黄金の眼球 真緑の宝

01

 ラギルニットは人気のない路地の薄汚れた煉瓦壁を、背伸びをして見上げていた。
 傍らには長たらしい金髪を後頭部で一括りにしたガルライズ。
 彼らは壁いっぱいに貼られた黄ばんだ紙を一枚一枚眺めていた。
「どうですか、ダラ金さん」
「そうですねぇ、まぁ、いつも通りですかねぇ」
 ラギルの何故か敬語な問いかけに、ガルライズも敬語で答える。
 二人が真剣な眼差しで見上げているのは指名手配書である。大方の手配書には、現在逃亡中の凶悪犯罪者の似顔絵、名前と通り名、罪状、そして賞金額が大書きされている。
 ガルライズは連続殺人鬼カウントダウンジャックの古びた指名手配書をしみじみと見つめ、首を傾げた。
「なあ。前から聞いてみたかったんだけど、ラギル、おまえこの似顔絵、似てると思う?」
 ラギルニットは高い位置に貼られたそれを、数歩下がって見上げ、腕組みする。
「似てる! そっくし! でもでも、おれは本人のほうがずっとかっこいいと思う。ほら、その証拠にダラ金ずっと捕まってないもんっ」
「ヨシッ、いい子だ! 今日の昼飯は俺が奢ってやろう」
「やた!!」
 最初から奢り狙いだったラギルニットは、最初から奢る予定だったガルライズの隣に駆け戻った。
 指名手配書の確認はバクスクラッシャーが港町に下りた際の恒例行事だ。二十年以上も連続殺人鬼として指名手配を食らっているガルライズは、上から新人犯罪者の手配書を貼られるほどの古株で、あえて見直すほどもない。他には倉庫番ログゼ、方角見のグレイ辺りも馴染みの顔ぶれだが、町によっては思いもよらぬ船員が手配されていることがある。それが要チェックなのだ。
「あ! 前さ、テスが指名手配されてたよね! あれ、おっかしかったー!!」
「そうそう、似顔絵が笑えるぐらいエロ目な人相でな。しかも罪状が空欄な上に、賞金がたったの200エルカ。へぼすぎる。何やらかしたんだ、テス」
「おなか空いて、犬小屋のエサを食べちゃったとか」
「女の下着を盗んじゃいましたとかな。いや、奴にそんな大それたことできないわねー」
 目立って注目すべき手配書もないので、ラギルニットとガルライズは好き勝手言いはじめた。
「んん?」
 ふと、ラギルニットの赤い瞳が吸い込まれるように一枚の手配書に向けられた。
 それはガルライズのそれよりも更に黄ばみ、印字もすっかり擦れてしまっていた。紙端は見る影もなく破れ、賞金額も桁が多いことだけは分かるが肝心の頭の数字が消えて見えない。だが似顔絵だけは鮮明に残っていて、それがひどく目を惹いた。
 海賊だ。北方大陸の貴族がかぶる古風な革帽子を頭に載せ、几帳面に口髭を生やした男。そしてその片眼には球体型の義眼が嵌めこまれている。
 海賊クロケット=ヴァンズリー。

「海賊クロケット=ヴァンズリー。通称、黄金の眼球」
 広場に面した洒落気のある餐庁の壁際に置かれた席に腰を落ち着け、上品な肉料理を豪快にがっつきながら、ガルライズは例の指名手配書の人物について話を始めた。
「略してキンタマ……!」
「略さんでよろしい。――かつて、ギャッシュバルレー諸島一帯を支配したと言われる伝説の海賊だな」
「で、伝説の海賊ぅ!?」
 伝説物語に弱いラギルニットは思わずテーブルを叩いて、身を乗り出した。食べかけだった肉の破片がガルライズのでこっぱちにペチッと貼り付けられる。ガルライズは行儀悪くフォークで肉片を回収し、ラギルの額に貼りなおした。
「お行儀悪いざますヨ。またクロルちゃんの雷が落ちるぞー」
「それでそれで!? 伝説って、伝説って伝説って、もしかして宝物とかがあるの!? あ、黄金の眼球!? 眼球って!?」
 ラギルニットは小言を右から左に聞き流し、頬を真っ赤にして目を輝かせた。隣の席に座っていた上品な老夫婦が、突然の大声に驚いた顔をしていたが、ラギルニットの可愛らしい様子に微笑ましげにうなずいていた。どうでもいいことだが。
「俺は今まで一度も、ラギルが彼の名前を聞いたことないことのほうが驚きだけどな。絵本にもなってるし、海賊小説にもよく出てくる名前だろ。読んだことない?」
 ラギルはぶんぶんと首を振る。ガルライズはにやりと笑って、辺りをはばかり、小声で話しはじめた。それがまたラギルニットの興奮を盛りあげるのは計算済みで。
「当時、まだ駆け出しの海賊だったクロケット海賊団は、ヒール海峡を航行中、偶然にも十隻の海軍艦隊を発見した……」

