船大工的夏の風物詩

 突然だが、タネキア大陸の夏である。
 タネキアは常夏の大陸だが、一応四季らしきものが存在する。よって、暑いなりに暑い夏が来るのである。
「あぢィ……」
 甲板の上に蜃気楼でも見てしまいそうな暑さの中、ワッセルは本日何度目とも知れない呟きを落とした。
「暑くなるから、暑いってゆーなー!」
 バコーン! 
 すかさず、少し離れた位置にいるキャエズから、罵声とともに板切れがふっ飛んできた。
「……ハァ」
 しっかり脳天に命中した板切れ。しかし怒る気力が一向に沸いてこない。ワッセルは舌をだらりと出して、だれきった溜め息を吐き出した。
 暑い。
 容赦なく、暑い。
 ──というのに、何故この炎天下の中、甲板整備などせにゃならんのだ……。
 そもそも最初に「今日は甲板の整備を行うぞ」と言い出したのは、船大工長のラヴじいさんだった。止めりゃあいいのに、船大工長補佐であるシャークが、勇ましいところを見せようとしてか、「そうっスね! 夏は汗をかいて、ハッスルっス!」と同調したのが、後押しとなった。
 かくして船大工全員が、甲板の上をゴキブリよろしく這いずりまわって、消え行く意識の中、甲板の補修必要箇所をチェックするはめになったのである。(当のラヴじいさんが、高齢を言い訳に、甲板の隅でパラソルを立てて涼んでいるのが憎らしい)
「……ふ……ふふ」
 不意に左手から、くぐもった不吉な笑い声が聞こえてきた。ワッセルはぼーっとそちらに顔を向ける。
「ひとつぶ……ふ……ふふ……ふたつぶ……うふふ! み、み……みつぶ……っく」
 そこにはワッセル同様、熱せられた甲板に四つん這いになっている、ガルライズがいた。次々と額から落ちては、甲板を叩く自分の汗を、青い目を爛々と輝かせながら数えている。
「……しいたけっス!」
 続いて、後ろの方でそんな声があがったので、もはや惰性でワッセルは背後を振り返った。
「しいたけっス! ……しいたけ! しいたけっス! ……しいたけ!」
 背後ではシャークが、ひらすら「しいたけ」を唱えながら、甲板を手の平で叩いては、ピローン! 正解! と叫んでいる。
 ふと気づいてみると、奇怪な行動をしているのは、この二人だけではなかった。
 甲板を這いずっている船大工全員……ガルライズも、シャークも、ウグドも、ファストも、先ほどまでは正常に見えていたキャエズすらも、焦点の合わない眼差しで、何かをぶつぶつ呟いては笑っていた。
 ──暑さでイカれてやがる。情けねぇ奴らだぜ。
 ワッセルはぼんやりと、鍛錬の足りない仲間たちを嘲笑った。笑った拍子に、赤と黒の髪から大量に汗の雫が零れ落ちた。甲板にボタボタと落ちる、生ぬるい汗。それはさながら雨だった。
「雨」
 ……うふっ。
 ワッセルはほわぁんっと微笑むと、筋肉質な腕を大きく広げ、ギラギラ燃える太陽を振り仰いだ。
「恵みの雨だぁー! ひゃっほーい、もっと降れぇええい!」

