黄金の眼球 真緑の宝

03

「あれ、畑があるよ!」
 目玉が示す方向に歩いてゆくと、森の開けた場所に、よく耕された畑が現れた。
「クロケット船長の畑かな。すごい」
 盛られた畝には、島の気候に適した野菜が何種類も植えられていた。どれも太陽の光を弾いて、瑞々しい緑色をしている。一つ一つに、作物の名前を記した名札が架かっていて、愛情たっぷりに育てられていることが分かった。
「へぇ、なるほどな。これだけありゃ、無人島でも十分に自給自足ができるってわけだ。井戸も掘られてるし、真水にも困らなそうだな」
「うっわあ、おいしそうなアップローズだぁ!」
 右手の蔓棚に、大きな緑葉に埋もれるようにして、赤い瓜がたわわに実っていた。そういえば、海岸にアップローズの皮が流れてきていたが、きっとこの畑のものだったのだろう。
「もらっちゃだめかな……」
 よだれが出そうになって、ラギルニットは慌てて口をぬぐう。そういえば、そろそろ昼ごはんの時間だ。今ごろ海岸では、今日の食事当番が煮炊きをしていることだろう。航海に出てから久しぶりとなる、新鮮な食材を使った料理。想像するだけで腹が減ってくる。
「ねえ、ダラ金! このアップロー……あれ?」
 聞いてみようと背後を振りかえると、ガルライズが消えていた。驚いて首をめぐらせ、いつの間にか畑の向こうに移動しているガルライズを見つける。
「おい、ラギル、あれ見ろよ!」
 ガルライズが声を張り上げ、畑の先にそびえる崖を指さした。
「あの崖、地面に近いあたりに洞窟が見えないか!?」
 茂みに覆われて良くは見えないが、確かに洞窟らしきものが口を開いているようだ。
「目玉、転がしてみてくれ!」
「う、うん! ちょっと待ってね!」
 ラギルニットは懐から黄金の眼球を取り出し、地面に転がしてみた。
 泥土の上で不器用に転がった眼球はぴたりと動きを止めると、目の前に広がる緑豊かな畑を、その先に見える洞窟を示した。
「……反応あり! 洞窟の方を見てるよ!」
「ビンゴ!」
 指を鳴らし、洞窟へと歩きだすガルライズ。ラギルニットは慌てて腰に下げた袋を開き、中から取り出した物を地面に置いた。かわりに蔓棚から、アップローズを二つばかりもぎとる。
 小走りで追いつき、二人は茂みをかきわけながら進んだ。引っかき傷をいっぱい拵えながら、どうにかたどりついた洞窟は、予想以上に奥が深そうだった。入り口は、大蛇が口を開いたようにぎざぎざした形をしており、いかにも財宝が隠されていそうな雰囲気だ。
 ごくりと息を飲み、洞窟に足を踏み入れてみる。
「暗いねぇ……」
 入り口が遠ざかるにつれて闇が濃くなり、足元が覚束なくなる。
 ラギルニットは不安に駆られて、ガルライズの上着をぐっと握った。
「宝探しするって分かってたら、ランプのひとつやふたつ持ってきたんだけどな。途中まで様子を見に行ったら、引き返そう」
「うん。うう、じめじめするし、変な虫がいっぱいいる……ぎゃ!?」
「どうした!?」
「蜘蛛の巣食ったーっ」
「……なんだよ、脅かすなよ」
「だって……ぎゃあ!?」
 ラギルニットが再び悲鳴を上げる。
「また蜘蛛の巣なら食っとけよ。栄養満点だ。多分」
「ち、ちちち違う、お、おおおれおれおれ、今、今、なんかね!?」
 ひどく動揺して、ラギルニットはガルライズの腰に抱きついた。
 どこからか地響きが聞こえてくる。津波が近づいてくるかのような低い震動だ。
「……何、この不穏な音」
「ダラ金!」
 足を止めるガルライズに、ラギルニットは恐怖に戦く顔で訴える。
「今、おれ、おれ、なんか踏んだの。ポチッて感触がしたの……!」
「――はい?」
 洞窟の天井部からぱらぱらと砂埃が落ちてくる。ガルライズはラギルニットを引き寄せ、鋭い眼つきで周囲を睥睨する。
 その直後だった。突然、左壁から何かが飛び出してきた。ヒュッと短い空気音を立てて飛んできたそれは、ガルライズの腕を掠めて、右壁に突き刺さる。呆然とその正体を探ると、それは無数の矢だった。
