眠る前のあの歌を…

05

 まんじりと二日目が明けて、ふたたび訪れた早朝。
「おはよう、麗しのひめぎみー!」
 無駄に美しい遠吠えが、静寂を打ち破る。
「アンタ、本当、朝から元気だね。そんなんじゃ早死にするよ? ふあぁー」
 婆臭い受け答えをして、クロルは欠伸をかみ殺す。
 船室から飛びだし、たったか足取り軽くクロルの側に来たバザークは、眠そうなその様子に首をかしげた。
「眠そうだね、クロル」
「んー。夢見が悪くてねぇ。なんか延々、ウツボカズラにガリガリ頭をかじられる夢を見たよ……」
「へ、へぇ」
「ウツボの奴は、あたしが金を貸さないもんだから、憎くて仕方ないんだってさ」
 フッと影のある笑みで、脈絡のない夢を回想し、ふとクロルは憎たらしげにバザークを睨んだ。
「そういうあんたはどんな夢見たんだか! まったく腹立つよ、キラッキラ、キラッキラ、えらく目覚めよさそうにしてさ!」
「え」
 バザークは気づけば笑っている頬に手を当てると、そろそろ薄れ始めた昨夜の夢を思い返して、フッと背景薔薇な表情で斜め横を見上げた。
「馬鹿だな……君の夢に決まってるだろう?」
「さっさと早死にしちまいな」
 懲りずに玉砕するバザークである。
 昨日に引き続き、今日も清々しい天気だった。まるでバザークを応援してくれているかのような、幻想的に美しい朝……というのは身勝手な妄想としても、眠気を誘うような、このまま朝露の残ったままの草原を歩きたくなるような、そんな朝だ。
「あ、そうだ」
 草原を歩きたくなる、でふと思い出し、バザークはどこからともなく一輪の花を取り出した。
「おや? 綺麗な花だねー!」
 無人島探索はクロルのお気に入りだが、目の前でふわりと揺れている三色の花びらには、まるで見覚えがなかった。差し出された花を、吸い込まれるように受け取ろうとして、「あれ? もらっていいの?」と首を傾げる。
「もちろんさ。この花は君の美しさを彩るために、長い眠りから覚めて、土から芽を出したのだから」
 バザークはほっそりした茎を、掬い上げたクロルの掌にそっと握らせてやった。
 相も変わらず、さぶイボ総立ちな台詞だが、声がとびきり好いので、なんだか夢の中にでもいるような心地よさを覚えてしまう。ちょうど眠いし。それに花を握らされた掌を、そっと包み込む大きな両手は、驚くほど優しくて温かい。
「これ、実はこの島の花じゃないんだ」
 ぼんやりとバザークの手を見つめていたクロルは、ハッとした様子で目を瞬かせる。
「崖山を越えた先にある西岸の砂地で、ファルたちと花壇を作ったんだよ。港で種を買って、蒔いて、育てて……で、これは俺が育てた花」
「え、そんなのあるのかい! ぜんぜん気づかなかったよ! なんだいなんだい、素敵じゃないさ、このロマンチストー!」
「だろ? あとで案内するよ。……クロルと俺だけの秘密で」
「いいのかい!? 秘密の花園、ってやつだね!」
「そ、そのネーミング最高……!」
 ちゃっかり取った手をぎゅーっと握って、バザークは思わずくぅっと男泣きした。
 ──と。