 タネキア大陸記録的な猛暑に、船大工一同、敢えなく陥落。

+++

 彼らが正気に返ったのは、それから優に一時間は経過した頃であった。
 狂気渦巻く甲板に、扉の開く音が響き渡った。
「やだ、なにごと……?」
 船内から出てきたのは、露骨に嫌な顔をした、船大工の科学部門担当であるメル博士。
 彼女は地獄絵のような甲板を見回し、チラリと隅に立てられたパラソルを見やった。
 そこにはまぶたに目玉の落書きをした、寝てないふりのラヴじいさんが寝転がっていた。
「やれやれ、情けのない……」
 れっきとした船大工のくせに、一人船内で涼んでいたメルは、たいそう偉そうに溜め息を落として、肩に担いでいた四角い物体をドシッと足元に下ろした。
「はーいはい野郎共―! メル様がわざわざカキ氷製造機を作ってやったわよ! 正気に返んなさーい!」
 メルの良く通る声が、打ち鳴らされた手の平とともに、甲板中に響き渡った。
 その途端、四つん這いになって笑っていた船大工たちが、ギラン!と目を光らせて顔を上げた。
 彼らは四つん這いのまま、蜘蛛系の魔物のようにザワザワッと甲板を移動して、メルの足元へと転がりこんだ。
「メル様ぁぁぁぁ!」
「……ぎゃ──!」
 汗まみれな上、イッてしまわれた男たちに足にしがみつかれたメルは、血相を変えて彼らを蹴り飛ばした。
 すっかりカキ氷の誘惑に取り付かれた船大工たちは、蹴り飛ばされながらも「アハハ……!」と笑って、そろってメルを褒めたたえはじめた。
「くっそう、この変態メルめぇ! 粋なことしてくれんじゃねぇかよぉーう!」
「甲板整備さぼって、船室に引きさがった時は、後でぜってぇ頭カチ割ってやる変態めぇって思ったけど!」
「なかなかどうして、気がきくじゃないっスかぁ、変態のくせにぃ!」
「よ! へーんたい! へーんたい! へーんたい! それ、へーんたい!」
 変態! 変態! 変態! 調子づいた船大工たちは、手を叩いてリズムをとりながら、変態コールをおっ始めた。
「……ちょっと!」
 と、途中まで鼻高々で賞賛を浴びていたメルが、さすがに声を張り上げた。変態を叫びながら腹芸まではじめていた男たちは、ギクリッと凍りついた。ようやく調子に乗りすぎたことに気がついた。
「変態変態、言わないでくれる……?」
 深く俯いたメルの華奢な肩が、ふるふると小刻みに震える。船大工たちは青ざめ、その場を恐怖で後ずさった。
 メルは小さな手でわしっと自分の胸を掴み、ふるふると首を振って──ポッと頬を赤らめた。
「興奮するじゃないっ」
 どてっ! 
 古典的にスッ転んだ船大工たちを尻目に、メルは足元の四角いボックスを楽しげに叩いた。
「さぁて皆様! これが我が有能なるカキ氷製造機ちゃんよー。おいしいカキ氷が作れちゃうんだから!」
 なんだか打ちのめされてしまった船大工一同は、よろよろと力なく立ち上がり、震える指先で、その有能なるカキ氷製造機ちゃんを指差した。
「ま、待てよ、嫌な予感がしてきたぜ。そうさ、考えてみりゃあ、おかしい話だよな」
 彼らを代表して、筋肉マッチョなワッセルがそう言い捨てた。背後で皆がコクコクとうなずく。
「自分以外の人間は、みんな実験材料と思っているてめぇが、俺たちにカキ氷を作ってくれる、だと!?」
 ワッセルはびしっとメルの鼻先に指をつきつけた。
「貴様、何をたくらんでる!」
「人を指差すな」
 ゴン。ポキ。
「っでぇー!」
 突きつけた指に、真正面から拳をくらったワッセルは、哀れな悲鳴を上げて甲板にノックダウンした。それを無情に見下して、メルは「ふんっ」と顎を反らし、すっかり拗ねた様子でカキ氷製造機を抱きしめる。
「じゃあいいよー。あーげない。疑うならどうぞご自由にー? カキ氷はあたし一人で食べるから」
 う。
 一度カキ氷への期待を膨らませてしまった船大工たちにとって、このセリフはあまりに残酷だった。メルへの不信感も一瞬忘れ、彼らは無意識に呻き声を上げた。
「本当はこれ自分のために作ったんだよねぇ。あんたらはついで。だからヤバいカキ氷じゃ、微塵もないのにねぇ」
 メルはふるふると疑心と欲望の間で震える男たちを、意地悪の権化のような顔で眺め回した。
 その細い指が、恍惚とカキ氷製造機の側面をなであげる。
「さぁて、あんな脳みそまで筋肉詰めなムサどもは放っておいて、あたしは……」
 ふと声のトーンを落として、メルは胸元からピンクの色眼鏡を取り出し──鼻に乗せた。
「……天下無敵に冷やかなカキ氷でも作るとするかね」
 途端、冷徹な忍び笑いが、狂人科学者メルのピンクの唇から、漏れ出でた。