「うおぉおおい……っ!?」
「ダ、ダラ金、なんかが来る!」
 ラギルニットが悲鳴を上げる。地響きはまだ続いていた。ガルライズが前方の闇に目を凝らすと、巨大な何かが近づいてくるのが分かった。
 いや、近づいてくるというより、転がってくる。
 洞窟ぎりぎりの幅を持つ、恐ろしく巨大な石の球が転がってくる。
「ひょぇえええ!?」
「ちょっ、いきなり佳境じゃねぇかよ!」
 ガルライズは船長を小脇に抱えて踵を返した。だが他称中年の全速力よりも、石球の速度がわずかに上回っていた。
 全力で走りながら、ガルライズは闇に覆われた洞窟に視線を巡らせる。逃げ場、どこかに逃げ場は――あった。前方の天井部付近に、亀裂のような穴が開いている。そこにもぐれば、石球をやり過ごせるはず。ガルライズは腰から鞭を引き抜くと、亀裂の近くから張り出した岩めがけて鞭を一閃させた。
「ラギル、しっかり掴まってろ……!」
「あいっ」
 岩に巻きついた鞭が、振り子時計のように二人の体を中空に浮かせた。その勢いを借りて、ガルライズは地面の延長線であるかのように壁の表面を突っ走った。そして石球が二人を叩き潰す直前、転げるように亀裂に飛びこんだ。
 ごろごろごろ……と冗談みたいな音を立てながら、亀裂の外を石球が通りすぎてゆく。ガルライズは抱えていたラギルニットをようやく離して、その場にぐったりと倒れこんだ。
「し、死ぬかと思、た……」
「び、びびびびっくりしたぁっ」
 小兎のように震えながら、ラギルニットは息を吐いて後ろ手をついた。
 ポチッ。
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
 ラギルニットは掌に感じるボタンっぽい感触に、え、えへへと笑う。
「ご、ごめんね。なんかまた、押しちゃったみたい」
 どこからともなく、荒れ狂う大波の音が聞こえた。

 罠、罠、罠、また罠。
 それからの三時間、命の危険を感じない瞬間は一度たりとなかった。
「ひぎゃあ! 火の弾丸が降ってくるー!」
 闇を照らしながら降りそそぐ、炎のつぶてをぎりぎりで避けたり、
「ラギル、足元!」
「え? ……っぅ――わぁ!?」
 突然、目の前の地面がぱかりと開いて、針の筵な落とし穴が現れたり、
「何か獣臭くない? それに変な息遣いが聞こえる……っ」
「てか、前の方に角生えた牛っぽい馬っぽい何かがいるんですけどー!?」
 いきなり危険すぎる猛獣が洞窟の先から走ってきたり――この世に存在するありとあらゆる罠が行く手に集結し、二人めがけて襲いかかってくる。
「うわぁあ! 死んじゃうよー!」
「死んでたまるかふざけんな海賊クロケットむしろぶっ殺すー!」
「そうだそうだ、もうキンタマ返してやんないんだからぁああ!」
「うおおおお、男のシンボルーッ!!」
 意味不明な雄叫びを上げながら、二人はひたすら暗闇を突っ走った。
「つーか、俺たち別に洞窟の奥に行きたいわけじゃねぇのに!」
 ガルライズは舌打ちした。罠に次ぐ罠のせいで、洞窟から出たくても出られないという不毛な状況に陥っているのだ。
 いや、なにか妙だ。まるで罠によって、無理やり奥へと進まされている感じだ。
 しかしそのことを深く考える暇もなく、前方から、ざわり、と鼓膜を直接撫でられたような不快音がした。
 ガルライズは素早く足を止め、引きつり笑いを浮かべた。
「今度は何がお出ましだ?」
 洞窟全体にはびこる光苔で、わずかに明るい視界。両脇に迫る壁が、気のせいだろうか、ぞわぞわと蠢いた気がする。
「ダ、ダラ金、あれ……もしかして」
 背に庇ったラギルニットの不安げな声に、ガルライズは腰に巻いた鞭を引き抜いた。
「そのようで、船長。――可愛い可愛い、虫さんたちだ」
