黄金の眼球 真緑の宝

02

 違法船が停泊するために設けられた暗黙の港ロゴ・バルーサより、バックロー号に乗り込んだ二人は、それぞれの持ち場について、他の船員とともに航海の準備を始めた。
 帆が風を受けて、影の落ちた港からゆるやかに進み出る。やがて濃紺色の海面を走り始めた船は、二週間の航海の後、連なるカムリ諸島を西方に見ながら、海図に「無人島」と記載のある島に停泊した。
 南方の島々は食料調達にはうってつけだ。半日と時間を決めて、船員たちはバックロー号から無人島の浜辺に下り立った。
「お、うまそうなカメ発見ー!」
「蟹、蟹」
 港町以来、久しぶりになる上陸に、船員たちは興奮気味に食料調達と銘打った散歩を開始する。
 ラギルニットはゴツゴツした岩場にしゃがみこんで、石の下に逃げ込んだ海虫を捕まえ皮袋に放りこんだ。海虫は見た目は無数の脚がうにょうにょしてて気持ち悪いが、煮るといい味を出すのでスープにもってこいなのだ。
「えいっ――」
 十匹目の海虫を発見して、少年は素早く両手で蓋をして捕まえる。
「……?」
 ラギルニットは首を傾げて、海虫を袋に入れながら岩場を伝って流れる水を見つめた。
 何か赤いものが浮かんでいる。
 流れていってしまいそうになるのを捕まえて、いよいよ少年は首を傾げた。
「果物の皮だ」
 それはアップローズと呼ばれる南国の瓜の皮だった。この辺りでは別に珍しい種ではないが、どこか不自然だった。何と言うか――まるでナイフで剥いたような皮だったのだ。
「……!」
 何気なく顔を上げて無人島を振り返ったラギルニットは、目を見開いた。太陽の光に照らされて、背後に盛り上がる緑で覆われた山々の奥で何かがチカリと輝いたのだ。
 黄金色の光だった。
 熱帯植物で覆われた無人島ではありえない、金属の光。
「……っっ」
 すっかり忘れていた二週間前の物語が頭に渦となって蘇ってきた。
「ダ、ダダダダ、ダラ金!!」
 林檎の皮。無人島に逃げ延びた海賊クロケット。黄金の眼球。
 隠された財宝。
「ダラ金――――!!」
 島中に響き渡る大声に、熱帯雨林から桃色の羽をした鳥たちが飛び立った。遠くで蟹を捕まえていたガルライズが「ほーい?」と気の抜けた返事をするのと同時に、ラギルの視界の中で瞬いていた黄金の光が突如、山の上へと上昇をはじめた。
「……っうわうわうわうわうわうわ!! ダラ金ダラ金逃げる逃げる逃げる!!」
 興奮のあまり言葉にならないラギルニットの怒声に、ガルライズがのんびり近づいてきながら「なにが?」と問いかけてくる。
 ラギルニットは焦りのあまり、叫んだ。
「キンタマ――!!!」
 はぁ? と訝しげなガルライズの声を背に、ラギルニットは海虫の入った袋を放り捨てると、獲物を見つけた獅子のような機敏さで岩場を猛速度で駆け出した。
「って、ラギル!?」
 凄まじい勢いで海岸から草地へと突入し、澄んだ河を右手に生い茂る樹木の中へと消えてゆくラギルニット。ガルライズはようやく驚きに声を上げ、蟹の入った袋を放り捨ててラギルニットを追った。

「ちょ、待て、待てって、ラギル!!」
「だってだってキンタマの海賊が逃げちゃうー!!」
「こらー! 下品ー!」
 初めて訪れる地図もない無人島を、ろくな装備もなく登りはじめるラギルニットを、ようやく追いついたガルライズが必死で制止する。
 見上げるほど背の高い熱帯の樹木からは次々と色とりどりの鳥が飛び立ち、むっとするほどの湿気と熱気が肌に絡み付いてきた。
 汗みどろの泥まみれになりながら、ラギルニットはそれでも長い下草を掻き分け、無人島を奥へ奥へと進んでいった。次第に傾斜が厳しくなり、地面は柔らかな腐葉土で走るのが困難になる。それでもうまいこと岩場を見つけ、少年は斜面を両手両足を器用に使って登っていった。
「……って、おぉおいいい!!」
 なかなかラギルニットを捕まえられず、結局一緒になって斜面を登ってしまっているガルライズは、何とはなしに背後を振りかえって悲鳴を上げた。
