ホーバーの思いもよらぬとんだ一幕

03

 四時すぎ。海が凪いできた。
 宴会の準備はとても順調。そんでもってホーバーの結婚話は、すっごく非順調!
 そんでもってそんでもって、ホーバーはかなりまいってきてるみたいだよ。へろへろ。
 だいじょぶかなぁ。

ラギルニットの航海日誌より
 ホーバーは船内から甲板へと運んできた樽を、すでに樽が並べられている個所に押し込んだ。指差し確認でその数を数え、全部の樽を運び終えたことを確かめる。
 ホーバーはふと小さく溜め息を落とし、疲れた顔で澄み切った空を見上げた。さえぎるものの何もない陽射しが、疲れた目に染みた。
 その耳に、心地よい笑い声が入ってくる。
 顔を巡らせれば、声はすぐ真上にある舵台の柵の向こうから聞こえていると分かった。
 女たちの明るく賑やかな声。──耳を澄まさずとも、姿が確認できずともそれと分かるのはクロルの声。
 ホーバーはしばらく舵台の柵を見つめていた。
 蒼い澄んだ色の目に、ほんのわずか、切なげな色が浮かんだ。

「やばいっスよ、バザーク君」
 その様子をひそかに物陰から見つめる二人の人あり。
「何がかな、シャーク君」
 シャークは丸眼鏡をキラーンッと光らせて、一人納得げに首を頷かせた。
「あーんな目で見られたら、女の子はイチコロっス!」
「なにぃ!」
 バザークは優しげな目を驚愕に見開き、シャークに詰め寄った。
「女の子って、女の子って、27歳ぐらいも女の「子」の内に入りますか先生!」
「ふふふ、愛をとるか、友情をとるか、人生の瀬戸際っスねぇ」
「愛」
「……大して「際」でもなかったみたいっスねぇ。シャーク、見誤りっス」

「あれ? ホーバーじゃないか」
 前触れもなくクロルが柵から身を乗り出し、眼下のホーバーに気づいてひらひらと手を振った。
「ちょうど良かった。暇ならあたしの部屋からゲルドニーの小説、持ってきてくれないかい?」
「……」
「? どうしたんだい?」
 口元に手を押し当てて、深く頭を垂れているホーバー。その耳が何やら赤い。クロルはきょとんと首を傾げた。
 ホーバーはしばらく視線を泳がせた後、「へいへい」と後頭部を気まずそうに掻きながら、クロルの船室へ向かうため船の中へと入っていった。
「何だろうねぇ。あ、シャーク、バザーク」
 物陰からこそこそと出てきたシャークとバザークは、クロルを楽しげに見上げ、あるいは複雑そうに見上げた。
 バザークはしばし端正な顔を思案で歪めていたが、「今は向こうのが深刻っぽいからな、仕方ない、愛を捨てたわけじゃない」と誰にともなく言い訳し、溜め息一つ吐くと、ホーバーの後を追って船の中へと入っていった。
「何ごと?」
 さっぱり訳の分からないクロルが、漆黒の髪を揺らした。
「奴はたった今、何だかんだと愛より友情を選びとったっス」
「へぇ?」
「アホな女っス」

 ホーバーは背後で扉が開く音がしたのを聞き、肩越しに振り返った。そこには親友兼悪友兼恋敵のバザークが立っていた。
「よう、親友」
 ホーバーは苦い顔で、その足取りを悔しそうに止めた。バザークは親友の側へ足を進め、自分の肩でホーバーの肩をどついた。
「今日はいい天気だねー」
「見てたな」
「洗濯物が干したくなりますねー」
「見てただろ」
「ついでに涙も干しましょうー」
 ホーバーはぎりぎりと歯噛みすると、ふざけた笑みを浮かべているバザークに向けて腕を伸ばした。
 だがいつものように冗談半分本気半分で首をしめる前に、ホーバーはふいっと腕を引き戻した。とっさに構えたバザークは拍子抜けし、さっさと背を向けるホーバーに首を傾げる。
 何か様子がおかしい気がする。
 機嫌は確かに相当悪い。しかしそれに加え、何か思い悩んでいるように見えるのだ。
(気のせいかな……)
 ホーバーが思い悩む理由が思い当たらないバザークは、とりあえず疑念は忘れ、ホーバーに背後からでろーんとのしかかった。
「ほんと機嫌悪いなぁ珍しい」
 バザークは語気を弱め、表情に心配そうな色をにじませて、ホーバーの顔を覗きこんだ。
「少し落ち着けよ、不機嫌になるのもわかるけど、ぴりぴりしすぎ。そう神経質になんなくても、どうせクロック船長のはいつもの冗談だろ?」
「……」
「クロルだって、それは分かってるさ」
 ホーバーはバザークをじろっと睨んでから、しばし目線を虚空にさまよわせた。親友の言葉が深い配慮からきていることは分かっているのだ。
 ホーバーはふと気恥ずかしげに頬を歪めてから──ちらりとバザークを振り返った。
「歌。なんか歌、歌ってくんない?」
「げ! こわ!」
 間髪いれずにバザークが後ずさった。ホーバーがそんな事を言うのは、初めてのことだった。ホーバー自身、気持ち悪そうに眉をしかめている。
 バザークはしばらくホーバーを珍しそうに眺めたあと、こほんと咳払いをした。
「女の子以外に歌ってやるのは癪だけど、特別に即興の歌を、我が親友にくれてやるか!」