 壁が蠢いたように見えたが、その正体は虫だった。壁全体、床一面を、ムカデや毛虫といった毒虫どもが這い回っている。赤く光る目玉の群れは、トラウマになりそうなおぞましさだ。
「ここを通るしかねぇ、か……」
 ガルライズは深々と息を吐き出し、鞭を鋭く一閃させた。
 鞭がしなる短い音と、硬い岩盤を叩く、甲高くも鋭い音。リズムを刻むように、一回、二回、三回と鞭を振るい、その度に荒い呼吸を整え、静めてゆく。
「どうするの?」
 不安感たっぷりなラギルニットの問いに、ガルライズは悪意たっぷりに微笑んだ。
「そりゃあ……殺るしかねぇだろうよ!」
 言うなり、ガルライズはラギルニットを小脇に抱え、絶叫しながら走りだした。ラギルニットは目と耳を固く塞ぎながら、「当分おれ、悪夢で眠れないんだきっと」と涙するのだった。


 体を引きずるように洞窟の外に這い出た二人は、もはや言葉もなく、地面に倒れこんだ。
 風が、疲れきった体を優しく撫でる。
 夜鳴き虫の鈴のような声が、耳に優しく届く。
 ああ、夜だ。いつもならば、今ごろ船の揺れる寝棚で、安眠を貪っていただろう穏やかな夜。
「……て、夜かよ!?」
 今さら気づいて、ガルライズは飛び起きた。
 太陽はもはやどこにもなく、頭上には満天の星空が広がっている。疲れきった目にはゴミ粒にしか見えず、鬱陶しい。ガルライズはがくりと肩を落とした。
「ど、どんだけ……」
「すごい、罠だったねぇ……?」
 草地に潰れた蛙よろしく転がっていたラギルニットも、力なく応える。
 執念すら感じる罠の数だった。なんというかもう、この二十年余りどんだけ暇だったのよ海賊クロケット! と飛び蹴りをかましたくなるほど凄かった。
「くそ! 今度、指名手配書見つけたら、顔にヒゲ書いて、目に画鋲刺して、夜中にランプで照らして、目が光ってるーって叫んでやる……く、くくく、ふふふっ」
 陰湿で単純明快な悪戯を思いつき、異様な興奮状態に陥るガルライズである。
「ね、宝物みたいの、途中あったぁ……?」
 ぐったりしながらも、ラギルニットはどうにかたずねた。罠を回避することに夢中で、ラギルニット自身は財宝らしき存在に気づかなかったのだ。
 ガルライズは大きく息を吐き出し、ごろりと仰向けになった。
「いや、ねぇな。見たかぎり、財宝も、財宝の手がかりになるようなもんも、隠し扉も何もなしだ」
「うおぉ、凄い! ちゃんと見てたの!?」
「というより、罠を警戒しまくってたから。罠のあるところに財宝ありってのが鉄則だろ? 罠を探してりゃ、自然と財宝にも目がいくはず……だけど何もなかったんだよ」
「ほぇえ……」
 気の抜けた声を上げて、ラギルニットは芋虫みたいに左右に転がる。
「そっか、なかったのかー。うー、うー」
「なかったのよー」
「ってことは、も、もう一回、行く、の、かなー?」
「……やー。ラギル、あのさ、正直言ってもいいかしら」
 気力のないやり取りの末、ガルライズはぼそりと言った。
「なんっ……か、俺、あんまり財宝、いらない感じになってきたわ……」
「…………」
 ここまで来て、という発言だったが、ラギルニットは何も答えられない。正直、彼も同じ気持ちである。だが七時間も費やし、命まで懸けたあげくに、手ぶらで帰るというのは海賊の矜持が許さなかった。
 いや、しかしそれでも、だが、かといって一体どうすれば――ぐぅうう。
「……んだよ、無視したあげくに、屁ぇこくなよ」
「ぅおおお腹だもん! お腹ぁ!」
 ラギルニットは盛大に反論して、げっそりと溜め息をついた。
「ダラ金のせいだ。ダラ金が疲れた声出すから、おれのお腹も非難ぐーぐーになったんだ」
「非難ごーごーでしょ、それ言うなら。で、腹減ったんだろ、ラギル? ん? 素直にお言いよ。そして財宝はもういいや、とお叫びよ」
「す、空いてないし。ちーっとも空いてないし。だからおれは、また洞窟に戻って、財宝をさが、さ、さが……っ、さが、す、ない、さが」
「あ、あそこにチョコレートが落ちてる!」
