第十一話 |
──鋭い、金属音。 阿小夜はその状況を形容する言葉を知っていた。 刀をひくことも忘れ、ただ呆気にとられてそれに見入るばかり。 信じられない。 人間以外が、自分の太刀を防ぐなどということが有り得るのだろうか。 あるのだ。現に、目の前でこうして起こっているではないか。 小動物のようにも見えるが、生き物ではない──その機械人形が細い腕を伸ばし、白刃を受け止めている。 それを形容する言葉は。 ──真剣白刃取り、と言うのだ。 ◆◇ 夜に堕ちた無人都市。 すべてに見覚えがない。すべてに違和感がある。すべての感覚が警戒を促している。 「…っかしーなぁ。こんなことは初めてだぜ」 ラッキーは猫っ毛の頭をくしゃくしゃとかき混ぜて、うめいた。彼の“愛しの尾っぽちゃん”はすっかり縮み上がって、彼の胴に巻き付いている。長さ2メートル弱。お尻から生えた自慢の尻尾。色は髪と同じ金色。迷子の子供が不安で仕方がないというように、その先を指で撫で撫でしながら、コンクリートの谷間を歩いていく。 爆音と極彩色の繁華街から、静寂と闇の都市へ。 始めは、兎穴(ラビット・ホール)に迷い込んだのだとばかり思っていた。そうそうあるものじゃないが、知らずに時空の裂け目に飛び込んで銀河の果てにぶっ飛ばされたという話は聞かないでもない。だが、何故誰もいないのか。荒廃の様子もなく、今でも誰かが潜んでいるかのようなのに? それに、だ。 (ここは、人間の世界に似てる) 冷たく思わず総毛立つような無機質さなんて、特にそう。連中ったら、金欠になった途端、恥も外聞もなく無神経なことをやりだすんだから。この街の無神経な佇まいといったら、手抜き金抜きしているとしか思えない。緑も土もない。落ち着かない──いや、落ち着かないのは、宇宙船に乗り慣れたラッキー限って、別の理由だろう。 少なくとも自分は、人間の生活圏でこんな場所を知らない。 「この銀河の隅っこで、完全に迷子ってこと…?」 怖気を震い、ラッキーは空を見上げた。 そこには、赤い塔が煌めいていた。 「オッ、綺麗なお嬢さんをはっけ〜ん!!」 習慣とは怖ろしいもので。 困惑も不安も何処へやら。赤い塔に入るや否や目に飛び込んできた“お花ちゃん”に、ラッキーは状況も連れの男もお構いなしに決まり文句を口走っていた。 「こんなところでお花ちゃんに出会えるなんて、おいらはなんて幸運なんだ! ほらほら、見て見てv 君のあまりの美しさに、おいらの尾ッぽちゃんはビンビンおっ立っちゃって。触って触ってvv」 と、お尻を突きだす。突然元気を取り戻した尻尾をひらひらさせて。繁華街での常套ナンパ術。尾っぽちゃんは人間の女性には特に人気があるのだ。 お花ちゃん──中性的に整った顔立ちをしている“女性”──塚本と共に展望台への階段かエレベーターを探していたイッコは、突然近づいてきた、甚だしく馴れ馴れしいそれと男をまじまじと見つめてしまった。身体は、人間の男。だがそこに、異物がくっついている。 「うわッ。イッコ、よせって!」 思いっ切り引きまくっていた塚本がイッコの動きに気づいて言うが、遅かった。変な含みなしに、イッコはそれに興味津々だった。 ぎゅう。 「ああん…v じゃなくて、痛てぇ! コラ、色気のない触り方すんな」 「わぁ。機械じゃない!」 「た、たりめーだ」 思わず振り返ったラッキーの視線は、イッコの胸元に、吸い寄せられていた。 恐怖体験、アンビリーバボー! そこには、あるはずのものがなかった。 「い、嫌、イーヤー!」 狂ったようにラッキーが暴れ出し、イッコはぎくりとして手を離す。 「うう…っ、おいらの尾っぽちゃんが…。男に触られるなんて、もう、おいらお嫁に行けない…」 「嫁、なんだ…」 尻尾を握りしめて悲哀を振りまくラッキーに、ぼそり、と塚本が呟く。 「ボクは男じゃないよ! Illimitable Cline of Capital Offspring……ICCO! ヒューマノイドだよ」 「イッコ?」 まだ目に涙を貯めたままのラッキーが、塚本と似たり寄ったりのリアクションで聞き返した。しばらくイッコを見つめ、何かに気づいたらしく、ホッと息を吐く。 「てことは、ロボット…? 良かった、おいらの貞操は守られたよ、尾っぽちゃんv」 「貞操って…なに…」 また、思わず言ってしまう塚本。お構いなしのイッコは、シナリオがあるかのような自己紹介を続ける。 「彼は塚本真也。