TIME LIMIT~嗚呼、愛ゆえに~
11
タネキア大陸。
午後4時59分。
「あれユキちゃん、どこ行くんー?」
「あ、ユキちゃん」
坂を小走りに駆け降りるユキの姿を、坂の通りの両脇に並ぶたくさんの露店の一つ、果物屋で働く双子の姉妹が目敏く見つけ、声をかける。
「ふふー! ひ・み・つ!」
ペンギンの様な小走りのまま答え、ユキはまた坂を降りる事に集中する。昼を三時間程すぎた港町の大通りは、さすがにそれほど混んでもいなく、走りやすかった。
「あーあ、間に合うかなー」
売り子の声に掻き消される声で独りごち、ユキは抜ける様な青空を見上げる。
「ま、いっか。私が遅れるのは、いつもの事だしぃ。てへ!」
テスにもうつった、てへ という口癖を悪びれもなく呟き、ユキは一気に坂を駆け降りた。
目の前には、もう広場が見えてくる。海に面した広場で、時間によって市場が開かれたりもするが、今は何もやっている様子はなく、露店が幾つか並ぶだけでさほど賑わいもない。
「テスは……と」
ユキは広場に入ると足を止め、キョロキョロ辺りを見回した。
「めっずらしー! テスがまだ来てなーい!」
何だか新鮮な気分でユキは声を上げる。
「あいついっつも嫌味なくらい時間に正確で、ちょっと腹たってたんだよねー。やははは は……って、でも来てないのも腹たつなー」
少々勝手な事を言って、もう一度広場を見回す。
と、その時であった。
ざっぱーん!!
「────!?」
凄まじい音とともに、突如どでかい水柱が上がった。
水分を含んだ爆風が、広場を吹き抜けてゆく。
「な、なに……?」
霧がかり白じんだ広場に、海の方から何かぼやけた影がやってくるのが見えた。
それはズリズリという不気味な音とともに、こちらに地面を這って近づいてくる。思わず逃げようとしたユキは、次の瞬間その影の発した言葉に、唖然と足を止めた。
「ユ、ユキ……」
「──テス!?」
霧が左右に晴れてゆく。晴れた視界に飛び込んできたのは、全身びしょ濡れで地面を這う、ひどく疲弊した風なテスの姿であった。
その時ちょうど、広場にカーンカーンと鐘の音が響いた。
五時の鐘の音だ。
「ま、間に合った……?」
テスは充血した半眼を、にへらぁと細め、ふふふ……と力なく笑いだす。
「テ、テス、どーしたの?」
ユキはさりげなく一歩後ろに引いて、聞いた。言葉とは裏腹に、あんまり聞きたくなさそうだ。
テスは首をよろよろと横に振って、ぴくぴくと顔を上げ、ユキを見上げた。
「ユキ、おれ、こ、今回のことで、良く分かったんだ……」
「な、何?」
「おれ、ユキのこと、……すっげぇースキ」
ポ。
青ざめた頬をほんのりと赤く染め、恥じらう様に俯いて、テスはそう呟いた。
「ユキがいれば、どんなことも可能になるって分かったよ……」
そう、やろうと思えば、泳いでタネキア大陸に戻ってくることも……。
「……仲間に海に投げ出され……と、途中鮫に追い回されるわ……、くじらに食われて変な木の人形と、爺さんに会うわ……、冗談で親指立てたら、イルカがおれを背に乗せてくれるわ……、サーフィンボーイがおれを追い抜くわ……」
ふふふふふふ……。
テスの顔に暗い笑みが宿る。
「けど、色々な困難にもおれは屈せず、ユキの元にたどり着けた……」
テスは顔を上げ、引きつった笑みを浮かべるユキに健気なほどに優しい微笑みを向けた。
「ユキ、好きだよ」
その言葉に、ユキの頬が桜色に染まる。
「……ユキは?」
テスは弱々しいけれど、どこか幸せな色を含んだ問いを投げかけた。
───が。
当然、「私もよ! テス!」という返事を期待していたのだが、
返ってきたのは沈黙だった。
「ユ、ユキ……ちゃん……?」
おそるおそる顔を上げると、ユキが頭をぽりぽり掻いて、えへへぇーと笑っているところだった。
照れているだけかとホッとしたテスは、──彼女の次の台詞に、殺された。
「ごっめーん! 今日来てもらったのは、別れ話するためなんだー!」
────。
「テスって天然で、ぼけてて、どーしよーもなくアホで、でもそーゆートコ好きだったんだけど」
ユキは頬をぼりぼり掻いて、照れ笑いを浮かべる。
「飽きちゃった!」
ズガーン!
