喉笛の塔はダミ声で歌う

第40話 結びのまじない

 呆然とするオースターを、アキはさも愉快そうに観察する。

「ところで、あんたの従者、何者? 何度も学寮の部屋に侵入しようとしたのに、そのたびに妨害工作に遭って、本当いらいらしたよ。ルピィ・ドファールの部屋だって、あそこまでじゃない」

 ラジェが言っていた。
 半月前からオースターの部屋に侵入を試みようとする者がいた、と。

「でも、逆に思ったよね。こりゃ、よほどの秘密を抱えてるぞ、って。まあ、あんたの正体に気づいたのは、地下水道が崩落したあとだけど」

 いつ、と考えることはもう無意味だ。
 ラクトじいじにも気づかれた。怪我した腕の手当てを受けたときだ。
 ラクトじいじは「知っているのは自分だけだ」と言った。だが、地下水道を伝ってどこへでも侵入できるアキとロフが、掃除夫たちの町を自由に行き来できないわけがない。
 アキは満足そうに嘆息した。
「もっとはやくに秘密がわかってたら、あんたも死なずに済んだのにねえ。アラングリモ公爵家の嫡子はじつは女でした! なんて号外が出たら、世間は大騒ぎだ。皇太子の座はルピィ・ドファールのもとに戻って、アラングリモ家はお家断絶、誰にとっても脅威ではなくなる。殺す理由だってなくなる。……もっとも、大公殿下を欺いた極悪人として、斬首されるかもしれないけどさあ!」
 ひとしきり笑って、アキはふと苦笑した。
「言葉も出ないです? そんなにショックでしたか、女だって知られたの。でも残念、これからですよ。オースター様はこれから、自分が女だってことを嫌ってほど思い知らされながら死んでいくんだから……ね」
 アキの冷たい指が、オースターの頬に触れる。顎の形を確かめるように、おとがいをなぞり、そのまま首を、鎖骨をたどって、胸にまでおりてくる。
 全身に鳥肌がたつ。その手つきは慣れきっていた。本能的に手を伸ばし、武器になりそうなものを探す。けれど、アキはわずかな身じろぎも見逃さなかった。ぐっと腕を掴まれ、石床に縫いとめられる。その力は強く、痛いほどだ。

 ――こんな風に終わるのか。

 これまで必死になって男のふりをしてきた。
 女の体を壊し、男につくりかえる薬液を、幼いころから注射しつづけてきた。女になろうとする体を強引にねじふせ、男になろうと必死にあがいてきた。
 成長しない体。筋肉がつきにくい手足。それでも体を鍛え、剣技を身につけ、馬技を学び、わずかな隙もつくるまいと寝る間も惜しんで学業に打ちこんだ。
 それなのに、アキの腕力を前に、この体はいともあっさりと負ける。
 男が本気を出せば、オースターの体は簡単にねじふせられる。

 男にはなれなかったのだと思い知らされる。
 女でしかないのだと、思い知らされる。

『女が残ってもなんの意味もない……』
 弟の病を知った父が、絶望のなか、「私」に投げかけた言葉。
『女の名など忘れなさい。女のあなたには、価値などひとつもないのだから』
 弟が死んで翌日、母が「私」に命じた言葉。
 それらが交互に頭をよぎり、オースターは抵抗をやめた。

(これがいちばんいいのかもしれない)

 薬の効果は期待できない。オースターの体は少しずつ、女性のそれへと変化していっている。
 大公殿下が亡くなり、オースターがランファルド大公となったら、待っているのは婚約者シュレイ・アラーティス嬢との婚姻だ。求められるのは、子をなすこと。母がそうであったように、大公夫妻にもまた大公家の嫡男の生誕を求められる。
 周囲を欺きつづけるのは、今まで以上に困難となる。

 ここで死ねば。
 死体も見つからず、ドファール家に人知れず殺されるなら。
 女であることを知られぬまま、ただ「行方不明になった」とだけ――あるいは「下水道で不慮の事故死を遂げたようだ」と世間が思ってくれたなら。
 オースターの嘘は、永遠にばれない。
 欺かれつづけた友人たちが傷つくこともない。
 アラングリモ家に咎がいくこともない。

(母上が罪に罰せられることもない)

 抗うことをやめたオースターの体のうえでアキの手が躍る。制服のズボン越しにふとももの内側を撫でられる。気持ちの悪い感覚だ、とだけ思う。
 ふいに、オースターの手首を掴んだアキが「いてっ」と手を離した。
「なんだ? いま、ビリッとした……」
 のろのろと目を向けると、アキが自分の右手をあっけにとられて見ていた。指先から血が滴り落ちるのが見える。
「なんだよ、これ……まさか結びのまじない? なんでランファルドのお貴族さまが、ホロロ族の護符なんか巻いて――」
 ふと、アキの顔がゆがんだ。
「トマか。あいつ、こんなときまで邪魔を……っ」
 鈍化した頭にふと浮かんだのは、トマがくれた飾り紐だった。
 手首にずっと巻いていた。
 トマが「ホロロ族のお守りだ」と言って、渡してくれた――。

(トマ)

 オースターは目を見開いた。トマ。そうだ、トマは無事だろうか。
 フォルボス局長を経由して、ホロロ族に「トマを独房に入れろ」と命じた。鍵をかけ、その鍵はルゥに渡せと頼んだ。あの連絡は正しくホロロ族に伝わっただろうか。いいや、信用できない。フォルボス局長はオースターを欺いた。あの連絡だって誰に伝わったかわからない。

