CURTAIN CLOSE!!
雷鳴轟く、丑三つ時のバックロー号。
船内二層目の隅にある「実験中につき愚民立入禁止」という注意書きが掛けられた扉を開けると、薄暗い船室が姿を現す。床にはビーカーやらフラスコの類が所狭しと並べられ、紫だの緑だの蛍光色の液体がグツグツと不気味に沸騰している。中央に置かれたテーブルには雑然と積み上げられた書物。「正しい人体実験の方法」だの「被験者の確保に必要なのは網か檻か虫籠か」だの読む気が削がれる題名がついていた。
そんないかにも狂科学者的な船室で、今、興奮に震えた笑い声が沸きあがった。
「ふ、ふふ、ふははは! ついに、ついに完成したぞ……!!」
科学世界に君臨する変態たちの申し子、船大工のメル博士である。メルは体育教師も真っ青な完璧すぎるブリッジ体勢で、要するに頭が床につくほど背を仰け反らせて高笑った。
「世界よ宇宙よ無能なる神々よ! 呪うならば呪えこの天才的頭脳! ついに完成したのだ、長年研究を続けてきた恐ろしき悪魔の発明品が……! 嗚呼、歓喜に打ち震えるがよい私の可愛い実験体よ! 今夜は離さぬ……貴様の臓器、離してはやらぬぞ……!
ふふ、ふははははははははははははははははははは!!
ふははははははははあ――――!!
ふはははははははは―――!!」
ふぁ――っはっはっはっは――…………!!(エコー)
ぱちっ。
同時刻、船室3号室の寝棚で眠っていた船医のクステル=フォルロイツ=リーファント・レムアは、強烈な悪寒を覚えて目を覚ました。枕にしがみついて慎重に室内に目をやれば、同室の仲間がハンモックやら寝棚に寝転がって思い思いに熟睡している。外は大荒れの天気らしく、時折、地響きのような雷鳴が轟いていた。
「……夢ですか」
クステルはほっと息を吐き、再び枕を抱えて寝転がった。
「フィーラロムさん……」
目を閉じると口元が自然と緩んだ。いい夢の途中だった。彼同様、船医を務める麗しの女性フィーラロムが自分に微笑みかける夢だ。ああ、なんて美しいんだろう。二人の子持ちだって関係ない。人妻なんて事実もどうでもいい。僕は…僕はフィーラロムさん、あなたの輝く笑顔を見つめているだけで幸せなんです……!!
と、素の文とクステルの独白とが入り混じりはじめた時、
どかーん!!!
何の前触れもなく船室の扉が爆発した。
「っ!?」
クステルは今度こそ飛び起きた。慌てて顔を上げると、鼻先を妙に芳しい匂いがかすめた。匂いの源を探るように爆発した扉に目をやった彼はぎょっとする。もくもくと湧き上がる煙の中で、パタパタと団扇をあおぎ、魚を網焼きするウグドがいた。
「―――」
「うざ太郎ちゃん。遊んでないでお皿を準備してちょーだいであります」
山中で厳しい修行に励む苦行僧のような、苦吟に満ちた渋い顔。砂漠を行く隊商のようなターバンとマント姿は海の上ではおよそ不適当。存在自体が違和感だらけな中年船員ウグドは、白い割烹着の袖で額の汗を拭い、艶かしい手つきでほつれた髪を直した。その妙に堂に入った一昔前のお母ちゃんっぷりに、クステルは一瞬、本当に皿を準備しかける。
「………て、違います! な、何してるんですか、修行僧さん」
ウグドが変態なのはいつものことだ。だがこんな真夜中に船内で魚を焼くなど正気の沙汰ではない、というか意味が分からない。しかしウグドは問いかけを無視していきなり立ち上がると、未だ呆然としているクステルの首根っこを鷲掴み、仔猫を運ぶ母猫の勢いで廊下へと飛び出した。
「う、うわ!?」
