虹の翼

07

 サーカス団の来訪で浮かれきった夜の町を、怒りの形相をした老若男女が駆けずり回る。町の住人がぽかんとしているのも気にせず、彼らは何手かに分散すると、路地という路地、店という店をしらみつぶしに探しまわった。
 そのうちの一手、船着場を当たっていたレティクは、接岸されたどこかの国の帆船を見上げてふと足を止めた。
「町中は、ほかの奴らが何とかする。俺たちは、もっと外を回ろう」
「え。外って……」
「おーい!」
 メルとレイムが顔を見合わせたところで、後ろからほかの仲間が走ってきた。ルイスとクステル、そして何故か足跡だらけのテスである。
「いたか!?」
「いない。これから町の外を回るつもりだ。……海岸線を探したほうがいいだろう」
「海岸線って、じゃあやっぱり……!」
「ああ。おそらく、相手はイリータインだ」
 レティクの平坦な声に、ルイスとクステルが言葉を失った。
 なかば予想していたことだ。バクスクラッシャーのような、横に振ろうが縦に振ろうが身代金なんて出てきやしない弱小海賊の船長を誘拐する人間など、そもそもそうはいない。よほどバクスクラッシャーに恨みを持っているか、あるいは身代金とは別の利用価値を知っているかだろうが、その両方を考えると、相手は海賊イリータインとしか思えなかった。
 町の中は、他の船員たちがあたっている。普段は能天気なくせして、実は優れた情報収集家であるシャークも動いている。それでも見つからないならば、考えられるのは、敵がすでに町を離れている可能性だ。
「イリータインだとすれば、どこかに母船が停泊しているはずだ。港に接岸する可能性は低い。どこか人目につかない岸、あるいは沖合いに停船し、小船で船と陸とを行き来しているかだろう……」
「だったら急ごう! 船に乗られたら、厄介だ」
 言うなり、六人は時間が惜しいとばかりに、ふたたび走りはじめた。
「あ、あのさ……」
 そんな中、一人展開についてゆけないテスが、隣に並ぶレイムにおずおずと話しかけた。
「おれ、いまだに事情がつかめないんですが……」
「バカッ、鐘でもついてろ!!」
 ゴーン。

+++

 レックは、ヴァイズとニーヤルの目を盗み、手首を拘束する縄をほどこうと必死にもがいていた。だが、よほど頑丈に縛ってあるのか、縄はびくともしない。
 頭がずきずきと痛んだ。ラギルも目を覚まさない。状況はどう考えても、自分たちに不利だ。
 助けが来るのを、待つしかないのかもしれない。レックは唇を噛む。
 幸いだったのは、自分たちのちょっとした悪戯心のおかげで、テスが一緒に捕まらなかったことだ。二人がいないことに気がついて、テスが事態を把握し、何らかの対策を打ってくれれば、助かる可能性はある。
 もっとも残されたのがテスとなると、それも望み薄な気はしたが。
(テス、平和な頭してっからなぁ……)
 レックは乾いた笑いを浮かべた。
「さて、そろそろお仲間が来る頃だ」
 不意に、黙々と煙管を吹かしていたヴァイズが立ち上がった。
「おら、立てよ、レック」
 レックの襟首を強引に掴み、無理やり立ち上がらせる。それに習って、ニーヤルもまた気絶したままのラギルを、乱暴に担ぎ上げた。
「おい――んう……っ」
 文句を言おうとしたレックは、すかさず猿轡を噛まされた。
 ヴァイズがにやりと笑う。
「いい子だから、大人しくしてろや。キース船長が機嫌を損ねたら、お前なんざ、一瞬で斬りっ殺されちまうぜ? お優しいヴァイズ様の気遣いに、感謝するこった」

