床屋をしましょう
朝、目を覚ますと、髪の毛が首に絡まっていたりする。
「……おー、死ぬとこだったわー」
毎朝がロシアンルーレットなガルライズ、通称ダラ金は今日も無事に目を覚まし、あくびまじりに寝棚から身を起こした。寝ぼけ眼のまま、首にぐるぐる巻きになった自分の長い金髪を、ワシワシとむしりとる。
ワシワシワシワシ、ぐいっ。
「んん?」
「ギャーッ!」
自分の髪をいーとー巻き巻き、巻き取っているつもりが、気付いたら違う色の髪が手に絡まっていた。ついでに隣から悲鳴まで聞こえてきて、ダラ金はきょとんと掌のピンク髪を見下ろした。
「痛いじゃないの!」
視線を横に向ければ、自分の隣に、ピンク色の髪をした女が一人、寝そべっていた。
「……何してるのかしら、メルちゃんは」
だらだら嫌な汗をかきながら問いかけると、メルはガバッと身を起こし、なぜか威張った。
「何って、天才的学術見地に基づいた実験をしてるに決まってるじゃない! 分かったら、とっとと髪の毛をお放し!」
さっぱり分からないダラ金は、苦悶に眉を寄せ、ピンク色の髪をねじねじ三つ編みにする。
「えーと、昨夜昨夜。……昨夜はわたくしたち、何かあらぬことがあったりしましたのかしら。あなた様をマイベッドに連れこんだ記憶がさっぱりないのでございますが」
メルは、ダラ金が自分の髪を器用に編んでゆく様を研究者の目で観察し、フンッと鼻で笑った。
「安心おし。ただ私の研究者魂が、真夜中の丑三つ時、突如として悲鳴を上げたのよ。ダラ金のあの長ったらしい髪の毛は、朝起きたら、どういう寝癖がついているのかしら。気になる、気になるならば観察せよ! これは私の天命であり我が生命に与えられた宿命とも言うべき任務なのよ!」
「じゃ、じゃあ大丈夫なのね。俺、まだバージンなのね?」
「ええ。堂々とバージンロードを歩いて、お嫁に行っておしまいなさい」
ほーっと胸を撫でおろすダラ金に、メルはギラリと目を輝かせた。
「そんなことよりも――」
スチャッと色眼鏡を鼻に乗せ、ダラ金の髪に食い入るような視線を向ける。
「よいか、貴様の髪はもともと乾燥型なのだ。しかも長年、強い潮風と日光を浴び続け、すっかり傷みきっておる……分かるか、ガルライズよ。分かるか、皺の少ない貴様の頭脳よ。要するに、ぱさ、を通り越して、ぱさぱさの状態なのだ。否、もはやぱさぱさですらない、とどのつまり貴様の髪は、ぱさぱさぱさ、なのだ!!」
メルはぐわしっとダラ金の胸倉を掴みあげると、力説する勢いのまま、ダラ金を寝棚に押し倒した。とってもいやんな展開に、ダラ金は「逆! むしろ逆ー!」と、役得半分、恐怖半分の泣き笑いで後ずさる。
「むむ、なぜ逃げる!? 怖いのか、そうか、自分の寝癖にまつわる真実を知るのがそんなに怖いか! 分かる、分かるぞ、いよいよ目の前に真実の扉が開いたとき、天才的頭脳の持ち主であるこのメル様とて足が竦むものよ。だが安心なさい、私の可愛い私の実験体よ! 痛いのは最初と、半ばと、そして最後だけだ! ハァハァ……!」
「あははははは、とりあえず痛いのねー!?」
メルはふんっと鼻を鳴らすと、彼女を変態科学者に変化させる色眼鏡を自ら取り去り、普通のメルに戻って、あっさりとダラ金から離れた。
「ま、要するに、ダラの髪って乾燥しすぎてて、寝癖になるほど弾力性がないのよね。ううん、これは今後の最重要研究課題だわ。寝癖がつかない人間に、どうすれば自然な寝癖を提供できるのか。難問ね」
成功しても誰も喜ばないだろう研究課題を、真顔で、ぶつぶつ論じるメルである。
どうにか貞操を守りきったダラ金は、やれやれと肩を落とした。朝っぱらから、心臓に悪い。
「あら?」
ふと、こちらに背を向けるメルを見て、ダラ金は眉を持ち上げた。
「へー。メルちゃん、けっこー髪の毛長いのねー」
三つ編みにされたメルの髪の毛は、背の中ほどまであった。普段は二つ結びにしているせいか、気づかなかったが、こうして見ると意外に長いことに気がつく。
メルは目をぱちぱちさせ、ピンク色の髪をつまみあげた。
「そう? あなたよりは短いと思うけど。……でもそうね、最近、ちょっと伸びすぎた感があって切りたいなーと思っていたところなのよ――あ、そうだ!」
メルがいきなりパンッと手を叩いた。
