第九話



 夜の帳は降り、あたりは暗く‥と思いきや、あたりは街灯に煌々と照らされ、闇とは無縁だった。だが、あたりがいつのまにか暗くなっていることに気がつかなかったのか、彼らはお互い視線をあわせて沈黙していた。
 あの浅海のずばりといった指摘のあと、多少(かなり?)緊張感は欠けているとは言え誰もが考え込むかのような沈黙が訪れた。
「他に誰がここに‥」
 だが、そんな沈黙を男は破り言った。
「まぁ、誰でもいいんじゃないかな?僕としては他にいるとしたら女性希望だけどね☆そんなことよりも、いい加減ここでじっとしてるのもなんだし、色々考えたって物事は動かない。‥ここは東京だろう?」
「正確には東京を模した場所やな」
「なら、東京タワー。あそこに行って見ないかい?やっぱり社会見学といえば東京タワーに国会議事堂、お土産にはひよこ饅頭で決まりだね♪」
 紅の細かいツッコミをさらりと無視して司貴は首をかしげたままの二人の少女に爽やかな笑みと共に宣言した。もう、それはそれこそ有無を言わさずに決定したも同然だった。
 そんなわけで有無を言わさず決定された社会見学‥もとい、フィールド探検。様々な準備を押し付けられたのはもちろん紅であった。
「この冷蔵庫といい、外の街灯といい‥やっぱり誰かがおるようやな。無人電力っちゅうのもありかもやけど‥っと」
 そう言いながら紅は随分と減った紙袋の食料を補給するべく冷蔵庫などから様々なものを調達していた。ほい、といって紅の差し出す簡易リュックサックの先にはこくりと頷きそれを受け取る万要の姿。それを浅海が受け取り司貴に「んー」と手渡す。
 もしもこれが紅からならば受け取らないであろう司貴もそこはフェミニストの血なのか。ニコニコと笑顔を浮かべながらそのリュックサックを受け取る。
 バケツリレーならぬリュックサックリレーが繰り広げられ、四人はそれぞれ食料などの必要物の入ったカバンを持つこととなった。
「こういうようわからんところやしな。とりあえず必要や思うもんは入れたけど、足りひんようやったら各自また放り込んだらええやろ」
 そう言って、パンパンと満足気に埃を払うと紅は立ち上がる。
「すっかりピクニック気分だねぇ☆やっぱり社会見学はこうでなくちゃね」
 どこかうきうきした気分でリュックサックの中にその他いらないものを放り込み始める司貴。
「まぁ、とりあえず、ここは俺の世界ちゃうし、20世紀の東京の地理なんちゅうもんは俺、覚えとらへん。っちゅうことで地図は必要やし‥」
 紅も不足分を補うように色々とコンビニの中をあさっていく。そんな紅の鼻腔をふわりと潮の香りがくすぐった。
「ん?」
 ふと横を見ると、紅の横にちょこんとしゃがみこみ次々と入れられていくものを不思議そうに眉間に皺を寄せながらじっと見る万要の姿があった。
「どないしたんや?万要」
「トウキョウタワーだとかコッカイギジドウとはなんなのだ?」
 万要にとってはこの世界は異世界。もちろん紅たちにとっても異世界であることにはかわりないのだが、だが、そこ、ここにはどこか知った名前を持つ店や地名が見え隠れしている。しかし、万要は右も左もわからないことずくしなのだ。紅は苦笑した。
「せやな。説明不足で話し進めてすまんかったな。ここが俺らの世界では東京言われてる場所や言うんはわかったな?」
 問われて万要はこっくりと頷く。
「で、東京タワー言うんはその東京言うんのシンボルで、まぁ、言うたらでっかくて空に伸びとる塔や思うとき。国会議事堂言うんは‥」
 説明を続ける紅をよそに万要は少し考えるように一点を凝視する。
「もしかしたら私はそれを見たかもしれない。私は、はじめ気付いたときあたりは海だった。どこかの島だろうと思うのだが、あのままでは状況もつかめなかった。だから私は飛んだんだ。その大きな空へ伸びる塔を目指して」
 朗々と説明を続けていた紅の口がぴたりと止まる。
「んー‥でも、飛んできたのは私たちも見たしよくわかるけど‥東京タワー‥そんなに遠そうな所から見えるほど高くないよ?」
 浅海がこくりと首をかしげて万要を覗き込む。
「だが、私はそれを目印にこちらの方へと飛んできたんだ。そうではないと言われても困る。私は事実を述べているだけだ。塔はまっすぐに天に突き刺すようにして伸びていた。」
「新事実発覚!ってやつだね☆下からではわからない盲点をついていたって訳かい?」
 いつの間にやら自らの準備を終えたのか、司貴がちゃっかり座り込む彼らの上からニッコリと笑って顔を覗かせていた。
「いやぁ、さすが僕だね!万要ちゃんからの情報もなしに見事東京タワーが妖しいと推察して見せたこの洞察力!」
「おっさん‥社会見学とか言うとった気がするん俺だけか?」
 いらぬことをぽつりと言ってしまうのはもうすでにわざとなのか、それとも血がそうさせるのか。紅は司貴に笑顔でぐいぐいと頬をつねり上げられている。
「ま、なんにせよ、夜道は危ないからね。僕がバッチリ守ってあげる‥といいたいけど、どうやら万要ちゃんはもう眠そうだね。一まず、目の前にあるホテルで一泊するとしようじゃないか」
 めぐるましい状況の変化と、膨大な力を使った反動か、万要はうつらうつらと隣りに座る浅海の方へと首を持たせかけていた。
 夜は更け、朝が来る。それまでのつかの間の休息だった。