ねえ、君の名前は?」 「おいらはラッキーってんだ。なぁ、この惑星は何処だよ? 連盟加盟惑星? それとも非加盟? 場合によっちゃ、迎えがこねぇかも…」 「何処って、地球だよ。ね、マサヤ」 「多分、ね…」 「多分? ここが地球な訳ねぇじゃん! 地球は──」 「ストップ、ストーップ! 言っておくけど、ここは君の考えているような世界じゃないよ。21世紀なんだって」 「21世紀ってなんだ?」 「西暦2001年からの百年」 「???」 結局、話がすんなり通ったのは、イッコがロボットであることだけだった。 自分がこんなにも短期間に二度もそのことを指摘するハメになろうとは。こんな食い違いには出来ればもう二度と遭遇したくないといささかウンザリしながら、塚本はふたりの間に割って入った。 「あのさ、イッコ。……ラッキーは人間じゃないから、わからないんじゃないか?」 自然、ふたりの視線は紛れもない人間との相違点、ラッキーの頭の後ろで揺れている尻尾に注がれる。 ──人間じゃない。 しかし、ラッキーは驚愕的カミングアウトをする代わりに、尻尾を抱き寄せてふたりを睨みつけた。 「何見てんだよ、セ・ク・ハ・ラ!」 「………」 無言で、ふたりともすーっと視線を逸らす。 尋ねたい事も、言うべき言葉も、塚本はそれ以上何も見つけられなかった。 「あっ、あれ! マサヤ、あれで上に登れるんじゃない?」 突然、イッコが叫んだ。視線の先には、エレベーター。 「…ほんとだ」 「ヨシ、行こー!」 本来の目的を取り戻した所為か、セクハラ呼ばわりのショックから立ち直って、塚本は頷いた。 「オ、オイ、待てよ。何しに行くんだよ」 背を向けて歩き出したふたりに、ラッキーが慌てて尋ねる。 ふたりはぴたりと足を止めると、同じタイミングで振りかえった。 「「観光」」 全くの異口同音。顔を見合わせる。笑いもしない。ただ、お互いの目的が一致していることだけ、ほんの少し意外そうに確かめ合う。そして、なにやら重大な決意でも秘めてるかのように、塚本とイッコは視線を前方に据え直し、歩き出した。 「観光とかしてる場合なのか…?」 ──しかも、いやに真剣な様子で。 ラッキーは首を傾げた。これが尋常な状況でないのは、明らかだ。そんな中で観光しようなどというのは、相当なお気楽者か、或いは──。 「ウッキー、早く行くよー!」 エレベーターの入り口からイッコが手を振っている。 「ウッキーじゃない、ラッキーだ!」 叫び返して、何でおいらが、と思いながらも、エレベーターに向かって駆け出す。 ラッキーはあまり深くモノを考えない──要するに、お気楽な性質だった。 ◆◇ 「物騒なことをするね…」 鮮烈さで言えば赤。張りつめる雰囲気から言えば黒。だが、彼女は白だった。 「何者だッ」 幾分動揺から立ち直った様子で、白髪の剣士は間合いを取り直すと、誰何した。 「ガイ・フレデリック」 そう名乗りあげた青年は、その瞬間だけ阿小夜の目をみて笑った──が、すぐに床の機械人形に視線を移す。 「ミッキー、怪我はないかい?」 ミッキーはくるりとまわると、腰に手を当てて、鼻をつんと上に向けた。 「アハハッ。スゴイや」 ぱちぱちぱち。ガイが、拍手を送る。 ──キンッ。 阿小夜の振り下ろした刃が、たった今ミッキーの立っていた床にはね返された。 (わからない、わからない、わからない──!) ここは自分の持てるいかなる知識も当てはまらない。むしろそんなことよりも、小さな機械人形に自分の太刀が通じなかった動揺を不意に思い出して、それが阿小夜に刀を振るわせた。ミッキーは一瞬早く飛んで、ガイの腕の中に逃げ込む。ガイは次、次、と襲ってくる閃きを軽いステップで避けた。阿小夜がより深く踏み込む。縞馬柄の帽子が空を飛んだ。 相手は頭上を切り裂く太刀を、屈んで避けていた。それを隙と読んで、もう一撃。 ──が、手応えは、またしてもない。 ガイはミッキーを片手に抱いたまま、ふわりとバック転して阿小夜から三メートルほど離れたところに着地していた。 「一体、なんなんだ!? 貴様…いや、此処は……!」 阿小夜の口から、ひとりでに呟きが零れた。 「本当にねぇ。それは同感だよ。ね、ミッキー?」 そう言って、ガイは無造作にそこから一歩踏み出した。阿小夜は身体を硬くして、刀を構えた。一歩、二歩──立ち止まると、青年は不意に身体を折った。腕からミッキーが床に飛び出す。床に落ちた帽子を、拾い上げたのだった。 