「うそ!?」
「うっそー」
「…………」
 哀しくなるほど馬鹿馬鹿しいやり取りに体力を奪われ、ラギルニットは両手で顔を覆った。
「う、うう、おなか減った。なんか食べたいようっ」
 ついに本気で泣き出すラギルニットに、ガルライズはちらりと今出てきたばかりの洞窟の出口に向けた。
 実はここ、最初に入った穴とは別の出口である。
 洞窟をさまよううちに、崖のずいぶんと上まで登ってきてしまったらしい。背後には洞窟、眼前は目も眩むような断崖絶壁だ。
 要するに、帰るにしても、財宝探しを続行するにしても、また洞窟には戻らなければならないということだ。恐ろしい事実に、疲労感がなおのことこみ上げてくる。
「みんな心配してるよね。集合時間、とっくに過ぎてるもん。今ごろ島中を探し回ってるよ!」
「で、確実に俺への罵詈雑言吐いてることでしょうね……」
 船長を守りながら、ひたすら死地を脱してきた疲労でいっぱいのガルライズは、蛇の抜け殻が風を受けたみたいに、かさかさと笑った。
「このままだと本気で野垂れ死ぬな……」
 極度の疲労と、空腹、道にも迷っている。
 長い長い、長すぎる溜め息が、二人の口から同時に漏れた。
「……本当に財宝なんてあんのかな」
 ラギルニットは堪えきれずに、弱音を吐いた。誰かが「宝は必ずあるから頑張れ」とでも肩を押してくれたなら、もう少しやる気も出るだろうが、あるかどうかも定かでない財宝を探しつづけるのは根気がいるのだ。
 船長のそんな弱気発言に、しかしガルライズは違う角度からうなずいた。
「確かにこの洞窟、なんか妙だ。なんというか、罠の配置が無造作すぎるというか」
「え、どういうこと?」
「さっき言った通りだよ。罠のある場所に財宝あり。財宝を探すなら、罠を探すのが一番だ。けどこの洞窟、罠がある場所を探すより、罠がない場所を探すほうが難しい。ここまで山のように罠があると、逆に財宝がある気がしない」
「それも……クロケット船長の作戦とか?」
「財宝がクロケットのものとして、って前提でだけど、奴にそういう頭脳があるとは思えないな。どっちかっていうと、財宝そっちのけで罠作りにはまって、収拾つかなくなったって感じだろ」
「な、なるほどー。さすがダラ金っ」
 話し家ガルライズの的確な考証に、ラギルニットは一時、疲れを忘れて活気づく。
「じゃあダラ金は、この洞窟には財宝はないって思ってる?」
「っていう結論は虚しすぎるけどな。そういう可能性もなくはない。ここまで罠だらけの洞窟が目の前にあったら、誰も洞窟以外探そうとしないだろ? つまり、洞窟はただの偽装で、財宝は他に隠されている……」
「でも、黄金の眼球は、洞窟の方向を向いてたよ」
「あ、そうか。それがあったか……」
 推理が外れて、ガルライズは気が抜けたように呆けた。
 ラギルニットはまだ頭を捻らせて、ふと思いついて首を傾けた。
「そういえば財宝ってどういうものなんだろ? クロケットの財宝であることが”ぜんてー”で」
「財宝? そういや、考えてなかったか」
 ガルライズは上体を起こしてあぐらをかく。
「屋根瓦が黄金で出来てるっていう、神国家アッシュレイの財宝。黄金の眼球からしても、多分本物の金だ。だとすると、黄金、いや金塊とか――あれ、待てよ」
 ガルライズが首を傾げた。
「良く思い出してみろ。財宝伝説はもはや……」
 財宝伝説はもはや躯の下。
 眼窩より零れたクロケットの黄金の眼球。
 転がれ転がれ、眼球よ。瞳の向く先に輝く真緑の宝あり。
 我はギャッシュバルレーにあり。
「真緑の宝?」
 鍵穴に合わない鍵を見つけてしまったような気分で、二人は顔を見合わせた。
「金銀財宝じゃないのかな?」
「わざわざ真緑って言うからには、エメラルドや翡翠石か、緑蝶石か何かかもな。ああ、そういや絵本とかじゃ、神国家アッシュレイはエメラルドの採掘が盛んだったとかいう設定があったような?」
