第十四話



全身に吹き付ける風は、よく知ったソレに似ていて、違和感は感じない。
けれど、眼下に広がる大地は見慣れぬ風景だ。
夜の闇の中、煌めく都市のネオンはまるで、宝石箱を漆黒の床の上にひっくり返したように思える。
万要は空中に独り浮遊し、目下の光景をしばし見つめていた。
ゆっくりと顔を上げると、前方には赤い光を放つ、異質な存在感を称えた塔がそびえ立っていた。
初めて”ココ”に訪れたその時から、あの塔に向かって進んで来た。
どこか禍々しい……とさえ感じさせる赤い塔。
「…トウキョウタワー。」
つい数時間前まで行動を共にしていた男の1人が、そう言っていた。

再び、万要はゆっくりと前進し始めた。

◇◆◇

『ナラバ、コ・ロ・セ』

−−誰を?

夜景を食い入るように見つめながら無邪気にはしゃぐイッコとラッキーの声に、塚本は衝動的に顔を上げた。

−−誰を?

この世界に迷い込んで塚本が出会った、ただ2人の人物が、目の前に、いる。
(……イッコを??それとも…ラッキー?)

『コ・ロ・セ』

………無機質なその声はひどく無感情で、無慈悲で。
塚本の心を、容赦なく鷲掴みにした。
−−コロセ。
塚本が生きてきた世界で、その行為は法的にも倫理的にも、許されるものではない。
−−コロセ。
それ故にそのフレーズに、生理的な嫌悪感を抱かずにはいられなかった。
命令か。それとも助言なのか。
その言葉のままに動けば、この世界から出れるというのか……?
それはひどく甘い、誘惑なのかもしれなかった。
この世界がいわゆる『仮想現実』であり、『現実』でないのであれば。
目の前に立つ2人の『人物』が、仮想現実における『登場人物』であるとすれば。
その誘惑のままに動く事は罪ではなく、物語のページを捲るためのステップに過ぎないのかもしれない。
用意されたシナリオ通りに、すでに敷かれたレールを辿っていけば………自分は、帰れるのだろうか。
自分にとっての現実に。
今となっては愛おしいとすら感じる、普段通りの退屈な日常に……。
「マサヤーー。マサヤも見ようよ!ほら、キラキラしてるよっ。宇宙の星が、一ケ所にギュッと凝縮されたみたいだね!!」
「う〜〜んロ・マ・ン・チック!!これで、綺麗なお花ちゃんが一緒ならもう言う事ね〜〜んだけど。」
大理石色の瞳で硝子窓の外を見つめたまま、明るく声を上げるイッコ。
その横で、見慣れぬ光景に驚くよりも、彼曰く”お花ちゃん”の不在を嘆く事を優先しているラッキー。
自分の知らない、別の時代から来た……”他人”。本来ならば出会うはずのない、存在。
そう、他人………であるはずだったのだ。
けれど、出会ってしまった。
互いに話し、共に歩いた。同じものを、見た。