 背中を小突かれ、外に転げ出たレックは、小屋の前に広がる砂浜と、月光を受けて青白く輝く海を見て愕然とした。
 幼い頃から何度もこの港町を訪れている。周辺の地理にはそれなりに通じているつもりだ。だがレックには、この岸辺がどこにあるものなのかが、まるで分からなかった。
 町からは離れているのかもしれない。だとすれば、テス、あるいは他の仲間たちがここにたどりつく可能性は低かった。
(じゃあ、誰も助けに来ないってことか!? ちくしょう、テスのやつ、風船なんかでうろたえて、俺たちから目ぇ離しやがって……!)
 レックはかなり自業自得な八つ当たりを口にしようとして、
「っうぅううー!!」
「うるせぇぞ!」
 ゴンッ。殴られた。
「無駄な抵抗はいい加減やめな。それより見ろよ、あれ。グルバラー号だぜ? イリータインの船だ。……懐かしいだろう? 同胞殿」
 ヴァイズが顎で水平線を示した。つられて顔を上げたレックは、紺碧の海面に真っ黒な船影が浮かんでいるのを見て、不覚にも怖気づいた。
 海賊イリータインの帆船、グルバラー号。あの船には辛くて苦しい、悪夢のような思い出しかない。毎日人間以下の扱いを受け、奴隷としてこき使われ、矜持も悔しさを感じる心さえも、土足で踏みにじられた日々。
 あの船に行けば、どうなるか分からない。レックは恐怖に押しつぶされそうになる。
 だがその目に、ニーヤルに担がれたラギルニットの青ざめた顔が飛びこんできた時、少年の心に熱い感情が込みあげてきた。
 普段は船長だと意識してはいないが、ラギルは一年前、海賊イリータインの手から自分たちを解放させるため、反乱を決起し、命懸けの戦いの末、ついにバクスクラッシャーをイリータインから離脱させることに成功した。
 ――セインの言う通りだ。レックは思う。こんなに他愛もなく捕まって、ラギルも、自分も、まだ甘ったれのガキだ。
 だがラギルニットは、間違いなく自分たちの船長だ。
 そして、レックはバクスクラッシャーの乗組員なのだ。
(守らなきゃ……)
 レックは奥歯をぐっと噛みしめ、ニーヤルの背を睨みつけた。
「ほぅら、お前らを歓迎するため、小船がやってくるぜぇ?」
 恐怖心を煽るように、いちいちいやらしく説明をするヴァイズを無視し、レックはニーヤルの動きだけに注視する。隙があるとすれば、ニーヤルだ。さっきから見ている限り、ニーヤルはヴァイズの手足となって動いているだけで、自分の意思では行動していない。きっと、どこかに隙ができるはずだ。必ず、必ず……。
 念じるように機会を待っていたレックだったが、その隙は実にあっさりとやってきた。
「それじゃ、照明弾を上げるか」
 ニーヤルが、ラギルと一緒に担いでいた袋をごそごそと探り、筒状の照明弾を取りだした。筒の尻部から出た紐を引けば、簡単に照明弾が打ちあがるという代物だ。
「……ちょ、待てよ、何やってるんだ馬鹿!」
 それを見たヴァイズが、慌ててニーヤルの頭を殴った。
「ってぇ、何をする、ヴァイズ!」
「アホかお前は! そんなもん不用意に打ち上げたら、バクスクラッシャーの連中に居場所を気づかれるだろうが! 仲間とはここで待ち合わせしてるんだから、照明弾なんかあげなくていいんだよ!」
「あ、そうか。も、もうやらない」
「やられてたまるか、アホォ!」
(……おいおい)
 アホ丸出しの二人に呆れる半分、そのアホに捕まった自分のアホさに呆れる半分、レックはガクリと肩を落とした。
 だがそれも束の間、レックはヴァイズの意識が自分から離れていることに気づくと、何を考えるよりも先に行動を起こしていた。
「だから俺は、お前みたいな馬鹿と港町におりるのは反対だったんだ!」
「な、何だと!? 黙って聞いてりゃさっきから……だいたい船長の命令でなきゃ、誰がお前のサポートなんかするかよ!」
「はぁ!? どこがだっつーんだよ、ぜんっぜんサポートしてねぇじゃねぇか! 少しは自分の頭で作戦の一つも練ってみやがれ!」
「ろくな作戦もたてられねぇ貴様に言われたくな……あ?」
 口論を続ける二人は、耳元でひゅん……っと空気を切る音を聞いた気がして、首をめぐらせた。
 レックの強烈な回し蹴りが、ニーヤルの無防備な側頭部に炸裂した。
「……っぅが!」
「ニーヤル!? て、てめぇ!」
 どっと倒れるニーヤルを横目に、ヴァイズが腰のカトラスを引き抜いた。だがその行動も予想していたレックは、ヴァイズがカトラスの柄を手の中で安定させるよりも早く懐に飛びこみ、肩を使って思いきり体当たりを食らわせた。
「……!?」
 体格差は優にあったのに、レックの素早さに対応しきれなかったヴァイズはあっさりと体勢を崩した。
 手から弾けとんだカトラスが、後方の草地を滑ってゆく。それを追って下草の中に飛びこんだレックは、静止したカトラスを縛られた後ろ手で持ち上げ、その切っ先を手首の縄へと近づけた。
「畜生、どいつもこいつも……!」
 ヴァイズが怒りに声を震わせ、近づいてきた。
(早く切れろ……!)
 背中越しの、手探りの作業が焦れったい。見当違いな場所ばかり切りつけながら、レックはそれでも腕を動かす。
 ヴァイズが拳を振りあげて殴りかかってきた。縄の一箇所に切れ目が入る。レックは無理やり縄を引きちぎると、間一髪、身を沈めて拳を避けた。
「……ざけんな! 腐れ海賊が!!」
 猿轡を引き剥がしざま、罵倒を一声、レックはヴァイズの股間に強力な膝蹴りを食らわせた。
「――!?」
 声にならない悲鳴を上げ、ヴァイズが大口を開けたまま、ぴょんぴょんと跳びはねる。レックはその脇をすりぬけると、いまだ倒れたままのニーヤルの手から、照明弾をもぎ取った。
「誰でもいい!」
 レックは着火装置の紐に手をかけ、砲口を月光輝く明るい夜空に向けた。
「気づけぇ、んにゃろー!!」
 そして思いきり、紐を引き抜いた。
 砲口から照明弾が放たれた。笛のような甲高い音が響きわたり、空がぱっと燃え上がった。光は一瞬にして消えたが、白い煙が照明弾の通った後に白々しく伸びる。
 レックは目を見開いてその煙を見送った。
 直後、背後から飛んできた拳が、後頭部に叩きこまれた。
「この、クソガキがァ……!」
 ヴァイズだ。そう意識するも、元々怪我を負っていた後頭部を強打されたレックは、抵抗の一つもできずにあっけなく地面に倒れた。
 目の前がちかちかした。焦点を合わせようとしても、目蓋が勝手に閉じようとする。
「てめぇはどうでもいいって言っただろうが! この場で、殺してやる……!」
 胸倉を掴まれ、凶暴なまでに握り固められた拳が、再び振りあげられた。

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