オレンジとキャベツの海賊定食
「ねぇ、キャエズとカティールはどうして海賊になったの?」
ある順風満帆な航海中の昼下がり。甲板で、大人たちに混じって船員の破れたり解れたりした衣服を手直ししていた六人の子供たちの間で、こんな話題が持ち上がった。
「はぁ?」
船内では大人顔負けの釣り技術を持つキャエズは、その辺と関係あるのかないのか、見事なまでの針さばきで革製の上着をつくろいながら眉をしかめた。短く刈ったオレンジ色の髪、吊り目気味の三白眼。船大工長補佐シャークの指導のもと働く、船大工見習いの少年である。
「何だよ、いきなり」
糸切り歯で、硬くて太い糸を食いちぎりながら、キャエズは木箱の上の船長ラギルニットを見上げた。ラギルニットもまた器用に針を使いながら、それぞれ作業に没頭している仲間を見おろす。
「うんと、たとえばホーバーとかシャークはさ、ずっと昔、バクス帝国って国の海軍で働いてて、それで大きな戦争が終わったあとに……えーと、なんだっけ」
「迫害?」
「そう! それをされて、国を追い出されて、海賊になったんだって言ってるでしょう?」
「ほとんどの連中、そうだよな」
「うん。でもそれ十一年も前の話なんだって。キャエズはこのあいだ十四歳になったし、カティールもそうだから、それとは違うし。だから大人たちはそういう理由があるとして、おれたち子供海賊団はそれぞれ事情があって海賊になったと思うのですっ」
ラギルニットは何故か、空にはためく海賊旗に、びしっと敬礼をした。
確かに、バクスクラッシャーの船員たちはラギルニットの言ったような事情から海賊になった者が多い。だが、当然ながら十一年前となると、子供たちはせいぜいが三、四歳だ。年齢が上の船員たちとは、まるで違う事情があって海賊となったのである。
たとえば、一番隅っこのマストの陰でおとなしく針を動かしている少年チカルと、その横で不器用に布地を切っている少女レイリの双子は、船医フィーラロムの子供で、船上生まれの船上育ちという海賊のサラブレットだ。樽の上で、楽しげに鼻歌を歌いながら、夕餉に使う芋の皮剥きをしているファルは、水夫長補佐レティクの妹である。
さっきから休憩と銘打って居眠りをしているレックは、海賊だった母親に先立たれ、幼くしてひとり荒んだ生活を送っていたところ、バクスクラッシャーと出会って仲間となった。その顔に落書きをしているレイムは、海賊や密輸船相手の非合法の造船所で働いていたころに、レックと同様のすったもんだを経て、仲間となった経歴がある。質問をした当のラギルニットにいたっては、まだ生まれて間もないころ、理由あってバックロー号に乗船した女性が、船倉に置き去りにした子供である。
「みんなのはこの間聞いたんだけど、キャエズとカティの話ってまだ聞いたことないんだよね。二人はどうやって出会って、バクスクラッシャーに加わったの?」
「……ラギっちゃん、その前に一つ」
キャエズは薄い眉をぴくりと歪ませ、きょとんとするラギルニットを睨みつけた。
「なんでオレとっ、」
自分をビシッと親指で示し、
「こいつをっ、」
隣にいる黄緑色の頭をした少年を指差し、
「セットにすんだよ!!!?」
怒声を上げた。
「あ。」
その瞬間、その、隣にいる「こいつ」が、短く声をあげた。
キャエズがびくりと神経質に少年、方角見のカティールを見おろすと、カティールぼんやりと眠たげな声で続けた。
「……血がー……出たー……あははー……」
「……っぎゃぁあ!?」
のんびりした声に全くそぐわない勢いで、カティールの手から血が噴出していた。何で縫い物でここまで盛大に怪我ができるのか、という勢いの大怪我である。
「はい、カティ」
樽の上のファルが、カティールに洗いたての布を手渡した。カティールは眠る寸前のような半目で振りかえると、「あー…ありがとー…」とのんびり受け取った。
「あはは、下手っぴー!!」
ラギルニットも全く動じず、くすくすと笑う。居眠りしているレックは気付く様子もないし、レイムも落書きに夢中で、双子もちらりとカティールを見て首を振るだけの一切ノーコメントだ。
ただ一人、キャエズだけが過剰に驚き、カティールから仰け反って逃げていた。
「あ、ありえねぇ……! ありえねぇだろ、その怪我……!!」
キャエズは青ざめた顔で、カティールを戦々恐々と凝視する。カティールはおっとり首を傾げると、「えー?」とファルに貰った布――と間違えて、今まで縫っていた誰かの服で血まみれの指を押さえつけた。
「っぅぁああああああ!? つーかそれオレの服じゃねぇか! な、何でカティが、ていうか血、血、血が……っ呪われるぅ――!!!」
「えー……?」
「えー? じゃねぇよ、やめろよチクショーッその服フィーラロムに作ってもらったばっ……」
「あ……ごめんー、まちがえたー……」