『コ・ロ・セ』

無慈悲な、それでいて甘美な、誘惑。
あの声が、塚本の心に語りかけてくる。

『コ・ロ・セ』

…………………嫌、だ。
心が、本能が、そう叫んでいた。
(イッコと、ラッキーを……)
殺せない。
殺したく、ない。

『………ソレナラ………』

目の前の景色が、ぐにゃり。と、歪んだように感じた。
足下に広がる堅いはずの床が、溶けて抜け落ちたように、感じた。

◇◆◇

突き付けられているのは、冷たい刃。
下手に動けば、白い喉元はたちまち赤く染まるだろう。
けれど当の男……ガイ=フレデリックは、まるで気にとめる事など何もないかのように微笑を浮かべている。
「どうして、そんなに余裕があるのかなぁ?とか、思ってる?」
楽しそうな声音。軽い口調。
けれどその口から飛び出す言葉は幾度となく阿小夜の思考を突き、心を惑わせた。
「何故……。」
「今回も、答えは一つ。それは僕の喉元を狙っているギラギラした恐ろしい刃が、ただの無慈悲な凶器ではない………という事だよ♪ねえ、ミッキー。君もそう思うだろ?」
「………何?」
ただの心無い殺人兵器ではない。意志持った”人”の手の中にある武器は、時と場合と人によって、他人を傷つけるための武器ではなく身を守るための防具となる。
「………私が、お前を斬れないとでも思っているのか…!?」
まるで怯えるが故に自己防衛の手段に走っているかのような物言いに、阿小夜は鋭い瞳でガイを睨み付けた。
「……私を、甘く見ないでもらおうか。」
「そういう君も、」
ガイはクスクスと笑って、言った。
「僕を簡単に斬れるとは思ってないでしょ?例えば……。」
それは一瞬の事のようにも、スローモーションのようにも思えた。あまりにも無駄のない……軽やかな手の動き。
「…こんな風に。」
突き付けたものは、手にした黒光りする物体。
−−銃。
ガイは頭は微動だにさせぬまま、巧みに右腕を動かし、腰のサスペンダーから引き抜いた銃口を阿小夜に向けたのだ。
「……っ!」
見た事もない、謎の物体。その物体がどういうもので、どのように使うものなのかは、分からない。
けれどそれが決して友好的なものではなく、寧ろ自分の命を脅かす存在である事を、阿小夜は直感していた。
”敵”もまた、”武器”をとったのだ。
……だというのに、突き付けたままの刀をとっさに振り下ろせなかった自分を、阿小夜は悔いた。
自分を真直ぐに見返してきたガイの飄々とした瞳が、歴戦を重ねて鍛えてきたはずの阿小夜直感を鈍らせたのかもしれない。
「これで”おアイコ。”だね。」
「くっ………。」
阿小夜はギリッ……と歯を食いしばり、いまだ不敵な微笑を浮かべたままのガイを睨み付けた。

………そして、沈黙。

まるで寸止めのクロスカウンターのようなポーズで、武器を向け合う2人。
相手の出方を伺うように、微動だにせず、じっ………と機を読まんとする。
「ククッ………。」
不意にガイが漏らした声に、阿小夜は今一度、刀を握る手に込める力を強くした。
「クスクス………アハハハハハッ!」
「………?」
突然、至極明るい声を上げ笑い始めたガイを、阿小夜は不審げに見つめた。
「…………なあんて、ね!」
ガイの右手が、黒光りする物体が、唐突に下方へと降ろされた。
(……何?)
まるで、試合放棄。
そんなガイの行動に、阿小夜は困惑を隠せなかった。
阿小夜の反応を楽しむかのように、ガイは今一度ニコリと笑って口を開いた。
「僕はフェミニストなのさ♪女の子に銃を向けるなんてそんな物騒な事、出来っこないじゃないか!ねえ、ミッキー?」
そして今度は左手の中にある小さな機械人形を、阿小夜の顔面向けて突き付けた。
その人形の小さな手は、まるで握手を求めるかのように差し出されている。
「ふぇみ…………………なっ……。」
フェミニスト。
その言葉がどのように変換されて、阿小夜の脳内に入っていったのかはわからない。
けれど、ガイのその言葉は、阿小夜をこれまでに無いくらいに激しく動揺させた。
「なっ………何を言っている!!わ、私は女では、ない!」
突き付けていたはずの刀を引っ込め、数歩後退する。
「?」
ガイはようやく刃から解放された首を傾げ、彼の両手の中のミッキーもまたそれに習う。
確かに、目の前にいる”女性”は中性的な顔立ちをしている。
そしてガイにはわからないが………阿小夜が身に纏っている白い和服は、男物であった。
けれど、いかなる格好をしようとガイと、そしてミッキーの目は誤魔化せない。
女扱いされ、大いに動揺する男装の麗人に、ガイは楽しそうに微笑んだ。


ぐにゃり。

背後で、何かが歪んだ。


◇◆◇

『−−−−−−−−GAME START』

あの時、あの声は、確かにそう告げた。


一連の騒動の後、ホテルを後にした紅、司貴、浅海の三人。
しかし外へ出た時にはもはや、万要の姿は見当たらなかった。
辺りを見渡しても、夜の帳が降りた街のネオンが邪魔をして、闇を一層濃い闇へと変えてしまっている。
かと言って何が起こるかわからぬこの世界で、手分けして探すのは得策とは言えなかった。
しばらくの間四苦八苦した後、三人は公園のベンチに腰をかけ、これまでの経過を再確認するため言葉を交わしていた。
口を開いたのは、紅だった。
「さっきの話に戻させてもらうんやけど………オレの認識している”ゲーム”てもんは、まあ、ジャンルや経過、最終目的は様々やけど……自分ていう”主人公”がいて、”味方”がいて、”敵”もいる。与えられた”世界”を、一定の規則に従って歩き回る。……そういうもんや。」
「”世界”………ねぇ。」
司貴が呟いた。
”世界”−−−−”フィールド”。
歩き回るには、あまりにも広い”フィールド”であるように思える。
けれど、己の認知している”地球”という世界とはどこかが違っていて、何かが歪んでいるように思える。
今自分が踏み出した”一歩”は、物理的な…自らの認知している”一歩”と同義なのだろうか。
………そんな、当然のことに対する不確かさ。
「じゃあ、”敵”は?”味方”は、誰?」
「そう、それなんやけど……。」
紅がふと、表情を強張らせた。
脳裏をよぎるものは、先程ホテルで目の当たりにした、異様な光景。
黒光りする、無数の銃。整然と並んだ、刀の列。
三人にだけ許された、”特権”
「もしかすると…………オレらは、”敵”なのかもしれへん…。」
「……??それって、どういうことなの〜?」
不思議そうに声を上げた浅海の方に顔を向けぬまま、紅は再び口を開く。
「………いや、”敵”に仕立て上げられそうになった…………。と、言った方が適切かもしれへんな。」
武器と、食事。
本来ならば易々と手に入れる事が出来ないであろうはずの、戦場における生存必需品。
それを際限なく与えられた、自分達は………。

