老いた者たちの会合

01

「あーあー、気をつけてくださいよ、もう年なんだから」
「年寄りがムリすんなよ。ほら、俺が持つって」
「先輩風吹かせやがって、このおいぼれ!さっさと死んじまえ!」
「じいちゃん、肩もんだげるー!」
 皆が皆、年寄り扱いする。それがずっと不満でならなかった。
 確かに体はもう随分ガタがきているが、気持ちは十分若いのだ。
 年寄りと言われるたび、ムッとした。
 自分たちの強さを見せつけて、思い知らせてやりたかった。
 年寄り扱いする必要はないということ、若者の手を借りずとも、やっていけるということ。
 そんな思いが日に日に増していった、ある日のことだった。
「────」
 バクスクラッシャーの若者たちは、一様に呆然とした。
 彼らの眼前には、四人の老人。皺の刻まれた四つの掌には、一本ずつ棒が握りしめられている。
 果たして、海の守護神カラ・ミンスは何を思われたのか。暇を持て余してのいたずらか、はたまた何か深い思惑があってのことか。
 棒を手にした老人たちは、これしたりと笑って見せた。
「黄金の休暇……じゃな?」
 四本の棒の先は、まばゆいばかりの黄金色に輝いていた……。




老いた者たちの会合




 不安げに船を去ってゆく若者たちを、にこやかに手を振って見送り、四人の老人はにやりと顔を見合わせた。
 ──海賊バクスクラッシャーには、四人の爺がいる。
 大海原に乗り出して、若者の肉体でもきついとされる海賊をやるには、あまりに年齢のいきすぎた四人の平均年齢は63歳。
 さすがは鍛えているだけある、皺々の腕は筋肉で盛り上がっているし、顔つきも爺とは思えぬほどに精悍だ。腰からぶら下げたカトラスは、未だ錆びてなどおらず、現役ばりばりに振り回される。……たまにグキッとやってしまうが。
 そんな爺ばかり四人が顔を付き合わせる姿は、いっそ壮観ささえ感じられた。
「では一週間、若い奴らを見返っちょるために……!」
 円陣を組んだ四人の爺の中で、いかにも意地悪げなトンガリ顎鬚と、紐を左右に引っ張ったような口髭が特徴的な船医のカヴァスが声を張り上げた。
 それを受け、豊かな金髪を三つ編みにした老人、船大工長のラヴがこっくしとうなずいて、シワシワの唇を元気よく開いた。
「船をピッカピカにするのじゃな!」
「皆の驚く顔が早く見たいですねぇ」
 続いて、にこにこと穏やかに笑ったのは、ガッシリした体格が年齢を感じさせない、四人の中では一番若い料理長のマートンである。
「……ふむ」
 厳格な雰囲気漂いまくる船長補佐ヴェスは、気難しげな表情で、地響きのような同意の声をあげた。
 こうして、姿格好も性格も全てが異なる四人の爺どもによる、『若者がいない間に、船ピッカピカ作戦』が、今おごそかに開始されたのである。




老いた者たちの会合




「うわっち……!」
 ラヴは悲鳴をあげるなり、わたわた手を振りながら甲板に転倒した。近くで別の作業をしていたマートンが、うつむけに倒れるラヴじいに慌てて駆け寄る。
「どうしたんです、ラヴェッシュ!」
「い、いや、何かにつまづいたようじゃ……」
 手助けを借りて、どうにか上体を起こしたラヴは、床を嘗めるようにして検分を始める。
 そしてムッと眉根を寄せた。床板の一枚がベロリと剥がれ、端が出っ張っていたのだ。
 ラヴは怒りに顔を赤くした。
「なんてことじゃ……! 手抜き工事じゃあ……!」
 言うが早いか、どこからともなく金槌と釘を取り出すと、
 ──ズガガガガガ…………ッ!!
 猛烈な勢いで出っ張りに釘を打ち付け始めた。その見事なまでの、金槌捌き。さすがは船大工長を名乗るだけのことはあると、マートンは感心して幾度もうなずいた。
「……ぬうううう!」
「ラ、ラヴェッシュ?」
「ギックリきおったぁあ……!」
「───―」

