TIME LIMIT~嗚呼、愛ゆえに~
01
『待ってるから』
雪が降り積もるような、柔らかなソプラノ。
『いつもの場所で』
芯のある、強い意志を秘めた瞳。
『遅れちゃイヤよ? 必ず来てね』
「はい! 絶対ずぇっっっったいっ時間通りに!!」
時は二月。
タネキア大陸の小さな港町。
男テッシェルナ、誓いの拳を天高く振り上げるのだった。
TIME LIMIT
~嗚呼、愛ゆえに~
~嗚呼、愛ゆえに~
ああー おいらのあの子は町娘ー
橋のうえで落としたハンケチ 拾ってわたしたー
海賊船バックロー号。
その二層目にある三号船室に、調子っぱずれな歌が響きわたる。
「ふんふふーん。わかっているよーわかっているさー。あの子の気持ちー」
歌い手はやけにご機嫌なテスだ。
「らんららーん。わかってよーわかってねー。おいらの想いー」
パタパタパタパタッ。
「……けほけほっ」
「あっあー。まるで、まるで、おいらの胸はー破裂寸前ダイナマーイ!」
バッサバッサッ。
「ふげほげほ!」
「えぐしゅ……っ」
「タイムリミットまで、あと何秒ー? スリー、トゥー、ワーン……ッドカーン!」
バンバン、ポキィ! ガンガン!!
「なにが爆発したの? ってー、おいらのハートに決まってるさ、ベイベー!」
「……っ爆発してんのは、オレらの怒りだこの馬鹿がぁああああ!」
バコーン!
小気味よい音とともに、テスのひょろっとした体が高速で吹っ飛び、雑巾のように壁にべちゃりと叩きつけられた。
「い、痛いじゃんか、ログゼ!」
鼻血と涙をまき散らして、テスは勢いよく振りかえる。が、目の前にドンッと仁王立って怒りに震えている同室の船員ログゼを見つけると、テスは思わず後ずさった。
「ど、どったの、ログゼちゃん、怖い顔して……」
ログゼはにっこりと笑った。
「ははは、どうしたんだろうねぇ。もしかしたら、てめぇが掃除してんだか埃まき散らしてんだかハッキリしやがれって感じにハタキ振りまわして、その埃でオレら同室の人間にくしゃみの被害を与えておきながら、それを無神経にも露とも気付かず、勢いあまってハタキの柄を折っておきながらもそれすらも気付かずに、もはや棒でしかなくなったハタキで棚をガンガン叩きつつ、ゾウが鼻提灯ふくらますがごとく下手でクソな歌を、しつこくねちっこく歌いつづけていることに、腹たちまくってんのかもなぁ?」
テスは冷やかなログゼの微笑みを真正面から受けて、口もとを引きつらせた。ずるずると後ずさるうちに、手が折れたハタキに当たった。テスはそれを掴むと、何がしたいのか顔の前に掲げて十字に交差させた。
「あ、あはは……。ドラキュラめー。はたき伯爵が成敗いたすー、なんちゃって」
「はは。ハタキね、ハタキ」
「そ、そう、ハタキハタキ」
「はははははは」
「……はは……」
「ははははははははははははは」
テスはとうとうログゼの微笑みに屈して、ゴンッと床に頭を叩きつけた。
「すみませんでした!」
「分かればよろしい」
ログゼはふんっと偉そうにふんぞり返りながら、満足そうに数度うなずいた。
「……けほ。……今日はずいぶん、……けほけほ、ご機嫌だね。どうしたの?」
充満した埃にむせかえりながら訊ねたのは、同じく同室の仲間ラスだった。
「ほほほ、分かります?」
「分からない方がヘン……。ハタキ持って踊り狂って掃除してれば、バカでも分かるよ……」
「しかもアンポンタンな歌うたってりゃあな。どうせユキちゃん関係だろ」