 予想外に高くまで登って来ていた。見下ろすと急斜面の先には熱帯の樹木が鬱蒼と茂り、海岸はおろか、海も帆船も仲間たちの姿も見えなくなっていた。
「危険危険、ラギル止まれって! これ以上踏みこむと、遭難す――」
「……わ!」
 と、爆走を続けていたラギルニットが声を上げて、脚を止めた。その隙に岩場を登って少年の隣まで辿りついたガルライズは、視線を追って樹木に絡みつく蔦に止まったオウムに気づき、目を見開いた。
「オウム?」
『カイゾククロケット! カイゾククロケット!』
 野生のものだろうかと訝しむガルライズの前で、オウムが突如として人語を発した。驚愕のあまりよろめいて岩場から落下しそうになったガルライズは、慌てて手近な樹木に抱きついて体勢を整える。
「って、いま何て――」
「か、か、海賊クロケットだよー!!」
 ぽかんとオウムを見つめていたラギルニットが、感動に涙ぐみながら絶叫した。ガルライズはあまりの事態に、口を引きつらせて呆気にとられた。
「ね、ね、ダラ金! キンタマの海賊って言ったでしょ!? さっき山の上で金色の光がチカってしたんだ、逃げてったんだ!」
「ま、待てよラギル、だからあれはただの指南書で」
「伝説なんかじゃなかったんだ、本当にいるんだよ、黄金の眼球の大海賊! この島に財宝が眠ってるんだ、クロケットがいるんだー!!」
「だって生きてたら七十歳越えた爺さんだぞ、逃げたって……この険しい斜面を七十の爺さんが登って逃げたわけだろ? 凄い図だぞ、怖いってマジで!」
 唐突な展開にくらくらしているガルライズである。
 だがラギルニットは岩場の上にすっくと立ち上がると、自信に輝いた顔で言った。
「想像をふくらませろ、中年!」
「中年て」
「指名手配書の賞金が0なのは、財宝こそが賞金だからだ! 総領事館に届いたオウムからの手紙は、海賊クロケットの挑戦状だ! そしていまだに指名手配書がはがされないのは、誰も財宝を見つけていないからだー!」
 そして少年は大きく両手を掲げて勇ましく叫んだ。
「財宝伝説はもはや躯の下。眼窩より零れたクロケットの黄金の眼球。
 転がれ転がれ、眼球よ。瞳の向く先に輝く真緑の宝あり。
 我はギャッシュバルレーにあり!!」
 自分が教えた文句を改めて聞いたガルライズは、「転がれ転がれ」の辺りで、何だか急に不安になった。斜面に切り立った岩場の上に直立したラギルニットに、おい、と心もとなげに手を伸ばし、
 次の瞬間、二人そろって目を剥いた。
「っぅわ――!?!?」
「やっぱり――!!?」
 勢い良く手を振り上げたせいで体勢を崩したラギルニットは、岩場から脚を滑らせると、たった今登ってきたばかりの斜面をガルライズを巻き込んで転がり落ちた。



 風に額際の産毛を撫でられて、ラギルニットはうっすらと目を開けた。
「……う、ん」
 ぼやけた視界が、次第に明確になり、緑色が広がる。
 森だ。熱帯の木々の鮮やかな緑。
「――あれ!? ……っいたた」
 思い切り身を起こして、その衝撃で走る痛みに顔をしかめる。そういえば崖から落ちたのだと思い至り、体のあちこちを確認してみるが、怪我らしきものはしていなかった。
「ここ、どこだろ……」
 森の中にぽっかりと空いた円形の広場、そんな感じだ。
「う、ラ、ラギル」
 どこからか、ガルライズの呻き声が聞こえてきた。きょろきょろと辺りに首を巡らせるが、彼の長ったらしい金髪は見当たらない。
「船長殿のケツの下です……」
「ふえ!?」
 ラギルニットは慌てて尻の下を覗きこんだ。
「うわ、ごめん! ダラ金、だいじょ……ぎゃあ!」
 ラギルニットの下敷きになっていたガルライズは、頭を押さえながら起き上がった。どこか切ったのか、顔中ダラダラ血まみれだった。
「ダ、ダラ血ん……」
 あまりの惨劇に、つい妙なあだ名をつけるラギルニットである。
 ガルライズは幽鬼のようにゆらりと立ち上がると、腰に巻きつけた鞭に手をかけつつ、「畜生、誰か鞭でしばいて、八つ当たりしてえ……」と恐ろしすぎる独り言を呟いた。元連続殺人鬼からさりげなく距離を置いて、ラギルニットはふと顔を上げた。
