニット頭部流血事件」
 ホーバーが手を叩いて笑った。キャムはぎょっとする。
「な、なにその名称!」
「そういう名前がついたんだよ。……大変だったんだからな。ラギルにめろめろな連中がそりゃもう怒り狂ってさ。あんな小娘など海にぶちこんでしまえーってたいそうな剣幕だったのを、俺とレティクとで宥めて回ってっていう」
 キャムは耳まで真っ赤になって恐縮する。そうだったのか。どうやら自分が思っていた以上に、あの事件は船員たちを激怒させていたようだ。
「そういえばあの時も、シャークはずいぶん荒れてたな」
「……そりゃそうよね」
「いや、キャムのことにじゃなくて。キャムがなんであんなことをしたのか、頭に血が昇って、話も聞かずに叩いてしまった、って。しかもキャム、あれからかなり長いことシャークのこと無視してただろ? おかげでシャークの奴、毎晩船長室に来て、ぐびぐび酒飲んで、「オレは最悪っスー!」て泣きわめいて、ラギルも一緒に泣きだすもんだから、たいそう迷惑だった」
 キャムはびっくりして目を丸くした。
「キャムの頬が真っ赤に腫れたもんだからなおさら。女の子なのに最悪っス、お母さんのことで辛い思いをしてたのかもしれないのに最悪っス、オレ最悪っス、ってうるさいうるさい。ま、シャークがそこまで落ちこんでくれたおかげで、激怒してた船員も溜飲を下げてくれたから、結果的には良かったけど。……あの頃は、よそ者に対してピリピリしてた時期だったからな。船員たちも、キャムをよそ者扱いしてたって結構反省したりして」
 そういえば、あの事件の後しばらくして、船員たちの態度が一変した覚えがある。それまでろくに船のことを教えてもらっていなかったのだが、ちゃんと船員教育をされるようになり、失敗をしたり、わがままを言えば、とことん叱られるようになった。あれは――そうか、自分と向き合おうという船員たちの心意気だったのか。
 キャムはこれ以上赤くなりようがないぐらいに顔を赤くして、抱えた膝に顔を埋めた。
「あの時も荒れてた、って今回もシャーク荒れてたの?」
「ああ、ずっと不機嫌そうにしてた。キャムのことが原因だったんだな。そのうち、怒ってる理由も聞かずにオレはーって反省しだすぞ、きっと」
「――私、気持ち悪いよね。怒られて好きになっちゃうなんて」
「あー、サドだと思ってたけど、マゾだったんだな」
「…………」
 キャムはむっつりと立ち上がった。
「どうした?」
「……話、聞いてくれてありがと。すっきりした。寝る」
 ホーバーは苦笑する。
「明日の舞踏会はどうするんだ?」
 キャムは唇を噛み、すとん、とまた椅子に腰を落とした。
「もういいの。病欠。出ない」
「なんで」
「な、なんでって……なに聞いてたのよ! だから――こ、子どもみたいな体型だし、髪の毛ぼさぼさだし、ドレスなんか似あわないし、む、胸小さいし、シャーク背高いし、一緒に踊ったら親子みたいに……思われ――」
 言っていて悲しくなってきて、キャムはまた性懲りもなく出てこようとする涙をぐっと堪える。
 それを見て、ホーバーが真剣な顔でキャムに向きなおった。
「キャム。考えすぎるな。あまり悩みすぎると、そこから脱け出せなくなるぞ。ずっと同じところに立ち止って、同じ悩みで苦しみつづけたいか? 身長とか、髪質とか、胸とか、子どもっぽいとか、悩みはいったん脇に置いて、今立ってるとこから外に出る努力をしてみろ」
「……それができないから悩んでるの」
「できないんじゃなくて、やらないんだろ。同じことを延々と悩みつづけるのって、苦しいけど、楽なことでもある。欲しいものがあるなら楽はするな。考えろ。どうしたらそこから脱け出せるか」
 苦しいけど、楽。
 痛烈な言葉は、キャムの心にぐさりと突き刺さった。
 楽なんかじゃない。苦しくて苦しくてたまらない。ホーバーなんかになにが分かるのよ。
(でも……そうかもしれない)
 だって、謝ることも、ダンスに誘うことも、好きって言うことも、キャムはまだなにもしてない。怒った理由を知られたくない、親子みたいに見られる、シャークは私なんか好みじゃないって、コンプレックスを盾に言い訳ばかりして。
(そうだ、私、悩むばっかりでまだ何もしてないんだ……)
