ホーバーの思いもよらぬとんだ一幕

05

 沖合いの海上でのことだ。陸地でならば慰めてくれる鳥のさえずりも、ここでは少しも聞こえない。
 早朝。船員たちの酔いつぶれた、静かなバックロー号。
 波の音と朝霧の晴れてゆく音と、甲板からのうるさいイビキと、誰かの寝言。
 朝だ。
 夜明けだ。
 ──なんてことだ。
「……朝」
 デトラナは、船長室に敷き詰められた布とクッションの上で、はれぼったい眼をしながらぼけっと呟くのだった。

 船長室脇に見つけた鏡を前に、必死に目の下の隈を消そうと、揉んでみたり摘んでみたり無駄な足掻きをしてみる。
 ──結局、一睡も出来なかった。
 ホーバーという男は、とんでもない男だった。とんでもなく寝相の悪い男だった。あれを「寝相が悪い」なんて可愛い言葉でまとめてしまってよいかも疑問である。
 クロックの手前すごすご出てゆくわけにもいかず、ホーバーに見向きもされずに逃げ出すことはプライドが許さなかったせいもあり、部屋を出るに出られなかった。
 おかげでこのざまだ。
 デトラナは隈が浮いてもなお美麗な面を、部屋の中央で安らかな寝息を落としているホーバーへと向けた。明け方になってようやく熟睡眠に入ったらしく、それからぴくりとも動かなくなったホーバーである。
 デトラナは唇を噛みしめ、ついつい寄ってしまう眉間の皺を指先で伸ばしながら、ぎりぎりと苦悩した。
 どうすればよいのだろう。まさかホーバーとは何もありませんでした、などとクロックには言えない。彼はデトラナがホーバーを落とすと確信しているのだ。もしも何もなかったなどと言えば、どうなるか。
 昨夜の宴の席で、あの美青年に告げた自らの言葉が、頭を過ぎる。
 ──怖いのだ。自分の父親が。
 普段は優しい陽気な父だ。だが彼は時折、間違いなく彼が海賊であると思わせるような、冷酷で残忍な目をする。娘の自分にも例外ではない。母にもそうだ。
 ハングリー・キング、血に餓えた海の王。
 この上なく父を愛しているが、この上なく父が恐ろしかった。
 デトラナはひっそりと溜め息を落とし、ふと思い立ってホーバーの側へとにじり寄った。
「……」
 とりあえず、何かしらはあったことを匂わせておけば良いのだ。実際に事が起きたかどうかなど、クロックに分かりはしない。ホーバーはもちろん事実を知っているだろうが、何とか巧く口車に乗せることはできるだろう。いや、乗せなくては。
 デトラナはすらりと細い指先を、自身の腕を枕にして横向きに眠っているホーバーの胸元にそっと忍ばせる。上着の襟元を止めた紐をそっと摘んで解き、胸をはだけさせる。
 ひどく無様な気分だった。絶対落とせると確信していたというのに、デトラナにではなく、眠りに落ちてしまった。こんな美女を前に、この優男は──。
 デトラナは大仰に溜め息を落とした。それすらも甘美で艶やかなのが、今の自分には腹立たしくてならない。
 ぬがしぬがしぬがしぬがし。
 デトラナは寝不足の顔をむすっとさせたまま、物思いに耽りながら、ホーバーの衣服を乱れさせる。どのように皺を寄せたら一番それっぽく見えるか、胸元にうんと顔を近づけてあれこれと試してみる。
「どうもすみません」
「他愛のないことですわ」
 頭の上でお礼を言われ、デトラナはさらりと答えた。