顔を上げる。 目前に、鋼の刃。 夜景に照らされた白刃は、持ち主も含めて場違いな美しさに包まれている、と彼もまた場違いに思った。まるで刃を気にも留めてないような動きで、帽子を被る。それが、阿小夜の動揺を誘う。 「答えろ! 此処は何処だ」 「見慣れた景色が、まるで冗談みたいに呆気なく消えてしまったんだよねぇ。代わりに現れたのは、不思議の国とはいかないけど、なかなか幻想的な世界だ!」 言って、視線だけで夜景を眺める。 「始めは死んだのかと思ったけど、どうやら違う。内心の動揺は、死んだと思っていたときまで。今は、この状況に浸って楽しもうとしてる」 「……!?」 「あれぇ? どうして自分の考えたことがわかるんだろうって思ってる? ねぇ、ミッキー! どうしてだろうねぇ」 ミッキーは問われて、あごに手を当てるとかくんと首を傾げた。 「正解はひとつ。君と僕は同じ状況にあるってことさ」 青年が、うっすらと微笑む。彼に状況を言い当てられたことで、阿小夜は冷静な思考を取り戻していた。 「私を陥れたのが貴様、という可能性もある」 喉元に一層深く突き付けられた刃に、ガイは呑気に天井を仰いだ。 「あらら」 ◆◇ 「だからー、地球連合が…なんたらかんたら」 「だーかーらー、ロボットなんてもう誰も造ってねぇんだ…どうたらこうたら」 全くかみ合わないSFトーク。塚本にとっては意味をなさない言葉の羅列。それは話している本人たち──イッコやラッキーにとっても同じことのような気がしてならないが。その所為か、200×年の就職事情とか、当然未来人に会ったら聞いてみたそうな質問もする気になれない。 ──かれこれ、10分ばかり。エレベーターは動いているのに、一向に展望台に到着しない。まるで同じところをぐるぐる回っているみたいに。 「一体、いつになったら展望台に着くんだ?」 誰かに問いつめるような、苛立ちが口調に混じる。イッコとラッキーが口を閉じてこちらを見る。 こんな事態は、あってもおかしくなかった。渋谷が新宿になっていたのだ。 (東京タワーが月に続いていても、誰が驚くって言うんだ?) やけ気味にうめくのは、この赤い塔を見上げたときに湧き起こった不安が的中した所為だった。いつまでも辿り着けない──それは引き返しても、という恐怖に直結する。 エレベーターが上昇していることを示す、独特のなんとなく吐き気のしそうな感覚はまだ続いている。動いていていつまでも辿り着かないのと、止まったままでいつまでも動き出さないのは、どちらが怖いだろうか。 塚本は半ば衝動的に、ドラマとかでよくやるように、緊急時のマニュアルに従って、エレベーターに設置されてる受話器を取ってみた。 「もしもし?──…なんて、誰も出るわけないよな」 自嘲気味に言って、嘆息する。こんなことなら、地道に階段で上がれば良かったのかもしれない。耳から受話器を外そうとした──瞬間、塚本の背中にゾッと寒気のようなものが這い上がった。微かなノイズ。ざらざらとした機械音。 『カエリタイ?』 「…え?」 「マサヤ?」 突然顔色を変えた塚本を、イッコが呼んだ。 塚本は答えない。そして、突然、幽霊でも見たみたいに目を見開いた。するり、その手から受話器が滑り落ちる。 瞬間。 ──チーン。 三人の前でエレベーターの扉が左右に開いた。 硝子張りの展望台。まるで唐突に、ついてしまった。 「わー、キレイ!」 イッコが夜景の中に、駆け出していく。ラッキーは塚本が取り落とした受話器を拾い上げていた。不思議そうに、塚本のマネをして耳に当てる。 イッコは硝子に張り付いて夜景を眺めた。ビルの窓の明かりや道路の街灯が星のように散らばる風景。 偽の夜景。本当はこの街に、誰もいないというのに。 (本当に、誰も、いない…?) イッコは自分のひらめきに歓声を上げて、いつの間にか隣に来ていた塚本に言った。 「マサヤがいた、ラッキーもいた! もしかしたら、ボクらの他にももっとたくさん、似たようにこの世界に来ちゃった人たちがいるかもしれないネ☆」 「…うん。そうだな」 そう答えた塚本の顔は浮かない。彼の頭の中では、頭痛みたいにさっきの声が響き続けていた。 ざらついた声。──カエリタイ? (……帰りたい) 心の中で、そう答えたから、身体の底の凍えとざらついた声の反響が止まらない。 『ナラバ、コ・ロ・セ』 |
written by 世羅 2003年04月01日公開 |