寝棚に勢いよく寝転がったログゼは、右足の親指で左足の股を掻き、鼻をほじりつつ、大して興味もなさそうに呟いた。一方テスはログゼの態度を気にも止めず、「ユキ」の二文字にでれーんと笑った。
「ピンポーン!」
ユキというのはテスの愛しの彼女の名だ。タネキア大陸の小さな港町に住む少女で、しっかり者のタネキア美人である。
テスの彼女に対するくどいほどの深い愛は、バクスクラッシャーでも周知の事実だ。
「実はさ、実はさ、ユキちゃんってば初めて向こうからデートに誘ってくれたんだよーん!」
幸せに浸りきったその台詞に、ラスもログゼも驚いて目を丸くした。
「へぇ、あのユキちゃんが!」
「それは、おめでとう」
「あっりがとう!」
テスはぽりぽりと頭を掻くと、はにかみ顔で折れたハタキを抱きしめた。
「ていっても、デートっていうか、渡したいものがあるって言われたんだけどね」
「渡したいもの?」
ラスは首をかしげ、ログゼと視線を交わす。ログゼはしばらくして、あ、と手を叩いた。
「そっかあれだ。お前、もうすぐ誕生日だっけか。この間からしつこく言ってたよな、聞きもしねぇのに」
「うん! もうすぐっていうか、今日! この前会ったときに、オレの誕生日の日の5時に町の広場で待ってるって言われて……。今日がとうとうその日なんだよぉん! っあぁーん、幸せー! 「幸せ」はケナテラ大陸の古い言語で、「ユキ」って書くんだよー」
ゴロゴロゴロゴロ。テスは顔を赤くして、ハタキを抱きしめたまま床を横転し始める。
「あぁ! 幸せすぎて、目が回るぅー!」
「……」
ラスとログゼはどちらからともなく、テスから視線を逸らした。手近な本を手に取り、読むともなしに読みはじめる。長い付き合いだ。こういう時は関わらない方が良いのだと、本能が知っているのだ。
「あ!」
と、テスが突如立ち上がった。二人はいやいやそれを見上げる。長い付き合いだ。こういうときはさっさと関わってやらないと、聞いて聞いて攻撃が始まることを、本能が知っているのだ。
「……どした?」
「オレ、船長に呼ばれてるんだった! 行ってきます!」
言うなりテスは体当たりで船室の扉を押し開き、スキップで外に飛び出していった。
扉がゆっくりと閉まる。
廊下の方から何かをひっくり返したような音が聞こえ、罵声が聞こえ、それが遠ざかってようやく、室内にいつもの静けさが戻ってくる。
「……」
「……」
ログゼは大きく欠伸をして枕を抱え、ラスはハタキを直そうとして紐を探し──同時に顔を上げた。
「あれ?」
「今日って……」
二人は互いに顔を見合わせる。
そして同じことを考えているだろう相手と、言葉もなく苦笑を浮かべあうのだった。
AM7:10
コンコココンコン、コンコン。
リズムを付けて船長室の扉を叩くと、少々白けた沈黙の後、おう、と応答があった。
「失礼しまーす、テスでーす」
勢いよく扉を開け、テスはてってけ船長室に入った。
船長室の住人は、机に向かって熱心に勉強をしている船長のラギルニットと、その隣で椅子に腰かけ、本を読みながら教鞭を振るう副船長ホーバーの二人だ。ラギルニットはどうやらリスト語の勉強をしているらしく、何かの文字を紙に書いては元気よく音読していた。勉学に励むラギルニットに代わり、ホーバーがテスを迎える。
「来たな」
「アイアイ・サァ! お仕事のお話?」
テスは船で唯一の船鐘係である。島を発見した時や、嵐の到来時に、鐘を鳴らしてそれを知らせる、あるいは定期的に鐘を打つことで、船上に時刻を作ることが彼の仕事だ。一見地味な仕事だが、航海や船の上での仕事は全てこの鐘を基に行われている。実はとても重要な仕事だ。