「……?」 
 ふとデトラナは顔を上げる。
 少し顔を持ち上げたホーバーと、目が合う。
「おはようございます」
 多少聞き慣れてきた声が、眠そうな口調でもごもごと呟く。デトラナはその端正な顔をしばしぼーっと見つめ、
「──!」
 盛大に後ずさった。
「い、い、い、い、いつの間に起きてらしたんでですのっ?」
 平静を保とうとしても、無意識に声が上ずる。幾度も喉を鳴らしながら、それでもデトラナは目を見開いて口をぱくぱくさせた。
 ホーバーはぼへぇっと上体を起こし、ぼんやりとデトラナに蒼い視線をくれた。
「さっき。寝てないんですか……」
 あれだけ奇想天外な寝相をしておいて、よくもぬけぬけと!内心でぶちきれながらも、デトラナはハッと我に返って、四つん這いにホーバーの方へとにじり寄った。口車に乗せる絶好のチャンスだ。
「まあ、寝かせてもくださらなかったくせに」
 だが半分目が開ききっていないホーバーは、うつらうつらと近づいてくるデトラナを見やり、イマイチ芯の通ってない声で言った。
「……すみません、寝相が悪いもので」
「はぁ」
「……寝れなかったでしょうね」
「えぇ」
 普通の会話になってしまった。
「っ違いますわ! そういう話ではなくて、つまり昨夜、わたくしとホーバー様は──」
 デトラナは次の言葉を口に出して言うことに躊躇を覚え、言葉を途切れさせた。少々頬の赤くなるデトラナは、ホーバーが何か続けてくれるのを期待したが、ホーバーはぼーっとデトラナの顔に注目するだけで何の助けもくれない。
「わたくしとホーバー様は」
 ホーバーは目元を擦りながら「はい」と続きを促す。デトラナはいよいよ困って、婉曲な言い回しをいくつも頭に思い描いた。枕を共にした、契りを交わした、褥を共にした婉曲な分だけ余計に艶かしく聞こえるのは、気のせいか。
 悩んだあげくにデトラナはもごもごと口を開いた。
「その、つまり夫婦の語らいを……」
「……」
「……したんですのよ」
 囁くように言ってから、デトラナは恐る恐るとホーバーの反応を窺った。いつもの高飛車で自信に満ちた様子はもはや憔悴の影に潜まり、まるで暴力夫の機嫌でも伺うような有様のデトラナである。
 暴力夫はしばらく半目を虚空に彷徨わせ、ひたっとデトラナを見つめた。何となく気後れして、デトラナは及び腰になった。
「そうなんですか……」
「そうですの……」
 デトラナは艶然と頷く。そしてホーバーのはだけた胸元に、ついと指を辿らせた。
「覚えてらっしゃらない……?」
 恥じらいに顔を背けるデトラナ、ホーバーはデトラナの小細工のせいではなく寝相のせいで乱れた髪をぼりぼりと掻きまわし、うーんと唸った。
「今、何時ぐらいですか」
「無視ですのー!」
 口車に乗せるどころか、話の流れにも乗ってくれないホーバーに、デトラナは絶望の悲鳴を上げた。
 と、唐突にホーバーが立ち上がった。「え?」と見上げるデトラナを無視し、ホーバーはふらふらふらりと寝棚の方へと歩いてゆく。
 ぼてっ。
 しかし痩せた体は寝棚に辿り着く前に、情ない音をたてて床の上の敷き布に転がった。
「……ホーバー様」
 デトラナは憔悴した声で夫の名を呟く。
 ホーバーはクッションに顔を埋めたまま、くぐもった声で答える。
「おやすみー」