 真っ青に広がる空から、鮮やかな黄色の羽が舞いおりてくる。鼻先を掠めたそれを掴んで見上げると、先ほどのオウムが上空を旋回しているのが見えた。
「……こりゃ、もしかしてマジかもな」
 ガルライズが血を拭いつつ、オウムを意味深に見上げる。
「マジって?」
「お伽話に出てくる海賊は、隠した財宝が奪われないよう、あれこれ罠を仕掛けたりするだろ? 妙な魔術を使って、財宝の隠し場所そのものを目に見えなくしちまうとか」
「壁にしか見えないところに、実は道が隠されてたりするあれ? 合言葉を言わないと、道は開かれぬぞーってやつ」
「そー、そういうやつ。……見ろよ、俺たちは崖から落ちたってのに、近くにあの崖がない。魔術的な何かで隠されていた場所に、偶然入りこんじまったのかもしれない。まあ、中年が一生懸命働かせた想像によるとですが」
 中年呼ばわりされたことがさりげにショックだったらしいガルライズの、自虐的発言を邪気なく無視して、ラギルニットは期待に瞳を輝かせた。
「じゃあ本当に、海賊クロケットの財宝がここに!?」
「もしかしたら、だけどな」
 ガルライズの口調は少々懐疑的だ。
「クロケットの財宝かどうかは別としても、こういう空間があるってことは、当たりくじを引いた可能性がある。この手の無人島に海賊の財宝が隠されていることは、たまにだけどあるし」
「別の海賊の財宝があるかもしれないってことだね! おれは、それはそれで楽しいと思う!」
 楽しいか楽しくないかで問題を片付けて、ラギルニットはガルライズに抱きついた。身長差から、腰の辺りにしがみつく格好で首を仰け反らせ、ガルライズにきらきら輝く顔を向ける。
「財宝探し、しよう!?」
 興奮のあまりに目が潤んでいるラギルニットをちらりと見下ろし、ガルライズはもったいつけて森の奥を見つめた。
「まあ、どっちにしろ、帰り道は分からないけど……」
「そうだよ! 財宝探しつつ、帰り道を探すほーこーで、どうでしょう!」
「どうすっかなー。さっきみたいに急に走られて、大怪我でもされたら、バクスクラッシャーの過保護な皆様方に嬲り殺されるのは、俺だしなー」
「う。ぜ、絶対にさっきみたいに走ったりしないからっ」
 ガルライズはぽりぽりと頭を掻いて、
「船長室に、確か極上の葡萄酒があったよなー」
「あげる! 帰ったら、あげるから!!」
 即答に、ガルライズは顎に手をやり、
「帰ったら、誰か肩揉んでくんないかなー」
「ホーバー! ホーバーを貸すから!!」
 ガルライズはぶっと吹き出して、愉快そうに腰に手を当てた。
「ま、いっか。正直、どこの海賊様のにしても、財宝には興味があるし。じゃ、ひとまず……」
 ガルライズは青空を確認し、思わせぶりに微笑んだ。
「あのオウムにでも、ついてってみます?」
 暗に財宝探しの開始を示唆されて、ラギルニットはその場で飛び上がった。
「やったー! うひゃあ、おれ、興奮してきちゃったよ!」
「ちみは最初からはた迷惑なぐらい興奮してたけど?」
「し、してません。おれはいつもれーせーちんちゃくで、レティクが師と仰ぐ男なんですっ」
「レティクが聞いたら、眼帯からビーム出すぞ、それ」
 馬鹿騒ぎする二人を尻目に、オウムが森の奥へ飛んでゆく。ガルライズはラギルニットに笑いかけ、顎をしゃくった。
「行くぞ」

 南国の孤島らしく鬱蒼と茂った森は、甲高い鳥の声にあふれていた。いったいどれほどの種類がいるのか、さまざまな鳴き声が互いに反応しあって、大合唱を響かせている。
 オウムが滑降し、木立の向こうに消えた。後を追いかけると、ひときわ背の高い椰子の向こうに、なかば崩れたぼろ小屋が現れた。
「な、なんということでしょう! 小屋です、ダラ金さん! 無人島だというのに!」
「うーん、どう見ても小屋ですねぇ、ラギルさん。無人島だというのに」
 ラギルニットは意味もなく匍匐前進で小屋に近づき、傾いだ木戸の前に立った。屋根に止まったオウムが、二人の動向を見守っている。