「今日は正午を半回ったら、臨時で鐘を鳴らしてくれ。縫帆の作業、一斉にやるから。あと……」
ホーバーが幾つかの仕事を言いつける。正式な船長はラギルニットだが、まだ幼く知識不足なラギルに代わって、指示のほとんどはホーバーが出しているのが実状だ。
「任せた」
「はーい。……ところで、副船長。あのさ、一応確認しとくけど、今日って五時には港町に着いてるんだよね?」
テスの唐突な質問に、ホーバーは再び読みはじめた本から顔を上げた。
「何で?」
「何でって……いやん、野暮! 着くんでしょ?」
ホーバーは、紅潮した頬を両手で包んでくねくね身をくねらせるテスを、呆れた様子で見上げた。
「……朝、話聞いてなかったな?」
「え?」
息を一つついて、ホーバーはラギルニットの座っている椅子を、船長ごとテスの方に回した。ラギルニットは書き取りをしていたそのままの恰好で、首を傾げてホーバーを見上げた。
ホーバーは穏やかな表情を、唐突にキリリと凛々しくさせる。
「ラギルニット船長。この者にむこう一週間の予定を教えてやって下さい」
ラギルニットはパァッと顔を輝かせてから、同じように表情を渋くさせ──渋みは全然ないが──顎を指で撫でて、うなずいた。
「うむ。今回は通常の日程に二週間を加え、久びさにトゥーダ大陸南群島の方へ向かおうと思う。タネキア大陸に帰るのは往路込みで一ヶ月後になろう……」
「ありがとうございました、船長」
「うむ。しょうじんせぃ」
ホーバーはクツクツ笑いながら、再び椅子を机の方に回転させた。ラギルニットは何事もなかったかのように、また発音と書き取りを始める。
「って朝の集まりでも言ったぞ」
そういえば、そんな事も言っていた気が。
テスは呆然として、立ち尽くす。
(一ヶ月? 一ヶ月って……)
待ってるから。誕生日の日の五時きっかりに……。
「も、戻ろうよ」
素っ頓狂に裏返った声で言うと、ホーバーはおいおいと苦笑を浮かべた。
「戻るったって、もう海流にのっちまったし食料も買いこんでるしな。……何か大切な用でもあったのか?」
大切なって、そりゃ大切さ。
ユキちゃんが初めて誘ってくれた。待ってると言った。
彼女は時間や約束を守らない事を、何より嫌っている。
嫌っている。――嫌われる。
「……テス?」
みるみると青ざめてゆくテスを、ホーバーは不安げに見る。嫌な予感が走った。
いやな予感が……。
「ぐわああああ!?」
「──!?」
突如テスは頭を掻きむしって雄叫んだ。かと思うとガバチョと身を翻し、ズガーンと扉を殴り開け、鬼の形相で船長室を出ていってしまった。
「な、なんなんだ……」
乱暴に開けられ、ゆらゆら揺れるドアの向こうに青空を見つけ、ホーバーはポカンと呟く。後ろでラギルが、
「愚か者」
と、覚えたばかりの単語を音読した。
「一ヶ月!? 一ヶ月だとぉー!?」
テスはダッと駆け出し、甲板を突っ切る。
「テ、テス?」
甲板で働いていた水夫達が、異様な様子で暴走するテスをぽけっと見やる。彼らの視界の中で、テスは自らの天職である船鐘の元にたどりつくと、その鐘内から垂れる紐をがむしゃらに引っ掴んだ。
──カンカンカンカンカンカンカン!!!
「ちくしょー! 船長命令だぁあ! 船よー止まれぇえ! 止まれぇぇぇっ! とまれーぇええええぇえぇえええぇうほおおおぉぉぉぉおおおおぉっっ!!」
数秒後テスは甲板にいた水夫達によって、船長室へと引きずられてゆくのだった……。