 一服。

「マートンは何をしとるんじゃ?」
 高級紅茶を、爺くさく音をたてて啜るラヴの質問に、マートンは目じりに笑い皺を作って、のんびりと答えた。
「皿や鍋のとれにくい汚れを徹底的に磨いています」
「ほぅ。ますます美味しい料理が食えそうじゃのう……あちゃちゃっ」
 ラブちゃんの、と書かれた湯のみをわたわたとテーブルに置いて、ラヴはふと遠い目で窓の外を見やった。
「ふぅ。それにしてもキラキラ~のピッカピカ~にするのは、やっぱり大変じゃのう……。バックローも年じゃからして」
 二人しかいない食堂は、若者特有の活気がない分、雰囲気も萎れてしまっている気がする。ラヴのしわがれた声は、やけに空虚に響き、マートンもつられたように年老いた声を出した。
「まったくですねぇ……」
 ――こぉんの、もーろくじじいが……!
 ――なにっちょえぇ!?
 のほほんと老人タイムを過ごしていた二人の頭上から、凄まじい罵声が聞こえてきた。上からの怒声でびりびりと振動する天井から、パラパラと埃が舞い落ちてくる。
「……また始まったようですね」
「まったく喧嘩が絶えん奴らよ」
 二人が呆れた調子で話しているのは、カヴァスとヴェスのことである。
 今に始まったことではないが、カヴァスとヴェスは犬猿の仲というやつだった。カヴァスはバクス帝国でも奥まったところにある田舎の出身で、世界中を航海するようになった今でも、どこか田舎臭さと、田舎特有の悠長さが抜けきれずにいる。一方のヴェスはといえば、トゥーダ大陸の貴族出身だ。ガッチガチの貴族社会に生きてきた、礼節と威厳を誇りにした、気難しい人間なのである。
 まさに正反対の気性の持ち主。要するにソリが合わないのだ。喧嘩は日常茶飯事で、彼らはひたすら相手を罵りあう。拳が出ない分無害なのだが、ちとうるさい。
「止めてきます」
 いい加減我慢も限界にきて、マートンが立ち上がった。

「一体何考えちょるっえ! 見よ、せっかくペンキ塗っちょ、その上歩きよるから、足跡がくっきり残っちゃば!」
 カヴァスは怒りで顔を真っ赤にしながら、ヴェスの足元をぶんぶんと指さした。
 なるほど。綺麗に塗られたペンキの上に、船室の扉からヴェスの足元まで、無残にも足跡がついてしまっていた。
 だがヴェスは反省した様子もなく、片眉をうっとうしげに持ち上げると、ふんと鼻を鳴らしてカヴァスを一蹴した。
「まったく、うるさいじじいだ。こんなものまた塗れば良かろう。それよりも貴様、我輩の靴をどう弁償する気か」
「こん……こんなもん言うかぁ、ぬしぃぃ! このハゲ男めぇ!」
「ピ、ピン髭男に言われたくないわ!」
 脳天が少々禿げ上がってしまっているヴェスと、ぴんっと張った髭が奇妙な風情のカヴァスが果てもなく罵り合っていると、マートンが船室の扉を開けて、甲板にやってきた。
 そして止めに入ろうとして、大きく足を踏み出し……、
「二人とも、いい加減に……」
 ガシャーン! ベチョ。
 ……マートンは何かにつまづいて、豪快にコケた。
 打った腰をさすりながら、顔をしかめて周囲を見渡すと、すぐ側でペンキの入ったバケツがくるくると回っていた。
 ペンキは悲しくもバケツの縁を越え、甲板を青く塗ってしまっている。
 そしてそれは、マートンの顔と半身をも青く塗っていた。
「あ、あらら」
「これはまた……」
 カヴァスとヴェスはひくひくと顔を引きつらせ──堪えきれずにぷぷっと笑った。
 ブチッ。
 そのとき、二人は確かにそんな音を聞いた気がした。
 ゆらりとマートンが立ち上がる。
 青い青いマートン。
 青筋だったマートン。
「……船を」
 わなわな震えるマートンの口が、ぐわばぁっと怪獣のように広げられる。
「っ青く塗るんじゃねぇ、ゲスどもがぁぁああ!」
 ぷっつんキレたマートンの雄叫びが、青い空にいつまでもこだまし続けるのだった……。


 黄金の休暇が始まり、早五日。
『船ピッカピカ作戦』は見事大成功!
「……とは言いがたいのう」
 ラヴは疲れきった口調で独りごち、ぐったりと甲板を見やった。
 青く汚く散ったペンキ。
 ペンキの中に固まった足跡。
 人型があるのは、マートンが転んだせいだ。
 他にもあちこちに穴が開いていたり、切れた紐やタールやらがゴミとして散らかっている。
 はっきり言って、通常の三倍は汚い。
「一体どうする気っちょ!」
 カヴァスが甲高い声を上げ、苛々と床板を踏みつけた。
「ふん。そもそもお前がこんな下らない計画をたてたから」
 ヴェスが毒づく。カヴァスは顔を真っ赤にして、ヴェスをふんぬと見上げた。
「人のせいにするか! 元はといえばお前ゃあが、こんだらペンキ踏んじょから!」
「ことわりもなく塗るお前が悪い! しかも青とは……ハッ!」
「何ぢょ、その顔は。青は空の色じゃ。海の色じゃ。文句あんけ!」
「この単細胞め! 文句がないとでも思って──」
「いい加減にしてください!」
 永遠に続くかと思われた二人の口論を制したのは、未だに青が消えきらないマートンだった。
「あと二日で皆が帰ってきます。それまでにこの不始末をどうする気ですか」
 ペンキの青と、タールの黒とで斑にになった甲板。はがれた床板、転がる樽。壊れたドアに破れた帆。幽霊船と間違われても文句は言えないほどの、徹底した崩壊ぶりである。
 これを若者たちが見たら、どういう反応をするだろうか。
「やはり……無理だったんじゃ……」
 ラヴの小さな呟きを、誰も否定しなかった。

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