ラギルニットの突撃!隣の晩ご飯

狂ったほうが楽だよ完結編

 その頃ホーバーは、親友の危機など知るよしもなく、いや、自分自身の危機すら認知せずに、すやすやと眠りこけていた。
 水中で。
 なんかこう、たゆたう感じが、ハンモックに揺られているようで気持ちいい。
 夢見もそこそこだ。登山をして、ついに山頂にたどりついたものの、これからまた下山かーとがっくりしているところに、突然スキー板が現れ、うっそめっちゃ楽、と喜ぶ嬉しいシーンに突入中である。
 だが、穏やかでマイルドな夢を妨害する何かが、忍び寄ってきていた。
 なんというか、喉の辺りに。
 胸の奥の方に。
 こう、鬼気迫る何かが。
 というか、苦しい……!!
 ホーバーはぱかりと目を開け、ようやく自分が嵐の海で溺れていることに気がついた。
 何で? と思うより先に、酸素を求めて、手足を動かす。死に物狂いで水を蹴りあげ、海中を昇って、
「っぶは!」
 酸欠で脳みそが意識を失う直前、間一髪で水面から顔が出た。
 思いきり空気を吸って、激しく波打つ水面に、なんとか体を浮かせる。
「な、なんだあ?」
 状況に似合わぬ間抜けな声が出た。なんだかさっぱり意味が分からない。記憶が正しければ、自分は船長室で安眠を貪っていたはずだ。適度に飲んだ葡萄酒に心地よい眠気を誘われ、寝棚に引っこみ、うるさいクロルやバザーク、ダラ金とシャークから逃れるため、わざわざカーテンまで引いて寝たはずなのに。
 要するに、顛末の全てを最初から最後まで知らないホーバーは、考えても考えても出てこない答えに、うううと呻いた。
 そのときだった。ホーバーの背後に、見上げんばかりの高波が持ち上がった。そして、波頭が崩れる直前、波の頂点から黒い影が飛び出した。
 小舟だ。ホーバーは落ちてくる舟のふちに、とっさに手を伸ばした。
「……っ」
 船主の許可を求めるより先に、懸垂の要領で甲板に体を引きずりあげる。水で重みを増した体で舟底に転がり、ようやく体を起こせるほどに呼吸が整ったところで上体を起こして――絶句した。
「……ふ、ふふふふ。ふふふ、嵐よ、もっと吹き荒れろー!」
「バ、バザーク、さん?」
 舵を握っていたのは、血走った目で水平線を睨みつけるバザークだった。発狂寸前の顔つきに、ホーバーは思わず他人行儀に名を呼び、手を伸ばす。
 と、その手が横から飛んできた鞭によって弾かれた。
「鞭!? て、おそろしく痛っ!」
「……邪魔をするな、そこのマリモもびっくりな緑頭が」
 殺気すら感じる低い低い声音がする。振りかえると、左舷に、ぎらぎらした目で舵手を監視するガルライズが立っていた。
「俺たちは今、シャーク様の命令を遂行中だ。そこへ直れ……!」
 ビシャアッ! 雷鳴のような音をさせ、ガルライズが鞭で甲板を打った。何故か、蝶々がくっついた仮面と、ぴっちりぱっちりなボンテージを着ている。
「な、なんで女王様……てか、シャーク様て……どちら様」
 突っ込みどころ満載すぎて、ホーバーの溺れかけた頭がついていかない。
「黙れ、そこのホーバー野郎め! 貴様は黙って海の底に沈んでいるがいい!」
 と、すっくと立ち上がったラギルニットが、居丈高に叫んだ。凄まじい言われように、若干ガビンと傷つきながら、ホーバーはぽつりと呟いた。
「――な、なにしてるんだ? お前ら」
 ものすごく素朴な疑問。
 バザークが狂気と恐怖で虚ろになった瞳を、カッと見開いた。
「隣の晩御飯がいったいなんなのか! それが問題だぁあ!!」
 叫ぶなり、棒状の舵を、ざぱーっと左に切って荒波を避ける。見事な舵さばきに、隣で鞭をぱしぱしと片手に打ちつけていたガルライズが、女王様な仮面の奥で極悪な笑みを浮かべた。
「その通りだ、ハンサム舵手……。ようやく分かってきたようだな……」
「はい、ありがとうございます、女王様!」
 滂沱の涙を流して礼を述べるバザークに、ガルライズは鷹揚にうなずき、ふとラギルニットに完璧な敬礼をしてみせた。
「ラギル船長、舵手はもう我々の手中にあるようです」
「うむ、素晴らしい仕事だ、二人とも!」
 ラギルニットは望遠鏡を顔から離し、赤い瞳をらんらんと輝かせた。
「では、共に声を上げよう、諸君! ――我が隣の晩御飯探索隊は不滅なり!!」
「不滅なり!!」
「もう一度! 不滅なり!!」
「不滅なりぃ!!」
「不滅なりぃぃい!!!」
「不滅なりぃいい!!!」
「うおおおおーう!!」

「……え、えっと。誰か……俺の相手、して?」

 ノリから取り残されたホーバーは、死へと一直線に突き進んでゆく小舟の隅っこで、がたがたぶるぶると、一人ぼっちの孤独と、純粋な寒さに震えるのだった。

+++


「…………」
「…………」
「…………で?」
 クロルは眉をピクリと震わせると、目の前に平伏すシャークの頭をぐりぐりと踏みつけた。
「あたしにあんな暴言吐いたことへの詫びは、まだないのかい? あん?」
 一瞬にして形勢逆転した船長室、シャークはクロルの鬼のような形相を、捨てられた子犬のように震えて見上げた。
「ご……ごめんなさいっス……」
「ああ? 聞こえないねぇ」
「ご、ごごごめんなさいっス!」
「っスっスっス、耳障りな音が聞こえるねぇ」
「ご、ごめんなさーい!! ……っス」
「ふざけてんのかい、アンタぁ!」
「うわあ、ごめんなさいっス! ――じゃなくて、うわあ、でもコレがないと座りが悪いっていうか……っきゃあ! ぶっちゃイヤーっス!」
「やかまいぃいいい!」
 ぐりぐりぐりー!

 誰にとっても良いことゼロだった、「突撃! 隣の晩御飯」企画。
 クロルが、シャークを許してやるのは一週間後。
 バザーク、ダラ金、ラギルニット、ホーバーの四人が、無事に最寄のご近所さんに到着し、出てきた奥様に、満身創痍で「ば、晩御飯なんですかあ!」と、血と汗と涙に濡れたしゃもじを向けることができたのは、さらに二週間後であったという。
 チーン。

おわり

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