(助けられるのは、僕だけじゃないか)

「――離せ」
 オースターは口を開いた。
「はあ?」
「僕にさわるなと言っている! この”くそ”野郎!!」

 叫ぶやいなや、膝を思いきりアキの股間めがけて振りあげた。
「正しい位置」に膝蹴りできたかはわからない。だが、アキが声もなく横転した隙に、無我夢中で体の下から這いでる。
「てめえ……っ」
 アキが身じろぎする。オースターは地面に置かれていた蓄電池式ランタンを掴み、力任せにそれを振るった。角ばった部分が、アキの頭をガツンッと強烈に打つ。
 オースターは駆けだした。
 だが、すぐに足を掴まれ、前のめりに転倒する。
 手にしたままのランタンの光が激しく揺れて、老朽化した地下水道を照らしだした。

「ふざけやがって、このアマァ……!」

 額から血を流したアキが、目を血走らせて拳を振りあげた。オースターがとっさに腕をかかげた――そのときだった。
 ロフの悲鳴が聞こえた。
 アキがはっと手を止めた。オースターはアキを押しのけ身を起こし、蓄電池式ランタンの明かりだけを頼りに、悲鳴がしたほうへと走った。

 誰かがいる。
 ロフと、彼に向きあってたたずむ小さな人影。

「ルゥ――!」

 ルゥは震える手に、なにかの工具を持っていた。
 錐のようだ。尖った先端はぬらぬらと赤く濡れている。
 ロフは苦悶の表情で脇腹を押さえながら、 ルゥの顔を拳で殴った。手から工具が落ち、幼い体が棒切れのように地面に転げる。
 オースターは目を見開き、ルゥとロフとの間に割って入った。
「やめろ、ロフ!」
 ロフはオースターを見ていなかった。
 ようやく駆けつけたアキもまた、底冷えのする怒りを目の奥に宿し、ルゥをにらみつける。

「ルゥ、なにしにきた。まさか俺たちを追いかけてきてたのか?」
「アキ、こいついきなり刺してきやがった! 気が狂ってる!」

 口端に血をにじませながらも、ルゥがよろめき立った。
 そしてオースターの前に進みでると、両腕を広げて、ふたりの兄をにらみつけた。
 その姿は、まるでオースターを守ろうとしているかのようだった。
「おまえ……!」
 ロフが腕を伸ばし、ルゥの首輪をはめた首を両手で掴んだ。
 頸骨をへし折らんばかりに力をこめて、そのまま軽々と空に持ちあげる。
「ちっぽけな〈喉笛〉しか持たず、大したポイントにもならなかった役立たずのおまえを、今日まで見捨てずにきたのはなんでだかわかるか。妹だからだ! それをおまえは……っ」
「ルゥを離せ!」
 オースターは、ロフの刺されたらしい脇腹めがけて体当たりをしかけた。
 鈍い悲鳴をあげて、ロフがルゥから手を離す。どっと地面に落下したルゥが、喉を押さえて激しく咳きこんだ。
 ロフが脇腹を押さえ、アキが血の流れる頭を押さえ、オースターを憎悪に満ちた目でにらんだ。
「……もういい。十分だ、ロフ」
「ああ。雨音が聞こえるか? 外は降りだしたみたいだ、アキ」
「そうだな、時間切れだ」
「ルゥはどうする」
「一緒に殺ろう。こいつにはうんざりだ。情も尽きた」
 ロフの手に短剣が閃く。
 オースターはルゥが取り落とした工具を拾い、ふたりに向かって構えた。
「おいおい、愚かなお貴族さま。錐一本でなにをどうしようってんだい?」
「お馬鹿なあんたの相手をするのは、もう心底、疲れたよ」
「それはこっちの台詞だ。覚悟しろ、アキ、ロフ。トマは錐一本でぬめり竜をやっつけた。おまえたちのことだって……たとえ最後には殺されることになっても、どっちかひとりは必ず道連れにしてやる!」
「あっそ」
 アキが白けきった顔で、懐から拳銃を取りだした。
 オースターはぎょっとした。
「ずるい!」
「じゃ、ま、そういうことで。お達者でー」
 アキは迷うことなく銃口をオースターに向け、撃鉄を下ろして引き金をひく。

「待て、アキ!」

 ロフが叫んだ。アキが「ああ?」と面倒そうにロフを振りかえる。
 どうしてロフが叫んだのか、その意味を考えるよりも先に、オースターは錐を両手に掴んでアキに突進した。
 どこでもいいから刺され! 念じて、アキごと地面に倒れこむ。アキに馬乗りになって、なおも錐を振りあげながら、オースターは「ルゥ、逃げて!」と叫んだ。
 アキが舌打ちして、オースターの顎を手のひらで押しあげた。それでもオースターは錐をがむしゃらに振りおろした。

「ルゥ、はやく……!」

 視界の隅に、棒立ちになったルゥが見える。
 どうして逃げないのだろう。
 足がすくんでしまったのだろうか。

 そう思ったとき、ぼたっ、と生ぬるい粘着性の液体が首もとに落ちてきた。

 オースターは天井を見上げる。
 恐怖に全身を貫かれ、思考能力が奪われる。


 天井にぬめり竜がへばりついていた。

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