第五話 |
男は、いつものように山を降り、町中を目指していた。 名を、寅内司貴。 今年で33才であるが、若々しい顔立ちが彼を実年齢よりも幾分か若く見せていた。 彼の住まいは京都の山奥。…と言っても入口がそこにあるだけで、実際の住所を述べる事は出来ないだろう。………そんな、”隠れ里”とも呼べる不確かな場所から、彼は都市の喧騒向けて歩いていた。 目的は、コンビニで週刊誌を立ち読みする事。……ただそれだけなのであるが、本人にすれば「世の情勢を知る」という御大層な大義名分を掲げているようだ。 いつも通りの道を、いつも通りに歩く…………はずだった。 辿り着いた街。”そこ”には、もはや「いつも通り」という言葉からかけ離れた空間が広がっていた。 そこには誰も、何も…居なかったのだ。 人のざわめき。道路を駆ける車達の騒音。……そして鳥の鳴き声ですら、聞こえない。 さの上、目の前に広がる町並みは、彼の見知った土地とは別の場所………見知らぬ建物、見知らぬ看板、見知らぬ街角。建物が多い事から、都会であることはわかるのだが………。 「…一体何が起こったのやら。」 困り果てたような口調とは裏腹に、彼の表情は至極、状況を楽しんでいるように見えた。 「………本を読むには、十分過ぎるくらい静かで良いんだけどねえ………。」 道を聞けるお巡りさんすらいないのは、少し厄介かもしれないけれど。 ……彼は微笑を浮かべながら、わざとらしく溜め息をついて見せた。 ***** 「んー…、あなたも…独り?」 それが、つい数分前まで”無”の世界であったこの場所で、紅が初めて聞いた声であった。 年齢的に、女子高生だろうか?目の前にいる少女は紅との遭遇にさして驚いた様子もなく、小さな笑みを浮かべたままこちらを見ている。 紅の心の中に生まれた、小さな違和感。この同じ場所に、存在している事への……不思議な、違和感。 それを掻き消したのは、彼女の纏うゆるやかな空気と、そして自分の置かれた状況であった。 「……!!!そうや!!!!ななな…なあお嬢ちゃん!!!今こっちに、デッカイ紙袋持った奴が来んかったか!?」 「ん〜〜…?…見てないけど?」 「だーーー!!一体どこに逃げよったんや!景品泥棒の奴っ…!!この俺とした事がまったく、しくじったわ〜〜っ!絶対に絶対に………ひっ捕らえたるからなーーー!!」 ひとり頭を抱え、悲痛な叫びを上げる紅。 少女はしばらく不思議そうな顔をしていたが…やがて、先程と同じくゆっくりとした口調で言った。 「んー…。じゃあ、一緒に探そっかぁ。」 「ほんまに!?いや、助かるわ〜〜!恩にきるで、お嬢ちゃん!!」 紅は感極まって少女の手をガシッと掴んで、ブンブンと振った。 「ほんなら早速、手分けして………」 ………そう言いかけて、紅は言葉を止めた。 彼の脳裏をよぎったのは、数分前までの自分の姿。 「…………あ〜〜〜〜っっ!!俺の紙袋!!もう片方、ベンチに置いたままやったーー!!」 忙しく叫ぶ長身の銀髪青年を、ぼんやりと見つめている女子高生……何とも不思議な図であった。 「ちょっと、戻るで!えっと…………−−−。」 「ん〜…、ユノクラアサミ。浅い海で、浅海。……アサでい〜よ。お兄さんはぁ?」 「俺はコウや。よろしゅうな!」 ……それが、第一の出会い。 間もなく次なる出会いが待っていようとは……彼らも想像していなかったことだろう。 ***** 「……………。」 目の前のベンチを見つめ、紅はただ立ち尽くした。 先程まで紅が腰を降ろしていたベンチに、悠然とした態度で座る1人の男…。 落ち着いた雰囲気………歳は30代前半もしくは20代後半くらいだろうか? 濃紺色の着流しに袖を通したその男は、手にしたスナック菓子の類を口に運んではバリバリと噛み締めていた。 ……その傍らには、見覚えのある紙袋………。 次第に状況を飲み込み、我に返った紅が怒鳴り声を上げるのに、そう時間はかからなかった。 「………っって!!!何さらしとんねーーーーーん!!おっさん〜〜〜〜!!!!」 「はあ?”おっさん”?」 男は、わざとらしくキョロキョロと周囲を見回して見せた。 「あんたやあんた!!他に誰がおんねん!!」 ビシッ!と人さし指を立てた紅に対し、男は迷惑そうに言ってのける。 「こんな若くてピチピチの美男子を捕まえて”おっさん”とは失礼だねえ、君。せめてお兄さんとか………ああ、パパvでもいいよ。こう見えても僕は子持ちで……。」 「今はそういう話をしとる場合やないやろ〜〜〜!!!!」 少なくとも、紅にとっては。 「あんたが今喰っとんのは俺が精魂込めてゲットした景品やっっ!!何、勝手に荒らしてくれとんねん!!」 「……ああ、これのこと?」 男は悪びれた様子もなく、手の中にあったスナック菓子−−ポテトチップスの一種のようだ−−を上へ持ち上げる。 「失敬だなあ…これは”落ちて”いたんだよ?不法投棄は環境破壊にも繋がるからねえ………不本意ながらもこの僕が、処分してあげていたんじゃないか。