TIME LIMIT~嗚呼、愛ゆえに~

05

AM11:07

「な、何でおまえら! 脱走か!?」
「おやおや?」
 騒ぎを聞きつけて階段を下りてきた舵手ルイスと船大工ウグドは、階段に足をかけたまま驚きの声を上げて立ち止まった。
 地獄の間にいるはずの三悪とテスが、凄い速さでこちらへと向かってきていた。
「どけどけどけぇ!」
 怒号を上げ、ワッセルがテスたちの先頭へと躍り出る。かと思えば、いきなり腰の柄からカトラスを抜き放った。
「道をあけやがれぇ!」
 あっという間に二人の間合いに入ったワッセルは、刃風を巻き起こしてカトラスを振り下ろした。
「な……!」
 こういう事態をまるきり想定していなかった二人は、唐突すぎる仲間からの攻撃を、慌てて横に避ける。しかし腐っても海賊、避けながらも自らのカトラスを抜き放つと、右へ避けたウグドと左へ避けたルイスは、双方からカトラスを十字に交差させて階段を塞いだ。
「あ、危ないだろうが、ワッセル!」
「速やかに武器を下ろしたまえぇ!」
 ワッセルは舌打ちすると同時に、膝を折って身を沈ませた。十字に交差したカトラスの中心目がけて、カトラスを下段から振り上げる。並大抵の力ではなかった。甲高い音ととともに、十字はあっけないほど簡単に弾き崩され、二人は反動で思い切り壁に叩きつけられた。
「弱い弱い!」
 ワッセルは鼻を鳴らして、障害のなくなった階段を足音高く登ってゆく。セインとダラ金も一発ずつ2人を殴ってから、それに続いた。
 テスはそれをぽかんとして見送った。
「ってぇ……!」
「痛いであります」
 テスはおろおろと、倒れ伏すルイスとウグド、そして階段とを見比べる。
「だ、大丈夫?」
「おう……。こ。これは一体何事だ……?」
「え……っと。なんだろ……?」
 ──テス、早く来きやがれ! てめぇとユキちゃんのために一肌脱いでやってるオレたちの足手まといになんな、ボケぇ! 
「……一肌脱がれているみたいです」
「……らしいですな」
「いってらっしゃい。俺リタイア。……何に巻きこまれたのか知しらんけど、ま、がんばれや、テス」
「おー?」
 いまいち状況の分からないまま、テスは仲間の同情めいた励ましにとりあえずうなずいて、階段に足をかけた。

「邪魔だてめぇらぁ!」
 地獄の番人たちは、廊下の両脇に立ち並ぶ船室の扉から、武器を手に手に飛び出してくる勇気ある船員たちを腕力でなぎ倒し、ひたすら甲板を目指して突っ走る。
 必死でそれを追いかけるテスは、ようやく一人のんびりと走っているダラ金の脇にたどりついた。
 ダラ金は三人の中では一番性格がまともだ。少なくとも一見は。テスは唇を噛んで悩みぬいた末に、思い切って彼に聞いてみることにした。
「ダ、ダラ金!」
「んー?」
「きょ、協力するって、一体何する気なんだ!?」
 ダラ金はその問いに、青く切れ長の目をまん丸に見開いた。
「何って……決まってんじゃん」
「……?」
「船を乗っ取るのさ」
「ああ、そっか……へえ」
 テスは納得し──盛大にズっこけた。
「……っ乗っ取るぅ!?」
 素っ頓狂な声を上げると、ダラ金は不思議そうに首を傾げながら、手を掴んで助け起こしてくれる。
「あ、ありがと。って、乗っ取るぅ!?」
 ダラ金はぬけぬけとうなずく。
「乗っ取りでもして針路変えなきゃ、時間通りにはタネキアに戻れないぞ?」
 テスは絶句した。
「乗っ取るって、あの、舵手に針路変えろってカトラス突きつけたり、船員たちをマストから逆さに吊るしたり、船旗を取り替えちゃったり──乗っ取るぅ!?」
「おもしろいな、お前」
 ははは、と笑いながら、ダラ金は再びのんびりと走り始める。
「まかせとけって。上手くやってやるよ。それともユキ嬢に会いたくないのか?」
「会いたい!」
 テスはとっさに即答する。ダラ金が愉快そうに笑った。
「んじゃ、いーじゃん。がんばろうぜ、相棒。ユキ嬢のために」
 相棒……。
 ユキ嬢のために……。
 テスはその言葉を反芻する。
 そうだ。絶望的だった状況に、とうとうユキちゃんに会えるかもしれないという希望の光が生まれたのだ。

 待ってるから……。

 そうだ。いつまで、グズグズしているんだ。せっかくタネキアに帰る手段が出来たというのに。
 そう、ユキちゃんのために。
 いや、ユキのために! 
(おれはやる! 船を、悪魔の巣窟を、我が物にしてくれる……!)
「おれは、やるぞぉー!」
「おー、ヤれヤれ」
 テスはもはや何度目とも知れない鋼鉄の決意を、固い拳に変えて振り上げた。