 地獄だった。
 それはまさに地獄だった。
 灼熱地獄か、熱風砂漠か。この世のものとは思えぬ炎天下、船大工たちは力の限りに耳を塞いだ。
「あーっははははは……! 見るがいい皆の者! このいかにも冷たそーうな銀色のスプーンを!」
 それでもわずかな隙間から入ってくるメルの狂った声に、ワッセルたちは苦悩の悲鳴を上げた。
「ふははははは……! なんて美しきかな、ケナテラ大陸伝統玻璃工芸、恐ろしく高価で手に入りにくい幻の一品だが、使わなくては意味がない! 使ってしまうぞ、たかがされどカキ氷の皿に……!」
 嗚呼、あの美しく気高い玻璃の器に、さらっさらな氷粒を山とそそぎ、なおかつあの口に含んだら冷たさが舌を喜ばせそうな銀のスプーンで、氷をさくっと掬い上げようというのか、この娘っ子は……! 
 熱せられた鉄板のような甲板の上で、男たちは仰け反って苦しみ喘ぎ、涙を流して嘆いた。
 そして、とうとうメルの神の指先が、カキ氷製造機のスイッチを……押した! 

 ガガガガガガガ……! 

 ものすごい音をたてて、製造機が起動する。
 次の瞬間、機械の正面に設置された蛇口から、キラキラと輝く砂粒大の氷が零れ出した。
「っな……!」
 甲板に緊張が走る。背景が突如として黒くなり、稲妻が空に轟いた(イメージ画像)。
「なんて美しい……!」
 玻璃器に零れ落ちる、さらさらのカキ氷。メルだけでなく、船大工までもが、ガビン!と感嘆によろめいた。
 自動的に止まるカキ氷製造機。メルがすかさず銀のスプーンを取り上げた。しっかりと苺シロップもかけられているカキ氷の頂上を、そっと掬い上げる。
 さく! 
「嗚呼、我が愛しの氷姫! お前の美しさは我が目を奪い、お前の冷たさは我が心を虜にする」
 良く分からないことを詠って、メルはスプーンの上で煌めくカキ氷苺味をうっとりと見つめた。
 そして、爛々と瞳を輝かせる船大工たちの前で、それを──食した。
「……っ」
 くわ……! 
 メルの目が光る。否妻が走る。
「う、うっう……! 美味い……っっ!」
 どどーん! 
 ピンクの色眼鏡の下から、津波のような涙が溢れ出した。
「こ、このとろけるような舌触り……! 噛めば噛むほど増す冷たさ……! 後味もしつこくなく、ひとたび口にすればやめられぬこの上品な味わい……!」
 どこかの料理馬鹿な評論家のようなことを叫ぶメルに、とうとう堪えきれなくなった船大工たちが、再び恐慌に走り出した。
「し、しいたけっス! しいたけ! しいたけっス!」
 ピローン! 正解!とシャークが甲板を叩きながら、一人クイズ番組を始める。それに続いてガルライズが笑いながら汗の雫を数えはじめ、ウグドが猿の物まねをウキッと初め、ファストとキャエズが手をつないで、「ウフフ」「アハハ」と花畑で走りだし、ワッセルが「もうやめぇっ」と叫んだ。
 しかし彼らの嘆きを快感とばかりに眺めやったメルは、口元にカキ氷皿を運ぶと、硝子の器をぐいっと傾け、一気にカキ氷をかきこんだ。
「……う!」
 途端、口を梅干しにして、動きを凍りつかせる。
「っつぅ……」
 そしてトントントンと、こめかみを数回叩いた。
「……っぎょあ──────ぁああ……!」
 その光景を見ていた船大工たちは絶叫をあげ、滝のような汗と涙を流しながら、バレリーナ人形のように踊り狂って、ついには頭を抱えて大きくその場に仰け反り、叫んだのだった。
「俺たちも、キーントントントンってやりてぇえ────……っ!!」
 もはや限界だった。身も心も死の縁に立っていた。
 猛暑。
 猛暑。猛暑。猛暑。
 流れる汗、目に入る汗、舞い散る汗、しょっぱい汗。
 炎天下、ギラギラ太陽、ゆらゆらゆれる蜃気楼、笑い転げるカラ・ミンス(幻覚)
 そして、
 目の前の、カキ氷。