 見張りの当直に立っていた水夫は、望遠鏡の中にその船旗を確認した。
 白地に青竜が踊る船旗。ジャラスカ帝国が誇る、無敵の海軍艦隊だ。
「クロケット船長、右舷二時の方角、ジャラスカ帝国海軍です! 十隻はいます!」
「なに? こんな辺境に海軍様が何の用だ」
 クロケット船長も舵台に立ち、傍らの副船長から望遠鏡を奪った。
「ほほぅ。ケツの重いレディがうようよ泳いでやがるわ」
 当直の言うとおり、右舷側の水平線近くに、十隻もの帆船が重々しい足取りで航行している姿が見えた。林立するマストに張られた、巨大な帆。速度よりも、武器をどれだけ搭載するかに心血を注いだ海軍船で、クロケット海賊船の優に二十倍はある。
 クロケットの船は小型ではあるが、速さという点に置いては他海賊の追随を許さない。特に向かい風に対する逆走の性能は天下一だ。まして、超重量級の海軍艦隊など言わずもがな。
「何を守ってやがる、レディ……」
 舌なめずりして、さらに望遠鏡を左右に揺らすと、一隻の小型船が見つかった。十隻の海軍艦隊のほぼ中央を心細げに航行している船、マストの先には赤地に白の月模様。神国家アッシュレイの国有船だった。
 国の規模こそ小さいが、世界に名だたる金持ち国家。小国でありながら、莫大な富を有していることが、他国に国家転覆を狙われる原因となっていた。クロケット船長は頭の中で素早く計算する。あの仰々しいジャラスカの無敵艦隊は護衛艦隊、守っているのは金持ち国家アッシュレイの小船。
 あの船には何を積んでいる?
「財宝か。アッシュレイめ、ジャラスカ帝国に庇護を求めたな」

「そこで海賊クロケットは、何とかジャラスカ帝国の護衛艦隊の包囲網を突破し、アッシュレイ船の財宝を奪えないかと画策した。何せアッシュレイつったら、庶民の家の屋根瓦が金でできてるってんで有名だったからな。小型船だったが、十隻もの護衛艦隊がついてるとなりゃ、そりゃ積んである財宝も相当なものだと考えたわけだ」
「うんうん……! それでそれで!? 襲撃したんだね!? 速度の速い海賊船で十隻の鈍足な艦隊に決死の突撃を図ったんだねー!」
 フォークをひょいひょい回しながら話を聞かせるガルライズに、ラギルニットは抱きつく勢いで詰め寄る。気づけば、隣の老夫婦までがゴクリと喉を鳴らし、耳を傾けていた。
 俺、話し家になれるかも、と新しい人生を模索しながら、ガルライズは、ち、ち、ち、とフォークを揺らした。
「お馬鹿だねぇ、ラギルも。無敵艦隊だぞ? 今までに負けのない最強の海軍だ。それが十隻。いくら鈍足ったって、速いだけじゃ太刀打ちできない。近づく間もなく集中砲火を食らって撃沈されるだけだ」
「じゃあ、どうしたの?」
 ガルライズは肩をすくめる。
「あきらめたのさ」
「……ぇえ~!?」