AM11:25

 熱い陽射しの降り注ぐ灼熱の甲板に、徐々に船員たちが集まり始めていた。
 何だかよく分からないが、セインたちがどうやってか地獄の間を脱走して、下で暴れているらしい。そして何でももうすぐで甲板に辿り着くとか。
 ここ数週間の順調な航海で、平和に満ち溢れていたバクスクラッシャーに、久しぶりの嵐が起こりそうな気配があった。乱闘騒ぎ、というとびっきりの大嵐が。
 集まり始めた船員たちの顔には、一様に悪人面な笑み。平和を掻き乱す脱走者たちを許しておくわけにはいかない……! というつもりで甲板に集まっているわけでは、まるで決して微塵もない。むしろ順調な航海にすっかり飽いて、これから起こるだろう乱闘騒ぎを更に盛り上げてやろうと、拳の骨をボキボキ鳴らしながら、脱走者たちを待ちわびているのだ。
 甲板は凄い盛り上がりを見せ始めていた。

「セインに、五千エルカ!」
「おいおい冗談だろ? やっぱグレイだぜ。グレイに二万エルカ」
 水夫が勝手に賭けを始め、
「はーい! リーチェ特製、超激辛激マズ最悪ポップコーンはいかがぁ!」
「はーい。マートン特製、お口直し用普通味ポップコーンはいかがですかー」
 料理番が勝手に商売を始め、
「いつでも準備万端でね。包帯は足りてる?」
 船医が簡易医療場を甲板の隅に造り、
「ううむー。腕が鳴るのー」
 方角見やら、倉庫番やら舵手やら、ともかく血の気の多い奴らが腕を鳴らし、
「愉快な曲でも、いっちょやるか!」
 少しでも歌心のある奴らが楽器を手にし、
「大人って、子供よねぇ」
 子供たちが悟り、
 そして。

「やれやれ」
 船長室では、副船長ホーバーが机の上に足を乗せ、呆れた様子で碧色の頭を指で掻いていた。
「元気だなぁ」
「いやに爺くさいじゃないか。ホーバーは乱闘に参加しないのかい? それとも止めるかい?」
 クロルが熱いコーヒーをカップに注ぎ、ホーバーの足の脇にカシャンと置く。扉一つ隔てるだけで、船長室は随分静かなものだ。
「ありがと。……止めるのは船長の役目だな」
 そう言って二人はチラリと寝棚に視線をやった。
 部屋の隅にある寝棚の二段目には、勉強疲れしたラギルニットと、何故か紛れこんでいる年齢の近いラギルの親友レイムとレックが、手足をがばっと広げて寝息を立てていた。寝棚の一段目に、やはり何故だか丸眼鏡のシャークまでがグースカ、イビキをかいているのが何だか憎たらしい。
「……いいんじゃない? たまには体動かすのも」
 他人事のように言いつつ、無意識に指を鳴らすホーバーを見て、クロルは片眉を上げて人の悪い笑みを浮かべた。

AM12:26

「ね、ねえ! 勝算あんの!?」
 何人目かの船員をぶちのめしたセインに、テスが走りながら尋ねる。セインはニヤリと笑って、くわえていた煙草を前歯で噛みしめた。
「愚問」
 どこからその自信は来るのか。今頃セインたちの脱走を知った船員たちが、甲板にひしめいているに違いないのに。
 テスは自分の腰に掛けられたカトラスの柄をぐっと握りしめた。見た目はヤワだか腕の方はそこそこだ。だが船員たちは全員、そこそこか、あるいはそこそこ以上なのだ。
(ひゃあ! 武者震いが……!)
 テスは走りながらも器用にもがく。緊張してきた。いつもはセインたちを迎え撃つ方──正確には、迎え撃つ船員たちとセインたちとの乱闘騒ぎを、甲板の端っこの端っこの端っこの方で高見の見物をする側なのだ。
「おいおい、大丈夫かよ」
 ダラ金が、擬音にするなら「カチーン」という状態でえっちらおっちら走るテスに、哀れみを覚えて思わず声をかけた。
「き、極めて努力します……っ」
「駄目だこりゃ」
 ごちゃごちゃ言っている間に、甲板に通じる扉はもう目前に迫っていた。
 閉ざされた扉の向こうから聞こえてくるのは、耳を塞ぎたくなるほどの大歓声。テスはいよいよガチガチに凍りついた。ダラ金が苦笑を浮かべて、こっそりテスの背後に回る。
 そして耳元にすっと口を近づけ、息を吸い、
「やっほぉ────っ!!」
「……っぎゃあ──────ああ!?」
 突然の「やっほー」に、テスは文字通り飛び上って、勢い余ってつんのめり、扉に盛大にぶちあたり、
 バキィ! バターン! 
「わお。さすが、テスちゃん」
 扉ともども、甲板へと倒れ落ちたのだった。