 まだ寝る気なのか。まだ寝る気なのか、この私を捨て置いて。
 デトラナはもはや思考能力の失せた頭でホーバーをぼんやりと罵り、刻々と明るくなってゆく窓の外を見ながら、絶望的な気分に浸った。
 その時だった。
 船長室の扉が唐突に開き、明るい日光が船長室に差し込んできた。
 ぎょっとして振り返ったデトラナは、薄布の先に小さな子供の姿を見つける。
 子供はしばし呆気に取られた様子で船室内に首を巡らせていたが、やがて扉をきちんと閉めるととことことこちらへ近づいてきて、薄布をはらりと開けた。
「わあ!」
 子供はデトラナを見るなり驚いたように声を上げた。濃い金髪に真っ赤な目。それがこの船の小さすぎる船長だということに気付き、デトラナは改めて「ふざけてるわこの船」と思った。
「あれ? ええと、お姉さんはデトラナさん? ええと、ラギルニットです」
 礼儀正しく頭をぺこっと下げ、ラギルニットはおろおろと、寝棚の側の床で眠り呆けるホーバーと、何を言ったらよいのか分からない様子のデトラナを見比べた。
「もしかして、ずっとデトラナの姉ちゃんは、ホーバーと一緒だった?」
 読もうと思えばいくらでも裏があるように思える台詞を、まったく裏のない様子でラギルニットは訊いてくる。文句ある?とばかりに悠然と頷くと、ラギルはうはぁ!と妙な声を上げた。
「ええと、ホーバーは寝棚じゃないとあの、大変なんだよー」
「……」
「もう知ってるみたいだねぇ、あはは」
 ラギルはデトラナの険悪な顔を見るなり、眉を八の字にして元気のない声で笑った。
「ダラ金、ぜったいわざとだなー」とか何とかぶつぶつ言いながら、ラギルは出て行く様子もなくその場に立ち尽くした。
 デトラナは眉根を寄せて、何か御用かしらと不機嫌そうに目を細めた。
 ラギルは頬を掻きながら、言いにくそうに口篭もる。
 その時だった。
「ねしょべんたれー!」
 怒号とともに扉が叩き開けられた。かと思うと、昨夜のあの腹の立つ男ガルライズがしゅばっ!現れ、薄布をぶち開けて、「きゃー!誤解すると思ったー!」と叫ぶラギルに背後からのしかかった。勢いでクッションの上にすっ転ぶラギルを羽交い絞めにする。
「ち、ち、ちがうよ! おねしょじゃないよー!」
「ではなんなのかなあの世界地図は!」
「さっき喉が渇いたからマートンにジュースもらって、部屋戻ったら転んじゃって、布団にぶちまけちゃったのー!」
「うそだー!」
「ほんとだよー! 臭い嗅いでみてー!」
「御免だ馬鹿者!」
「あががががっ」
 デトラナは慌てふためいて立ち上がり、二人の横を通り抜けると、開け放したままの扉を勢い良く閉じた。誰かに見られでもしたら、昨夜何もなかったことがばれてしまう。もう手遅れかもしれないが。
「……?」
 じたばたと暴れるラギルの上で、ガルライズはふと顔を上げた。何やら苦悩している様子のデトラナ、ふと視線を返せば寝こけているホーバー。
 ガルライズはしばらく天井を思案げに見上げていたが、ラギルの鼻の穴に突っ込んでいた二本の指を抜き取ると──指はしっかり、ラギルの背中になすりつける──唐突に立ち上がった。重しがなくなり、ラギルニットはあれれ?とガルライズを振り返る。
 ガルライズは二人の視線を浴びながら、首を傾けてにやっと笑った。
「バザークに聞いたわ。あんたも色々あるみたいで」
 訝しげに眉根を寄せるデトラナから視線をはずし、ガルライズはラギルの頭をぐりぐり撫でた。
「ラギル、今夜お前はそこで眠った。おっけー?」
「え? おっけー」
「よし良い子だ、ねしょべんは忘れてやろう」
「違うってばー!」
 困惑げに立ち尽くすデトラナに、ガルライズは遠慮ない欠伸をしながら、言った。
「まあ可愛い邪魔が入りゃあ、何も出来ないわな」
「……」
「んじゃ、おやすみなさーい」