ようやく事態を把握した――いや、というかまったく事態は把握していないのだが、とりあえずウグドに誘拐されたことだけは理解したクステルは遅まきながら悲鳴を上げた。しかし抵抗を試みるには存外目的地が近かった。ウグドは二つ隣の船室の扉をノックもなしに押し開けると、クステルのひょろっちぃ体を室内へと放り投げた。
「……っい――な、何するんですか、修行僧さん!」
床を額で二十センチほどスライディングしたクステルは、半泣き状態でうずくまる。
「あやつを責めるでない、うざ太郎よ」
その時、不意に頭の上からウグドのものではない声が降って来た。え、とわずかに顔を上げると、ピンク色の革靴が視界に飛びこんできた。
「私が貴様を連れてくるよう頼んだのだ。ご苦労であったな、修行僧。きちんと船室の扉は意味もなく爆破し、魚は焼いただろうな?」
「ハッ。メル博士のお役に立て、不肖このウグゼード=ヴァリス、真に光栄でありました!」
「メル博士ではない、天地開闢以来最強にして最高級のハイブリッド科学者メル博士様敬具と呼ぶが良い!」
「ハハァッ!!」
頭上をむやみやたらとハイテンションな会話が通過する。とっても逃げ出したかった。クステルはごくりと喉を鳴らすと、おそるおそると顔を持ち上げた。
案の定、そこにはバクスクラッシャーきっての大変態科学者メル博士が立っていた。
「……メ、メルさん」
「天地開闢以来最強にして最高級のハイブリッド科学者メル博士様敬具だ!」
「け、敬具は何なんですか」
「何て愚かな若造よ! 敬具は拝啓の結び言葉だ、馬鹿者……!!!」
どーん。クステルは突っ込み方が分からず途方に暮れた。
メルは無様なその反応を鼻で笑っておもむろに身を翻した。動きに合わせ、ピンク色の白衣が翻るさまが無駄にかっこいい。
「全く……貴様は乗船したその時から、いかにも海賊にふさわしからぬ男であった。このメル様がいくら誠心誠意に指導してやろうと、貴様のギャグセンスと変態度はまるで向上せん。私はやる気があるのかと問いたい、うざよ! そもそもいち早くバクスクラッシャーに馴染みたいから、どうか僕を皆さんのような変態にしてくださいと抜かしたのは貴様ではないか!」
クステル=フォルロイツ=リーファント・レムア。彼は五十人いる船員たちの中でも一番の新参者だった。遡ることわずか二年前、商業都市アッシュクラースの大学院の優等医学生だったクステルは、最新医術を学ぶため院の学外講座を受けに来ていたフィーラロムに一目惚れし、ついには高学歴も約束されたエリート生活も投げ打って、海賊の仲間入りを果たしたのである。
しかし勢いで乗船したバクスクラッシャーは、それまでの常識がまるで通用しない非常識人たちの、つまり変態たちの巣窟だった。
毎日が事件とハプニング、飲めや歌えの宴会騒ぎな船上生活に馴染めず呆けること数ヶ月。当時8歳だった船長のラギルニットに「楽しい船でしょう。ちょっと緊張してるのかな、みんな何だか大人しいけど本当はもっと賑やかなんだよ!」と肩を叩かれようやく悟った。この世界において、非常識なのは彼らではない。自分なのである。
それまでの常識を引きずったままでは、とてもではないがバクスクラッシャーなんかやってられない。そう察したクステルは、自分も彼らに負けない位の変態になろうと決意を固めた。だが三十年近く培ってきた常識を捨てるのは容易ではなかった。変態になるべく様々な努力を重ねたが、得た成果といえば、名前が長くて鬱陶しいからという理由で「うざ太郎」という変な名前をつけられたことぐらいである。
そんなクステルに同情し、助力を買って出たのがメル博士だった。
