喉笛の塔はダミ声で歌う

第21話 叫び

 トマはオースターの手をそっとはずし、表情を消した。

「今日はやめろ。馬鹿の相手をふたりもする気力がない」

「馬鹿、ねえ。本当に馬鹿なのはどっちかなあ?」
「貴族嫌いのおまえが、まさかそいつにすっかり心を許しているとは、いやはや情けないと言うべきか……」
「正直もーがっかりー」
 アキとロフは両腕を大きく広げて、ダミ声を張りあげた。

「おれとあなたさまの命は対等ですかぁ?」
「同じぐらい価値があるって言えますかぁ?」
「おれっちってば、どーして生きているんだろーう?」

 華美な衣装とあいまって、悪趣味な三文芝居でも見せられている気分だった。オースターは自分でもぞっとするほど激しい憎しみに駆られ、衝動的に立ちあがった。
「なにがおかしいんだ、アキ、ロフ。いつもそうやって人を見下して……それでよく〈名誉市民〉なんて名乗れるな」
「はあ? お声が上品すぎて、よく聞こえませんけどー?」
「胸のバッジがよくお似合いだ、って言ったんだ! 中身のともなわない空っぽな称号は、まさに君たちにぴったりだよ! なにせ頭も空っぽなんだから!」
 双子は同時に笑うことをやめた。
 穴のふちから飛び降り、地面に着地するやいなや足早に近づき、オースターの髪を掴んだ。抵抗する間もなく地面に引きずり倒され、うつぶせに倒れた体に馬乗りにされる。トマとマシカが止める声がしたが、地面に膝を強打したせいで、声を発することができない。

「同じ台詞を返してやるよ、”空っぽ”な皇太子殿下」

 憎悪に満ちたダミ声が、耳元で囁かれる。
「我らが親愛なる友、トマ。大した信頼ぶりだけど、こいつがとんだ嘘つき野郎だってこと、まだ気づいてないのか?」
 オースターがはっと息を飲んだ瞬間、背後から顎を掴まれ、強引に後ろを向かせられた。背中にまたがっていたのは、金髪のカツラのほう――アキだ。
「ねえ、オースター様?」
 オースターはとっさに右腕を振るった。あっさり手首を掴まれ、後ろ手にされる。
 痛みにうめくオースターの後頭部を、気持ちの悪い感触が這った。指の腹で、髪を、頭皮を、くるくる円を描くようにしてもてあそばれる。
「いつ見ても、きれいな髪だなあ。太陽みたいにピカピカに輝いてて、癖っ毛で、やわらかくって……」
 肩が痛い。アキがなにか言っている。髪を褒めている? なぜ。理解できない。
 混乱する頭のなかで、けれど明確に反響しているのは、以前、下水道で耳に吹きこまれた脅し文句だった。

『たいてい、誰にでもあるでしょ? 誰にも言えない、秘密』
『いつも、あんたを見ているよ。オースター様』

 双子の脅迫を忘れたことはない。
 自分が女であることを知られれば、アラングリモ家は終わりだ。
 クラリーズ学園にいるときも、教室でも、寮でも、浴室でも、自室のベッドのなかですら気を抜かぬようにしていた。
 いや、四六時中とはいかなかった。
 舞踏会から帰ってきてすぐラジェと口論になったとき、我を忘れたじゃないか。
 自分はあのときなにを口走ったろう。まさかあのとき、部屋の床下にでもアキが身を潜めていたというのだろうか。まさかそんなことが本当に。
「ね。コレ、俺にちょうだい? そしたら、黙っててやらないことも――」
「はなせ!」
 耳元で囁かれ、本能的な拒絶感に声をあげたとたん、頭を押さえつけられた。
「ロフ、こいつがなにと引きかえに皇太子の座を得たか、話してやれ。トマもマシカも文字が読めないから、なにも知らないんだ」
 耳の奥で心臓がどくどくと脈打っている。文字。文字がどうした。
 視界の隅で、ロフが襟ぐりから畳んだ新聞を取りあげた。