「エメラルドかー。それって、すごい?」
「そりゃまあ、そこそこ。黄金ほどじゃないけど」
「え、そこそこっていう程度なの!? こんな大変な目に遭ってるのに!?」
「普段の俺たちのスズメノナミダな収入に比べりゃ、相当なもんよ? ……あれ、でも持ち逃げできた量は大した量じゃないんだよな。だとしたらそんなに……あらー?」
 何だか不安を駆り立てる「真緑の宝」の想像図に、ラギルニットは落胆した。
「おれ、黄金の山のてっぺんで、黄金の冠かぶるのとか想像してた……」
 一瞬上がったテンションも急滑降し、再び芋虫になるラギルニットである。
「腹、減った……」
 夜の静かさの中、腹の虫がむなしく響き、空腹がいや増してゆく。
「こんな静かな無人島に、クロケット船長はひとりっきりで暮らしてるんだね」
 弱気になっているためか、無人島の寂しさが妙に胸をついた。先ほど見かけた、痩せ細った老人の背中を思い出して、何だか哀しい気持ちになってくる。
「クロケット船長、財宝は手に入れたけど、でもそのせいで仲間と別れ別れになっちゃったんだよね……寂しいだろうなぁ」
「そりゃどうかな。目玉を抉り取るほど、財宝に執着した海賊だぞ。二十年経った今でも、仲間より財宝を取ったこと、後悔してないと思うね、俺は」
 散々食らった罠にまだ腹を立てているガルライズは、容赦なく言う。
「うえー! おれだったら、絶対絶対、仲間を取るよー!」
「ラギルはな。普通の海賊は、俺たちより仲間同士のつながりが希薄なんだよ。「稼ぐ」って目的のためだけに集まった海賊たちなら、仲間より、財宝を取るのは当たり前だし、そのことに寂しさを覚えたりなんかしない」
「……うう。でもでも、稼いだって、こんな無人島にいたんじゃ、たからのもちぐされ、だよ!」
「まーね。海賊が無人島に宝を隠すってのは、普通、海賊やめた後の生活の蓄えにするためだからな。本人まで、宝と一緒に無人島暮らししてんじゃ、確かに持ち腐れだ。……けど、眺めて楽しむためだけに財宝を奪う海賊もいるし、クロケットもこっちのタイプなんじゃねー?」
 ラギルニットは唸って、寂しげに星空を見上げる。
「そうだとしても、きっと今は寂しい思いをしてるよ」
 時折、白く輝く星が、濃紺の夜空を流れてゆく。
「だって二十年もひとりぼっちなんだよ? おれ、クロケット船長は寂しくって、総領事館に秘密の暗号を送ったんだと思う。財宝があるから、みんな無人島においで、って」
「俺は自慢の財宝を、誰かに見せたくて仕方なくなったんじゃないかと思うけど」
「それって、どっちにしたって、寂しいってことでしょう?」
「……まあ、そうとも言えるか」
「財宝があるかないか。価値があるかないか。それは分かんないけど、きっとクロケット船長、今すっごくワクワクしてるよ。おれたちが無人島に来て、財宝探して走りまわってるの見て、楽しんでると思う」
 そう言うと悪趣味な海賊に聞こえてくるが、そうではなくて、彼はきっとどこか憎めない海賊だ。ガルライズが語って聞かせてくれた伝説から、ラギルニットはそんな人物像を持っている。
 きっと、少年のように目を輝かせて、二人の動向を物陰からわくわく眺めている。自慢の財宝を求めてやってきた海賊たちが、手作りの罠にはまってジタバタと足掻く姿を、きっとガッツポーズをしながら覗き見している。
 二十年間、一人きりで暮らしてきた老海賊の、唯一の娯楽。
 それがこの財宝伝説なのだ。
「おれ、やっぱり暗号は解いてみたい。伝説の海賊クロケットが、世界中の海賊に叩きつけた挑戦状、おれが解決したい!」
 決意を新たに、赤い瞳を輝かせる船長の姿を見て、ガルライズは呆れ果てた。
「そのちっさい体のどっから、その元気が出てくんの?」
「えっへっへ」
「褒めてません。暗号解くってことは、洞窟にまた入るってことだぞ? 腹減って動けないくせに、どうすんだよ」
「ぅぐうぅぅっ!!」