「っつーか、飽きちゃった!」
ドカーン!
「っていうより、飽きちゃった!」
バキーン!
「だから、今日呼び出したの! ごめんねー!」
(ど、どういうこと……?)
テスは困惑しきって、よろよろと手を伸ばす。
「だ……だって、今日……た……誕生日……」
ユキは笑いながらその手をバキィっと踏みつけて(無意識)、首を傾げる。
「は? たんじょーび? 誰の? テスの? うわっ、忘れてた」
ズガーン!
「あらら、じゃー今日、最悪の誕生日じゃん!」
バキューン!
「は、はう……」
もう訳も分からず倒れ伏すテスに、ユキはあくまでニコニコ容赦なく手を振る。
「ま、そーゆーコト。じゃーねー!」
「え、ちょ……、ちょっと、ま……」
テスの必死の呼び止めに、ユキは最後の情けとばかりに振り返る。
テスは気絶したがっている脳をどうにかフル稼働させて、何とか言葉を紡ぎだす。
「で、でも、渡したい物って……」
「! ああ」
ユキは忘れてたーとニッコリ笑って、ウインクしてテスをビシィっと指さした。
「引導!」
ずべっ!
盛大に頭を地面に埋め込むテスの耳に、軽やかな足取りが遠ざかってゆくのが聞こえてくる。
顔を上げる気力もなく、足音はどんどん遠ざかり、やがて聞こえなくなった。
ひゅうー……。
木の葉が舞い落ちる。
何かザワザワと自分を取り囲んでいるものは、多分野次馬だと思う。
テスはしばらくそのまま頭を埋めていて、やがて一人二人と野次馬の声が消えてゆき、そして誰もいなくなった頃に、テスはむくりと起きだした。
ぼーっと虚ろな表情を虚空に向けたまま、テスはポケットを探る。
セインにもらった煙草が手に当たり、テスはかなり湿ったそれを取り出し、口にくわえる。
「……」
ざぷーん……
ざぷーん……
「……」
ぽて。
テスは再び地面にひっくりかえる。
今日って、何だったんだろう。
色々な出来事が、遠い昔であったかのように脳裏を駆け巡ってゆく。
色々な出来事が──。
「引導……」
出来事の最後を締めたユキの言葉を、テスはぽつりと呟く。
途端、ダーッと涙が溢れだした。
「ユキちゃん、可愛すぎ……っ」
──彼の名は、テッシェルナ。
バクスクラッシャー唯一の、船鐘係である。
勇気もないし、背丈もない。女船員には馬鹿にされっぱなしの彼だ。
だが、奴にはすごいものがある。
それは、愛しい愛しいユキへの深い深い、根太い愛。
どんな困難が立ちはだかろうと、たとえユキ本人にフラレてしまおうとも。
彼女への愛は、弱虫毛虫なこの男に、凄まじい力を与えるのだ。
「あきらめないぞー」
テスはぼそりと呟き、ゆっくりと立ち上がった。
「おれはあきらめないよ、ユキちゃん……!」
夕日をあびて、振り上げた拳が赤く燃える。
嗚呼、テスよ。
なにゆえ、お前は立ち上がるのか。
「それは、愛ゆえだぁぁぁあ────!」
余談だが、テスがバクスクラッシャーに戻ることを許されるのは、
これから数週間も後のことである。