会話のテンポが違いすぎて、果たしてカティールがどれに対して「間違えた」と言ったのか誰にも理解できない。キャエズはふらりと額に手を当て、よろめいた。
「もう、いい。もう……どうでもいい……」
「あははー……、もらっちゃおー……」
「て、何に使う気だ、てめぇ!?」
「あははー……、えー……?」
「っクソーッ、腹立つ腹立つ腹立つ……!!」
常にのんびりした口調に、眠たげに細められた目。キャエズと並べるとキャベツ色に見える黄緑色の髪と、不健康な青白い肌と痩せこけた体躯。方角見カティール。彼はその独特なテンションで、何かと船内に騒動を巻き起こす、子供海賊団きってのトラブルメーカーである。
とはいえ、被害をこうむっているのはおおむねキャエズなので、そんなに実害はないのだが。
「ほら、セット」
二人の息の合わないやり取りを見て、ラギルニットが笑顔で止めを刺した。周りで何ごともないように作業を続けていた子供たちも一斉にうなずく。キャエズは「何でぇ!?」と地面に崩れ落ち、カティールは血まみれのキャエズの服をきゅっと握りしめて、なぜかぽっと頬を赤らめた。
「えへへー、うん。ぼくー、キャエズの親友ー……」
「勝手に決めんな、オレはお前の親友なんかじぇねぇこの疫病神!」
「大親友ー……」
「大親友でもねぇ! そうだ、お前さえいなけりゃオレは今も気楽な一人旅を楽しんでたはずで、海賊なんかなってなかったはずなのに!」
キャエズは心の底から涙を流しながら、ぐっと拳を握りしめた。
「お前なんかを助けたばっかりに……!」
キャエズの回想は、「むかしむかし、あるところに、キャエズというオレンジ頭の少年がいました」というところから始まる。
早くに父母を亡くしたキャエズは、幼い頃から一人きりで放浪の旅を続けていた。類まれな釣りの才能を生かし、新鮮な魚を売って生計を立て、大人が目を丸めるほど自由自適な生活を送っていた。
そんなある日のこと、一本の緑に覆われた小道を歩いていると、すこし行ったところに一人の少年が倒れているのを見つけた。
年のころは、キャエズとそう変わらぬように見える。キャベツ色の頭をした、やけに不健康な肌をした少年だった。
「おい、だいじょうぶか? あんた」
キャエズは少年が生きているか確かめようと、釣竿の先っちょで突っついてみた。しかし反応はない。
「なんだ、死んでんのか」
幼くして「波乱万丈がお友達」だったキャエズは、あまり関わりあいになりたくねぇなと思い、あっさりと少年を見捨てることにした。その彼の足を、死んでいるはずの少年がいきなり引っ掴んだ。
「うわ!? な、なんだよ!?」
驚くキャエズに、少年はよろよろと顔を持ち上げて、答える。
「あ、あははー……、ぼく、カティール……」
「い、いらねぇよ自己紹介なんて、こえぇな!」
「聞いてくださいー、旅の方ー……」
青ざめたその顔があまりに不気味だったので、キャエズはカティールと名乗った少年の手を強引に引き剥がし、逃げようとする。しかしカティールはしぶとく足にしがみつくと、気の抜けるような力ない声で続けた。
「親切な方ぁ、たすけてくださいぃ……ぼく、行き倒れてしまいまして……」
「い、行き倒れぇ?」
「町を出たのはいいものの、どこをどう歩いたやら……すっかり迷ってしまいましてー……」
「……はぁ?」
「たすけてくださいぃ……」
キャエズは唖然とカティールを見下ろし、その背後、道の少し先に見える町の大門を見つめた。
「町って、すぐそこじゃねぇか」
「えー……? そうですかぁ……? 見えませぇん……」
絶対、コイツ、やばい。
キャエズは予感した。こいつに関わると、多分、すごい目に遭う。
キャエズはもはや何も答えず、カティールの手を乱暴に振り払って、町に向かって歩きはじめた。
「せ、せめてお名前をー……」
助けてもいないのに、手を伸ばして名前を聞いてくるカティールから、キャエズはついには猛烈な走りっぷりで逃げ出した。
「何よ、全然助けてないじゃない」
子供たちの隣で別の作業をしていた、少し年齢が上のキャムが呆れ顔で突っこみを入れてきた。傍らのファーまでが「なになに?」と身を乗り出してくる。
キャエズはオレンジ頭を掻きむしり、能天気に笑うカティールを指差した。
「助けたんだよ! 助けざるをえなかったんだよ! 話はこれからだ、聞けブス!」
「……何ですってぇ!?」
最初の遭遇からゆうに一ヶ月後、キャエズはフェクヘーラ大陸の砂漠を旅していた。
砂漠を越えれば、もうそこは海。少年は海を越えてタネキア大陸に渡るつもりでいた。
だが、喉の渇きを皮袋に入れた貴重な水で潤しながら、砂漠を歩いていたその時である。前方の砂の上に、キャベツ色をした物体を見つけた。
見覚えがある。とっても見覚えがある。
あれは、まさか――。
「……はぁ?」
灼熱の砂漠の上で、これ以上にないぐらいの死体っぷりでうつむけに倒れた少年。