 バシッ。

「…………」
「…………」
「……おはよう、バザーク」
 バザークの顔面をバシッと叩いて、クロルから強引に引き離したのは、いったいいつの間に現れたのか、憮然顔のホーバーだった。
「あれ、ホーバー。珍しく早起きだね?」
 睡眠大好き男ホーバーが、こんな朝早くに甲板に出てくるなんて、ラギルニットが部屋の片づけを進んでする並に珍しい。ホーバーはちらりとクロルを見て、「まぁね」とどこか気まずげに顔を背けた。
「…………」
「…………」
 バザークが無言のうちに横目で睨んでくるので、ホーバーは「何だよ」と無言で返事を返す。バザークは「べーつーにー」とばかりのじと目で、早起きホーバーを見やった。
「じゃじゃーん! 綺麗な花だろう! あたし並に綺麗だろー! バザークが育てた花なんだって」
 心中で剣呑と威嚇し合う二人には気づかず、クロルは貰った花をひらひらとホーバーに見せびらかす。
 バザークがにやりと笑い、ホーバーがう……と言葉を詰まらせた。
 確かに綺麗な花だ。が、バザークがあげた花となると、褒めるのは癪に障る。かといって褒めないのは不自然なわけで。しかも「あたし並に綺麗だろう」ときて、「綺麗じゃない」と答えた日にゃ、クロルの笑顔がどのように変貌を遂げるか……想像するだに恐ろしい。
「………………きれいだな」
 長い沈黙の末、搾り出すように呟くと、クロルは「だろう!?」と満面に笑った。バザークがふふんっと勝ち誇ったように笑って、ホーバーはどよーんと肩を落とした。ここで君の方が綺麗だよ、という台詞が出てこないところが、ホーバーである。
「その花壇を見せてくれるってんで、見に行くことになったんだよ。秘密の花園ってやつさ! でも知らなかったな、そんな花壇があったなんて。ホーバー、知ってたかい?」
「花壇はファルやテスたちだけの秘密なんだ。そして君と俺との、ね」
「お前とクロルの秘密を、あっさりクロルにばらされて、俺も今はじめて、花壇の存在を知ったよ」
 クロルのあっさり暴露に、ホーバーが嫌味たらしい笑顔で、バザークに切りかえした。
「あら、本当だ! ごめん、ばらしちまった!」
「いいんだ。でも場所は君とお──」
「俺も花壇を見てみたいなー……」
「あ、ホーバーも行くかい? じゃ、ピクニックと洒落込むか!」
 薄暗い笑顔のままぼそっと呟くホーバーに、彼女は豪快に親指を立てた。そしてクロルは、再び「あ!」と頭を抱える。
「しまった! また勝手に約束しちまったじゃないさ! ……ご、ごめんよバザーク。ホーバーも、いいかい?」
 焦るクロルに、バザークはホーバー以上の薄暗い表情を、必死で優しい笑顔に変え、ゆっくりと、ゆーっくりと、うなずいた。
「……も、もちろんさ、クロル」

「どうやら本気らしいな、ホーバー。ふっふっふ」
 朝食当番のクロルがいなくなった隙に、バザークが手形のついた顔を、挑戦的な笑みで彩った。ホーバーは無視を決めこんで、武器庫から持ってきたデッキブラシを、一本バザークに放る。
「ま、これでおれも、正々堂々とクロルを口説けるってものだ。……もう背を押すような真似はしないからな、ホーバー」
 さっさと甲板を磨きはじめるホーバーを挑発すると、彼はバザークからふいっと顔を背けた。
「……覚悟しとけ」
 ぼそっと呟くホーバーに片眉を持ち上げて、バザークはふと目を細めた。
 熱帯の風が吹いて、バザークの光をも吸い込むような黒髪を揺らす。
「覚悟するのはそっちだ、ホーバー」
 今日は良い天気だな、とでも言っていそうな柔らかな笑顔のまま、そう宣言するバザークに、ホーバーはブラシを滑らせる音だけで応えた。

+++

 バックロー号は巨大だ。
 大型帆船という分類通りに、船内は通常の帆船よりも広く、また入り組んでいる。
 ひどい時は、五日ぐらい遭遇しない船員もいるほどに広い船内──それが彼らの戦場だった。

 ズダダダダダダダダダダ……! 

 わずかに明るんできた船内の廊下を、凄まじい足音が響き渡る。
「熱心だねぇ」
 デッキブラシを持って、二層の廊下を駈けずりまわる、バザークとホーバーの足音である。
「クロル! 朝ごはん、ご苦労さ──ギャーッ」
「邪魔だ、バーカ」
 厨房から顔を出すクロルを見つけるなり、先頭を走っていたバザークが顔を輝かせた──と思った瞬間、背後を追っていたホーバーが、猛スピードでバザークにタックルを食らわし、天下の美男子は磨かれた廊下を、盛大に滑っていった。
「こ……のやりやがったなホーバー!」
 そのまま駆け去ってゆくホーバーを追って、バザークは跳ね起きるなり、デッキブラシを引っつかんで、再び大暴走を始める。
「……元気だねぇ」
 端までたどり着き、Uターンして戻ってきたホーバーに、クロルがぽけっと声をかける。ホーバーは足を止めると、デッキブラシにもたれて、肩で息をしながらゼーゼーと呟いた。
「は、腹減った……」
「うん、そりゃね。そりゃそうだろうさ。待ってな、もうすぐ出来るよ」
「おー……ぅあ!」
「待ってるよ、ハニー!」
 脅威の速度でホーバーに追いついたバザークが、ホーバーにタックルし返して、クロルに投げキッスを送る。
「……あたしゃ、あんたらの母親か」
 投げキッスをパシッと掌でつかんで(ついでに握りつぶして)、クロルはギャーギャーと罵りあいを始める二人を呆気にとられたような、ほほえましいような気分で見送った。