「この二年間、私は貴様のために骨身も惜しまず知恵を絞ってきた。だがうざ太郎、貴様は未だに変態になれきれずにいる。それどころか貴様の存在感のなさときたらフェルカにも劣るわ! 笑止千万! それで我らが船上の乙姫フィーラロムに不埒な恋心を抱くなど、片腹痛くてサロ●パスだ……!」
「……え。●ロンパスって何ですか?」
「お、愚か者! 我が偉大なる発明品、今日の疲れに貼るはサロン●スであろうが……!」
「???」
「……ま、まあよい。実は少々他社商品のパクり気味な発明品だったからな、ごにょごにょ。いや、そうではない! 今日は下らぬ説教をするために貴様を呼んだのではないのだ。そう、私はそれほど暇ではない……」
メルはピンク色の髪を揺らしながら、船室の中央を占拠する巨大な机の上に並べられた道具を、ひぃ、ふぅ、みぃと確認し始めた。クステルは道具というより器具と呼んだ方が正しそうなそれらを不安げに見つめる。
「あ、あの、それじゃあ何のために……」
切っ先光りまくりなメスとか太すぎな注射針とか、どう考えても楽しげなものは一つもない。メルはそんなクステルを感情の読めぬ眼差しで見つめると、
「ウグド助手」
不意にぱちんっと指を鳴らした。
「イエス、マム」
暗がりに控えていた何故か白衣姿のウグドが、ビニール手袋を両手に装着した。クステルがぎょっと身を固めるが早いか、ウグドは目にも留まらぬ速さで背後に回ると、彼のひょろい体を羽交い絞めにした。
「しゅ、修行僧さん……!? って、メメメメルさん!?」
目を剥くクステルの前に、メルが台車付きの手術台を運んでくる。無機質な寝台の両脇には革ベルトと用途不明な吸引機が設置されていた。
「な、何でこんなものがバックロー号に……」
「うざ太郎、その発想が常識的且つ貧弱だと言うのだ! 貴様は分かっていない。たまには“つるつるな表面が気持ちよさそうですね、おいくらですか? まぁ安い! 今なら本革ベルトもついてきます! でもいらない!”などとフォローのしようがない意味不明なギャグの一つや二つほざいてみよ!」
「え……、って、う、うわ、何するんです!?」
本当にフォローのしようがなくて絶句している間に、ウグドがクステルを手術台の上に押し上げ、職人技な素早さで両手両足をベルトに固定した。その段になってクステルはようやく身の危険に気がつき、顔を引きつらせた。
「…な、な――メ、メメ、メルさん。これは一体……?」
メルの眼鏡が光る。
ウグドのつぶらな眼が光る。
「さあウグド君。楽しいオペの開始だ……」
船窓の向こうで稲光が走るとともに、メスがギラリと輝いた。
「っっひぇええええ―――――!!!」
「ふははははははは! ウグド助手、メス三本とドリルを用意せよ!」
「はい、メル先生」
「大丈夫。怖くない怖くなーい……はい、お口を大きく開けてごらーん……」
「うざ太郎殿、お人形さんであります。コンニチワ。アタシ、ウグドチャン」
「っウギャ―――――!!?」
ギギギギギギガガガガガガッ。
「ふふふ……ふは……っははははははは! さぁ唸れ、激しく泣き叫べ、私の可愛い器具どもよ! 今こそお道具箱から飛び出し、憎き人間どもを血祭りに上げる日ぞ……!!」
「アタシ、ウグドチャン。ウザタロウ殿ノ嫁ニナルノガ夢ナノヨ。……おお、うざ太郎殿、隅に置けないでありますなぁ。ウグドちゃんは村一番の美女ですぞ」
「っひぃいいい―――――ッ!!?」
「うざ太郎、痛かったら右手を上げるがよい! そしていっそ左手も上げるがよい! 左手上げて、右手下げて、左下げて左上げて右上げないで左下げて、両足上げたらさあ、手の状態は!?」
「斜め上35.6度であります」