「ラブラブだねぇ」
「スねぇ」
 シャークとクロルは扉の隙間から、船内の二人の様子を見てぼそっと呟いた。ホーバー元気だせぇ、マジ怖いから元気だせぇ、うっとーしいから元気だせぇ、ああーアホで間抜けなホーバーくーんというようなどうでも良い歌詞をつけながら、バザークの歌が船内に朗々と響き渡った。相当下らない歌詞なのに、彼が歌うと美しい歌に聞こえてしまうのが、バクスクラッシャー七不思議の一つである。
 互いに蹴飛ばし合いながら楽しげに歌う二人の様子は、見ていて悪いものではなく、クロルとシャークは顔を見合わせて笑い合った。

 だがホーバーの心中は、バザークの思ったとおり不機嫌なだけではなかったのだ。

 ホーバーは船長室の船尾側にある窓から、外を眺めていた。
 藍い大海原、遥か遠く、おぼろに霞んだ彼方に、タネキア大陸の端がわずかに見ることができる。
 ラギルは寝棚からその様子を見ていた。
 ホーバーはラギルの視線にも気づかず、じっとどこまでも変化のない海原と大空を見つめていた。

+++

 ラギルは思案深げに眉を寄せながら、船長室を出た。
 静かな船長室とは打って変わり、甲板は相変わらずの騒ぎだった。賭け大会は今だ白熱している。どうもデトラナが行動を起こし、ホーバーにしてやられた、あるいはホーバーがしてやられたらしいという噂が流れたのだ、船員たちは恐々と自分の賭け先を検討し直したり、情報交換などをし始めていた。
「ホ、ホーバーがラナさんと結婚する方に、六千エルカを!」
 と、その時甲板中央で、いかにも度胸のなさそうな気弱な声が上がった。
「おおっとそらきた良いとこどりのうざ太郎! いよ若大将!」
 事実とは正反対のことを言って、賭け大会主催者サリスはうざ太郎ことクステル船医から、金をぶんどって紙にメモって、去っていった。
 残されたクステルは半ば呆然と、背後のメルを振り返った。
「こ、これでいいでしょうか、メル先生」
「よろしい。今のでほんの少し、あんたの影の薄さが解決されたわ。取り分はあたしが9で、あんた1だからね」
「は、はぁ」
 最近クステルの存在感ステップアップ講座をやっているメル講師である。
「メルー」
 ラギルはとことことメルに駆けより、ピンクの白衣をくいくいっと引っ張った。メルはラギルを認めるなり、きらーんっと目を輝かせ、がばっと小さな身体に抱きついた。
「いやいやあたしのラギルちゃん! どうしたのー? 小生に、何か用でありますの!?」
 仔犬を抱くかのごとく頬ずりしてくるメルの顔を、ラギルは首を仰け反らせて見上げる。
「メル、聞きたいことがあるんだけど」
「な・あ・に? あたしのプロフィールについて? 何でも聞いて! 理解できるまで、夜通しでも教えるわ! ──うざ! もういいわ、あっちへお行き!」
 メルの側で所在なさげに立っていたうざ太郎を無造作に追い払い、メルはラギルの手をきゅっと握りしめると、騒々しい甲板から、少しは静かな舵台の階段に足をかけた。
「クロル。ホーバーが結婚するのはさ、どう思う?」
 途端、少しばかり冗談口調で自分を誤魔化したような声が聞こえてきた。
「あははは! なんだい? 出し抜けに」
「その君のハートはちょっと嫉妬でバーニング?」
「……無学なあたしにも分かる言葉で喋っとくれ」
 バザークとクロルが舵台の隅で、不毛な問答をしている。
 メルは「ぅがあー!」と頭を掻き毟って、舵台の床をばしばしと足で踏み鳴らした。
「うざいわ! どっかへ行っておしまい!」
「あれ、メルとラギルじゃないか。どうしたんだい?」
 あっさりバザークをほったらかしにして、クロルが上ってきたラギルとメルを、楽しそうに振り返った。どよーんと肩を落としたバザークを、ラギルがあわわと慰めに行く。
「ラギルちゃんが、あたしのプロフィールに関して聞きたいことがあるんだって」
「えええ? えらく嘘くさいねぇ」
「げ、元気だして。バザーク」
「孤独って、つらいですね……」
 皆さん色々事情があるのであった。