 すごく悩んでいたから、努力をしている気になっていた。
「体型の悩みは、悩んでも解決しない。俺も同じだったから分かるけどな」
 キャムは顔を上げる。
「……そうなの? 過去形なの? もう今は悩んでないの? 原因が解決したから?」
「いや? 髪の毛は緑のままだし、願ったみたいに背は高くならなかったし、筋肉むきむきにはならなかった。でも、自分の悪いとこばっか見て、あー駄目だ、最低だ、最悪だ、って思ってたのが、ある時、自分では全然考えたこともなかったところを、人に褒められたんだ。そしたら自信がついた。そうか、自分には短所も山ほどあるけど、この人が認めてくれるような長所もあるんだって。それでコンプレックスがなくなったわけじゃないけど、少なくとも悪いとこばっか見て悩むことはなくなったよ。悩もうとしても、「いや、でも自分にはいいとこもあるんだ」て勝手に自己弁護始めるようになってさ。前ほどがむしゃらには悩めなくなった」
「そう、なんだ……」
 分かる気がする。もし、もしもだけれど、シャークが、可愛いね、素敵だね、美人だよ、って言ってくれたなら、そうしたらきっと、自分の欠点も全部全部、大好きになれる気がする。
 シャークに、好きになってもらいたい。
 シャークは馬鹿で子どもっぽくて短気で、まったく自分の理想の男性じゃないけれど、それでもキャムは、シャークが好きだ。格好悪いところも全部、好きだって思う。
 キャムのことも、シャークにそう思ってもらうには、どうしたらいいだろう。シャークの理想ではない自分が、理想なんてものも吹っ飛ばして、彼の恋の相手になるには、どうすればいいだろう。
「クロル姐みたいになりたいって思ってたの。シャークの理想は、きっとクロル姐みたいな人だから」
 ホーバーは飲もうとしていたワインを噴きだしかけた。
「い、いやー……どうかな。外見は理想かもしれないけど、シャークはクロルをまったく女として見てないから。理想と現実の好き嫌いは違うんだろ」
「でも、私はクロル姐みたいになりたかった。そしたら、好きになってもらえるかもって思ったの」
 けれどそれは叶わない夢だ。夢を見ることは大事だけれど、夢ばかり見ていたって、背は伸びないし、胸も大きくなりはしない。
(憧れの人がいるっていうのはいいことだよ? 目標にするのも、とてもいいこと。でもね、真似して自分が輝くならいいけど、卑屈になるだけならやめな? キャムの髪型、とても似あってて、私好きよ。でも、あなたがそんな風にしか考えられないなら、その髪型もやめなさい。せっかく似合っている髪形が、卑屈まみれで全然輝いて見えない。クロルの髪型じゃなくって、これは自分の髪型だって胸をはれないんなら、やめちゃいなさい)
 胸に蘇る、数日前のリーチェの言葉。
 ようやくその意味が、理解できた気がする。
「……私、シャークに綺麗って褒めてほしい。そしたら、自分を好きになれる……かも」
 キャムは真っ赤になる顔を両手で覆い隠す。
「矛盾してるかな。褒めてもらうためには、私が可愛くて綺麗にならなきゃいけないのに、私は可愛くないし、綺麗でもないし……」
「ほら、また同じこと悩んでる」
 ホーバーは苦笑して、「ああ」と実に呑気に言った。
「とりあえず、シャークをダンスに誘ったらどうだ?」
「ふぇ!? そ、それとこれと、どう関係してるの!」
「ダンスの時はドレス着るだろ? いつも思うんだけど、女は化粧と衣装で別人みたいに変わるよな。あれ、クロルあたりにやってもらえばいいだろ。綺麗で可愛く」
「別人みたいになるけど、でも素材って重要なんだから! クロル姐みたいに素材もいいなら、ものすっごい美女になるけど、私じゃあ……」
「なんで。キャムは可愛いと思うけど」
 臆面もなく言われて、ただでさえ動揺していたキャムは今度こそ頭を爆発させた。
「なにバザークみたいなこと言ってんのよ、この天然色ボケ男ー!」
「て、天然色ボケ男て」
「知ってるんだから。そんなこと言って、私よりもクロル姐の方が、ずっとずっとずーっと綺麗とか可愛いなあって思ってるんでしょ?」
 言った途端、ホーバーがかちんと凍りついた。
