喉笛の塔はダミ声で歌う

第25話 赤い扉

「ここではなんですから、わしの家においでください」
 手をさしのべられる。
 オースターはそれを無視し、通路の壁を支えにのろのろと立ちあがった。
 だが、膝にうまく力が入らない。歩きだせずにいると、ラクトじいじが怪我をしていないほうの腕に手をかけた。
「熱があるようじゃ。怪我のせいでないといいのですが。ふんばってくだされ」
 オースターはとっさにその腕を振りはらった。
 ラクトじいじは驚いた顔をしたが、すぐに気をとりなおし、「こちらです」と先に立って歩きはじめた。

 案内されたのは、やはり牢獄だった。
 ただし、これまで見てきた牢獄よりも広い。調度品は、家具から絨毯に至るまで高級な仕立てに見えた。
 鉄格子さえなければ、中流家庭の客間と言われても信じたろう。
「きれいな部屋だ」
 低く言うと、ラクトじいじはそこに責める意図を感じとったのか、苦々しくほほえんだ。
「本当はもっと小さな部屋がいいのですがのう。長たる者がそれでは示しがつかないとみなに言われ、このような部屋に」
「嘘だ」
 突きはなす口調で、オースターは言った。
 ラクトじいじが口をつぐむ。オースターもまた自分の態度に驚いていた。嘘だなんて言うつもりはなかったのだ。ただ、ラクトじいじに対して、最初に会ったときのような親しみを感じることができなかった。
 頭にこびりついて離れないのだ。
 バクレイユ博士と親しげに――まるで無二の友であるかのように話すラクトじいじの笑顔が。
 トマが鞭で打たれるのを止めもしなかったラクトじいじが。
 傷ついたトマを前にして、バクレイユ博士に「トマの〈喉笛〉はすぐに摘出すべきだ」と訴えたラクトじいじが。
 こんな悲惨な状況下で、なお穏やかにほほえむラクトじいじは、得体が知れなかった。
 オースターは家主の許しも得ず、勝手に手近な椅子に腰かけた。

「僕も話がある。バクレイユ博士とは、どこで知りあったの」

 ラクトじいじは太くて短い、黒々とした眉を持ちあげ、小さなテーブルを挟んだ対面の椅子に腰かけた。
「そうですな……フラジアの捕虜収容所で知りあったと言って、おわかりになるかどうか」
「ホロロ族の過去はあらかた聞いて知っている。つづけて」
 冷ややかな口調にも臆することなく、ラクトじいじは昔話でも語るようにのんびりと話しはじめる。
「戦時中のことですじゃ。アモンにある”とある施設”が、フラジア軍の襲撃を受けましてな。その施設にいたわしと仲間のホロロ族はみな捕らえられ、フラジアの捕虜収容所に連行されました」
「”とある施設”」
「養殖場です」
「君たちホロロ族を養殖する?」
「ええ」とうなずき、ラクトじいじは目を細めた。
「養殖場のことは誰から聞きました。トマですかな?」
「誰でもいい。それより、その収容所で、どうやって博士と知りあえたんだ」
 ラクトじいじが小さく息をついて、席を立つ。棚の上の水差しと陶製のカップを持って戻ってくると、
「薬湯です。熱冷ましにもなる」
 カップに注がれたのは焦茶色の液体だ。嫌なにおいがする。
「いらない」
「お飲みくだされ。どうやら聞きたいことが山のようにあるようじゃ。意識を朦朧とさせていては、肝心なことを聞きのがしかねませんぞ?」
 オースターはラクトじいじをにらんだ。
 ソーサーを受けとって、中身をぐっと飲みほす。苦味が口いっぱいに広がるが、顔には出すまいとこらえる。
「収容所でのことは、正直、思いだしたくありませんが」
 そう前置きして、ラクトじいじは語りはじめた。

 フラジア軍が所有する捕虜収容所は、簡素な横長の建物であった。
 アモンの建築物は装飾が華美なので、最初にフラジアの無機質な建造物を見たときは、もうそれだけで震えがくるほど恐ろしかった。
 内部は、独房がずらりと一列に並び、かびと腐臭の混じったような異様な匂いがした。銃火器を持った監視役がいて、ラクトじいじ――今より十歳以上若かったラクトたちは背中に銃口を突きつけられながら、ひとりひとり、別れて独房に入れられた。

「フラジア軍がわしらを捕らえたのは、魔法に興味があったからです。アモン軍の強さの秘密を知り、アモン攻略のヒントを得たかったのでしょう。それゆえに、フラジア軍はわしらから魔法のカラクリを聞きだそうとした」