「で? 聞きたいことって?」
 結局三人に増えた聞き手と一緒に舵台の階段に腰を下ろし、ラギルはうん、と首を傾げる。 「ホーバーは結婚するの?」
 単刀直入な質問に、三人は顔を見合わせた。ラギルはちょっとつまらなそうに頬をふくらませる。
「いやだなぁ。ホーバーそしたら、シーパーズの人になっちゃうのかなぁ」
 膝の上で頬杖をついていたバザークは、端正な面に柔らかい笑みを浮かべた。
「それはないよ、ラギル。ホーバーにその意思がないことははっきりしてるし、そもそもあの話は、クロック船長のいつものどぎついジョークだよ、オレが思うに」
「はっきりしてるのかい?」
 クロルが少し目尻の下がった黒い瞳をきょとんとさせた。「え?」と、バザークは柔らかな形の眉をぴくりと持ち上げる。
「いや、ホーバーの意思がさ、はっきりしてるのかって」
「ええとあの」
「好きな人でもいるのかねぇ、ホーバーは」
「その」
「あああ! きっと奴はあたしのことが好きなんだわ! なんてこと! おぞましい!」
「おぞましいとは失礼だよ、メル。ホーバーは一途にあんたを」
「あ、いや……うう無力なオレを許せ、友よ」
 どいつもこいつも不毛であった。
「でもね、なんかホーバー、ちょっと様子がおかしいんだけど」
 ラギルは先ほどのホーバーの様子を思い出し、不安そうにかさぶたのある自分の膝小僧を見下ろした。
 クロルとバザークは顔を見合わせ、メルは「あやつの様子が不審なのはいつものことじゃないの」と茶々を入れる。
 バザークは先ほど感じた自分の戸惑いを思い出し、困ったように首をかしげた。
「やっぱり、そう思う? 俺もさっき思ったんだ。ちょっとおかしいよな、あいつ。クロック船長の冗談を、まさか真に受けてるわけじゃないよな」
 クロック船長は毎度毎度、船に来るたびに「いい話」を持ってくる。ある時は、一緒に絶対儲かる仕事を始めようという話。ある時は、絶対嘘じゃない宝の地図を見つけたから宝探しで一攫千金しようという話。ある時はどれもクロック船長は真剣に話してきかせるものだから、どれも真剣に提案しているのだと思いきや、そのどれもが最終的には大掛かりな冗談でしたー、で終わる。
 今回もその類に違いないことは、船員一同誰もが了承していることだ。だからこそこうして賭けなどして、ふざけて楽しんでいる。誰も本気である可能性など考えてもみない。
 だがラギルは、言いにくそうに口をひん曲げた。
「あのね、おれさ、今度はクロック船長本気なんじゃないかなーって思うんだけど」
 船長室での彼らの会話を知っているラギルは、今回ばかりは冗談ではないような予感に駆られていた。
 クロック船長が笑いをこらえていたのは事実だけど、それ以前の船長の顔は確かに本気なものに違いなかったからだ。
 ホーバーが不機嫌になるのは分かる。クロックに四六時中後を追われ、船員たちに散々からかわれれば、気性穏やかなホーバーとて不機嫌になろう。
 だが何故時折、思い悩む顔をするのだろう?
 何を思い悩む必要があるのだろう?
 もしかしたらホーバーは、ラギル同様に気づいたのではないだろうか。確信はないかもしれないが、クロック船長が本気かもしれないということに気づいたからでは。
 ラギルがその疑念を口にし、船長室での会話を大まかに話してきかせると、クロルは顔色を変え、バザークが眉根をひそめ、メルがふんと鼻を鳴らした。
「ちょっと待った。そんな話だったのか? 俺はてっきり、ただのデトラナ嬢との結婚話なのかと」
「船長への引き抜きの話、だったのかい?」
 二人はラギルの話を聞いて、初めてことの全貌を理解した。
 自分の愛娘と、お気に入りの青年を結婚させようというただそれだけの話だと思っていた。まさかそこに、海賊シーパーズの船長への引き抜きが隠されていたなんて。
 他船の副船長を、自船の船長──自分の跡目に引き抜くことは、稀ではあるが、ない例ではない。特に普通の海賊とは違って、「いつかバクス帝国に帰還する」という絶対の目的を持った元公的海賊たちにとっては、船長の座は争うものではなく、支えるものなのだ。
 有能であればあるほど良い。
 力さえあるならば、いつか自分たちを祖国へと導いてくれるのならば、他船の船員だってかまわない。
 ホーバーは、適任だろう。
「後継ぎ問題が絡んでるってわけか。とするとそれは、本気かもしれないねぇ」
 交互に呟くバザークとクロルをちらりと横目で見て、メルは欠伸と一緒に呟く。
「副船長が亡くなったのは事実よ。さっきロイが言ってたわ」
 一瞬沈黙が流れた。
 長年の友の申し出だ、そう簡単に断るわけにはいかない。それでホーバーは思い悩んでいるのかもしれない。
 不安そうなラギルの頭をぽんと叩き、クロルが不安の色を隠した笑いを浮かべ、立ち上がった。
「考えてみても仕方ないさ。ちょっとあたしがクロック船長にガツンと聞いてくるよ」
「その必要はない」
 唐突に階下から上ってきた声に、四人はぎょっと身を強張らせた。手すりに大きな手を置いて、どっしりと立っていたのは、クロック船長本人だった。
 クロック船長はこちらを上目遣いに見上げた。そこにいつものふざけた笑みはない。
「今度ばかりは本気だよ、ちび船長。悪いが本当に切羽つまっているのだ」
 そして彼は、底冷えする声で囁いた。
「ホーバー殿は、もらってゆく」
 四人を見上げるその目にもまた、海賊の頭というに相応しい、威圧感と冷酷さを含んでいた。
 言葉を失う若者たちを尻目に、クロック船長はぞっとする視線はこちらに向けたまま身体の向きを変え、やがて目をそらしてその場を去っていた。
 その姿が船の中へと繋がる扉の向こうへと消えるのを確認してから、バザークが真摯な顔でラギルの不安に満ちた顔を、メルのどうでもよさそうなふりをしている顔を、クロルの思案深げな顔を順に見渡し、自らも緑の目を細めて、相反して賑やかな甲板を見下ろした。