まったく、感動的なお話だと思わないかい?」 「思わへんわ〜〜〜〜〜〜!!!!」 にこやかにそう言ってのけた男の言葉に戦意喪失したのか、それとも単に叫び疲れたのか…紅はガク〜〜ッとうなだれた。 そして、先程からノンストップで過ぎ去っていくあらゆる出来事に困惑しっぱなしの頭を、重たそうに押さえたのだった。 気がつけば自分の置かれていた、この状況……見慣れぬ光景。人の吐息の聞こえぬ、静かな世界。 そんな中で突然現れ、紙袋を持ち去った謎の人影。その人影を追う中で出会った、謎の女子高生。そして、ベンチに戻ってみればいつの間にか出現していた謎の男………。 彼らは紅の持つ知識から考えればどう見ても日本人であったし、周囲の建物に掲げられた看板に記された文字も理解できる。 ……ここは、日本なのだ。 けれど、車も、信号機も、立ち並ぶ建物の高さも………紅の知るものとは大いに違っていた。 (………車は地面に足ついとるし………あ、何や車輪もついとるなあ………建物は異様に背が低いし………) 紅が思考を巡らせている間にも菓子を頬張り続けるその男は、紅の背後からついて来ていた少女…浅海を見つけ、ひらひらと手を振った。 「お嬢ちゃん美人だねえ☆おじさんと遊んでいかないかい?」 「んー……めんど〜。また今度ねぇー…。ってぇ、それって面白い〜…?」 「何やっとんねーーーーーん!!!」 大分頭が冷えたのか、ようやく立ち上がった紅。 結論はなかなか出そうにないが、今わかる事がある。………今大切なのは失われてしまった菓子ではなく、状況把握と、そして何者かに持ち去られた紙袋の行方であるという事だ。 「と・に・か・く!!………今わかってる事を整理させてもらうで!!」 男女が振り返ったのを確認してから、語調を強くしてそう言い放った紅。 「何がどうなってんのか、さっぱりわからへんけど………あんたら、どこの何者や!?」 「まったく…。人に名前を聞く態度じゃないよねえ……。」 男はやれやれ。といった感じで肩をすくめると、ゆっくりと立ち上がり、付近から適当な気の枝を取って きた。 そして地面の土を掘るようにして、彼は『司』に『貴』と書いて見せた。 「シキ。と読むんだよ。高貴な名前だと思わないかい?出身は関西の方だねえ。詳しいプロフィールやプライベートな事はヒ・ミ・ツvだねっ。」 「あたしは〜、ユノクラアサミ。呼ぶ時はアサでいいよ〜…て、さっきも言ったかなぁ?……あたしはさっきまで学校にいたんだけどなあー…。ま、別にいいかあ…。」 やたら自信ありげに語る男…司貴に続き、浅海は相変わらず間延びした口調でそう言うと、地面に指先で『湯ノ倉浅海』と記した。 「……………俺はアキヅキコウや。秋の月に、紅色の”紅”で…秋月紅。」 そして三番手は紅である。 結局、何の進展もない事にげんなりしながらも、紅は言葉を続けた。 「出身は大河内第二シティの………」 「「はあ?」」 声を揃えて聞き返して来た司貴と浅海に、紅は言葉を止めざるを得なかった。 「オオコウチ…?第3……?何、それぇ………。」 「ゲームのやり過ぎ?それとも本の読み過ぎかな?ユーモアがあって楽しいねえ♪気が合いそうだよ、紅くん。うんうん。」 「ちょ……っと、待ってや!あんたら、知らへんのか!?」 それは、紅の知る世界においては、誰もが知るはずの都市名であった。 ……そしてたった今、不確かながら、わかった事がある。 …ここは、自分のもと居た世界ではないということ。そして、目の前にいる2人の人物も………。 紅の考えを察したのか、司貴がさも楽しそうに手を叩いた。 「面白いねえ…実に面白い♪何だい?ここは不思議の国かな?ファンタジー小説みたいだよ、まったく。主人公は、勇者は誰だろうねえ?ラスボスは?あ、僕がなろうかねえ、アッハッハ☆」 「アッハッハ。やないて……」 紅はふう。と小さく溜め息をついた。 結局、何一つはっきりとはわかっていないのだ。少なくとも、今は。 「……まあ、ひとつわかったことは……ウダウダ言うとっても、何も始まらへん…っちゅうことやな。」 前に進んでみない事には、何も始まらない。歩き出してみれば…何かが、わかるかもしれない。 「何もせんで状況が変わるのを待つのは性に合わへんさかいな………とりあえず、進んでみたる!」 「ん〜………じゃあ、さっきの泥棒…捜しにいこっかあ?…3人で。」 「それ、いいねえ。目的があるというのは良い事だよ。冒険の醍醐味だね♪」 紅の言葉に、浅海と司貴が続く。 のんびりと歩き始めた二人の背中を見守りながら、紅は溜め息混じりに小さく呟いた。 「……このメンツで、物事を深く考えんのは無理かもしれへんなあ………。」 −−確かに、そうなのかもしれない…。 …こうして出会った三者三様の三人組は、同じ方向に向けて歩き出した。 その先に何が待つのか。それを知り得る者も、術も無いけれど。今はただ、前へと…………。 |
written by 水荻巴 2002年07月18日公開 |