 中を覗いてみると、外観に反して整理整頓の行き届いていた。一部屋しかない。いかにも手作りといった無骨なテーブル。折れそうに歪んだ柱には、木の蔓で作られたハンモック。書物や、ラギルニットが大好きな玩具のような娯楽品は一切なく、だが生活の匂いが感じられる部屋だった。
 食卓の上では、スープがまだ湯気を立てていた。
「クロケット船長?」
 呼びかけるが、室内に気配はない。
「お邪魔しますよー……」
 主人の不在中に勝手をするのは気が引けたが、もしもここがクロケット船長の小屋だとしたら、ここに財宝が隠されているかもしれない。
 だが室内はあまりに簡素すぎて、宝の気配など一目見てもないことが分かった。
「やっぱりただの伝説なのかなぁ。でもそしたら、この小屋は――ん!?」
 屋外で物音がした。ラギルニットは何を考えるよりも先に、小屋を飛び出した。
「うわうわ、いたよー! ダラ金ダラ金いたー!」
「って、早速いきなり走るし……!」
「だってだって、キンタマが――!!!」
 森林の向こうに、あの金色の光が上下に激しく揺れながら、遠ざかってゆくのが見えた。ラギルニットは興奮に頬を赤らめ、思いきり腕を振って走った。と、そのとき、
 ――ぅお!? 落としてもうたァ!
 皺枯れた声が悲鳴を上げた。
「え!? わ!?」
 驚くラギルニットの赤い瞳に、痩せ細った老人の姿が映った。老人は少年と目が合うと、地面に伸ばしかけていた腕を慌てて引っこめ、一目散にその場を逃げ去った。枯れ枝のような手足だったが、めちゃくちゃ速かった。
 ついに老人を見失ったラギルニットは、先ほど彼が立ち止まった辺りで足を止めた。両膝に手を当て、ぜぇはぁと荒い呼吸を整え――目を見開く。
「ラギル、お前はほんっと人の話を聞かないな……っ」
 出血多量で足元がよろけているガルライズが、ようやく追いついてきた。ラギルニットは信じられない思いで、自分の足元をふるふると指差した。
「ダラ金、これ見て」
 ガルライズは視線を下に向け、唖然とした。
「黄金の球?」
 地面に鈍い光を放って転がっていたのは、まさしく黄金の眼球だった。
 球体の表面には、熱帯雨林の奥地にいそうな民族がいかにも書きそうな、悪趣味な目玉の模様が深く彫られている。
「さっきね、変なお爺さんがいて、落としてもうたーって叫んでたの!」
「……わー。なにそのわざとらしさ」
「ね、ね、もしかしてこれが、クロケット船長の黄金の眼球なんじゃない!? あのお爺さんがクロケット船長なんだよ、きっと!」
「クロケットは生きてりゃ七十歳の爺さん、可能性はあるもちろんけど、でもまさか……マジで? うっわ、さすがに俺もちょっと興奮してきたわ」
「でしょう!? 本当なんだよ! 海賊クロケットは本当にいたんだ! 実在してたんだよー!」
「おっと、待った」
 思わず黄金の眼球に手を伸ばすラギルニットを制して、ガルライズが学者ぶって顎に手を当てた。
「“瞳の向く先に輝く真緑の宝あり”だ。もしこれが本物なら、下手に触らないほうがいい」
 ラギルニットはようやくノってきたガルライズに、赤い瞳を輝かせた。
「この目玉の模様が向いた先に宝物があるっていうこと? でも、落としてもうたーって叫んでたんだよ。だとしたら、偶然落ちたとき、偶然あっちを向いちゃっただけじゃない?」
 ガルライズは髭をしごくふりをすると、おもむろに黄金の目玉を爪先で蹴飛ばした。
「うあ!? いま触らないほうがいいって言ったのに!」
「そんなこと言ったっけ? 覚えてないな、俺も年食っちゃったからなー。なにせ中年なんで」
「根に持っている……っ」
「三十代前半で中年呼ばわりされる俺の気持ちが、ぴちぴちのもち肌少年に分かってたまるか。これでも昔は、男に口説かれるほどの美少年だったんだからな」
「おれ、それはないやー……」
 と、地面の凹凸に合わせて転がった目玉だったが、しばらくすると先ほどと同じ方向を向いて止まった。ラギルニットも恐るおそると蹴飛ばしてみるが、結果はやはり同じだ。
 二人は顔を見合わせ、どうしようもなく緩む口端で、にやぁっと笑った。

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