「”金で買った皇太子の座”」

 ロフが広げた新聞を読みあげた。
「”アラングリモ家は〈喉笛の塔〉改築計画に資産を投げ打ち、バクレイユ博士におもねることで、ドファール家から大公の座を奪いとることに成功した”」
 安堵に目がくらむ。大丈夫だ、ふたりはまだオースターの秘密を知らない。
 けれど、警告の耳鳴りはやまない。
 ――〈喉笛の塔〉改築計画。
 頭のなかが真っ白になった。母が「息子」を皇太子にするために呑んだ、大公殿下の要求。〈喉笛の塔〉改築事業に、一定額の融資をすること。
 忘れていたわけではない。けれど、今このときまで、あの一件と、トマたちホロロ族のこととが結びついていなかった。

(改築計画って、なにをするんだ)

 ルピィを足蹴にして皇太子の座を得た。
 この期に及んで、自分はいったいなにを踏みにじろうというのか。

 突然、アキが「おっと」と言って、オースターの上から跳びのいた。トマが突き飛ばしたらしい。すかさずロフがトマの胸ぐらを掴むが、マシカがふたりの間に割って入って、ロフを引きはがした。
 ルゥがオースターを助けおこしてくれる。小さな手で背中の砂埃を払い、肘にできたすり傷を心配してくれる。オースターは震える声で礼を言い、血の気の引いた顔をもたげた。
「なあ、トマちゃん。そこの公爵様は、おまえに”力を貸す”なんて優しい言葉をかけておいて、裏ではあの狂った九官鳥と手を組んでるんだぜ?」
「その意味、ちゃんと理解できてますかあ?」
 トマの表情に不安がよぎる。一瞬、オースターを振りかえりかけ、けれど思いなおしたように双子をきっと見据えた。
「ふたりは、改築計画の中身は知ってんのかよ」
「さあ。知らない」
「だったら、悪い話って決めつけるのは早いだろ。こいつは……おれたちのことをなんとかしようって必死になってくれてる。もしかしたら、おれたちの負担を減らすための改築かもしれない」
 双子は同時に噴きだして、微苦笑した。
「もう言葉もないよ、トマ。……わかった、改築計画の詳細は知らない」
「でも、すでにいくつかの決定がされたのは知ってる」
 目を見張るトマを満足そうに眺め、アキは言う。
「ホロロ族はもう、下水道掃除をしなくていい」
 トマは眉を寄せ、アキを、ロフを、交互に見くらべた。
「それは、別の仕事に就くってことか?」
「いいや?」
 トマは首をかしげた。
「でも……じゃあ、なんの仕事を?」
「なにもしない」
「なにも?」
 ロフは薄笑った。
「そう、なにもしない」
 トマは呆け、すぐに短く息を飲んだ。
 双子は満足そうにほほえんだ。
「そうだ、トマ。俺たちと同じ〈天然物〉のおまえなら、想像つくだろう?」
 オースターは戸惑い、呆然と立ちつくすトマの横顔を見つめる。
「また、飼育される……?」
 ぽつりと呟かれたダミ声に、アキが手を叩いて喜んだ。
「そうだよ、トマ! 飼育だ! 俺たちはまた、檻に入れられるんだ。餌を与えられ、求められるときだけ歌をうたって、また餌を食って、寝る。……いや、もう〈喉笛〉はないから、歌は歌えないか。かわりに求められることといったら、うーん……女とヤる?」
 苦笑まじりのアキに、ロフがくっくと忍び笑う。
「やめろよ、アキ。うぶなトマには刺激的すぎる」
「じゃ、言い方を変えたらいいか? 女性と力をあわせて、子供をいっぱいつくって、ぜーんぶ〈喉笛の塔〉に提供するって?」
「いいね、愛があふれた感じだ!」
「――けど……働かなかったら、飯代が稼げない」
 笑い転げるふたりに、トマが弱々しく言った。
「必要ないんだ。働かなくても、餌はもらえる。飼育費は全額、そこの皇太子殿下が提供してくれるんだから」
 ふと、視界が陰った。太陽が雲の陰に入ったのだろうか、天井の隙間からさしこむ日差しが弱まり、地下神殿が暗さを増す。
 空気が重い。それを全身に感じているかのように、トマが背を丸め、のろのろと口を開く。
「でも……誰も下水道を掃除しなくなったら、地上の連中も困るだろ」
 アキとロフは顔を見合わせ、哀れみの混じった眼差しをトマに向けた。
「なあ、トマ。わかんないかなあ。おまえはもう、いらないんだよ」
「局長はランファルド人を大量に雇うそうだ。安い給料じゃ働き手が集まらないから、かなりの高給にするらしいぞ。最新鋭の機械も導入して、あのポンコツの汚水回収車ホロロ号もお払い箱にする。ホロロ族といっしょにな」
「その費用もぜんぶ、アラングリモ家が用意する。ですよね、オースター様?」
 トマがぐっと拳を握りしめた。
「……けど!」
「クエスチョン。そもそも、なんでホロロ族は下水道掃除夫をやらされてるんだと思う?」
 トマの反論をさえぎってロフが言うと、アキが「アンサー」と言った。
「バクレイユ博士は、最初、死者の〈喉笛〉を受けとったあと用済みになったホロロ族の処遇なんて、ろくに考えてなかったんだ」
「とはいえ、〈喉笛〉と引きかえにランファルドへの受け入れを約束した以上、住む場所を用意しないとならない。でも、二百人近いホロロ族が住める住居なんて、地上のどこにもない」
「そこで下水道掃除夫だ。ちょうど人員が不足してたし、人口増加で下水道を拡張しなけりゃまずいって事態にもなってた」
「〈鼻つまみの三ヶ月〉さ」
「地下には昔の石膏採掘労働者のための住居跡があったから、まさにうってつけ」
「ところが、下水道掃除夫の仕事はこれでなかなか危険が多い。これまでの十年で、けっこうな数の死人も出た」
「あとあと生者から〈喉笛〉を摘出することが決まって、さらには繁殖させる必要まで出てきて、バクレイユ博士は思ったろうなあ」