「偉大なる変態……じゃなくて、天才科学者メルファーティー様……!」
 とうとう彼らは屈した。プライドなんかがなり捨てて、悪魔の誘惑の前に屈してしまった。
「どうか、我らにカキ氷をお恵みくださいませ……!」
「ふん」
 裸足で歩けば踊り狂うこと間違いなしの、灼熱の甲板の上にひれ伏す哀れな男たちを、メルは鼻で嘲笑った。
「哀れな者たちよ……しかしこのメルファーティー、貴様らの心ない一言に深く傷つけられた……。人の心からの親切を、疑心でもって仇で返され……それを忘れて、どうしてカキ氷を恵んでやる気になれるだろう! 片腹どころか、両っ腹痛いわ!」
 そう言ってメルは、これみよがしにカキ氷をガリガリガリと食べた。高らかに組んだ足が、高圧的で憎たらしい。
 だが船大工たちは必死に耐えた。カキ氷のために、自分たちの命のために、必死に「心からだぁ? さっきついでだっつっただろうが、この苺野郎め!」という言葉を飲み込んだ。
 ワッセルは突き指した手を屈辱で震わせながら、褐色の額を甲板に打ち付けた。
「俺たちが間違っていた、すまない!」
 メルは気のない様子で、ワッセルをちらりと見下ろした。ワッセルはなおも言い募る。
「メルの優しさを最悪な形で踏みにじった! 俺たちは最低な馬鹿野郎だ! 許してくれ、メル!」
「……」
 その真剣な謝罪に──といっても、この真剣さはあくまでもカキ氷が食いたいというその一心から来た、不純なものなのだが──メルは心を動かされたようだった。ピンクの色眼鏡の奥で、瞳が宙をさまよう。
 ワッセルの額がシューシューと焦げる中、彼の背後では船大工たち……シャーク、ガルライズ、キャエズ、ウグド、ファストが必死の祈りをカラに捧げ、彼の前ではメルが唇を引き結んで考えこんでいた。
「まぁ、よかろう……」
 やがてメルの口から、そんな言葉が漏れたとき、ワッセルたちは我が耳を疑った。
「……え?」
 思わず聞き返す一同。
 メルは苛立たしげに顎を反らし、「食べてもいいと言ったのだ、無能どもめ!」と繰り返した。
 ワッセルはハッと背後の仲間たちを振り返った。みな両目いっぱいに涙を浮かべている。
 彼らの親指が、ぐいっと立てられた。
 僕たち、やってのけたんだね?
 そうさワッセル、君はほとほと良くやったよ! 
 ううんううん、みんなのおかげさ、みんなが僕を見守っていてくれたから……! 
 よせやい照れくさいぜ、さぁ、それよりも食べようぜ……! 

 この手でもぎ取った、青春のカキ氷を……! 