 特に深い意味はなかった。ただ話の流れでそう言っただけなのだが――ホーバーの顔が見る間に真っ赤に染まるのを見て、キャムはぎょっとした。
「え、なに?」
「……いや」
「えええ!? え? 嘘嘘嘘、ご、ごめ――え!?」
 あまりに分かりやすい反応に、本人よりもキャムがパニックを起こした。
「そ、そうなの!? うわ、……うわああああああ! 気づかなかったぁあ!!」
 自分が耳まで赤くなってしまって、キャムは両頬に手を押し当てて、身をすくめた。ホーバーは片手で顔を覆って、「おま……」と呻いた。
「わざとじゃないから。冗談のつもりで言ったの。ごめん! 見てない、何も見てない! 本当だから!」
「その着替え覗いたみたいな反応やめろ……」
 色恋沙汰の気配なんか少しもないホーバーの淡い恋心を目の当たりにして、キャムは思わぬ仲間を得たような気分で、頬が紅潮させた。
 そうか、ホーバーはクロルが。
「ダンスには誘わないの?」
 キャムは思い切って訊いてみた。
「誘わない。ダンス嫌いだし。それに今から誘っても踊る順番は四十番目以降だそうですから」
 ホーバーが冗談で誤魔化す。そういえばそんなことを、前にクロルが言っていた。
「クロル姐がほかの男と踊ってるのを見て、いやだなって思ったりしない?」
「というか、自分がクロルと踊るとこ想像する方が嫌だな。考えるだけで、気持ち悪い。自分が」
「じゃあ、本当に本当に、誘わないの?」
「誘いません」
 キャムはしょぼんと顔を曇らせた。
「そっか。ホーバーがクロル姐をダンスに誘うなら、私も勇気出せるかと思ったんだけど……」
 ホーバーがそれを見て、なにかを言いたげにした――その時だった。廊下から足音が聞こえてきて、ホーバーが顔を入口のほうに向ける。
 やがてひょこっと顔を現したのは、噂のクロルだった。
「おう、酔っ払い」
「もう醒めたよ、うっさいね!」
 クロルは椅子の上にいるキャムに気づくと、腰に手を当てて嘆息した。
「あんた、大丈夫かい? さっき様子がおかしかったからさ。探してたんだよ」
 キャムはぴくりと肩を震わせて、無理やり笑みを作る。
「う、うん、大丈夫。ちょっと疲れてて、それで」
「……そうかい?」
 クロルは少し怪訝そうにしたが、深く追求するような無粋な真似はしなかった。優しく笑みを浮かべて、「早く寝なよ」とさっきまで遊んでいた自分のことは棚に上げて、釘を刺した。
 そのやり取りを、ホーバーは黙って見つめ、ふとクロルが食堂を後にしようとしたところを「クロル」と呼びとめた。
「なんだい?」
 クロルは何気なく振り返って、首を傾げる。
 ホーバーはちらりとキャムに目をやり、何ともいえない溜め息をついてから、いきなりクロルの前に片膝をつき、優雅な会釈した。
「明日の舞踏会、良ければ俺と踊ってもらえませんか」
 キャムは目を真ん丸にして、ホーバーをまじまじと見つめた。慌ててクロルに目をやると、クロルも驚いた顔で丁寧に誘いをかけてきたホーバーを眺めている。
「なんだい、だしぬけに。四十人ぐらい並んでるって言ったろ?」
「いいから一番目に組みこんどいて。よろしく」
 きっぱりと言い切って、あとは今言ったことなど忘れたように立ち上がり、椅子に座って欠伸をするホーバー。クロルはしばらくぽかんとしていたが、やがてぷっと小さく笑い声をこぼした。
「なんだいそれ、大したわがままだねえ!」
 クツクツと笑いながら、それでもキャムの目には、ひどく嬉しそうな笑顔を浮かべたクロルがうなずいた。
「あいよ。一番目だね。とっといてやるよ、感謝しな」
 クロルはまだ笑いながら、そのままひらひらと手を振って食堂を去って行った。
 キャムは呆気にとられてそれを見送り、ホーバーを見つめた。
「――やったぞ」
 ホーバーはキャムに横目をくれる。
 キャムは頬が紅潮するのを感じた。考えていたよりもずっとずっと勇気が湧いてきた。
 シャークをダンスに誘うことなんて、とても簡単に見えて――本当に、本当に、とても簡単に思えて。
「が、がんばる」
 気づいたら、うなずいていた。

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