「いいことを思いついたわ、ダラ」
「……俺は嫌な予感がします」
「お黙り、寝癖もできぬパサ男が。――いいこと? あなたは即刻、顔を洗って、髭をそり、寝間着を着がえたら、甲板に椅子とはさみを用意し、私の髪を切りなさい!」
メルはやけに得意げに、顎をそらした。
ダラ金は予想に反して、良いことでも、悪いことでもなかった提案に、首をかしげた。
「髪の毛を切る? 俺が? メルの?」
「そう! 言っておくけど、深い意味はないわ! しいて言うなら、天気がよくて、暇だからよ!」
ダラ金は、丸窓の外に目を向けた。
外は、確かにいい天気だった。
甲板に椅子でも出して、床屋をやったら、気持ちいいかもしれない。
「そうねー……そんじゃまぁ」
青空からメルのピンク色に視線を戻して、元来ノリのいい性格のダラ金は、陽気に笑った。
「二人で、床屋さんごっこでもしますか」
言われた通りに顔を洗って、髭を剃って、服を着替えてから、ダラ金は甲板に出た。
外は、窓から見えていた通りの快晴だった。昼になれば暑さがこたえるだろうが、朝靄が晴れたばかりの今はまだ日差しも柔らかく、空気も清涼だった。
ダラ金は大きく伸びをすると、船倉から運んできた椅子がわりの木箱を、甲板の真ん中に置いた。
「うーん……」
置いてはみたものの、あまり床屋の椅子っぽくない。ダラ金は釘とトンカチを取り出すと、船体補強用の板を、背もたれがわりに打ちつけた。
カンカーンと、無人島の静かな湾に、硬質な音が響きわたる。
「とんとーん。客ですよー」
木箱が椅子らしくなったところで、船室からメルが出てきた。
ダラ金は医務室から持ち出したハサミと、櫛とを地面に並べ、邪魔な金髪を紐でくくりながら、「いらっしゃいませー」と笑顔を浮かべた。
「あれ、お久しぶりです、メルさーん。いやぁ、最近来ないから、どっかほかの店にいい人でもできちゃったかと心配してましたよー」
軽いノリの美容師を演出すると、メルがいきなりピリッとした空気を発した。
「……駄目。まるで、駄目」
「え、だめ? いそうじゃない?」
「私の好みじゃないわね。私の理想としているのは、ノリの軽いイケメン美容師じゃないの。頑固一徹な、老舗的床屋の親父なの。無口で、不精ヒゲを生やした、この道うん十年、野球少年なら誰もが一度はお世話になる、丸刈り五分刈りはお手の物な、おれ親父の跡だけは継がないからなっと息子に言われてそうな、そういう親父なのよ。はい、やりなおし」
メルは手を一つ叩いて、くるりと船室の中に戻っていった。
ダラ金は「髭、剃れっつったのメルちゃんよ」とぼやきつつ、自分の髪の毛の先っぽを少しだけ切って、船大工が使う簡易接着剤をぺたぺた貼り付けると、ヒゲがわりに鼻下と顎に貼りつけた。
「とんとーん。お客さんですよー」
メルが船室の扉をふたたび叩いて、甲板に出てくる。
ダラ金は目を伏せ、にわか顎ヒゲを指で撫でると、手にしていたハサミをジャキンッと鳴らした。
「よう、嬢ちゃん。座んな」
木箱と板で作った簡易椅子をくるりと向けると、メルはようやく満足して腰を下ろした。
「久しぶりね、親父さん。今日はそうねえ、髪の毛が重たくなってきたから、軽く梳いて、毛先を切ってもらおうかしら。ああ、シャギー入れるのも忘れずに」
にわか床屋のダラ金には、「髪の毛、梳いて」と「シャギーを忘れずに」は、なかなか無茶な注文である。というか、丸刈り五分刈りの床屋の親父にも無理なのでは、と思う。
仕方ないので、ダラ金は大きめの布をばさりと広げ、メルの肩にかけると、ふっと渋く笑ってみせた。
「やめときな。無骨な俺にできるのは、切る、また切る、それだけだ」
「カァッ、痺れるッ! やるじゃない、ダラ金!」
「カァッ、ってどっちが親父よ」
ダラ金はメルの三つ編みを丁寧にほどき、一束だけ左手に取った。櫛を通すと、空から降りそそぐ陽光が、ピンク色を宝石のように弾かせた。
「あらま、きれい。お客さん、髪の毛きれいアルねー。ピンク色、ピカピカよー」
「何その、嘘くさいケナテラ人の物真似は! 馬鹿にしないでほしいわね! 面白いじゃないの!」
「メルって、笑いのツボずれてるよな。――はい、こっからは動かない。首切っちゃうわよーん」
「切ったら、切りかえすわ。自動でね」