 バザークとホーバーの攻防戦は、もちろんそれだけでは終わらない。

「あぁクロル、この広い船内で、こんなに何度も君に出会えるなんて、俺はなんて幸運──」
 広い船内、二層目の廊下でクロルを発見したバザークが、両手を広げて朗々と詠う。
「あ、バザーク、ちょうどよかった。船室の天井が雨漏りするんだけど、修理手伝ってくれない?」
 広い船内、バザークを追って二層目の廊下にたどりついたホーバーが、嘘臭い笑顔で背後から肩を叩く。
「マイ・スウィートハート、声をかけてくれればいいのに。天使の指先に、その重い樽はあまりに不似合いだ……さ、俺がかわりに──」
 広い船内、船倉でクロルを発見したバザークが、紳士のごとく胸元に手を当てがう。
「バザーク、ここにいたのか。便所の調子が悪いんだけど、ちょっと見てみてくれない? 樽は俺が運ぶから」
 広い船内、バザークを追って船倉にたどりついたホーバーが、すかさずバザークの手から樽を掻っ攫う。
「クロル、クロル! 君のせいで俺の鼓動は早まるばかり……このままでは──」
「……医者呼んでやるよ」
 広い船内、以下略。
「可愛い俺の妖精さん、君と僕とで恋の花──」
「バザーク……、あー……、舵輪。舵輪、磨け」
 以下略。
「僕に流れるミルキーウェイ──」
「バザーク…………別に用事ないけど……来い」
 略。
「おお! 愛しいハミングバード。軽やかな笑い声が聞こえると思ったら、君──」
「…………」
「……と、お前か──!」
 広い船内、たまたまクロルと一緒に歩いていたホーバーを発見し、バザークはこの野郎いつの間にー! と頭を抱え、ホーバーはフンッとばかりに顔をそらした。
 そして肝心のクロルはといえば。
「あんたら、本当、仲いいね」
 まるで二人を相手にしていないのだった。


「全然クロルに近づけないじゃないかー!」
 数十分の死闘の末、バザークは武器庫内の暗がりで地団駄を踏んでいた。
「避けられてんじゃないの?」
「お前が邪魔するからであって、断じて避けられてない!」
 二人はじりじりと互いの影を踏みあって、低レベルな押し問答をする。27歳にもなってまるで子供の争いだが、本人たちは真剣でそのことに気づいていない。
「覚悟しろって言っただろ……」
 早起きした上に、バザークをクロルに近づけまいと、必死で大追撃をしたホーバーが、さすがに疲れた様子で呟く。
 船内中走り回って、なんとかクロルに近づこうと頑張って、結局鉄壁ホーバーのせいで夢砕け散ったバザークが、「そういうんじゃなくてさ!」と声を張り上げた。
「確かに焚きつけたのは俺だけど、邪魔しろっていうんじゃなくて、ホーバーもクロルを攻めろよって意味だったんだけど!」
「変な奴」
 ホーバーはむすっと呟いて、デッキブラシを壁のフックに引っ掛ける。次いで差し出されたホーバーの手に柄を預けて、バザークは何ぃ? と眉をしかめた。
「わざわざ人を煽っておいて、邪魔したら怒って……じゃあ何で煽ったのかと思えば、邪魔じゃなくて、攻めてほしいなんて、変だろ」
 柄に空いた穴をフックに吊るしながらぼやく親友の言葉を聞いて、バザークはうーんと腕組をする。
「そういう言われ方をすると、確かに変に聞こえるなー」
「……変なんだよ」
 呆れた様子のホーバーに、バザークは苦笑を返す。
「フェアじゃないと思ったんだ。友達が同じひとを好きだって知ってて、自分だけ動こうだなんて……なんというか、気が引ける」
「余計なお世話だ。好きで動いてないだけだ。……お前は好きに動けよ。アンフェアなんて思わないから、焚きつけてこないで、勝手に動け。……邪魔してほしくないなら、もうしない……ように努力する」
 一息で言って、ホーバーは普段は絶対にしないのに、吊るされたデッキブラシの群れを、丁寧に整えてみたりする。まるでバザークと目線を合わせまいとしているかのように。
 バザークは唇を引き結び、眉根を寄せた。
「……勿体ない」
「? 何が?」
 唐突な台詞に首を傾げるホーバーから、ふいっと視線をそらして、バザークは「別に……」と呟く。ホーバーは怪訝に眉根を寄せた。
「別に、っぽくない」
「……いいんだよ。別に、で」
「…………」
 二人はそのまま沈黙する。
 微妙な距離を置いて立ちすくんだまま、静かで、どこか時間が二人の間を流れていった。
「お二人さーん?」
 外から聞こえてきた声に、ハッとして彼らは顔を上げた。
 振り返ったところで、陽光を背にして、クロルが武器庫の扉を開け、笑った。
「何ひそひそ密談してんだい。朝飯できたよ! ……で、ついでに籠詰めにしちまったんだけど、例の花園、今から行かないかい?」
 無邪気な微笑を受けて、沈黙していた二人は気まずげに顔を見あわせ、どちらともなくうなずいた。

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