 だが、フラジア軍は根本的に理解していなかった。
 アモンには保有する魔力の量に応じた身分制度があり、ホロロ族はその最下層――つまりはほとんど魔法を使えぬ民である、ということに。
 いくら「魔法のカラクリについて話せ」と命じられても、ホロロ族には答えようがない。
 なにしろ知らないのだ、魔法のことなどなにも。
「自分たちにできるのは、ただ歌うことだけ」
 言えるのは、ただそれだけ。
 何十回、何百回、聞かれようと。どれほどの苦痛を与えられようと。
 いっそ答えたい、答えてしまいたいと思っても、答えることはできなかった。

「しかしながら、いくら魔法に明るくないフラジア軍とて、わしらの〈声〉を何度も聞けば、その〈声〉こそが魔的なものであることぐらいはわかったようです。フラジア軍は成果に乏しい尋問をやめ、もっと直接的に――フラジア流で言うなら、”科学的なやり方”で、魔法のカラクリを探ることにしました」
 オースターはラクトじいじに向いていた敵愾心が、波が引くように消えていくのを感じた。
「なにを……されたの」
 ラクトじいじは小さく答えた。
「人体実験を」
 息を飲むオースターから目をそむけ、ラクトじいじはそれがまるで恥ずべきことであるかのようにうなだれた。
「独房が並ぶ長い通路の先には、赤い扉がありましてな。数日に一度、独房から出されたホロロ族が、扉の向こうに連れていかれました」
「どんな実験だったの?」
 耳を塞ぎたくなる衝動を必死でこらえ、オースターはたずねる。
「知りませんのじゃ。わしの番はついに来なかった。連れていかれた仲間がどうなったかもわかりません。彼らはひとりたりと戻ってくることはなかったので。……ただ、赤い扉の向こうからは、たびたび引き裂くような悲鳴が聞こえてきました」
 おそろしかった、とラクトじいじは言う。
「いずれ自分の番が来る。そう思うとたまらなく怖かった。――そんな折です。収容所にバクレイユが来たのは」

 フラジアと同盟関係にあったランファルド大公国は、国内でもっとも優れた科学者として、バクレイユ・アルバス博士をフラジアに派遣した。
 滞在期間は一か月。目的は、新兵器の開発補佐であったというが、格下の小国から来た科学者など現場の人間が受けいれるはずもなく、実際にはあちこち研修という名目で、見学してまわるだけだった。
 その期間、博士は捕虜収容所をたずねた。
 そして、ラクトの独房の前にやってきた。

「バクレイユの関心もまた魔法にあるようでした。日々を恐怖のなかですごしていたわしは、問われるままに魔法の話をした。無論、フラジア軍に話した以上のことは話せませんでした。
 きっと、この男も怒ってわしを痛めつける。そう思っていたのですがのう……バクレイユは不思議な男でした。わしが話す魔法の話を、まるでおとぎ話に耳をかたむける子供のように、目を輝かせ、むさぼるようにして聞くのです。純粋無垢な好奇心は、おそろしくもあり、驚きでもあり、おかしくもありました」

 歌ってみてくれ、バクレイユ博士は言った。
 逆らう勇気などない。ラクトは怯えきった声で歌った。
 バクレイユ博士は自分の耳を疑うようにし、なにやら小型の計器を見つめたり、「もう一度」と歌わせたり、頭をがりがり掻きむしったり、また別の計器を見ては手帳にメモを書きつけたりして、言った。

「おもしろい!」

 そして、自分なりの分析をつらつらと口にし、それに対するラクトの意見を聞き、あるいはランファルドがいかに時代遅れかを語っては、博士がこころざす理想の未来を、さも楽しげに話してくれた。

「その話はおもしろかった。養殖場で生まれ、養殖場で育ち、養殖場で生きてきたわしにとって、見知らぬ世界の話はとほうもなく魅力的だった。そして、いつしかわしも博士の来訪を心待ちにするようになりました」

 そんなある日、バクレイユ博士は言った。

「ランファルドへ来い」
 不意を打つ一言に、ラクトは目を見張った。
「フラジアの研究者たちは大馬鹿ぞろいだ。私ならおまえたちを無為に痛めつけたりはしない。秘められた魔力を解放し、心のままに歌わせてやれる。
 ラクト、気づけ。おまえたちの声は、大きな可能性を秘めている。その声を使い、わしとともに理想を実現しよう。科学と魔法と手をたずさえて、この世の楽園を南の地に築こうではないか!」