「……ぜんぜん意味わかんないのに、今、すっげぇシビれた」
ダラ金は、素直に動きを止めたメルの髪に、ハサミを通した。
ざくり。ぼとっ。
「……あ、やべ」
「……もしもし、もしもし、ダラ金隊員、至急中間報告せよ。何をしでかしたのかしら」
「いや、まー、ここをこうすれば、こうなんとか……うーん、う、うーん? ……ま、いっか」
「――喜びに咽び泣きなさい。あなたを、私の実験体D-084番に認定してあげるわ。ちなみにDとは、デンジャーのD、数あるの中でも最も危険度の高い実験の、被験者のコールナンバーよ」
「すみません、なんとかします。許してください」
そんな軽口を叩きながらも、次第にハサミの音は不器用なものから、安定したものに変わってゆく。
ちょきちょきちょき。その優しい音と、頭を撫でるダラ金の手の暖かさに、くすぐったいような心地よさを感じて、メルは目を閉じ、ふっと笑った。
「いい天気だわねぇ、ダラ」
「そうだねー」
「あなた、本当に床屋さんになれるかもよ」
「そ? んじゃ、海賊やめたら床屋になるかな」
「あら、いいじゃない。それで、息子に親父の跡だけは絶対継がねぇ、て言わせてやんなさい」
「あー、そんじゃ、そんな生意気な口叩くのは百年早いわ、って言いかえしてやるわ」
メルがくすくすと笑う。ダラ金もハサミを動かしながら、クツクツと笑う。
「……ねー、ダラ金さー」
「んー?」
ちょきん、と、目を眇め、毛先の長さをそろえながら相槌をうつ。
「あなた、父親になった自分の姿って想像できる?」
「――っうおっとー……!」
危うく自分の指を、ハサミで切り落としそうになるダラ金である。
「メ、メルさま、本当に昨夜、何もなかったですのことよね!?」
「安心なさい。あなたとそんな関係になることは、天の柱が崩壊して空が地上に落ちてこようと、亀がドーピング効果で兎に勝って全国マラソン大会に優勝しかけたところで猫に足引っかけられて「えー! ていうかおまえ誰!?」なビックリ大どんでん返し的展開になろうと、決して決して、ありえないわ」
きっぱりと言い切るメルに、そこまで否定されるのもどうなんだろう、とダラ金は遠い目になる。
「ただ……、私、想像できないのよねー。自分の未来のことって」
メルは困った顔で、唸りながら腕組をした。
「この間、ミンリーやリーチェともそんな話をしたのよ。結婚がどうとか、子供がどうとかとか、将来はどこに住みたいとか、自分の店を開きたいとか。でも私、そういうの全く想像できないんだ。誰かの奥さんやってるとも思えないし、母親になってるとも思えないし。まあ、天才科学者として世界に名を馳せているのは当然としても」
「あー、まーねー」
「そこ、適当に流さないように。……どう考えても、十年後も、二十年後も、バクスクラッシャーにいて、今と同じ生活している自分しか想像できない。けどもしかしてその時、もう誰も船に残ってないのかな? 私、もしかして一人ぼっち? そう思ったら、何か、ね……」
ハサミを手元で回転させて、ダラ金はしばらく無言のままメルの髪を切る。
不安そうに揺れている頭。それを掌で感じて、ダラ金は苦笑した。
「……まあ、他の奴らがどうしてるかは分からないけど」
ダラ金はハサミをズボンとベルトの間に刺し、笑って、メルの肩にかけた布をばさりと払った。
「とりあえず、俺とメルちゃんは、十年後もこうして、床屋さんごっこでもしましょうや」
切られた髪が、ピンク色の羽毛のように舞って、きらきらと光を放った。
「はい、できましたよ、お客さん」
メルは軽くなった自分の髪を手で撫で、満足気に微笑んだ。
「よろしい」
朝、目を覚ますと、髪の毛が首に絡まってたりする。
「……おー、死ぬとこだったわー」
毎朝がロシアンルーレットなダラ金は、今日も無事に目を覚まし、あくびまじりに寝棚から身を起こした。まだ寝ぼけ眼のまま、首にぐるぐる巻きになった自分の長たらしい金髪をワシワシとむしりとる。
ワシワシワシワシ、ぐいっ。
「……」
ダラ金は、ふらりと頭を抱えた。
「だからあのね、メルちゃん。一応俺おとこのこなんで……」
「もう少しなのだ! あと少しで貴様の寝癖のメカニズムが完璧に解明できるのだ……! ああ、動くなそこ、バ――馬鹿者! 動くなと言うに!!」
「……とほほ」