−−敵?

「オレらは結局、あの武器を受け取らへんかった。それを拒絶と見なされたかどうか、まだあの”サービス”は継続しているのか………そういった事はわからへんけど。」
そこに、自分達をこの世界に引き込んだ『ゲームマスター』たる不確定存在の、大きな意図が見え隠れしているように思える。
「それとも単に………陰湿な、仲間割れ工作なんか……。」
「まあ…どっちであっても、可愛くないねえ……。」
決して、『面白く無い。』とは言わない。それが、司貴という人物だった。
「ゲームスタート。………ねえ。」
呟くようにそう言ってから、司貴は懐からおもむろに小さな本を取り出して、まるで手持ち無沙汰であるかのようにパラパラとめくり始めた。
「……何やっとんねん。オッサン。」
「パ・パ!もしくは、オニ〜〜サン★これ以上言うとレッドカードで退場だよ紅くん♪」
「退場。出来るもんならさせて頂きたいわ……。」
紅はうんざりとした表情で、肩をすくめてみせた。
………小さな本のタイトルは……『ミニ英和辞典』。
ホテルに足を踏み入れる前に立ち寄ったコンビニで売られていた、コンパクトサイズの携帯用辞書だ。
司貴の生きている時代では、そういったものがまださして出回っていないのか。それとも単に、司貴が世間知らずだったのか。
可愛いから。という理由だけで、さしたる意味も無く持ち出してきたのだ。
呆れ顔でわざとらしく溜め息をついた紅の横で、司貴がページをめくる手が不意に止まった。

game
1)遊戯、勝負
2)遊び道具
3)策略、計画
4)猟の獲物

「……………どれもこれも癪に触るけど……最後のが一番可愛げが無くて、イヤだねえ……。」

暗い夜の闇の下。
浅海の顔色がどこか青ざめている事に、紅と司貴が気付く事は無かった……。

◇◆◇

何かがこちらに向かって、進んでくる。
鳥だろうか?
初めはそう思ったが、イッコの持つ人知を越えた視力が、そうではないと告げていた。
「…………人?」
「うっひょ〜〜〜!!!見ろよ、なあ!!女の子がこっちに向かって飛んでくるぜ〜〜〜!!イエ〜〜イ!!カマ〜〜〜ン★お花ちゃ〜〜〜んv」
「君さー、もっと他に驚くことないの?」
野生並みの視力の良さで、接近中の未確認飛行物体の姿を捕らえたラッキーに、呆れた目を向けたイッコ自身も、さして驚いた様子は無い。
では、自分達の後方にいるはず1人の青年は、一体どういう反応を返してくれるだろうか?
「ねー、マサヤ!何かがこっちに向かって飛んでくるよー!」
イッコはそう言いながら振り返って、ピタリ。と動きを止めた。
「……マサヤ?」
居るはずの人間。
けれどそこには、誰もいなかった。

◇◆◇

−−−絶体絶命。

この状況をそう呼ばずして、何と呼ぶ。
そう思わない人間はよっぽど胆のすわった人間か、そうでなければ何も考えていないお気楽人間だ。
しかし残念な事に塚本は、どちらでもない……いたって普通の人間であった。

…喉元に突き付けられた、冷たい刃。
…頭部に押し当てられた、黒光りする銃。

「……貴様は、何者だ……?」
「何ともファンタスティックな、突然のお出ましだね。……で、君は誰?」
目まぐるしく変化を遂げる、周囲の状況。
自分を包囲する2人の人物に口々に質問を浴びせられ、塚本の脳細胞は麻痺してしまいそうだった。
……いや。それができるなら、いっそ楽なのかもしれない。

(……最悪だ。)

そう感じずにはいられなかった。



written by 水荻巴 2003年06月20日公開