「愚昧な修行僧! もう一度フンドシいっちょで滝に打たれてくるがよい! 正解だ! ……ウグド助手、スパナ。そしてサ●ンパスを我が腰に」
「はい、メル博士」
ペタ。キュイーン。
「メ、メメメルさん、スパナが、スパナがキュイーンって鳴ってますぅ!?」
「はぅあ……! ど、どうしたことか、嗚呼、恐怖に悶える貴様を見ていたら何だか……」
「アタシ、ウグドチャン」
「興奮してきたではないか……!!」
「ひ、ひぇぇえええええ――っ!!?」
「ハァ、ハァッ、もっと悶えろ更に喘げ! 痛みの中に入り混じる快楽に罪の意識と自虐的な悦びを覚えるよ、さぁこのメル様に更なる官能とオーガニズムを……!」
「アタシ、ウグドチャン」
「ふ、ふふふ、ふははは!」
「アタシ、ウグドチャン」
「ふあーっはははははははははは!!」
「アタシ……」
「ふはははははははははははは……!」
「っ誰か助けてぇええ―――――――……!!!!!」
必死の絶叫も空しく、変態海賊どもが飛び起きて助けに来る気配は全くなく、狂気の謎オペは夜明けまで続くのだった。
前日の雷雨が嘘のようにカラリと晴れた翌朝。
女医フィーラロムを前に、メル博士はピンク色の丸眼鏡をギランッと輝かせた。
「おはよう、フィーラロム。突然の呼び出しをまずは謝罪しよう。今日はどうしても見せたいものがあってな」
場所は医務室。椅子に腰かけたフィーラロムの前には、天井から吊るされたカーテンが部屋を分断している。
「これまで数多くの偉大な発明品を世に輩出してきた私だが、今日ほど自分の才能を呪ったことはない。言うまでもなく、昨夜我が灰色の頭脳が生み出したのは歴代発明品の中でも最も忌むべき物体……」
言いながら、メルはカーテンの上部から垂れ下がる一本の紐を手にした。
「だが私は負けたのだ。あの男の熱意に私は屈してしまった。愛しいフィーラロムのため、変態になろうと必死に努力する男の虚しすぎる心意気。あまりの痛々しさに私の有能な涙腺からは涙が溢れ出し……嗚呼、そうなのだ! 我が恐るべき発明品はあの変態になりたくともなりきれなかった男を、ついに本物の変態に変えてしまったのだ……!」
くぅっと涙を拭って、メルは紐を握る手に力をこめた。
「それではとくとご覧あれ! おぞましき我が発明品によって徹底的に改造を施され、変態へと生まれ変わったうざ太郎をいや待てもはやうざ太郎など可愛らしい名前では呼ぶまい! 私は愛をこめて貴様をこう呼ぼう……ド・変態野郎、と!!」
そしてメル博士は勢いよく紐を引いた。
「カーテンッ、オー……ップン!!」
ガラガラガラー。
ちゃちな音をたててカーテンが全開になる。
そして開かれたカーテンの向こう、無表情にクラッカーを鳴らしたウグドの側に立っていたのは、バニーちゃん姿のクステルであった。
「………」
「…………」
「………」
ぴこーん。
謎の音響効果とともに、頭につけた垂れ耳が脳天でハートの形を描く。
「…………」
「……………」
「………」
どうにもならない感たっぷりな空気の中で、自然、全員の視線がフィーラロムに集まった。船上の天使と詠われる心優しきフィーラロムは、期待度マックスな視線の集中砲火を浴び、え、と優美な口許を引きつらせた。
「えっと………」
「…………」
「…………」
「……あの……その…」
「…………」
「………」
「……う、うん……すて……き、ね……、クステル……」
「…………」
「………」
「……………」
リアルに引きまくっているフィーラロムと、中途半端に醜態をさらしたバニー姿のクステルとを交互に見つめ、メル博士はおもむろに紐を引っ張り直した。
「……カーテン・クロォーズ」