「”もったいないことをした”」

 双子は陰気な微笑を浮かべた。
「けど、事態を打開するためには予算が足りなかった。後ろ盾となっていたドファール家の資産は、鉱山の閉鎖が相次いだせいでカツカツだったからねえ」
「それが欲深なアラングリモ家のおかげで、予算に目途がついた。これでやっとホロロ族は安全な場所で、繁殖に専念することができる」
 アキとロフは礼儀正しく金銀のカツラを脱ぎ、オースターに向かって頭を下げた。
「ありがとうございます、殿下。俺たちを不潔で危険な仕事から解放してくださって」
「職場体験学習での経験が活きましたね。おかげさまで、ホロロ族は安全な檻のなかで、ぴーちくぱーちく、能天気に鳴いてられます」
「ちがう――待ってくれ」
 知らなかったんだ、とはもう言いたくなかった。無知を悔いて、詫びたところで、なんの解決にもならない。
 けれど、誤解だけはされたくなかった。
 オースターは、トマを尊敬している。
「”おまえはもういらない”なんて思っていない。地上の誰にも思わせる気はない。もしバクレイユ博士が当家の資産をそんな思いあがったことに使う気でいるなら、僕が許さない。トマを……ホロロ族を軽視するのは、僕がぜったいに許さない!」
 双子は眉を持ちあげ、「ふぅん?」と言った。
「じゃあ、どうすんの?」
「博士と話しあう」
「博士は人の意見を聞くひとじゃない。それより、資産の提供を撤回したら? そのほうが早い」
「せっかく手に入れた皇太子の座は、失うことになるだろうけどさ」
 淡々と言われて、オースターは青ざめた。
 なにかを言おうとして、けれどなにも言えずに、口を開けたまま凍りつく。