 待っているぞ。
 そう言いのこして、バクレイユ博士は去っていった。

 ラクトじいじは苦笑した。
「バクレイユにしてみれば、その場の思いつきだったのでしょう。きっと収容所を出たとたん、そんな約束など忘れたにちがいない。なにしろ彼は、鍵のかかった独房から脱出する方法までは、教えてくれませんでしたからのう。あとになって思い知りましたが、あのひとはずいぶんな移り気で、思いつくままにしゃべっては、気の向くままに忘れてしまえる……そういうおひとでした。
 しかし、わしはそこに希望を見いだしました。赤い扉は、間近に迫っていた。わしは逃げたかった。わしは、この声に可能性を見いだしてくれたひとのもとで、思うぞんぶん歌ってみたかった。
 そしてある日、わしらは幸運にも、別の捕虜収容所に移動することになったのです。ホロロの神が味方してくれた、そう思いました」

 オースターは呼吸することも忘れ、ラクトじいじの話に聞きいった。
 ――そこから先の話は知っている。
 モーテン男爵によると、彼らは別の収容地に向かう途中、町を飲みこまんとしてなだれこんできた〈汚染〉に遭遇した。フラジア人は彼らを置いて逃げだし、その結果、ホロロ族はフラジア軍の手から逃れることができたのだ。
 そして、〈汚染〉から逃げて、逃げて、ひたすら逃げて。
 ついに南の果ての小国、ランファルド大公国までやってきたのである。

(フラジアまではかなりの距離がある)

 鉄道は使えない。ホロロ族の身なりでは怪しまれて乗車できなかったろうし、そのころすでに鉄道は、通常どおりに運行していなかっただろう。まして〈汚染〉が拡大をつづけていた時期だ、まともに街道を使えたかどうかも怪しい。
 バクレイユ博士の思いつきの誘いをたのみに、彼らはいったいいくつの山を越え、いくつの川を渡ってきたのだろうか。
 ランファルドにたどりついた彼らは、枯れ木のように痩せていたという。

「さっき、捕虜収容所に収容されたホロロ族は百名ほどだったと言ったよね。でも、ランファルドに来たホロロ族は二百人ぐらいいたと聞いている」
「ええ。フラジアに連行された捕虜は、わしらのほかにもおりましたゆえ」
「それは……」
「わしらの養殖場のほかに、もうひとつ、べつの養殖場も襲撃を受けていたのです。いや、ほかにもあったかもしれませんが、捕虜となり、収容所から逃げだすことができたのは、ふたつの養殖場のホロロ族のみでした」
「じゃあ、途中で合流して、いっしょにランファルドにやってきたということ? どうやって? 電信でも使ったの?」
 ラクトじいじは苦笑する。「電信なるものの存在を、当時は知りませんでしたからなあ」とのんびり答える。
「〈喉笛〉を使ったのですじゃ」 
 そう言って、ラクトじいじは首にはまった「1」と刻印された鉄輪に触れた。
「逃げる途中、わしらはひたすら呼びつづけました。ほかにも捕虜となった仲間がいるかもしれない、あるいはアモンに取りのこされた仲間にも、声が届くかもしれない。そう信じて、呼びつづけたのです」

 ――逃げろ。黒い波が来る。はやく。逃げろ。
 ――南へ。逃げるんだ。南へ。南へ。

「その声は、たしかに仲間に届きました。日が経つにつれ、南へと歩きつづけるわしらの行列に、ひとり、またひとりと仲間が加わっていきました」
 ラクトじいじは、短い眉をひょうきんに持ちあげる。
「わしもびっくりしました。実のところ、自分にそのような魔法が使えるとは、思ってもいなかったのです。わしらホロロ族は、〈喉笛〉の魔力を操るすべを、はるか昔に失ってしまっているので」
「〈喉笛〉の使い方がわからないということ?」
「ええ。知っているのは、歌うことだけ。それ以外の魔法はなにも知らない。ですから、これはたまたま。わしらはただ無心に呼びかけつづけた。その結果、声は遠い地にいる仲間にまで届き、彼らを導く旗印となったのです。――わしはこれを〈共鳴〉と呼んでおります」

 共鳴。
 その単語に、オースターの耳が反応する。
 さっき、ラクトじいじとバクレイユ博士が、まさにその「共鳴」について話をしていた。
 トマの叫びに、〈喉笛の塔〉の〈喉笛〉たちが共鳴した――そんな話だった。

「わしひとりで呼びかけても、きっと遠い地にいる仲間にまで届くということはなかったでしょう。しかし、仲間とともに呼びかけつづけたことで、声が共鳴反応を起こし、本来なら発揮しえないほどの魔力を生じさせることができた」
 ラクトじいじはそうつぶやき、ふと、悲しげに目を伏せた。

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