「メル様ぁぁあああ……!」
「たいがいうざいわ、貴様ら……!」
 またもや足元にしがみついてくる船大工たちを蹴り飛ばし、メルはどこからともなく紙皿を取り出して、彼らの足元に放ってやった。
「私の手を煩わせるな……無能な両手でせいぜい非優雅に、カキ氷を作るが良い」
 普段なら確実に殴り飛ばしているメルの物言いも、今日ばかりは神の威厳さに満ちて聞こえた。
 ワッセルたちは各々皿を手にとって、カキ氷製造機の前にウキウキと正座した。
 それの作動はいたって簡単だった。メルの手をわずらわせるまでもない、スイッチ一つで輝くばかりの氷粒が皿の中に溢れ出してきた。
「っはぁあ……!」
 ワッセルたちは感嘆の声をあげ、両手で包んだ紙皿の中の、こんもりと盛り上がったカキ氷を、涙と汗とよだれを垂らしながら、ひしっと見つめる。
 このまま死んでもいい気がした。
 なんて美しいのだろう、メルの高級な玻璃器に盛ったカキ氷よりも、自分の紙皿のカキ氷の方が数倍も美しく見えた。
 しかもこのカキ氷は、まともなのだ。
 メルの怪しげな薬品など、一切混入していない、混じり気ない純度百%のカキ氷なのだ。
 ワッセルたちは感動のあまりに、おいおいとむせび泣きながら、ただひたすらに冷たいカキ氷に心を奪われた。
 ──だから気がつかなかった。視界の隅で、メル博士の色眼鏡が邪悪に光り輝いたことに……。
「お待ちなさい、下劣な」
 今まさにカキ氷を口に流し込もうとしていた船大工たちは、メルに呼び止められて、不満そうに動きを止めた。
 メルはちらと船大工たちを眺め回すと、胸元から六本のストローを取り出した。
「まさかこの高貴なメル様の前で、スプーンも使わぬ下劣な食事風景を展開する気じゃあるまいな……」
 そう言って差し出されたストローは、ピンクと赤のストライプが入ったもので、先っぽがスプーン状に細工されたものだった。船大工たちは、ハッとして顔を輝かせる。
「ああ、カキ氷といえばこれっス!」
「謎のストロースプーン! ストローの使い道はまるでないのに、何故かストローで作られたカキ氷用スプーン!」
「感動であります、はい」
 船大工たちは「お前先とれよ」「いや、お前が先に」と、気色悪く譲り合いながら、何の疑いもなくストロースプーンに手を伸ばした。
 カキ氷が問題なしなら、ストローも問題なしと、根拠もなく信じ込んで。
「仲良うお食べ」
「はい、メル博士!」
 そして彼らはストロースプーンでカキ氷を掬い上げた。
「さよならっス、しいたけ!」
 シャークが汗まみれの顔をほころばせ、
「今度は氷の粒を数えてやる」
 ガルライズが朦朧とする頭を振って、
 キャエズが、ファストが、ウグドが、それぞれの猛暑に別れを告げて、そして
「さぁ野郎ども、声をそろえて、言ってやろうぜ……!」
 ワッセルがスプーンを頭上高くに掲げ上げた。

「いただきます!」

 はむ。
 彼らはとうとう、悲願のカキ氷を口にした……。

+++

「……ん」
 ホーバーは喧騒を船長室の外に感じて、目を覚ました。
 ぼへーっと起き上がって、碧色の睫毛をしばたかせ、あまりの暑さにくらくらする頭をひとつ叩く。
 寝棚から下りると、多少なりと冷たい床の上に、ラギルニットがべたりと大の字になって寝ていた。
「……暑い……」
 改めて呟き、ホーバーは手でぱたぱたと顔をあおぎながら、甲板への扉を押しあけた。
「し……し……ししし、しいたけっス!」 
 その途端、異様な光景が目に飛び込んできた。
「しいたけっス! しいたけ! ピローン正解! しいたけっス! し……ししし……しいた」
「ひ……ひ……ひゃくおくとんでよんつぶ……ひゃくおく……ご……ごごご……ごふ……ごつ……ひゃひゃひゃ!」
 それは地獄絵図だった。
 熱で揺らめく甲板の上で、船大工たちがカキ氷を頭に乗せ、ストローを耳や鼻の穴に突っ込んで、あちこちで踊って走って回って直立不動して正座して、ベラベラベラベラ独り言を叫んでいる。
 その真ん中に立ち尽くしているのは、悔しそうにピンクの髪をかき回しているメル。
「……っ大失敗だ! 発狂剤内臓イカれストロースプーン……三年も費やしたというのに……っなんてことだ! これでは先刻のきゃつらとまるきり同じではないか……! くそ、我が天下無敵のこの頭脳が、三年間も熱射病ごときと同じ作用のブツを創っていたとは……! 天下のメル、敗れたり!」
 ホーバーはしばらくぼーっと、それらの光景を眺め、ちらりと甲板の隅に目をやった。
 甲板の隅では、一人パラソルの下で寝こけている、ラヴ船大工長の老いた姿。
 彼が実は寝ているのではなく、あの世に一歩足を踏み入れている状態だということを知っている者は、少ない。
「……」
 ホーバーは無表情に扉を閉めた。
 パタン。
 遠ざかる狂喜乱舞の声。
 それでもかすかに聞こえてくるそれらを、耳から追い出して、ホーバーはぼそっと呟いた。

「……今年もか」

 タネキアの夏は、まだまだ続く。

おわり

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