傭兵時代のどうでもいい話
海賊になる前は、傭兵なんてものをやっていた。
各地の戦地を渡り歩き、仕える主の顔すら知らずに、日夜、血みどろになって戦った。
金を稼ぐという目的以上に、あのむせ返るほどの「生」の世界に、どっぷりとはまっていた。傭兵以外の生き方はほかにも山ほどあったが、血気盛んだった十代の自分は、敢えてあの世界で生きる道を選んだのだ。
――それはともかく、今日はそんな傭兵時代の、かなりどうでもいい話をする。
知り合いという程度の、ある傭兵の話だ。
夜半過ぎ、その日の戦闘を終えて戻ってきた傭兵たちは、陣営に設けられた天幕に集まっていた。セインもまた、無言で酒を食らい、飯を掻きこむ男たちの輪に加わるが、ふと眉をしかめる。
「おい、カンザ。なんだよ、そりゃ……」
――傭兵なんて、ろくな人間の集まりじゃない。報奨金目当てに、重たい剣をふるって殺人を犯す、いっそ犯罪者と言ってもいいような連中だ。
だが不思議なことに、ひとりはいるのだ。血塗れた戦地には不似合いな、やけに純粋な奴が。
それが、カンザという名の男だった。
「ああ、こいつな。昼間、戦地に紛れこんでんのを見つけてよ。馬がびゅんびゅん行きかう中、すっかり怯えて動けなくなっちまってたのを、拾ってきたんだ」
女ならば悲鳴を上げるだろう厳つい顔で、体つきもセインの二倍はごつい。声も地響きのようで、ひとたび剣を握れば、悪鬼でもそうはいくまいというほど容赦なく、相手をぶった斬るような男だ。
そのカンザが、今、一匹の子猫を両腕に抱えていた。
「可愛いよなぁ。見ろよ、この顔。さっきからぺろぺろぺろぺろ、ほっぺを舐めてきやがる! 汗がしょっぱくて、うめぇのかな?」
でれでれと鼻の下を伸ばしながら言われて、セインは顔を引きつらせた。
「つーか、猫に興味ねーし」
「興味はなくとも、可愛いもんは可愛いもんだろうが。ほれ、ほれほれ!」
無理やり抱かされそうになり、セインは大雑把にカンザの腕を払った。
「うぜぇ。死ね」
「うおい、小僧! 傭兵に死ねなんて言うんじゃねぇよ、縁起でもねぇ!」
明日の命をも知れない傭兵は、案外、迷信深かったりする。カンザは本気で怒りながら、猫の額に自分の額をこすりつけた。
「まったくひでぇ奴だよな。俺が死んだら、誰がお前の面倒見てくれるんでしゅかねー? ……え? いやいや心配すんな。俺にもしもがあっても、お前のことは、セインが責任持って面倒見てくれるってよ」
「は!? 勝手に決めんな、カンザ! てか猫と喋ってんじゃねぇよ、気色悪い!」
セインは手元にあった短刀の鞘を、カンザの頭に投げつけた。
「……って、いてぇじゃねぇか、殺すぞ、若造がァ!」
すかさずカンザも、辛い調味料が入った皿を、セインに投げかえした。
「ちょ――目ぇ、目ぇ入ったし! うおおお、超痛ぇ、マジ無理! うぁああ目がぁ!?」
「ざまぁみろや! 猫の天罰だ、にゃんにゃん!」
「……くっそ、にゃんにゃんとか言ってんじゃねぇ! 畜生、てめぇのクソちっちぇー息子にも同じもんぶっかけてやる!」
「やれるもんならやってみやが――ぬお!? 本気でやんなよ、ボケがァ! し、染みる、マジ染みる、染みるぅうう!?」
「はっはっは、不能になっちまいやがれ。にゃーんにゃーんッ」
「――おい、うっせぇぞ。そこまでにしとけや」
収集のつかなくなる争いを、傍らで黙々と飯を平らげていた傭兵が制した。
カンザとセインはそれぞれ、股間と目を押さえながらぎりぎりと睨みあい、やがてフンッと顔を背けて、その場に座りなおした。
カンザが鼻を鳴らす。
「まったく。猫一匹、愛でる余裕もねぇとは。ケツの青い野郎だ」
「はー? つーか、明日生きてるかも分かんねぇのに、猫の面倒見るとか無責任なこと言ってる方が、よっぽどケツ青いと思うんですけどー」
「責任?」
カンザはふと笑って、猫の脇の下に手を差し入れて、持ち上げた。だらーんと伸びた猫が、前肢を舐めながら「ナァ」と鳴く。
「はーん、セインの口から「責任」なんて言葉を聞くとは思わなかったぜ。おい、あいつに任せたら、実際んとこ、ちゃんと面倒見てくれそうだぜ? にゃんこ」