 一分ほどあれこれ作戦を練ったクロケットだったが、結局、何の名案も浮かばず、分不相応な宝船をあきらめることにした。それよりも無敵艦隊にこちらの存在を気づかれ、警戒砲撃を受けるより先に、できるだけ遠くへ逃げることの方が先決だった。
「人間、命より大事なもんはない! 逃げるぞ! 面舵いっぱい!」
「了解、船長! 面舵いっぱい!」
 他の船員たちは、はなっから無敵艦隊に突入するなどと無謀な考えは持っていなかった。船長の命令にさくさくと返事をし、舵を大きく切った。
 人間、欲を出せば、思わぬ不幸に見舞われるんだよ、クロケット。
 クロケットは一目散に逃亡しながら、祖母の遺言を思い出し、まったくだ、とうなずいた。
 だが逆説もあるとは思わなかった。
 欲を出せば不幸に見舞われるのと同時、欲を押し殺すことで、まさか幸福が訪れるとは。
 クロケットにその奇跡が起きた。
 無敵艦隊と財宝船との遭遇から一ヶ月後、クロケット海賊団は二百もの島々から成るギャッシュバルレー諸島に到達した。食料調達のため、連なる島々の中から人が住むには不適応な島を選んで上陸した。この辺りは言葉を解さぬ原住民が多く暮らしている。下手に遭遇すれば殺される可能性もあるので、敢えて無人島を選んだのだ。
 接岸できそうな浜辺を探して島の南側に回ったところで、海賊クロケットは異変に気が付く。何と岸辺にはあの財宝船が半ば転覆した状態で接岸されていたのだ。
 よく見ると、フォアマストが半ばから折れ、帆ごと倒れて甲板を無残に破壊していた。船首材も折れてどこにも見られず、壁面には砲弾の穴が開いている箇所も見られる。
 何があったか分からないが、大方財宝に目が眩んだ一部の無敵艦隊が反乱を起こし、財宝船に襲撃を仕掛け、仲間割れを起こしたといったところだろうか。無敵艦隊がどうなったかは不明だが、財宝船は混乱の中、ここまで漂着したらしい。
「諸君、財宝船を発見した。が、まさか財宝はもう搭載されてはいまい。ま、金貨の一枚もあるかもしれんから、期待せずに覗いてみよう」
 相変わらずやる気のあまりないクロケット船長に促され、海賊たちは財宝船に乗りこんで物色を始めた。戦いの傷跡が残る甲板にはアッシュレイ国の民族衣装を着た船員たちの死体がごろごろ転がっていた。実に楽な探索だった。
 だが船倉を覗いた彼らは、心臓が飛び出るほど驚くことになる。何と財宝船の船底には手付かずの金銀財宝が山となって積まれていたのである。

「人間あきらめが肝心っていう教訓ねぇ、爺さんや」
「そうだねぇ、婆さんや」
 もはや隣の老夫婦は二人のテーブルに同席している。どうでもいいが。
 だがラギルニットは不満だった。最初の想像と違って、海賊クロケットはぜんぜんまったくもって格好良くない。
 だが、財宝と聞いてちょっぴり尖らせた唇の端っこが笑ってしまってもいる。
 ガルライズは神妙な顔で話を続けた。
「ま、そんなことで一躍金持ち海賊になったクロケットたちは、方々で名の知れた海賊へと変貌を遂げるわけ。クロケットの仲間入りをしたい海賊たちがわんさと集まり、百人近い大海賊となる。もちろん財宝は余るほどあったから、クロケットは大判振る舞いで性能の良い船や武器を集めていった。まあ、馬子にも衣装ってやつかな。大した知恵者ではないが、運だけはあったクロケット海賊団は、クロケットの名を聞くだけで恐れ戦いた貿易船から次々と宝を奪い取り、ついにはギャッシュバルレー諸島一帯の海域を根城にするまでに至った」
「ほえぇえ」
「……だが。どんなもんでもそうだろ。大きくなれば、舵取りも上手くいかなくなる。やがて膨れ上がった大海賊は、悪運だけは最強の、馬鹿で度胸のないクロケット船長に反感を覚えるようになった。彼らはクロケットを殺して財宝を奪ってやろうと画策し、ついに嵐の夜、反乱を起こしてしまうんだ――」

 反乱の予兆をいち早く察した、海賊団結成時から船長に忠実だった水夫はクロケット船長に耳打ちをした。船長はある夜、信頼できる昔からの海賊たちをこっそりと集め、ゴホンと咳払いを一つ、こう切り出した。
「諸君、悲しいことだが、命よりも大事なものはほかにない。持てるだけの財宝を持って、この船から逃げようではないか」
 山と積まれた財宝を一部しか持ち出せないのは実に心が痛んだが、背に腹は変えられない。船員たちはうなずき、小さな宝石類を服の袖やらポケット、財布代わりの皮袋に仕舞い始める。
 そこで彼らはギョッと目を剥く。
 クロケット船長が、まさに目を剥くようなことをやっていたのだ。
 つまり財宝を革ブーツの中、ズボンやチョッキのポケット、上着の内ポケット、服の袖、胸倉、ベルトの脇に強引に詰めるだけでなく、何と――自分の左目を手で抉りだし、ちょうど眼球大だった球体をした黄金を眼窩に嵌めこんでいたのである。
「うむ、ちと痛いが、いけんこともない」
 命より大事なものはほかにないが、目よりは財宝のほうが大事らしい。あまりのがめつさに絶句した船員たちは、結局、反乱時に船長と行動はともにせず、別々に逃亡をするのだった。