それはあの時、町のすぐそばで行き倒れていたカティールという少年だった。
条件反射で、思わず釣竿の先でつんつん突っつくと、いきなりカティールの投げ出された手足がぶるぶるぶるっと痙攣を起こした。
「……っひぃ!?」
あまりの不気味さに仰け反るキャエズ。
するとカティールはおもむろに上体を起こし、ぼんやりとキャエズを見上げた。
「あーれー? あははー……、ぼく、カティール……」
「だからいらねぇよ自己紹介なんて、こえぇって……! お前、まさかまた行き倒れてたのか?」
今度は正真正銘の行き倒れにしか思えなかったので、キャエズはさすがに心配する。
カティールはにへらぁと笑うと、空をぼんやりと見上げ、言った。
「いいえぇ、ぼくー、光合成をしてたんですー……」
「……」
「頭、みどり色なのでー……」
キャエズはどん引きした。口許をぴくりと引きつらせると、一歩、一歩と気付かれないように後ずさる。絶対、コイツ、やばい。それはもはや確信だった。そう、これ以上こいつに関わると、絶対、ひどい目に遭う。
なるべくさりげなく立ち去ろうとするキャエズだったが、悲しいかな、砂漠に身を隠すような障害物はない。すぐにカティールに呼び止められた。
「お名前、なんですかぁ……?」
えへへー、という無邪気な笑い声つきである。友好的な声音なのに、何だか答えないと取り憑かれそうな、得体の知れない何かを感じた。キャエズはゴクリと喉を鳴らし、また一歩後ずさって答える。
「キャエズ……だけど」
「ぼくー、カティール……」
「い、いやもう知ってるし……」
「ぇぇえ……っ?」
カティールが驚きに声をあげ、キャエズはびくりと肩を震わせた。
相変わらず開ききっていない目でキャエズを見つめ、じりじりと砂漠を四足歩行でにじり寄ってくる。キャエズは「ひ、ひぃ…」と口の中で悲鳴を上げる。
「じゃあ、キャエズはぼくのこと知ってるんだー……?」
「し、知ってるっていうか、え、知ってるっていうか!?」
「じゃあじゃあ、教えてくださいー……」
「!?」
いつの間にか足に絡みついていたカティールに、キャエズは金縛り状態となる。寄生された、そんな恐怖を呼び起こす表現が脳裏をよぎった。
「ぼくはー、どこのー……」
カティールは、えへへーと笑う。
「どちらさまでしょうー……?」
「はぁ!?」
キャエズが汗をだらだら見下ろすと、カティールは天真爛漫に微笑んだ。
「ぼくー、自分の家、ど忘れしちゃったー……」
「どしぇー!?」
「それからだ、それからだよ、こいつが何かとオレに付きまとうようになってきたのは」
「……やっぱり、助けてないじゃない」
その時も結局助けなかったらしいキャエズは、キャムのツッコミを無視して、熱い涙を流した。
それまではあまり興味を持った様子のなかった子供たちも、いつの間にか作業の手を止め、キャエズの熱演を見つめてる。
「砂漠での二回目の遭遇以来、コイツは何かとオレの前に姿を現すようになった」
市場で新鮮な魚を売っていれば、若奥さまスタイルに変装したカティールが、買い物客を装って出現した。小舟で沖合いに出て釣りをしていれば、カティールが釣れた。町の食堂で飯を食っていれば、なぜか支払いを二人分請求された。宿に泊まれば、夜中、窓をカリカリとつめで引っかく音が聞こえた。道を歩いていれば、目の前でカティールが行き倒れていた。
そんなことがだいぶ続き、気が付いたら、キャエズはカティールと並んで旅をしていた。
そして気づけば、一緒に海賊になっていたのである。
「オレは海賊になんかなりたくなかったのに、コイツが……コイツがぁああ――!!」
キャエズは灼熱の太陽に熱せられた甲板に突っ伏し、歩んできた苦難の道のりに号泣した。
どうやら、話はそれで終わりのようだった。
ラギルニットと子供たちは、互いに顔を見合わせ、首をかしげた。
「え、終わり?」
「終わりみたい」
「いちばん重要な部分、なかったよね?」
「なかったね」
でも、想像できてしまった。
そう、キャエズとカティールの二人はどうして海賊になったのか。
要するに、彼らはこの調子で旅を続け、きっと一度は八百屋になっただろうし、一度は探検家となってイリューザ大陸辺りを命がけの冒険に繰り出したのだろう。果ては珍獣の曲芸師、サーカス団の団員、食堂の皿洗い、山賊団を結成、植木屋、着ぐるみショーで僕と握手、龍退治でお姫様を救出ときて、その旅の果てに海賊になったのだとしても、驚くべきことではない。
子供たちはまだ泣き叫んでいるキャエズと、血みどろになった手を「あははー…」とキャエズの背中に擦りつけているカティールを見比べ、遠い目のまま縫い物に戻った。
ラギルニットは「ええと」と頬をぽりぽり指で掻き、船長として、終わらぬ二人の旅を一言でまとめた。
「やっぱりセットだ」
「ちげぇ!!!」