 空腹のことを指摘され、ラギルニットは途端に元気をなくし、ぐったり地面に倒れこんだ。
「ダラ金のせいで、やる気がまたなくなった……」
「俺のせいなのか、それは」
「あ!」
 唐突に大声を上げて、ラギルニットは腰の皮袋を取り上げた。
 今度は何を始めたのかと、ぼんやり見守るガルライズに、「はい!」と程よく熟れたアップローズを差し出した。
「忘れてたよ! おれ、さっきの畑からもらってきたんだ!」
 予想外の贈り物に、ガルライズは飛び起き、アップローズを勢いよく受け取った。
「ナ、ナイス、船長!」
「えっへっへ! 今度のそれは褒めてるんだよね!?」
「ああ、修行僧ウグドもびっくりのベタ褒めだよ!」
 ラギルニットは頬を赤くし、自分の分のアップローズも袋から取り出した。
 慌ててもいだので、へたの先には緑色の葉っぱがついたままだ。一人一個ずつしかない上、昼飯と夕飯まで兼ねていたが、空腹度が限界に達している二人の目には、財宝よりも尊く輝いて見えた。
「ううー、甘酸っぱい、いい香り!」
「たまんねぇ。これが女なら、跪いて靴舐めてるわ」
 すぐに食べてしまうのはいかにも惜しくて、ラギルニットは赤い瓜を星空に掲げてみた。
「見て見て! 宝石みたく綺麗だよー!」
「ええ、ええ、まったくです。船長殿」
「クロケット船長もあの畑が完成したとき、そんな風に思っただろうね!」
「無人島で生きてくのは苛酷だからな。畑の実りは財宝にも勝る喜びでしょうとも」
「大切に育ててるって感じしたもんね。きっと今のクロケット船長には、おれたちみたく、あの畑が財宝――」
 あれ、とラギルニットは言葉を途切れさせる。
 今一瞬、何かに引っかかった。
「……ダラ金? 今おれ、なんかこう……」
「あ、ラギル!」
「え? ……ぅあ!?」
 意識が反れた瞬間、掲げた手の上から貴重なアップローズが転げ落ちた。瓜は不恰好な形をしていて、地面に落ちるなり、不規則に回転を始めた。そして、よりにもよって断崖絶壁の方向へと転がっていってしまった。
「わぁあああ、落ちちゃう……!」
 慌てたラギルニットが、反射的に逃げる瓜を追いかける。
 しかし追走も空しく、アップローズは絶壁を飛び越え、勢いよく虚空を舞った。そして。
「危な――!」
 ガルライズが制止の声を上げた時にはもう遅かった。
 絶壁の直前で足を止めたラギルニットだったが、不運にも足場の砂が滑った。体勢を崩した少年の体は、冗談みたいに中空に投げ出され、彼は悲鳴を上げるまでもなく絶壁を滑り落ちていった。



 頭にぱらぱらと砂粒が当たる。
 その感覚に、閉じていた意識が現実に戻ってきた。
「……生きて、る?」
 声に出して、自分が生きていることを確認する。
 ラギルニットはほっと胸を撫で下ろし、ゆっくりと目を開けた。
 どうやら崖の麓まで落ちきってしまったらしい。ラギルニットの体は、下草に埋もれて、うつ伏せの状態で倒れていた。
 口に入った土をぺっと吐き出し、ふらつきながら上体を起こす。両手両足首を確認し、首やら肩も回してみる。左足首と右肩がずきずきと痛んだが、それ以外に大きな怪我はなさそうだ。崖に生えた樹木や鬱蒼とした茂みが、奇跡的にクッションの役割を果たしてくれたのだろう。多分、転がり落ちたのではなく、滑り落ちたというのも良かった。
 背後の崖を見上げると、崖の上部は闇に没していて見えなかった。ガルライズの姿も確認できない。
 ラギルニットは困り果てて、周囲に首を巡らせ、ふと目を瞬かせた。
 影となった茂みの向こうに、緑色の何かが光っていた。
「なんだろう。すっごくきれい……」
 淡い緑の光は幻想的なまでに美しく、そしてどこか優しかった。
 知らぬ間に顔が綻び、ラギルニットは惹き寄せられるように、光へと近付いていった。
 そして茂みの先に緑の光の正体を見たとき、――少年は不意に悟る。
「あれ!? え、あ、もしかして……!」
 ――ラギル……!?