「……ふざけ」
「お、じゃあこういうのはどうだ? 見ろ。こいつ、雌だ」
「だから何だよ、うぜぇな」
「まあ、想像してみろや。このしなやかな体つき、色っぽい眼、ぺろぺろと指を舐める艶かしい舌……これが人間の女だったらお前ぇ、間違いなく拾うだろ? え? 青少年」
「はあ?」
「だからま、そういうわけで、任せた」
セインは呆気にとられた。不満は山ほど頭に浮かんだが、あまりに純粋に微笑むカンザに、それ以上の反論ができなくなる。
「……ついてけねぇ」
呟くと、カンザは豪快に笑い、猫に髭面をすり寄せた。
三日後、カンザは死んだ。
混乱する戦況の中、不運にも、名将と名高い相手方の武将と相対し、馬上からの一撃を受けてあっさりと没した。
セインは迷信など信じない。ゆえに、自分が「死ね」と言ったせいで、カンザが死んだなととは冗談でも思わない。戦場では毎日、信じられない数の人間が死んでいるのだ。傭兵仲間もすでに十数人が死に、中にはカンザよりよほど親しい者たちだっていた。カンザの死はその内のひとつにすぎず、悲しむことでも、深い感慨を抱くことでもなかった。
猫はいつまでも天幕に留まっていた。カンザが良く座っていた場所に身を丸め、何日も、何日も、じっとそこに居座りつづけた。
あの純粋な傭兵がいなくなった今、餌をやる人間など一人もいない。
猫は徐々に弱り、力をなくしてゆく。
――ほら、見たことか。
無責任に飼われた猫は、主人がとっくに死んでることなど気づきもせずに、餌を待ち続ける。黙々と飯を食らう傭兵を物問いたげに見上げ、与えられないと分かると寂しげに身を丸める。野生の猫ならば、さっさと見切りをつけて他の餌場を探すだろうに、中途半端に可愛がったりするから、猫もどうしていいか分からなくなるのだ。
そうしてさらに、四日が過ぎた。
戦は混乱を極め、両軍ともに”大怪我”を負い、ついに双方から休戦条約が提議された。
「……おい」
休戦が決まった夜、セインは配給された皿を猫へと放った。
猫は弱りきった様子で顔を持ち上げ、不審げに皿を見つめる。
「うぜぇんだよ。これみよがしに、居座りやがって。俺へのあてつけか? あ?」
猫が警戒の眼をセインに向けた。
「あいつは死んだんだよ。お前もそれ食ったら、とっととどっかへ消えろ。……そら」
餞別とばかりに爪先で皿を押しやると、猫はようやく鼻を近づけ、舌を出した。
やがてガッツガッツと気持ちよく飯を食らいはじめる猫を、セインは複雑な思いで見下ろす。
『想像してみろや。このしなやかな体つき、色っぽい眼、ぺろぺろと指を舐める艶かしい舌……これが人間の女だったらお前ぇ、間違いなく拾うだろ?』
しかめ面で、猫を色々な角度から眺めてみて――セインはげっそりした。
「……猫にしか見えねぇっつーの」
猫が顔を上げ、愛らしく「ナァ」と鳴いた。
あれから十六年、青い大海をゆったりと進む海賊船の甲板。
「うわあ、ナターシャ二世が、おれの机の下を鼠だらけにしたーっ」
船べりで煙草をふかしていたセインは、悲鳴とともに、船長室から飛び出してきたラギルニットを、ぼんやりと見やった。
少年の足元を、一匹の猫が駆け抜ける。
そしてそのまま、目にも止まらぬ速さで船内へと消えていった。
「あんだい、うっさいねぇ。猫が鼠捕った時は、褒めてやんなきゃ駄目だろ?」
「ううう、だって本当に山盛りなんだもん……っ」
舵台のクロルが少年の相手を始めるのを見て、セインは海原へと視線を戻した。
「ナターシャ二世は、ほんっと元気だよね。……そういえば、ナターシャって名前、人間の女の人みたいだよね。誰がつけたのかな?」
「そういや、そうだね。その前に、誰が連れてきたんだっけ、あの猫」
「おれが船に来た時は、もういたよ。あ、一世の方だけど……」
やがて二人の声が遠ざかり、甲板はまた揺らぐ波と縄の軋み、帆が空気を受ける力強い音だけに支配される。
セインは煙草を深々と吸いこんで、気だるげに紫煙を吐き出した。
「……やっぱ猫にしか見えねー」