 ラギルニットとガルライズは皿の上の肉をきれいに胃袋へと片付け、立ち上がった。老夫婦に別れを告げ、二人は高級感漂う店から外に出る。
 薄暗い店内とは打って変わって、外は抜けるような青い空をしていた。
 眩しさに目を細め、ラギルニットは腕を持ち上げた。
「変な人。クロケット船長って。目玉を抉りだしちゃうなんて」
「ワッセルに言ってやれ、それ」
 バクスクラッシャーの船大工ワッセルもまた、自分で目玉を抉り出したという逸話の持ち主である。だがクロケット船長の黄金の眼球の話は、どこか胡散臭い。
「……ねぇ。クロケット船長って本当にいるの?」
 賑やかな広場を横切り、船の待つ波止場を目指して歩きながら、ラギルニットは疑わしげにガルライズを見上げる。
「だってアッシュレイ国とか、ジャラスカ帝国とか、ギャッシュバルレー諸島とか……初めて聞く地名ばっかり。どこにあるの?」
 ガルライズは心外そうに目を見開くと、肩をすくめた。
「だから“伝説”なんだって。絵本や小説になってるって言っただろ?」
「え。それって作り話ってこと? だって指名手配されてるのに!」
「何て言うか……あの指名手配書は、いわば読み方指南書なわけよ」
「しなんしょ?」
「そ。賞金額の最初の数字、破れて見えなくなってただろ。他の港町で見たことあるんだけど、あれ、0なんだわ。賞金額0エルカ」
「えー!!」
「指名手配書の例として張り出すために、お役人が実在しない絵本の中の海賊様を指名手配書に書いたってわけ」
「……ぬわぁんだ~」
 激しくつまらないオチに、ラギルニットのテンションは急降下した。
「何せあの手配書、俺が子供の頃からあるからな。手配書読むと、クロケットの年齢は48歳って書いてある。生きてりゃ70歳を越える爺さんだ」
「……つまんない」
 散々興奮してワクワクしたのに、財宝を探しに行こうとまで決意していたのに、ラギルニットはすっかりいじけてしまった。少年の夢を木っ端微塵に破壊したガルライズは、ふと不思議な笑顔を浮かべた。
「想像をふくらませろ、少年。海図が完成したのはそう昔の話じゃない。国際的に認可される海図ができる前、どっかの諸島がギャッシュバルレーって呼ばれてたかもしれないし、今は滅亡して地図から消えた国がアッシュレイだったり、ギャラスカ帝国だったかもしれない。……それに、この話には続きがある」
 もはや興味の失せたラギルニットは、それでも「続き」と聞いて少しだけ好奇心が疼き、顔を上げた。ガルライズは太陽を背に、逆光の中でにやりと笑っていた。
「反乱から逃れたクロケット船長は、たった一人、黄金の眼球と持てるだけの財宝を手に、ギャッシュバルレー諸島のどこかに逃げのびたんだ。そして、財宝を無数の島々のどこかに隠した。奴に賞金がかかったのは、その噂が港町に流れたから。賞金をかけたのは神国家アッシュレイの王家。不名誉な失態を演じたギャラスカ帝国も一枚噛んでいたと言われる。
 その噂話の出所にも信憑性がある。ある日、一羽のオウムが港町の総領事館の窓辺に下り立った。その足には一枚の紙が結ばれていた。それは財宝の在り処を示した秘密の暗号。そこに書かれた文句に人々は小躍りし、再び財宝伝説が始まったという」

 財宝伝説はもはや躯の下。
 眼窩より零れたクロケットの黄金の眼球。
 転がれ転がれ、眼球よ。瞳の向く先に、輝く真緑の宝あり。
 我はギャッシュバルレーにあり。

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