「ぬぬぬ」
 クロック船長は難しい顔で、船長室を見渡した。
 今だ眠りこけるホーバー。疲れた様子で座り込んでいるデトラナ。
 二人の間でごろごろ転がっているラギル。
「あ! おはよークロック船長!」
 ラギルニットがクロックに気付くなり、元気に手を振り上げた。つられて手を振り返し、クロックはノー!と頭を抱えた。
「ラ、ラギル殿は何故ここに?」
「え? おれの部屋だもん」
 真っ正直に応えるラギルに、デトラナは内心感謝しつつ、そういうことですのとクロクに視線で訴えた。クロックはぐぬぬぬと眉間に激しい皺を寄せたが、やがて大きく溜め息をつくと、肩を落として去っていった。
 デトラナもまた、疲れ果てた様子で、がっくしと肩を落とすのだった。

+++

 波は比較的穏やかで、視界は今日も良好。
 船はシーパーズの二船とともに、タネキア大陸ケブルト諸島群無人島帯の無風地帯附近に停留。
 気温が上がり、熱射病の注意を勧告。

 おはよー! 今日も一日がんばろー!
 八時。まずは昨日の夜の宴会の後片付けだよー!
 すっごくすっごくバックロー号はきたな────────いっ!
 かわいそうだから、しっかり掃除をしようね!
 ホーバーは寝坊! 厳重注意!

ラギルニットの航海日誌より

 起床の鐘がテスによってやかましく鳴らされる。それに伴い甲板で酔いつぶれて寝ていた船員たちは、二日酔いの頭を押さえて楽しげに鐘を鳴らすテスを睨みながら、よろよろと立ち上がった。
「おはよ────っみんな────っ!」
 ラギルニット船長の大声で、バクスクラッシャーの船員たちは曲げていた背をシャキッと伸ばした。二日酔いの苦々しい表情を、朝の新鮮な空気を吸ってさわやかな気分なんです的な仮面の下に押し隠し、手を振り上げて「おはよ───ございぁ──すっ!」と叫び返した。
「むむ!」
 バクスクラッシャーのそんな様子を見ていたクロック船長は、ぴくりと眉を痙攣させる。彼は対抗心に目をぎらぎら輝かせ、まだだれているシーパーズの船員たちを見回し、口を大きく開いた。
「おはよ────っ我が船員たちよ────っ!」
 津波のような大声が船上に響き渡る。
 途端、バクスクラッシャーの船員たちから嵐のようなブーイングが巻き起こった。
「うるせぇタコー!」
「頭が痛いんじゃぼよんぼよんがー!」
「うざっ」
 おまけにシーパーズの船員たちは、ぼんやりした表情のまま、挨拶一つ返さなかった。
「……ラギル殿」
 背を向けたクロックの殺気だった声に、ラギルは来たー!と慌てて手を振り回し、「野次は静かに飛ばしてねーっ!」と声を上げるのだった。

「はぁ」
 モップにデッキブラシが踊り狂い、賑やかな歌声が響き渡る甲板の隅で、クロルは掃除の手を休めて肩をコキコキと鳴らして溜め息を落とした。彼女にはまったくもって二日酔いの気配は見当たらないが、さすがに夜通しの宴会は身に答えたようだ。
「クロル姐ってば、ばばくさー!」
「指圧したげよーか、姐ーさんっ」
「ほっといとくれ」
 甲板をデッキブラシで磨きついでに、端から端までドタドタかけっこ競争をしている子供たち、その中に混じっていたキャムとファルがクロルを見つけ、走りよってきた。
「元気だねぇ、あんたたちは本当にもー」
 実際婆くさく呟くクロルに、二人はくすくすと可笑しそうに笑った。ファルがクロルの隣の樽の上に「よっと」と飛び乗り、キャムはその隣で肘をついた。
「ねぇ、クロル姐。あのさ副船長、ほんとに結婚すんの?」
 キャムがどこかふてくされた顔で訊ねてくる。
 クロルは気の強そうな眉を持ち上げ、カラカラと豪快に笑った。
「なんだい、やきもちかい? いつもはホーバーの悪口ばっかり言ってるってのにねぇ」
「な、なに言ってんのクロル姐! あんな頼りないの、どうなっても別にいいんだから!」
 キャムはガバッと赤くなった顔を上げ、孔雀の羽のように結い上げた黒髪をぶんぶんと振り回した。ファルが「あわててるー!」と楽しげに笑って、足をぷらぷらさせた。
 キャムは笑いまくる二人を憮然と見上げ、ぷうっと不満そうに唇を突き出した。
「でも、だってあんなんでも、うちの副船長だもん。あんなムカつく女と結婚なんてなんか嫌なの」
 素直に白状するキャムを、クロルは微笑して見下ろす。自分に比べずいぶんと小さいキャムの額をツンッと突っつき、クロルは親指で船長室の方を示した。
「せっかくだから、本人に聞いてごらん」
 船長室の扉からは、ちょうどホーバーが出てきたところだった。