                   ◆

 エンジンの停止音。ぴたりとその赤き塔にそうようにして停められたバイク。
 一人の青年がそのヘルメットを取る。塚本真也だった。
「マサヤーーー!!こっちこっちー!!」
 嬉しそうにぶんぶんと両手を振り上げるようにして塚本を呼ぶ。美しい白銀のそれは人でないことを暗に示す。ヒューマノイドと呼ばれる人工生命体。だが、そのあまりにも滑らかな動きは一見してそれが本当の人ではないかと錯覚させるほどだった。
「イッコ。お前マジで何もんだよ」
「だーかーらー。宇宙治安維持警備保障会社hobbyhorce、third ship所属ヒューマノイド、Illimitable Cline‥」
「あー、それは聞いたって」
「だってー、マサヤが聞いたんじゃん」
「あーはいはい。俺が悪かったよ」
 どこか疲れたようにして塚本はふくれるイッコをなだめる。
「で、どうすんだ。この中入るのか?」
 くいと親指が指すのはタワーの入り口だった。
「もっちろん!ここまで来ておいて中に入らずに帰るなんてそんなもったいないことできないよ!」
 そう勢い込むイッコの言葉にどこか嫌な予感を禁じえず、塚本は盛大にため息をつく。
 予想通りにライトアップされ、夜の街に浮かび上がる東京タワーはなぜか不気味にも美しくも見えた。
 帰ろうか‥一瞬、そんなことが頭をよぎるが、だが、思いなおす。
 一体どこへ?帰るとは?
 いくら似ているとは言え、ありえない現象が起こりうるこの世界はすでに自分のいたあの場所ではない。ならば進むしかないではないか。それはどうやって?
「これは‥どうあってもあの言葉実行せざるをえないってことらしいな」
 塚本の脳裏に甦る。あのうるさいまでの声。

『夢ではない現実だ』

 そう、現実なのだ。塚本は舌打ちする。そうして、手袋と再び腰のポケットに突っ込むと、イッコが走りこんだ、この赤く不気味な建造物に足を踏み入れた。
 言いようのない感覚にぞくりと背を泡立たせる。
 その感覚が偽の感覚であることを塚本は切に願った。

                  ◆

カツン‥カツン‥
 靴のかかとを響かせて、調子よく階段を登る縞馬帽子の青年。ふんふんと流れる歌は途切れることはなく、時折、手にある人形がそれに合わせるように指揮をする。
「それにしてもミッキー、この階段はどこまで続くんだろうね?僕は随分前からこの階段を登っているような気がするんだけど?」
 問われた人形は「さぁ‥」とでも言うように軽く手をあげる。
 だが、それほど長くガイはこの階段を登っていた。何段か、何階か。そんなことを途中までは見ていたような気もするのだが、登っていくうちに変わらない風景にどこかうんざりとした感覚を覚えてくる。
 階段を上がりフロアを見る。階段を上がりフロアを見る。その繰り返しを続けていたのだが、どこかに違和感を覚え始める。
 そう、景色がまったく変わらないのだ。
「どうしてだろうね?ミッキー。何かが僕の行方を阻んでいる‥そんな気がしない?」
 それとも何かの介入を待っているのか。
―何かが‥足りない。
「足りない!?」
 ふと、考えた言葉に対してガイは素っ頓狂な言葉を発する。ミッキーがそれに対し、「わぁお」と大きく手をあげる。
「そうだよ、ミッキー!足りないんだ。何かが‥ほら、さっきの覚えてる?」
 ミッキーはこくこくと首を縦に振る。
「どうやら、僕はジグソーパズルのピースを見つけなきゃならないようだね」
 ガイは歩き出した。階段は彼を拒む。ならば、答えは‥
 知らずのうちに引き込まれた世界にゾクゾクとした快感を覚え、ガイは明らかにこの状況を楽しんでいた。
 それは、まるで麻薬のように彼を侵食する。
「だってね、ミッキー。こんな事ってめったには起こらないだろ?」
 先に見える暗闇を凝視して、ガイはニヤリと口元をあげた。



written by 神代晶 2003年02月10日公開