「うっしっしっし」
 クロックは若者たちの上々の反応に、楽しくてたまらないといった顔で肩を震わせた。
「わしの眼光もまだまだ衰えておらなんだか」
 どこまでもふざけた船長であった。
 しかし彼はふと、真顔になった。
 クロック船長は船長室の扉をノックし、返事を待たずに中へ入った。
 船長室にはホーバーが一人きりだった。窓枠に身を預け、外をじっと見ている。
「ホーバー殿」
 クロック船長の呼び声に、ホーバーはだるそうに振り返った。
「少しは本気で考えてくれたかの?」
「全然」
 ホーバーはあっさりと返事をするが、クロック船長は満足そうにひっそりと笑った。
「やはり知っておったか」
「うちのコバンザメは優秀なんで。随分前に」
 クロックは意味深に苦笑し、「ならば」と言った。
「ならば諦めて、さっさと良い返事をくれんかの?」
 ホーバーは無言で彼から視線を外し、窓の外に見えるタネキア大陸を苦々しく見つめた。
「……やっぱりそれを盾にする気か」
「当然だ。利用できるものは利用する、それは海賊の基本ではないかね?」
「断る」
「よせ。わしは本気だ」
 クロックは先ほどラギルたちに向けた目を、ホーバーに向けた。背中に受けるだけでもぞくっとする視線だ。ホーバーは我知らず息を飲んだ。
「次に断ったら、本気にとる。分かるな?」
「俺はあなたに認められるほど、有能でも船長向きでもない」
 クロックはにやりと笑い、豪快に笑った。
「ああ、そうかい」

 再び一人になったホーバーは、窓枠にしがみついて、「うー」と唸った。
「やっぱ、一人じゃどうにもならないか」
 ホーバーは機嫌の悪さと、悔しそうな顔をない交ぜぜにした表情のまま、後ろの首根っこを掻いた。