 クロルは、ファルに引きずられてホーバーの方へと歩いてゆくキャムを見送りながら、ほほえましそうに目を細めた。
 そしてふと気が付いた。甲板のあちこちで掃除をしている船員たちもまた、ホーバーに近づいてゆくキャムたちを、さりげなく注目していることに。
 ──まったく、素直じゃないものだ。
 クロルは苦笑する。
 皆散々ホーバーをからかっておいて、内心ではひそかに彼のことを案じている。
 どうせいつものクロック船長の冗談話だと思い、ホーバーをからかって笑い転げる反面、何かいつもと違うということを彼らなりに感じはじめているのだろう。
 そう、クロック船長の結婚話が、実は本気であるということを。
 デトラナが実際に行動していること、クロックが時折見せる険しい表情、過去幾度もあった冗談話とは、少しばかり様子が違う。
 加えて今朝はデトラナが船長室から出てきた。それと一緒にラギルが出てきたからさほど騒ぎにはなっていないが、疑念に拍車をかけたのは事実だ。
 結婚話が真実本気で、しかもその裏には、シーパーズの船長への引き抜き話があることに気付いている船員は、まだわずかだろう。だが恐らく時間の問題だ。
 副船長という役柄上、船員たちと揉めることも多いホーバーだが──何だかんだと、みな、彼にはこの船にいてほしいと自分たちの副船長として慕っているのだ。
「ほんとに素直じゃないんだからねぇ」
 結局意地が先にたって質問できなかったキャムが、ホーバーの足を蹴飛ばして逃げてゆくのを見ながら、クロルはやれやれと笑った。
「おはよ、寝坊だよ」
 不審そうにキャムを見送りながらこちらへとやってくるホーバーに手をふり、クロルは明るく少し遅めの朝の挨拶をした。ホーバーがクロルに気付き、おうと手を上げる。
「はよ。キャムが何か変なんだけど」
 まだどこか眠そうな目を眇めて、ホーバーが昨日に引き続いての憮然顔でぼやく。
「そうかい? 眠そうだねぇ。寝てないのかい?」
 そらっとボケて答えておいてから、クロルはにやにやと少ししか身長差のないホーバーを見上げた。
「いや、夢見が悪かっただけ」
「ほんとかねぇ」 
 そしてクロルは、まだ半分反射神経の寝ているホーバーの隙をついて、思いもよらぬ行動に出た。甲板のあちこちで、やはり彼らに注目していた船員たちがぎょっと息を飲んだ。
「なにしてんの……」
 ホーバーはぽかんとして、彼のシャツの襟元をぐいーんと引っ張って中をのぞきこんでいるクロルを見下ろした。クロルはうししししと笑いながら、片目をつぶってみせる。
「キスマークを探してるのさ」
 がっくりと肩を落とすホーバー。クロルはシャツから手を離すと、大仰に空を仰いで、ふるふると悲しげに首を振った。
「残念だねぇ! 何もないよ!」
 ついでにわざとらしく声を張り上げてみせる。そして片目で甲板の船員たちがどこか安堵した様子なのを確認し、げらげらと腹を抱えて笑った。
「なんなんだ、お前……」
 一人訳の分かっていないホーバーは、伸びたシャツとクロルとを見比べ、複雑そうに呟くのだった。

 そしてその日、どうにもこうにもホーバーが気になる船員たちによって、昨日以上のちょっかいを出されることになるとは、このときまだ彼は知る由もなかった。

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