「もう、いい」

 ふと、声がした。
 オースターはトマを振りかえった。
「トマ……?」
 不安そうに呼びかけたのは、マシカだった。
 トマは答えずに、立ちつくしていた。
 地面をぼんやりと見つめ、その瞳はなんの感情も映していない。
 怒りも、悲しみも、恐れも、苦しみも。
 なにも。
 オースターは目を見張る。トマの顔を食い入るように見つめる。
 なにかが、頬のうえで蠢いている。
 動いているのは、ホロロ族の頬に描かれた模様だった。輪をいくつも連ねたような模様で、その輪のひとつが蠢いている。中途で線がちぎれ、蔦植物のようにゆらゆら揺らぎながら枝葉をのばし、輪の数を増やしていく。
 まるで、成長しているみたいだ。
 ――なにが?
 ぞわり、と強烈な悪寒が這いあがってきた。
 これまで感じたことのないほどの危機感とともに、オースターの脳裏に明確な画が浮きあがった。
 黒い陽炎だ。幼いころ、北の地平線からアラングリモ公爵領に迫ってきた〈汚染〉。どうしてそれを連想したのかわからない。けれど、いま感じている悪寒はあのとき覚えたものと同じだった。
「トマ、どうして……〈喉笛〉はもうないはずだ、なんで魔力が――」
 マシカの驚嘆にかぶさるように、ズッ、と重たい音がした。
 ルゥが怯えきった顔で、オースターの腕にしがみつく。
 双子は引きつった笑いを浮かべ、同時に「嘘だろ?」と言って駆けだした。
 頬の模様はもはや額から顎、首までもを覆い尽くし、作業着の下を這って、腕に、指先にまで到達していた。

「マシカ、ごめん――」

 トマが言った。
 オースターは、はっとする。
 いつものダミ声じゃない。
 これは……なんていう声だろう。
 この世のものとは思えないほど美しかった。それでいて、涙があふれるほど悲しく、足掻きたくなるほど苦痛に満ちていて、吐き気がするほどおぞましい――、

「だめだ、トマ、気を鎮めろ。力が暴発しかけてる……!」

 マシカが叫んだ。トマが両手で口を塞ぐ。あふれそうになるなにかを抑えこもうとするかのように、きつく。

「ごめん、だめだ。できない、

 もう、

 抑え ら れ






 トマの口から放たれたソレを、声と表現するにはあまりに無理があった。
 もはや音ですらない。
 破壊だ。すべてを崩壊させ、あるいは底なしの闇に吸いこみ、この世のありとあらゆる存在を限界まで押しつぶさんとする力の塊。
 空気が振動する。水路の水が流れを止め、震え、飛沫をたてて溢れだす。鼓膜に激痛が走る。痛みは耳から始まり、皮膚と血管を伝って全身に広がる。皮膚という皮膚が強引に骨からはがれそうな感覚。
 オースターは叫んだ。痛い。怖い。苦しい。助けて。けれどそのどれもが音にはならず、ただ、圧倒的なまでの力のなかに吸いこまれていった。
 潰される。
 禍々しい黒い陽炎。
 闇が。
 白い光が。
 無が。
 天井に光の亀裂が走った。煉瓦が落ちる。天井が崩落する。大量の砂が落下する。
 ひどくゆっくりに見える光景に目を奪われながら、オースターは無我夢中でルゥを抱きかかえた。いや、それとも自分がルゥに抱きしめられたのか。
 体に重たい衝撃が走る。視界から光が消え失せる。粉塵が襲いかかってくる。息ができない。手足が重たい。

 薄れゆく意識のなか、オースターはひどく慣れた感触を覚えた。
 ――鳥肌。

 ああ……、

〈喉笛の塔〉が、歌っている。

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