 その時、上空の闇からガルライズの声が降ってきた。それと一緒に、崖からまた砂粒が落ちてくる。どうやらガルライズも何とか崖から下りようとしているらしい。
「ダラ金!? おれ、大丈夫だよー! 生きてるー!」
 ――マジかよ!? どんだけ悪運強いんだ、この馬鹿……!
 安堵した声で悪態をつきまくるガルライズに「にひひ」と笑って、ラギルニットは体から砂埃を払って落とした。
 それから再び緑色の光を見つめ、懐にしまっておいた黄金の眼球を取り出す。
「おれ、分かっちゃった、クロケット船長」
 不気味な眼球を手で弄びながら、誰にともなく告げる。
「あの洞窟に、財宝はないんだ。そうなんでしょう?」
 隠しきれない勝利の笑顔をいっぱいに浮かべて、ラギルニットは続ける。
 罠だらけの洞窟に覚えた違和感、落ちる直前に脳裏を走った閃き、それから二十年という長きを一人ぼっちで過ごしてきた海賊クロケット。何よりも、茂みの先で輝く真緑の光。
 それらを混ぜこぜにして考えた結果、ラギルニットはついに一つの結論に達した。
 痛む足を引きずりながら、茂みを掻き分け、歩く。最初に洞窟へ向かった時と同じように、同じ道を逆にたどってゆく。
 森が途切れ、明るい星空が頭上いっぱいに広がる。
 その真下。星明かりを反射して、おぼろげに輝くのは――、
「クロケット船長! 見てる!?」
 物陰に潜んで、こちらの動きを見物しているだろう海賊クロケットに向かって、ラギルニットは声を張り上げた。
「おれ、ダラ金が洞窟を見つけたとき、畑の手前で黄金の眼球を転がしたんだ! 目玉はたしかに洞窟の方を見てたけど、でも洞窟の前に広がる畑だって、視界に入ってたんだよ」
 だが今なら洞窟は背後に、畑は前方にと、真逆の方向に位置している。
 ラギルニットはにっと笑うと、黄金の眼球を天高く掲げた。
「だから、こっちが本当の答え!」
 星の瞬きを受け、不吉な目玉模様が描かれた黄金の眼球が、白く輝く。
「これが、暗号に隠された答えだよ!」
 ラギルニットは大声で叫ぶと、眼球を思い切りよく地面に転がした。
 勢いがついた目玉は少年の足元で高速に回転し、徐々に速度を落としてゆく。
 不安定になって、右に左にと転がり転がり、目玉はやがて、ぴたりと動きを止めた。
 眼球は、一途なほどまっすぐに、一点を見つめている。
 夜空の下、星明りを受けて輝く、緑の光。

 そう、海賊クロケットの野菜でいっぱいの畑である。

 どこからか、くっと短く笑い声がした。
 慌てて周囲に目を向けるが、笑い声の主は見つからない。
 もう一度、畑を見ると、ぐるりを囲う柵の上にオウムが止まっていることに気がついた。
 黄色い嘴が、ぱかりと開かれる。
『ハタケ、ガ、タカラ。ソレ、ガ、コタエ、カ?』
 畑が宝。それが答えか。
 場面に合った絶妙な問いかけに、ラギルニットはまごついた。
 オウムは再度答えを問うように、眼球をぱちくりと瞬かせた。
 ラギルニットは頬を紅潮させると、興奮に身を乗り出した。
「うん、そうだよ! 緑いっぱいの畑、それが伝説の海賊クロケットの隠された財宝!」
 その時、オウムが甲高く鳴いた。
 夜の森に轟くその声は、周囲に爆風を呼び起こした。舞い上がる砂埃と、吹きつける突風に、ラギルニットは悲鳴を上げる。背後の崖でもまた、ガルライズが慌てた声を上げていた。
 だが異変はそれだけでは終わらなかった。