+++

「あ、ホーバー。結婚話、まとまったっスかー!」
「ぶちのめす」
 二層目にずらりと並ぶ船室の内、一層への階段のすぐ脇の扉を開いた途端、もはや本日何百回目かとも知れぬ台詞に出迎えられ、ホーバーはぎりぎりと歯を食いしばった。
「ホーバーちゃんはご機嫌ななめだとー、シャーク」
 寝棚でごろごろしながら「なははー」と笑うシャークに続いて、ハンモックでぶらぶらしていたガルイライズが愉快そうに口端を持ち上げた。
 船室の住人は全部で六人いるが、今いるのはこの二人だけだった。
 ホーバーにとって、それは都合の良いことだった。
「んー? 難しい顔っスねぇ」
 むくりと起き上がって胡座をかいたシャークは、ホーバーの表情を見て取り、片眉を上げた。ガルライズはハンモックに絡まってしまった長い髪を面倒そうにほどきながら、ちらりとホーバーを見下ろした。
「マジなわけか、あの太鼓腹」
 普段は馬鹿なふりをしているくせに、実は頭脳明晰なガルライスが、難しい顔の原因をあっさりと言い当てる。ホーバーは深い溜め息落とし、扉を背に床に座り込んだ。
「さぁ。そのようだな」
 後頭部を扉に押し当て、だるそうに呟くホーバー。やる気なさそうなそのままの声音で、ホーバーは船長室でのクロック船長とのやり取りを話した。
「船長の座をくれるそうだ」
「いらんっス」
「いらねぇ」
「いらないな」
 シャークに始まって、ガルライズ、ホーバーが順々に頷いた。
 ホーバーはうんざりと溜め息を落とす。
「クロックは俺を誤解してる。期待されるほど船長向きじゃない。副船長ですら見合ってないってのに」
「じゃあ見合ってるお仕事はなぁに?」
 ちゃかすガルライズの言葉に、ホーバーは真面目に考える。
 船員のほとんどが、恐らくホーバーという人間を誤解しているだろう。彼らが想像するようにホーバーは几帳面ではないし、気がきくわけでもないし、理性的でもない。むしろ正反対、ずぼらで気がきかず、何事にも無頓着だ。
 船員たちが抱いているイメージは全て、副船長の立場になった時に、否応なく作るしかなかった彼の嘘の性格にすぎない。──最近ではすっかり板についてきてしまったが。
「セイン」
 ぼそりと呟いたホーバーに、二人は一瞬きょとんとしてから大爆笑した。
 やりたい時にやりたい事をやる、究極の職業「セイン」。
「俺もそれがいー!」
 ガルライズが腹を抱えて笑い、ハンモックから落ちそうになりじたばた暴れた。
「引き受けるつもりはない」
 ホーバーは迷いの欠片もなく、言い放つ。
 だがその目の中には、深い思念がある。
「けど断れない。まずいことになった。シャーク」
 シャークは納得した様子で、珍しく真面目な顔で頷き返した。
「やっぱりそういう手をとる気っスか、クロックせんちょ。強烈にまずいっスよ。血に餓えた王、ハングリー・キング。怒らせるとバクスクラッシャーは終わりっス。彼はとんでもないカードを持ってるっスからね」
「何だ、それ?」
 ガルライズは首を傾げる。シャークは懸念を簡潔にまとめてガルライズに話した。
「そ、それはワイルドな。そっか、それでお前、そんなに悩んでる顔してたわけね」
「そんなに表情に出してた?俺」
 ホーバーは憮然として、結局なまけもの状態で、反転したハンモックにぶらさがっているガルライズを見上げた。ガルライズはダラダラ長い金髪で床を掃除しながら、にやっと笑った。
「人を見る目はあるのよ、俺」
「オレも気づいたっスよー。誉めて誉めて」
「……お前は知ってたからだろーがコバンザメめ」
 気まずそうなホーバーの台詞に、シャークはにんまりとどこか優位な笑みを作った。
「そうっス。ずっと待ってたっス。ホーバーが頼ってくるのを」
「……」
「ホーバー苦手っスからねぇ、人に助け求めるの」
 シャークは胡座の上に頬杖をついて、うししっと笑ってホーバーを見やった。シャークの言葉を否定もせず、ホーバーは気まずそうに視線を泳がせた。
 が、やがて観念したように、ホーバーはちらりとシャークに視線を送った。二人の様子を楽しげに見ていたガルライズもまた、シャークを見据える。
 シャークはきゃっと乙女が恥らうように頬に手を当て、アイアイサーと丸眼鏡の奥の目を光らせた。

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