 船員たちでひしめく甲板に、どよめきが走る。
 何十人分もの視線が一斉に注視する中、脱走者セインとワッセルは悠々と甲板中央へと進み出た。
「よー。バクスクラッシャーの能無しども、コンニチワ」
「今日はちょいと事情ありだぜ。オレたちは、今回、テスのためになぁ」
 ワッセルはニッと笑うと、肩に担いでいたカトラスを青空へと突き上げた。
「この船を乗っ取るぜぇ!」
「ってのは実はどーでもいーが、ともかくそんな訳で、この船いただいてタネキアへ戻る。文句ある能ナシはかかってきな」
 再び甲板が騒がしくなった。困惑や非難の声ではない。大歓声である。
「いいぞいいぞー!」
「やれやれぇー!」
 退屈に飽きた船員たちにとっては、もはや敵だ味方だ、理由だ何だはどうでも良いのだ。乱闘騒ぎが起これば、楽しければそれでもう十分なのである。
 そしてセインたちが騒動を起こすと必ず出てくる者がいる。
「ほう。性懲りもなくまた出て来たか……」
「そんなに痛い目みてぇのか?ガキども」
 セインとワッセルの向かいに築かれていた人垣が割れ、二人の男が堂々とした足取りで前へと進み出た。
「フィーラロム。担架用意しといてやりな」
 しゃがれたバリトンを響かせ、大歓声を巻き起こしたのは、バクスクラッシャーのご婦人方に人気の高い「死の一服グレイ」だ。彼の得物は恐ろしげな通称通り、煙草だ。何本もの煙草を手品の様に出しては、敵の目を狙い、押しつけるのだ。
 渋みが滲み出るような笑みを浮かべて、彼はまだ火の衝いていない煙草を口端に銜えた。
「奴らに担架なんていらねぇ。てめぇの血で濡れた甲板を這いずって、自分でおうちに帰りやがれ」
 低く呟き唾を吐き捨てたのは、曲腕のアレス。錆色の赤毛を持ち、恐ろしく厳つい顔をした巌の様な男だ。その恐ろしさを助長させているのが、奇妙な形に折れ曲がった右腕。事故で曲げたものなのだが、それに不自由はしていない。彼の獲物は両刀。左手で繰り出す正規の攻撃に加え、いまいち動きの読めない右腕の攻撃に翻弄される。
「いけ! グレイ、あんたに一万だ!」
「ぶちのめしちまえぇ!」
 彼らの言葉にいよいよ盛り上がった甲板は、凄まじい歓声と足踏みとで音が鳴るほど激しく振動した。
「……一万か。安くないな」
「という事は、私は十万といったところですね」
「えぇ? じゃあ、あたし百万じゃん!」
 再びどよめきが起こる。セインたちの左手から三人の男女が現れた。
「ワッセルの相手は俺だ」
 左目を眼帯で覆った男が、無感情に呟く。水夫長補佐のレティク、ワッセルの悪友だ。
「がんばれ、兄ちゃん!」
「ああ」
 ちなみに、妹のファルに甘い。
「ふふ、守るものがあると人は弱いですよ……」
 目と口を三日月型にして不気味に笑うのは、現役の暗殺者の水夫メイスー。速すぎて見えない得物でもって、カマイタチの様に相手を切り刻んでゆく。武器の正体を知っている者は少ない。性格は「冷酷」の一言で言い尽くせる。これはセインも同様だが、何故バクスクラッシャーで水夫などという雑用係に甘んじているのか、さっぱり分からない男だ。
 そして……。
「ふふふふ。さぁ我が化学世界の浪費者どもよ。私に遠慮なく二百万をぶっ賭けるが良い。損はさせないぞ、科学の神マッドーに誓ってね……!」
 ピンク色の眼鏡をついっと掛け、用途不明な鉄の筒を両手に持ち、ピンクの髪とピンクの白衣を靡かせて変人笑いを口端に浮かべたのは、イカれ科学者メルである。
「やめとけやめとけ! 損はしねぇどころか、大損に決まってらぁ!」
 彼らの登場をにやにやと余裕の表情で見守っていたワッセルは、ゲラゲラと笑って、メルにこの上ない嘲りの笑いを向けてやった。
 メルが、笑った。
「ふん。片目のないダルマは夢の破れた証拠、縁起担ぎにもならないわ!」
「……だるま?」
「無知め! ケナテラ大陸の古代化学よ! これでも食らえ! タマネギ切り刻みながら突進する利口な爆弾……!」

 ドカーン!

 ──うおぉぉぉ……! 
 ──目がしみるぅぅ……! 

 これが乱戦開始の合図であった……。

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