 ラギルニットの足元に、赤い焔がほとばしる。炎は少年を囲うように円環を描くと、轟々と音を立てて火花を散らした。そして直後、円環の内側にある地面が音を立てて崩れ落ちた。
「……!?」
 忽然と現れた巨大な穴に飲みこまれながら、ラギルニットは遠ざかる風景に手を伸ばす。
 その一瞬、少年は畑の側にあの老人が現れるのを見た。
 転がった黄金の眼球を取りあげ、ぽっかりと落ち窪んだ眼窩に嵌めこむ老人。
 彼は落下してゆく少年に顔を向けると、ゆっくりと口を開いた。
 辛うじて耳に届いた老人の言葉を頭の中で反芻し、ラギルニットは落ちながら呆ける。
 言われた意味を理解してようやく、少年は悲鳴を上げた。

「って、”はずれ”って何ぃいい――!?」
「てか、また落ちるんかーい!」

 ラギルニットとガルライズの間抜けな悲鳴が、無人島に切なくこだまするのだった。



「やれやれ。行ったか……」
 元の静寂を取り戻した畑の前で、老人は眼窩に納まった黄金の眼球をぎろりと動かした。
 海賊クロケット=ヴァンズリー。
 御齢78歳になる、伝説の老海賊は、疲れた肩をぽきぽきと鳴らしながら溜め息をついた。
「なんとまあ、久々の侵入者であったことよ。今じゃすっかり架空の物語扱いで、だーれも遊びに来てくれんのだからな。……ふふん、久しぶりに楽しめたわ」
 さすがにちと疲れたが、とぼやいて、老人はクツクツと思い出し笑いをした。
「にしても、ずいぶん純粋なガキもいたもんよ! まさか畑が財宝などと抜かすとは……悪名高き”黄金の眼球”は、そんな夢見がちな海賊ではないわっ」
 笑いのツボにはまったのか、しばらく肩を震わせていた老人だったが、やがてふうっと息を吐いて、緑色に輝く畑を振りかえった。
 見ると、オウムが餌でも探すように畝をくちばしで突ついていた。
「なんだ、虫でもおったか? あんまりほじくりかえすなよ。見えてしまうわ」
 意味深なことを言う老人に、オウムが不思議そうに嘴を持ち上げる。
 一瞬。ほんの一瞬だ。掘られた土の間から、信じがたいほど巨大なエメラルド石が無数に顔を覗かせた。しかしそれも束の間、すぐにまた土塊に隠れてしまう。
「畑という着眼点は良かったがなあ……」
 老人は身を屈め、畑に撒いた肥料、”魚の死骸”で作ったそれを指で摘んだ。
「一文、忘れちゃいないか? ”財宝伝説はもはや……”ってな」
 老獪な笑みが、生え放題の髭を持ち上げた。
 ――あ、あれ! 海岸に戻ってきてる!
 ――うおあああ、何だか知らねぇけど生きて帰ってこれたあ……!
 さほど距離の離れていない海岸から、驚きの悲鳴が聞こえてきた。
 ――うわーん! 絶対絶対ぜーったいまた挑戦するんだからね、クロケット船長!
 やかましい雄叫びを右から左に聞き流していた老人は、ふと何かに気づいて身を屈めた。
 アップローズの蔓棚の下に、赤く光る物が転がっている。取り上げると、それは赤いビー玉だった。もがれたアップローズと同じ数の硝子玉。
 古の海賊クロケットの萎びた唇の端に、深い、笑い皺が刻まれた。
「……ふん、いつでも受けて立つわ。伝説の海賊クロケットは、いついかなる時とて、ギャッシュバルレーにあり、だ」

 財宝伝説はもはや躯の下。
 眼窩より零れたクロケットの黄金の眼球。
 転がれ転がれ、眼球よ。瞳の向く先に輝く真緑の宝あり。
 我はギャッシュバルレーにあり。

「さあ、想像をふくらませよ! 少年!」

おわり

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